bias わたしが、カレを殺すまで。

帆足 じれ

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第3章

21 彼女が抱える闇 ② ☆

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 その日、創立記念日で学校が休みだったため、僕は友人を誘い、近県のショッピングモールまで足を運んだ。
 一緒に巡っていたのは最初だけで、途中からそれぞれ興味のあるエリアへ行くべく別れた。

 ぶらぶら歩きながら、何の気なしに前方へ目を遣った時だった。

「あれ……」

 見覚えのある顔を見つけた。伊関 椋だ。知らない女の人と案内板を眺めている。彼女は学校での地味なイメージそのままの落ち着いた格好をしていた。女の人の方はすらっとした美人で、僕らよりいくつか年上に見えた。

 二人は何やら話した後、女の人だけが近くのトイレへ入って行った。
 伊関 椋は案内板に背を向けるようにして軽く腕を組んでいる。あれではいかにも待機中だとバレバレだ。

 それにしても、いつも物静かで無表情な伊関 椋のあんなにリラックスした顔は初めて見る。最近、欠席が続いていたけど、こんなところに来る程度には元気なんだな。

 僕は歩速を上げて近付いて行った。すると不意に伊関 椋が顔を上げ、視線がち合う。次の瞬間、彼女は目を見開き、一瞬固まった。

「うぃっす」

 僕が挨拶したら、彼女は何かに気付いたような素振りを見せ、「……ああ」と言って目を伏せた。不自然な反応が気になる。

「買い物?」

「……うん」

「さっき一緒にいた人、友達?」

「そう、かな……」

 含みのある言い方も気になったけれど、僕はそれ以上掘り下げないことにした。

「思ったより元気そうじゃん」

 僕がくと、彼女はうつむいたまま「学校はどう?」と返してきた。

「まあ、平和だよ。来週、進路講演会でどっかのお偉い先生が来るらしいから、浮足立ってる人もいるけど」

「そう……」

 伊関 椋は真剣な表情でぼそりと言った。

「稲垣君、今日ここで私に会ったこと、忘れて欲しいんだけど」

 僕は「別にチクらねーし」と断っておいた。

「サボりもほどほどにして、学校出てきた方がいいよ。伊関さんいないと寂しいしさ」

「……ありがとう」

 伊関 椋は少し間を置いてから、「稲垣君て、妹さんいたよね」と妙な質問をしてきた。何で今?と思ったが、僕は素直に答える。

「うん。前にチラッと話したけど、新しいお継父とうさんの連れ子ね」

「他に、きょうだいいる?」

「あー、兄ちゃんがいるよ」

 途端に、伊関椋の表情がひどく強張るのがわかった。

「……お兄さんて今、どうしてる?」

「えっと、東京でフリーターやってるけど……何で?」

 彼女はそれには答えず、「写真ある?」と畳み掛けてきた。

 ただならぬ様子に思わず背筋が寒くなる。兄とはちょくちょく連絡を取り合っているが、もう何年も文字以外での交流がないため、参考になりそうな資料は提供できそうにない。おまけに兄はレスポンスもフットワークも悪いので、この場でちゃちゃっと画像を送ってくれるとも思えない。
 記憶を辿る限り、あまり似ていたという印象もないのだけれど、そう言ったところで彼女は納得しないだろう。

 仕方なく、「写真はないけど、しょっちゅう“ストレス溜まってタンパク質とデザートドカ食いしたら、一日で3キロ太った”的なこと言ってるから、肥えてるのは確定……」と先日のやり取りを明かした。

「…………」

 その説明に毒気を抜かれたのか、はたまた何かが腑に落ちたのか、伊関 椋は表情を緩め、「ごめん。私の勘違いだった。これも、忘れて欲しい……」と頭を下げた。

 兄の疑いが晴れたのは良しとして、何故彼女が突然そんなことを訊いたのか気になり、少しだけ踏み込んでみたら、僕の雰囲気が伊関 椋の知り合いのヤバい人に似ているという不愉快な話を聞かされた。さっき目が合った時に挙動不審だったのはそのせいか。

 どうやらよほど似ているようで、僕だとわかった後も疑惑を捨てきれず、兄に飛び火したわけだ。しかし、その人は東京にはいないし、僕の兄とは食性(?)も体型(多分)も全然違うので、別人だと判断したらしい。

「稲垣君みたいな薄い顔の人、珍しくもないのに、ごめんね」

 悪気はないのだろうが、このコメントも地味に引っかかる。
 まあ、こういうはっきりした物言いが好ましいのも事実だけど、逆にが周りから距離を置かれる近因にもなっていると思う。

「伊関さん、何か無理してない?」

 ふと訊いてみる。すると伊関 椋はいつもの感情の薄い顔で数メートル先を見ながら、「してる。でも、今が正念場なんだ。だから、頑張るよ……」とつぶやいた。そして、身体をトイレの方へと向ける。

 もうこれ以上話す気はないのだと察した僕は、またも空気を読み、「死なない程度に踏ん張れ」と言ってその場を離れた。
 でも何となく気になって、近くの店を覗く振りをしてしばらく様子を窺っていた。

 彼女はさっきと変わらない姿勢で案内板の前に立っている。まるでご主人様を待つ忠犬みたいだ。何の根拠もなく、しんどそうだなと思った。

 こういう時、コミュ力おばけの義妹ならどうするだろう。「人類みな兄弟」を地で行く彼女なら、物憂げに虚空を見つめる同年代の女子を放ってはおかないはずだ。きっとさり気なく距離を縮められるに違いない。
 初めて顔合わせした日も、丁寧過ぎない絶妙なフランクさで知らないうちに懐に入り込まれ、気が付いたら馴染んでいたからな。

 そんなことを考えていたら、突然とんでもないことが起こった。どこからともなく現れた不良っぽい金髪の男が、伊関 椋の腕を掴んで物陰に引き摺り込もうとしたのだ。
 彼女は焦った様子でその手を振り解こうとしている。伊関 椋が悲鳴を上げたり騒いだりしていないせいか、周囲の誰も異変に気付かない。

 僕が呆然となって見守ることしかできずにいる中、さっきの女の人が駆けつけ、二人の間に割って入った。女の人は男に向かって何やら問いただしていたのだが、やがて遠目にもわかるほど激しく怒り出した。彼女は伊関 椋を自分の背後に引き寄せると、すかさずポケットに手を突っ込み、男に何かを投げつけた。

 女子二人はそのまま、足早に噴水の方へ走って行った。金髪の男はきょろきょろと辺りを見回し、投げつけられたものを回収すると、気まずそうに逆方向へと立ち去った。
 
 あっと言う間のことで何が何やらさっぱりだったけれど、今にして思えばあの女の人は伊関 椋の父親が言っていた“親戚の家”の誰かだったのだろうか。ショッピングモールには気晴らしに遊びに来ていたのかも知れない。

 じゃあ、金髪の男とはどういう関係なんだ? 少なくとも“僕に似た知り合いのヤバい人”ではない……と思いたいが、彼女の感性は普通とは違うようだから安心はできない。

 そもそも伊関 椋は、本当に心を病んだから学校に来られないのか? 話してみた限りでは、全然そんな風には感じられなかった。でも、“正念場”とか言っていたから、何か大きな出来事が控えているのは間違いなさそうだ。

 情報が少な過ぎてどれも推測の域を出ない。わからないことだらけでこちらまで落ち着かなくなってくる。

 一つだけ確かなのは、伊関 椋が父親にも詳細を明かせない特別な秘密を持っているらしいということ。
 うまく言えないが、あの日の彼女は学校で見るよりずっと活き活きしていた。しかし、同時にどこか遠いところを見ている気がした。僕がすくい上げたのは彼女が抱える闇のほんの一かけらに過ぎないだろう。

 もう一つ気になることがある。思い過ごしかもしれないけれど、伊関 椋の父親と話した時、何となく引っかかりを覚えた。
 この違和感は何なのだろう。彼らが親子の割にあまり似ていないと感じたせいか。
 まあ、僕と兄もそういう部類なので人のことは言えない。

 伊関 椋の父親からもう少し詳しく話を聞き、個人的に探ってみるという手もあるが、そこまでする理由も見当たらない。伊関 椋は僕の彼女でも何でもないし、第一、「会ったことを忘れる」という約束がある。
 逃げ口上に聞こえるかも知れないけれど、僕は一応、義理堅いのを身上にしている。

 僕に残された道は傍観しかない。今はただ彼女がクラスに戻ってきてくれるのを待つのみだ。
 あの独特で心地好い雰囲気にまた触れられるだろうか。
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