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第3章

23 居心地がいい場所

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 外に出ると日はすっかりかげっていた。ヴィネがそろそろ帰ろうと言うので、いつもの部屋に行くのだとばかり思っていたら、彼女の部屋へ向かうのだと告げられた。

「こんな時でもないと、デンたんはゆっくり外泊なんてできないもんね。今夜はヴィネの部屋でのんびりしよう」

「はい」

 不謹慎かも知れないが、このお誘いは素直に嬉しかった。
 凌遅との生活はストレスを伴う。それに幼少の頃から友人らしい友人を持たない私にとって、親しい他人宅へのお泊りは憧れつつも適わない夢だったからだ。

 ヴィネの部屋はショッピングモールから車で一時間半ばかりの箇所にあるアパートの一室だった。近くには工業地帯が広がっており、海の側だと思しい。暗い夜空にイルミネーションのような光がいくつも走っている。居を構えるには少しばかりうら寂しい場所だった。

「さ、どうぞ」

 彼女の後に続いて入室する。

「待ってて、今、飲み物出すから」

 主はいそいそとキッチンへ向かった。
 私は中央に楕円形のテーブルが置かれた部屋の入り口に突っ立ったまま、辺りを見回してみる。カーペット敷きの洋間で、可愛らしい壁紙に温もりを感じる木製の家具、壁際には女性らしいベッドが設置されている。暖色のクッションにぬいぐるみ……見るからにほっとできそうな空間だ。

 私が凌遅と過ごしている部屋の半分ほどしかない小ぢんまりとした間取りだが、一人暮らしには十分だろう。更にここにはテレビやタブレット端末、最新式のゲーム機なんかが当たり前のように備えつけられていた。長いこと生活感の希薄な場所に閉じ込められていたこともあり、何だか新鮮だ。

 ぼんやり見入っていると、ペットボトルとコップの乗ったお盆を手にしたヴィネが戻ってきて、「座ってていいのに。ほらほら、上座上座」と笑った。

 オンライン動画配信サービスから見繕ったバラエティ番組の流れる中、私達はカップ麺と山のような菓子を夕食代わりに、他愛のない話をして過ごした。

「このヒト、ほんとアドリブ苦手だよね。持ちネタも全然面白くないし、咄嗟の返しもできないんだから、こういう席向いてないと思うな。て言うか、何で売れてるんだろ。来年には消えてるね、きっと」

 ヴィネは目下ブレイク中の若手芸人にきついダメ出しをしている。おっとりしたルックスに反して思いのほか辛辣だ。

 私はお笑いには明るくないが、件の芸人のまとう空気は確かに少し不自然で無理をしているような気はした。まだ自分のキャラを把握できていないせいだろう。

「デンたんはさ……」

 必死に笑いを誘っていたその芸人が、ベテラン勢にお株を奪われ画面から姿を消した頃、スナック菓子の袋を開けながらヴィネが口を開いた。

「自分の居場所について悩んだことある?」

「ええ、まあ。人並みには」

 私がうなずくと、彼女は意味ありげな表情を浮かべた。

「実はヴィネも。何もかもうまくいかない時期があってね。なんでこんな目に遭わなきゃなんないのかって、いつもイライラして自暴自棄……周りの人の何気ない言葉に傷ついたり、ちょっとしたイジリとか価値観の違いに過剰反応しちゃったり。相手に悪意がないってわかってるのに、勝手にキレて毒吐いて、その後めっちゃヘコんでさ。もうウザさの極みだったな」

 明るく屈託のなさそうに見える彼女にもそんな過去があったのか。

「なんか、イメージ湧かないんですが」

 当惑する私を見て、ヴィネはぎこちなく笑んだ。

「正直乗り越えるまで苦労したんだよ。ストレス溜めながら部屋に引きこもって、一日中アングラなサイト巡ってね。古今東西の惨たらしい画像見ながら、ちょっとだけモヤモヤを晴らしたりして」

 LR×Dに巡り逢う前、ヴィネは鬱屈した日々を送っていたらしかった。気付かない振りをしていたが、彼女の左手首を飾るファンシーなブレスレットの下から覗く無数の傷痕は、その記録なのだと合点がいった。

「この世はヴィネに向いてないから、早く退場させて欲しいとか思ったこともあったよ」

 ヴィネはコップの清涼飲料を一口飲み、ぼそりと言った。人のネガティブな側面に対する敏感な反応は同族嫌悪なのだろうか。

「でもね、今はもう少し長居してもいいかなって。やり甲斐があるお仕事に出合えたし、やっと自分らしく過ごせるようになったから」

「居場所ができたんですね」

 私が共感を寄せると「そうそう!」とヴィネは目を輝かせた。

「ほんとそう思うんだ。LR×Dに入ってから、なんか楽になったんだよね。みんな変な人ばっかで、それぞれ勝手に動いてるから、無理して誰かに合わせなくていいし。ここが自分のいるべき場所なんだってわかった気がして嬉しかったな。それに、デンたんとも出会えたし。部屋に友達呼んで好き放題しゃべるの、夢だったんだよね~」

 私はほとんど聞き役に徹していたが、お喋りなヴィネには丁度よかったかも知れない。

 話し込むうち、日付を跨いだ。シャワーを借りる際、骨折した箇所を確認してみる。いまいち実感が湧かないが、痛むのは事実なのでやはり折れているのだろう。
 重苦しい痛みだ。いつまで続くのかわからないのはこたえる。

 浴室から出ると、処方された湿布の他に、ふわふわのタオルと女子力の高い新品のパジャマが用意されていた。自分では絶対に選ばないであろう可愛らしいデザインに、少しだけ気持ちが弾んだ。

 そろそろ休もうという段になって寝支度を整えていると、ベッドの中からヴィネが呼んだ。

「ちょっと狭いけどゴメンね。怪我してるとこ当たらないように楽な格好で休んで」

 私はてっきり床に寝るものだと思っていたので驚いた。が、せっかくの厚意だ。素直に従うことにする。

「お邪魔します……」

 枕代わりのクッションを並べ、布団を分け合う。まだ母と寝ていた頃以来で、ちょっぴり照れ臭い。

「デンたん、ありがとね」

 何となく落ち着かず身の置き場所を探っていたら、ヴィネの小さな声が聞こえた。

「話聞いてもらえてなんだかすっきりした。ほんと、ありがと」

 ゆっくりと私の頭を撫でながらヴィネがつぶやく。

「これからはヴィネ、デンたんにとって居心地がいい場所になれるように頑張るから」

 優しいウィスパーボイスが心にみる。

「……ありがとうございます」

 寝具からほのかに漂う花の香りとベッドサイドランプのあたたかな光が心地好い。湿布が効いたのか痛みもあまり気にならない。

 不思議な安息に包まれ、私はすぐに眠りに落ちた。こんなにゆったりと床に就くのは久し振りだった。

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