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第4章

27 空っぽ ① ⚠

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「……ちゃん? ……うしたの?」

 クエマドロの声がする。

「眠いのかな。カモミールティーでリラックス効果狙ったんだけど、効き過ぎちゃったかな」

 カモミールティー? そうだ、お茶をもらったんだ。とてもいい香りのお茶だった。リラックス効果があるのか。
 そのせいか、ひどく眠い。頭がクラクラする。目を開けていられない。

「少し休もうか。温泉ちゃんなら軽そうだし、余裕で運べるわ」

 直後、脇の下に腕が差し込まれた。クエマドロが、椅子に座っていた私を抱き上げようとしているらしい。

「大丈夫です。歩けますから……」

 私は彼の介添えを断るように立ち上がった。手足に力が入らない。

 何だろう。疲れたのか。だが、短距離の移動くらい一人でできる。わざわざ彼の手を煩わせるわけにはいかない。

「いいんだよ、気にしないで眠って。こっちの準備ももう済んだし」

 私の抵抗で一旦搬送を諦めたのか、クエマドロの気配が遠のき、聞き覚えのある金属音が響いた。

 反射的に目が開く。見れば窯の鉄扉が全開になっており、赤々とした炎が顔を覗かせていた。

「……すみません、お手伝いに来たはずなのに、何もしてなくて……もう火を入れられたんですね……」

 火?

 はたと私の言葉が止まる。

「そうだよ」

 彼はにこやかに言った。

「燃料も窯内ようない環境も、カメラも完璧。後はキミを入れて焼き上がるのを待つだけだ」

 急激に血の気が引いていくのを感じた。どうやら彼は私を焼殺しようとする気のようだ。

 しかし、何故。

 クエマドロはとても友好的で、出会ってすぐに会話が弾んだ。私を気遣い、大事なお守りを分けてくれた。助けになると労わってくれ、あまつさえ一緒に暮らそうと誘いの声までかけてくれた。
 恨みを買った覚えはない。むしろ良好な関係を築けていたはず。それなのに――。

「どうして……」

「どうしてって」

 彼はつかつかとこちらへ歩み寄るなり、棒立ちになっていた私の首を掴んで、背後の壁に押しつけた。息が詰まる。

「決まってるでしょ。キミがとってもおいしそうだからだよ」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。恨みや妬みが原因で害されるならばまだ理解できる。

 だが、おいしそう? 食べる気なのか、私の肉を。

 悪い冗談にしか聞こえないが、彼から漂う気配は普通ではない。

 恐怖に泳がせた視線の端にテーブルが映った。そこにはさっき彼が提げていた袋の中身が置かれている。

「定番だけど、肉料理にはやっぱり赤ワインだよね」

 クエマドロは嬉々として言った。

「レ・フォール・ド・ラトゥールにしてみたんだ。セカンドだけどポテンシャル高いし、多分ハズレないと思うんだよね。さっき言った通り、“キミと一緒に”楽しませてもらうよ」

 間違いない。彼は本気だ。

 彼は、だ!

 焦った私はポケットのシャープペンシルを握りしめ、渾身の力を込めて彼の腕に突き刺そうと試みた。が、あと少しというところで、手を払われた。ペンが吹っ飛び、フロアを転がった。

「ははっ、暴れても無駄だって」

 クエマドロはもがく私を一層の力を込めて押さえつけると、矢庭に左頬を張り飛ばした。

「……っ!」

 驚きと衝撃で身体が強張る。固まる間もなく、折れた肋骨に彼の拳が沈んだ。激しい痛みが来て、その後、熱がじわりと広がっていく。

「痛い思いさせて悪いんだけど、キミ、思いがけず反抗するんだもんなあ。二度とそんな気にならないように、たっぷり教えてやらないとね」

 クエマドロは腰のベルトを外し持ち直すと、それを鞭のように振るい私の身体に打ちつけ始めた。ベルトが当たる度、喉と肋骨が短い悲鳴を上げる。
 暴力には比較的慣れていたつもりだったが、いやに応える。信頼しかけていた相手からの裏切りに、私は思いのほか動揺したらしい。

「それに肉を軟らかくするためにも、やっぱり叩くのがいいんだよ。人肉食、一度やってみたいと思ってた。ジェフリー・ダーマー、アルバート・フィッシュ……先達に倣ってね」

 身体を丸めることしかできない私を執拗に殴打しながらクエマドロは言った。

「でもこれまで適当な標的が見つからなくてね。他の処刑人が遊び終わった死体や、活きの下がったリザーブを始末する作業ばっかり任されて、すごく退屈だったよ。炉はすぐ傷むし、ニオイ対策とか面倒だし。せっかくならハイスペックな方がいいだろうと思って、1500度まで上げられる火葬炉仕様にしたのが失敗だった。まあ、ここら一帯はおれの土地だからあんまり気にしなくていいんだけど……」

「……あの話は」

「ん?」

 クエマドロが手を止めたので、私は絞り出すように問うた。

「嘘だったんですか。苦しんでる人を解放したいって……おじいさんの話も……」

 彼はいかにもおかしそうに笑った。

「嘘に決まってるよね。あんな話、素直に信じてくれるなんて、温泉ちゃんはイイコだね。でもちょっとおバカさんかなあ。だって処刑人のHNハンドルネームは殺しの手段なんだよ? おれはクエマドロ。ブレスレットあげる時、“煉瓦製の大きな窯”だって教えたよね? もしおれがケヴォーキアンの自殺装置で殺すスタイルだったとしたら、HNも普通にマーシトロンにしてるから」

 呻吟しんぎんする私を余所に、彼の暴力は続く。

「言っとくけど、助けは来ないよ。ヴィネちゃんにも同じ睡眠薬盛ってあるんだ。夕食の時に譲ったおれのデザートの中にね」

 絶望が心と意識を濁らせていく。ほんの少し気を許したばかりに、そんな理由で殺されるなんて。

「初めて見た時から決めてたんだ。いつか絶対にキミを食べてやろうって。ああ、楽しみだなあ、記念すべき一口目はどこにしよう。フィッシュの証言にある“尻肉のロースト”ってのがいろんな意味でそそるんだよね」

 一段落したのかクエマドロは荒い息を吐きながら、打ち据えられ抵抗を諦めた私の服を剥ぎ取りにかかった。私が疲弊しきって抗わないのをいいことに、彼は時間をかけてボタンを一つ一つ外していく。
  
 前がはだけると、クエマドロはほうと感嘆の溜息を漏らした。

「へえ、温泉ちゃんて、意外とおっぱい大きいんだ」

 下着姿になった私に彼は舐めるような視線を注いだ。長い指が蛇のように胸元を這い、まさぐる。

「やっべ、堪んねえわ……」

 ニタニタと下種げすな嗤いを浮かべながら、首筋に顔を近付けるようにして体臭を嗅ぐクエマドロを前に、私は下唇を噛んだ。
 身体を暴かれ、値踏みされ、恐怖よりもむしろ羞恥心と嫌悪、激しい憎悪が込み上げる。

 悔しい。私は今、こんなところでこんな男にむざむざ嬲り殺されようとしている。これなら遮二無二、あの男と切り結んで返り討ちに遭った方がマシだった。
 どうしてもっと早くそうしなかったのだろう。わざわざ一月近くも生き長らえ、思い煩ったというのに。

 いろいろな思いが交錯し震える手首の鎖が千切れ、しゃらりと床に零れ落ちた。私の命も風前の灯だ。

 “絶望のなかにも焼けつくように強烈な快感があるものだ”? 

 馬鹿言え。そんなもの少しも湧いて来やしない。

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