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第4章
29 期待以上 ⚠
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「いつから居たんですか……」
ブランケットで身体の汚れを拭き取りながら訊く私に、推参者は感染症対策の装備をしつつ答える。
「そうだな、ドシーン! グチャの辺りから」
「……やっぱり。利き手のくだり、聞いてましたものね」
ふと口内に血の味が広がる。舌で探ると、鈍い痛みが走り、左の奥歯がグラついた。クエマドロに殴られた時、折れたようだ。頬は熱を持ち、腫れてきている。
大きなショックとまとわりつくような眠気のせいで思考がうまく働かず、誰宛てかわからない憎悪がもぞもぞと胸を這うのを感じた。
「私が襲われるとこ、こっそり覗いてたなんて悪趣味ですね」
悔し紛れに言い捨てると、凌遅は「命の危機が差し迫った時、君がどうするのか興味があった」と返した。
「ヴィネから連絡が来た瞬間、何となくこうなる予感がしたんだ。君のことだから、むざむざ殺されはしないだろうと踏んでいたが、期待以上だったよ。特に、あのボールペン……」
どきりと胸が高鳴った。
「あれは本来、俺に使うはずのものだったんだろう」
「…………」
黙る私に、彼は「次こそ、俺を出し抜いてくれよな」そう言って片笑んだ。
あちこちの痛みに耐えながらどうにか服を身に着けた私は、ヴィネの安否が気になり、表へ移動した。
彼女は車の中で完全に意識を失っていた。ドアはロックされており、ご丁寧に手錠までかけられている。何度も名を呼び、窓を叩くも、まったく目を覚ます様子がない。
仕方がないので一度部屋に戻り、凌遅がまとめたクエマドロの私物の中から鍵を探す。ずっしりと重みを増した着衣を探るが見当たらない。
ゴトリと音がした。
帯状に続く血痕の先――奥の風呂場で凌遅が“素材”の血抜きをしているのだろう。それが済んだらはらわたを抜き、剝皮し、大バラシだ。
窯の前には使い勝手の良さそうなテーブルや広い床があるので、彼はこの空間を作業場にするに違いない。二度と見たくない光景が間近に迫っている。
私は焦る気持ちを抑えながら捜索範囲を広げ、壁際のハンガーラックに目を留めた。見覚えのあるジャケットが掛けられており、ポケットを探ると目当てのものが出てきた。
一見、キーには見えないフォルムだったが、特徴的なエンブレムのおかげですぐそれと知れた。
一緒に入っていたキーホルダーには手錠の鍵らしきものがついていたので、それらを手に車へと取って返し、ヴィネの解放に成功した。
「ヴィネさん、しっかりしてください」
何度も肩を揺するが、起きる気配は微塵もない。
仕方がないので、私も彼女の隣に滑り込んだ。少なくとも、後2~3時間はここにいなくてはならないので、シートの座り心地が好みなのは助かった。
ふと目線を上に移すと、パノラマルーフ越しに星空が見えた。
遮蔽物がないせいか、悲しいくらい美しかった。
窓が叩かれていることに気付き、私は顔を上げる。いつの間にか眠っていたようだ。隣のヴィネもまだ夢の中らしい。
手探りでドアを開けると、
「帰るぞ」
車内に凌遅の落ち着いた好い声と、強烈な血のにおいが満ちた。
「今、何時ですか……」
「0時過ぎだ。興が乗って、つい時間を食っちまった。後片付けをするだけの余力がないんで、ジャニターを要請したよ」
疲労混じりの声で凌遅が言う。
「彼らの邪魔にならないよう、早めに退去しよう。少し下ったところに車をとめてある。ヴィネを運ぶから、後に付いてきてくれ」
言われて身体を動かそうとするが、なかなか力が入らない。ややもすれば寝落ちし兼ねない私を見た凌遅は、「ここに泊まりたいのか」と問う。
その言葉に私は渋々、瞼を開けた。
凌遅がヴィネを担ぎ出す際、何かが地面に落ちる音がした。どうやら、彼女がクエマドロから受け取った紙袋のようだ。
無視してしまおうかとも思ったが、ふと考え直してそれを拾い、私は先達の後に続いた。
「彼はなかなか好い作品になったよ」
車を走らせながら、凌遅が言う。
「撮影機材はセットされていたものをそのまま使わせてもらったから、事前の面白い遣り取りまで収録できていた。観客受けも期待できる。君が一役買ってくれたおかげだ」
私は「そうですか」とだけ返し、ヘッドレストに頭を預けた。
舗装の甘い地面からの振動がダイレクトに伝わり、神経に障る。
ひどくだるい。私の頭もこのまま腐り落ちてしまいそうだ。
少しして揺り起こされた。いつの間にか目的地に到着していたらしい。
先日、私もお世話になったスクェア・エッダのメディカルエリアだった。入り口付近で凌遅が医療スタッフに呼び止められたので、勝手に抜け出した件で叱責されるのかと思いきや、「お疲れでしょうけど、バイタルチェックだけご協力ください」と言われるにとどまった。
私とヴィネは処置室へ移動する旨を聞かされた。詳しいことは定かではないが、銘々の状況はすでに伝わっているらしい。移動中、凌遅が報告していたのかも知れない。
彼は背負っていたヴィネを医療スタッフの用意した車椅子へ座らせると、「後はよろしく」とだけ言い、廊下の奥へ歩いて行った。やはり足運びが心許ない。無理をするからだ。
「では、伊関さん、こちらへ。歩けますか?」
車椅子を押しつつ先導する医療スタッフに従おうとしたら、突如、足の力が抜け、動けなくなってしまった。私の心身も限界に来ているようだった。
それから後の記憶は飛んでいる。
ブランケットで身体の汚れを拭き取りながら訊く私に、推参者は感染症対策の装備をしつつ答える。
「そうだな、ドシーン! グチャの辺りから」
「……やっぱり。利き手のくだり、聞いてましたものね」
ふと口内に血の味が広がる。舌で探ると、鈍い痛みが走り、左の奥歯がグラついた。クエマドロに殴られた時、折れたようだ。頬は熱を持ち、腫れてきている。
大きなショックとまとわりつくような眠気のせいで思考がうまく働かず、誰宛てかわからない憎悪がもぞもぞと胸を這うのを感じた。
「私が襲われるとこ、こっそり覗いてたなんて悪趣味ですね」
悔し紛れに言い捨てると、凌遅は「命の危機が差し迫った時、君がどうするのか興味があった」と返した。
「ヴィネから連絡が来た瞬間、何となくこうなる予感がしたんだ。君のことだから、むざむざ殺されはしないだろうと踏んでいたが、期待以上だったよ。特に、あのボールペン……」
どきりと胸が高鳴った。
「あれは本来、俺に使うはずのものだったんだろう」
「…………」
黙る私に、彼は「次こそ、俺を出し抜いてくれよな」そう言って片笑んだ。
あちこちの痛みに耐えながらどうにか服を身に着けた私は、ヴィネの安否が気になり、表へ移動した。
彼女は車の中で完全に意識を失っていた。ドアはロックされており、ご丁寧に手錠までかけられている。何度も名を呼び、窓を叩くも、まったく目を覚ます様子がない。
仕方がないので一度部屋に戻り、凌遅がまとめたクエマドロの私物の中から鍵を探す。ずっしりと重みを増した着衣を探るが見当たらない。
ゴトリと音がした。
帯状に続く血痕の先――奥の風呂場で凌遅が“素材”の血抜きをしているのだろう。それが済んだらはらわたを抜き、剝皮し、大バラシだ。
窯の前には使い勝手の良さそうなテーブルや広い床があるので、彼はこの空間を作業場にするに違いない。二度と見たくない光景が間近に迫っている。
私は焦る気持ちを抑えながら捜索範囲を広げ、壁際のハンガーラックに目を留めた。見覚えのあるジャケットが掛けられており、ポケットを探ると目当てのものが出てきた。
一見、キーには見えないフォルムだったが、特徴的なエンブレムのおかげですぐそれと知れた。
一緒に入っていたキーホルダーには手錠の鍵らしきものがついていたので、それらを手に車へと取って返し、ヴィネの解放に成功した。
「ヴィネさん、しっかりしてください」
何度も肩を揺するが、起きる気配は微塵もない。
仕方がないので、私も彼女の隣に滑り込んだ。少なくとも、後2~3時間はここにいなくてはならないので、シートの座り心地が好みなのは助かった。
ふと目線を上に移すと、パノラマルーフ越しに星空が見えた。
遮蔽物がないせいか、悲しいくらい美しかった。
窓が叩かれていることに気付き、私は顔を上げる。いつの間にか眠っていたようだ。隣のヴィネもまだ夢の中らしい。
手探りでドアを開けると、
「帰るぞ」
車内に凌遅の落ち着いた好い声と、強烈な血のにおいが満ちた。
「今、何時ですか……」
「0時過ぎだ。興が乗って、つい時間を食っちまった。後片付けをするだけの余力がないんで、ジャニターを要請したよ」
疲労混じりの声で凌遅が言う。
「彼らの邪魔にならないよう、早めに退去しよう。少し下ったところに車をとめてある。ヴィネを運ぶから、後に付いてきてくれ」
言われて身体を動かそうとするが、なかなか力が入らない。ややもすれば寝落ちし兼ねない私を見た凌遅は、「ここに泊まりたいのか」と問う。
その言葉に私は渋々、瞼を開けた。
凌遅がヴィネを担ぎ出す際、何かが地面に落ちる音がした。どうやら、彼女がクエマドロから受け取った紙袋のようだ。
無視してしまおうかとも思ったが、ふと考え直してそれを拾い、私は先達の後に続いた。
「彼はなかなか好い作品になったよ」
車を走らせながら、凌遅が言う。
「撮影機材はセットされていたものをそのまま使わせてもらったから、事前の面白い遣り取りまで収録できていた。観客受けも期待できる。君が一役買ってくれたおかげだ」
私は「そうですか」とだけ返し、ヘッドレストに頭を預けた。
舗装の甘い地面からの振動がダイレクトに伝わり、神経に障る。
ひどくだるい。私の頭もこのまま腐り落ちてしまいそうだ。
少しして揺り起こされた。いつの間にか目的地に到着していたらしい。
先日、私もお世話になったスクェア・エッダのメディカルエリアだった。入り口付近で凌遅が医療スタッフに呼び止められたので、勝手に抜け出した件で叱責されるのかと思いきや、「お疲れでしょうけど、バイタルチェックだけご協力ください」と言われるにとどまった。
私とヴィネは処置室へ移動する旨を聞かされた。詳しいことは定かではないが、銘々の状況はすでに伝わっているらしい。移動中、凌遅が報告していたのかも知れない。
彼は背負っていたヴィネを医療スタッフの用意した車椅子へ座らせると、「後はよろしく」とだけ言い、廊下の奥へ歩いて行った。やはり足運びが心許ない。無理をするからだ。
「では、伊関さん、こちらへ。歩けますか?」
車椅子を押しつつ先導する医療スタッフに従おうとしたら、突如、足の力が抜け、動けなくなってしまった。私の心身も限界に来ているようだった。
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