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第4章

25 アトリエにて ⚠

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「ご馳走様、マドロン」

「ご馳走様でした」

 目が飛び出るほどの会計をあっさり済ましたクエマドロに、私とヴィネがお礼を言うと、「どういたしまして。お口に合ったかな」と彼は満足げに微笑んだ。

「さすが美味しいお店知ってるよね。しいて言えば、もうちょっと量があったらなあ」

 ヴィネが横目でクエマドロを見遣る。

「おれのデザートぶん捕っといて何言ってんの」

 呆れ顔のクエマドロに彼女はすかさず抗弁する。

「ちょっと、人聞きが悪いこと言わないでよ。ヴィネ達がトイレに行ってる隙をついてデザート盗ろうとした罰ですー!」

「違いますー。そんな意地汚いことするのはヴィネちゃんだけですー。まあ、軽く体動かすには腹八分の方が効率いいけどね」

「それもそうですね」

 同意する私とは対照的にヴィネは首を傾げる。

「あれ? この後、何かあったっけ」

 私とクエマドロは一瞬、顔を見合わせた。

「ヴィネちゃん、マジか……これからおれの窯、デコってもらう約束でしょ」

「さっき選んだ道具で飾るんですよね。今日のメインイベントです」

 それでようやく合点がいったのか、ヴィネは目を見開き、ポンと手を打った。

「人のこと散々ディスっといて、自分の方がよっぽど老化進んでんじゃん」

 クエマドロが半笑いで突っ込むと、「やだ……めっちゃ恥ずかしい……」ヴィネはあからさまに赤面し、そそくさと車の側へ移動した。
 彼女のこうした天然気味な言動にはいつも癒される。

 一旦、ヴィネの車を取りに戻るのかと思いきや、作業が終わり次第、クエマドロが送ってくれるとのことで、そのまま彼の作業場こと“アトリエ”へ移動することに決まった。

 そこは意外にも、スクェア・エッダを見下ろす高台にあった。広大な敷地内に木造2階建ての母屋と、倉庫を兼ねた別棟が建っている。彼も凌遅と同じように本部とは一定の距離を置きたいタイプらしく、わざわざ私財を投じて構えたのだという。

 建物脇の駐車スペースに車が停まった時、ヴィネは私の隣で船を漕いでいた。声をかけたら「ん……起きてるよ、起きてる……寝てないよ……」と、寝ぼけている人間の常套句のような台詞が返ってきた。
 食後だし、日頃の疲れが出たのだろう。ひょっとすると、私の寝相が悪くて昨夜よく眠れなかったのかも知れない。

「しょうがない、このまま少し寝かせてあげるか」

 運転席を降りたクエマドロが言った。

「一応、仮眠室もあるけど、ヴィネちゃん重そうだし、2階だから運ぶのきつい」

「……うるさいよ、マドロン……ヴィネは、もっと食べれるんだからね……」

 半分、夢の中の住人になりかけているヴィネの様子に、私とクエマドロは再度、顔を見合わせて笑った。

 ヴィネを残し、二人で母屋へ移動する。玄関を入ると、吹き抜けのある開放的なスペースが広がっていた。薪ストーブや無垢材のテーブルといった最小限の家具の他に、おしゃれなオーナメントがそこかしこに配置されていて、洗練されたショールームのようだ。

「すぐあったかくするから待っててね」

 アトリエの主は奥に荷物を置くと、手早くストーブに火を入れる。

 そして件の窯は少し奥まった場所にあった。大きめのピザ窯のようなものを想像していたのだが、それは私の予想を上回る巨大なものだった。煉瓦製で、上から煙突が伸び、開口部には鉄扉が付いている。窯と言うより火葬炉のような印象だ。

 ふと母が荼毘だびに付された時の光景が脳裏に蘇った。この中に入れられた人は、あの日の母と同じように、出てきた時、何か別のものに変わっているのだろう。
 だが如何に姿形が変わろうと、カレやカノジョは確かに存在していて、誰かに愛され、悼まれる者達だったはず。
 骨上げの際、母の遺骨を取り落として舌を出した親類に嫌悪感を覚えた。悪気はないとわかっていても、大切な人が蔑ろにされたように感じたからだ。

 冷静に考えれば、この場所を適当なもので飾り立てるのは、人命に対する冒涜のように思えてきた。

 クエマドロは処刑人だ。ヴィネも本部の人間で、殺人やそれにまつわる仕事をしている。だから彼らが“そうすること”に矛盾はないし、責めても無意味だと納得できる。

 しかし私はそうではない。ここで彼らにならってしまえば、自分も人でなしになってしまう気がした。

「あの、今更なんですけど」

 私はおずおずと切り出した。

「ちょっと自信がなくなってきました。私、センスがないんで、下手に手を加えると台無しにしてしまいそうで……」

「気にしなくていいんだよ」

 クエマドロは、買ってきたものを近くのテーブルに並べながら言った。

「温泉ちゃんの感性の赴くまま、飾ってみて。おれが一方的にお願いしたんだし、どうなっても文句は言わないから」

「…………」

 無言の私に、彼は察したような表情を浮かべる。

「もしかして、いろいろ考えちゃった?」

 私が下を向くと、

「そっか……温泉ちゃん、優しいからなあ。まだうまく感情を切り離せないんだよね」

 クエマドロはテーブル脇に置かれている音響機器に近寄り、再生ボタンを押した。耳馴染みのよいメロウな背景音楽が流れ始め、空間を満たしていく。

「そりゃそうだよね。自分から飛び込んだわけじゃないって話だし、普通の女の子なら当然の反応だと思う。むしろよく頑張ってると思うよ。連日、死体とか殺人とか、シンドイでしょ」

「ええ……」

 まったくだ。凌遅と出遭ってからと言うもの、精神に異常を来たすレベルのショックとストレスに見舞われ続けている。一刻も早く“普通の社会”に戻り、日常を取り戻す訓練を始めなければ、きっと深刻なことになる。

 あの男を確実に殺すまで、この組織を離れるわけにはいかないが、私のような“普通の女の子”にどこまで持ちこたえられるだろうか。

 ずっと足元を睨んでいる私を見て、クエマドロは話題を変えた。

「おれはね、他の処刑人と違って、無差別に人を殺すような真似はしないんだよ。 LR×Dは嘱託しょくたく殺人も請け負ってて、おれは事前に死にたい・消えたいって依頼してきた人達を苦しませないように死なせてあげる係なんだ」

 言いながら、彼は鉄扉を開ける。てっきり空っぽだと思っていた窯内には枕とブランケットが置かれ、横には小型のガスタンクのようなものが設置されていた。

「これ、何だかわかる? ケヴォーキアンっていうアメリカの医師が考案した装置でね、シリンダの中身は一酸化炭素なんだ。ここに繋がってるマスクを被せて吸引してもらうんだけど、普通の部屋だと味気ないって不評でさ。静かに自分と向き合って死出の旅を連想してもらえるように、この窯があるってわけ」

「じゃあ……これは、火葬炉じゃないんですか」

 私が問うと、彼は得心とくしんしたように言った。

「あ、そっか、温泉ちゃんはこれが火葬炉だと思ったから気持ち悪くなっちゃってたんだね。ごめんごめん、ちゃんと説明してなくて。ただの舞台セットだから安心して」

 クエマドロは軽く咳払いをすると、「そう言えば、温泉ちゃん。おれが処刑人になった理由って、ヴィネちゃんから聞いてる?」と返してきた。

 首を振る私に、彼は意外な告白をした。

「おれがこの道に進もうと思ったのは、苦しんでいる人達を助けてあげたかったからなんだよね……」

「えっ」

 彼は視線を落とし、ぽつぽつと語り始めた。

「ホスピスに居たおれの祖父がね、すごく苦しんで死んだんだ。本人は早く楽にして欲しいって何度も言ってたんだけど、日本では積極的安楽死は容認されてないから、医師もおれ達も何もしてあげられなかった。見舞いに行く度、身体も心も弱っていく祖父を見るのは、ツラくて、悔しくてね……祖父のような人を苦しみから解放してあげたいって強く思って、どうしたらいいかずっと探ってた。そんな時、たまたまLR×Dに巡り合って、今日に至るわけ」

「そうだったんですか……」

「ごめんね、なんか語っちゃって」

 クエマドロは物悲しげに微笑み、こちらを覗き込む。

「だからさ、ここに入る人達が最期に少しでも安らかな気持ちになれるように、明るい装飾をしてあげたいんだ。温泉ちゃん、手伝ってくれる?」

 彼は顔を上げた私にふわりと笑いかけた。

 凌遅の話では処刑人は拷問具や処刑具のHNハンドルネームを持っていて、“その特徴を活かした殺人行為”を行うとのことだったが、こういうパターンもあるとは知らなかった。生命倫理を抜きにして考えれば、この組織にも幾何いくばくか温情めいたものがあったらしい。

 私は何とも言えない気持ちで、クエマドロが差し出したマスキングテープを受け取った。

「ありがとね。じゃあおれ、さっき買ったジュース冷蔵庫にしまってくるわ。作業してる間に冷えると思うし。ついでにヴィネちゃんの様子も見てくるから、適当に始めてていいよ」

 主が出ていくと、部屋の温度が少し下がったように感じられた。

 私はその場に立ち尽くし、ぼんやり考える。クエマドロ――見た目がよく、人あしらいが巧みで、金も自由も学歴も精神的余裕もある。軽そうに見えて、その実、高尚な理念を持ち、肉親への愛情や死にゆく人への労わりの気持ちも備えているらしい。
 多少歪んではいるが、奇特なことだ。彼のような人がLR×Dにいるのは似つかわしくないように思う。たまたま他に行く場所がないから留まっているだけなのだとしたら、何と気の毒なことか。

 だが、何故だろう。彼がLR×Dの処刑人であることに、私は一切、違和感を覚えない。凌遅とは対照的な人物であるはずなのに、どちらも存在に破綻がない。そんな彼らに気に入られた私も、同じ穴のむじななのだろうか。

「お待たせ」

 少し経って、ティーポットとカップの乗ったお盆を手にクエマドロが戻ってきた。

「温泉ちゃん、ヴィネちゃん完全に爆睡してた」

「えっ、そうなんですか」

「うん。気持ちよさそうに寝ててさ、鼻つまんでもほっぺ抓っても目覚める気配すらないわ」

 彼は肩を竦め、お盆をテーブルに置いた。ふっとハーブの香りが漂う。

「大丈夫でしょうか」

 クエマドロは「大丈夫だと思うよ」と返し、ティーポットの中身をカップに注ぐ。

「まったく、明らかに食べ過ぎだっての。職務放棄だし、困った連絡員リエゾンだねえ」

 私が苦笑すると、クエマドロはお茶を勧めながら言った。

「仕方ないから、これ飲んだら一緒に始めちゃおっか。ヴィネちゃんはそのうち起きて来ればよし、仮に起きて来なくても、おれは温泉ちゃんとゆっくり話せるからそれもまたよし。ねえ、やっぱりおれのとこ来る気ない? 温泉ちゃん」

 私の手首のブレスレットをもてあそびながらにこやかに勧誘するクエマドロの横で、私は視線を移ろわせ、カモミールティーを口に含む。

 今日はい日だ。理解ある人達と、贅沢で穏やかな時間を過ごせている。この場で一言、彼に“乗り換える”と言えば、もう窮屈な籠に戻らなくてもいいのだ。こんな時間が続くのであれば、明日あの男を刺しに行く必要もないように思えてくる。 

 しっかりしろ、それでは本末転倒だ。

 私は再びポケットの中の筆記具に触れた。



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