bias わたしが、カレを殺すまで。

帆足 じれ

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第3章

19 次、会う時にあなたを殺す

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 嫌な記憶が蘇り、気持ちが落ちていた時、甘やかな声が耳に届いた。

「やっほ~。デンたん」

 見れば案の定、ヴィネが早足で近付いてくるところだった。

「りょおちんから話は聞いてるよ。今日はよろしくね」

 彼女は大きな紙袋を提げていた。聞けば今日の着替えだそうだ。私物なので趣味が合わないのは勘弁とのことだったが、落ち着いたデザインの服でほっとする。

 病室に戻り着替えを済ませる間、ヴィネはベッドサイドのロッカーに保管されていた私のドレスとクラッチバッグ、小物などを紙袋に詰めていた。途中、クエマドロから譲られたブレスレットに関心を示したようだったが、すぐさま「もっとカワイイの買ってあげるね」と斬って捨てていた。

「それにしてもヴィネがちょこっと席外してる間に、何でそんなことになっちゃうんだろ。災難だったね。おまけにりょおちん、助けに入っただけのはずなのに、なんでデンたんより重傷かな」

 私が「日頃の行いじゃないですかね」と零すと、ヴィネは腹を抱えて笑った。

「行こ。車、すぐそこだから」

 外は私達が初めて会った日と同じように晴れていた。ここに来て、先ほどまで滞在していた医療施設は、スクェア・エッダ内にあるメディカルエリアの一画だったことがわかり驚いた。
 しかも一般客が利用するスペースとはしっかり隔絶されており、顔を合わせなくて済むよう配慮されているらしい。改めてこの施設の広大さを思い知らされる。

 私はヴィネが示したシルバーの軽自動車に乗り込み、助手席に腰を下ろす。
 何やら違和感を覚えてシートを探ると、小さな金属が指に触れた。摘み上げれば、黒い石のついたピアスだった。

「あ、それきっと“ちゅりりん”のだ」

 後部座席に荷物を積み終わったヴィネが言った。誰かと思えば、さっきロビーで邂逅かいこうした金髪のあだ名だという。また誤解が生まれそうな可愛らしいニックネームだ。

「朝一で今日の予定聞かれて、デンたんを迎えに行くって言ったら、連れてけって。何の用かいても教えてくれないし、自力で帰るって言うから乗せてきたんだけど。ホントにしょうがないな」

 ヴィネはやれやれとぼやきつつ、それをワンピースのポケットにしまった。

「仲、いいんですか」

「そう見える?」 

 車を発進させ、ヴィネは片眉を上げた。

「ちゅりりん、観客からのウケはいいんだけどね。ほら、見た目通りのキャラだし。でも下心見え見えで距離感バグってるから、ヴィネ的にはナシかな」

 同感だ。

「じゃあ──」

 私はこの機会に訊いてみることにした。

「──バエルって、どんな人ですか」

「りょおちんから聞いたの?」

 私がうなずくと、ヴィネは納得したような表情になった。

「いっぱい聞いた?」

「いえ、名前だけ」

 彼女はふんふんと首肯しゅこうし、オーディオの音量を少し下げると、知っている限りの情報を教えてくれた。

 HN──バエル。LR×D代表。

 設立当初からの会員の一人で、処刑人の活動を統括し調整を行うコーディネーターでもあると言う。

 現在は管理者としての活動を主軸にしているが、フットワークが軽いタイプで広範囲の業務をカバーしており、どんどん活動領域を広げているそうだ。ヴィネは彼のアシスタントを務めていた時期があり、可愛がってもらっていたらしい。

「何て言うかね、普通のおじちゃんだよ。その辺、いくらでも歩いてそうな」

「人殺しの集団をまとめてる人がですか」

 私が八の字を寄せると、

「そういうもんだよ」

 ヴィネは言った。

「悪人がみんな悪人らしかったら、もっと世界は平和じゃない?」

「…………」

 私は颯爽とハンドルを切るヴィネを観察した。レトロなワンピースとさり気なく揺れる花のピアスが、端正な容姿によく映えている。そういう類いの雑誌モデルならすぐにでも務まりそうだ。
 一見柔和だが神秘的で底知れない彼女は、確かに深淵に淀む“趣味のサークル”LR×Dを体現している。その意味では、周牢チュリのキャラは良心的と言えなくもなかった。

「りょおちんも意外なとこいっぱいあってね」

 運転手が言った。

「ある意味、普通なのは顔だけ」

「ああ、それ以外はどう考えてもどうかしてますもんね……」

 苦笑を浮かべる私に、「そうじゃなくて」とヴィネは続けた。

「超人だから、あのヒト」

 ヴィネ曰く、凌遅は非常に“器用”らしい。どの程度かは定かでないが、そのあまりの万能振りから観客はもとより組織内でも一目置かれた存在だと聞かされれば、後は推して知るべしだろう。

 そこへ持ってきて、もやしっ子で詭弁家きべんかで、解体好きの快楽殺人者か。キャラが立ち過ぎだ。

「あとね、一番ヤバイのが、りょおちんのお料理スキル」

 ヴィネがにわかには信じがたい情報を付加した。

「基本的には何でも作れるみたいだけど、ヴィネのお気に入りは聖護院しょうごいん大根とお揚げの炊いたんかな」

「まさかのおばんざいですか。超ド級の偏食家なのに、振り幅がデカ過ぎますね」

 私のコメントがツボったらしく、ヴィネは一頻ひとしきり笑ってから、「今度作ってもらうといいよ。そしたらヴィネも呼んで」と結んだ。

「何なんですかね、あの人……」

 私の口から意図しない言葉が零れ出た。

「あの人の根底にあるのは、誰かをバラバラに削ぎ落して並べたいって欲求だけで、どう考えたって普通の人間とは相容あいいれない……未だに腑に落ちないんですよ。そんな人がどうして、私を助けたりしたんだろうって」

 人でなしのくせに。

「え、わからない?」

 珍しく真顔でヴィネは言った。

「デンたんのこと大事だからだよ」

「まさか……」

 私が一笑すると、ヴィネは続けた。

「まあ、上の指示だからってのもあるとは思うよ。でもそれだけじゃないはず。だってさ、デンたんを初めて運んで来た時、りょおちん言ってたもん。“この子は特別な子なんだ、今後少し楽しみなんだ”って。これまでも処刑人候補を連れてきたことはあったけど、そんな風に言わない人だったから、ちょっとびっくりしたんだよね。だからピンと来たんだ。このコはりょおちんにとって、本当に大切な存在なんだなって」

 私は目を伏せた。否定したいはずなのに、言葉が見つからない。

「ヴィネにとってもデンたんは大切だよ」

 歌うように隣が言った。

「何か妹みたいでほっとけないんだよね」

 こちらは素直に受け入れられた。彼女のことはもうすっかり認めているのだなと感じる。友人と呼ぶにはあまりにも歪な関係だが、一緒にいて楽しいと思う。
 どうせなら、もっと別な形で巡り会えればよかったのに。

「そうだ。せっかくだし、このままお買い物行こ。ちょっと遠出してもいい? こないだオープンしたショッピングモールがあってね、ヴィネちょっと気になってたんだ。デンたんの退院祝い、そこで買っちゃおう」

 ヴィネが楽しげに提案し、私は「はい」と応じた。幸い、骨折以外は軽傷で我慢できないほどの痛みではない。気晴らしもいいだろう。

「欲しいものあったら遠慮なく言って」

 それならまず靴が欲しい。最初に支給されたものが足に合わなくてつま先が痛い。夜会のパンプスもそうだが、普段からスニーカーを履きなれている人間に先の尖った靴は一苦労だ。今履いている借り物も当然ながら具合が悪い。
 それから眼鏡も新調したい。暴力的な教育係が私の顔を掴んで壁に叩きつけた時、ツルがわずかにずれてしまったきりだからだ。

 ヴィネが続ける。

「それとね、本部がデンたんの口座作ってくれたよ。こないだの報酬も入ってるって」

 聞けば、携帯端末にプリインストールされている例の決済アプリと紐付けられているらしい。

「個人的に買いたいものがある時は自由に使ってね。まあ、デンたんは一人で外出できないし、ネットショッピングもチェックが入っちゃうから、あんまりのびのびとは使えないかもだけど、蓄えはあるに越したことないからね」

 エンジンが心地く吹け上がる。手首ではハートが揺れる。自分は懐柔されかけていると、もうすでに気付いている。

 私は目を瞑り、深呼吸する。妙な開放感に満たされ、今は父への言い訳しか浮かんでこない。

 だけどそれも今日と明日の二日だけだ。
 
 忘れない。忘れてないよ。自分が何をするべきなのか。

 一刻も早く心を決めよう。それとなく武器を買おう。例えばアイスピックのような先の鋭いものがいい。それを握り締めながら彼を待とう。山姥のように。さそりのように。

 凌遅──次、会う時にあなたを殺す。

 車は徐々に町へと近付いていく。

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