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第2章

16 とんだ幕引き ①

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 少し経って、ヴィネは他の撮影に戻るからとその場を離れた。落ち着きを取り戻した私は、クエマドロと他愛ない雑談をして過ごした。
 彼が男ばかりの三人兄弟の真ん中で苦労したこと、ずっと“優しい姉”か“可愛い妹”が欲しかったこと、軽薄そうに見えて某有名私立大学を出ていること、フリーランスの仕事をしているので何かと自由が利くこと、スピリチュアルに興味があることなど、見た目からは想像もつかない情報を得られた。
 
 ところが気さくな割に、彼もこんな世界に足を踏み入れることになった理由については語りたがらなかった。

「凌遅くんも自分で引っ張り込んだんだから、もっと温泉ちゃんに優しくしてくれればいいのにね」

「無理だと思いますよ」

 私の言葉に、クエマドロは「だろうね」と苦笑した。

「無粋なこと訊くけど、一緒に暮らしてて平気なの?」

 平気ではない。面倒だし、正直怖い。けれども、時はまだ満ちていない。

「我慢できます。一応、目的がありますから」

「お、何それ。自分を悪の道に引きずり込んだ腹いせに、凌遅くんにたかってたかって、骨までしゃぶり尽くしちゃう、とか? コワっ」

 クエマドロは独りで笑った。
 あながちずれてもいないが、ここで真意を語るつもりもなかった私は、「そんなとこです」と微笑んでお茶を濁した。

 そうとも。そのくらいの胆気たんきが必要だろう。何せ相手は言葉が通じるだけの宇宙人だ。普通の人間では共生できない。

 だから私はあの時、決めたのだ。たった一つの目的のために、これからしばらく人間らしさを封じるのだと。

「おやおや。こんなとこにいた」

 暗がりから声がした。特徴のあるれた声。野ウサギだ。

「まんまと逃げたね、新人。あの状況ならこめかみだろ、普通」

 その頬には不敵な笑みが浮かんでいる。

「なあに、おねえさん。言いがかりつけようっての?」

 クエマドロが口を挟んだ。

「セーフだよセーフ。第一、ちゃんと弾出たんだから、問題ないでしょ」

「まあね。けど、完全に目ぇつけられたよ、あんた」

 野ウサギはつかつかとこちらに歩み寄ると、私の肩に身体をぶつけ、「せいぜい気張るんだね」と言い残して消えていった。

「何だろね、今の。思いっきりマウンティングしてきてさ。メスゴリラかよ」

 クエマドロはやれやれと髪を乱した。

「ええ……」

 軽く笑顔を作ったが、不吉なことを言われ嫌な気持ちになったのは確かだった。

「気にしちゃダメだよ、温泉ちゃん。あんなオバサン、相手にするだけ時間の無駄だから。あ、そうだ、見て見て」

 クエマドロが思い出したかのように袖口を捲くった。そこに巻かれていたのは、ロバと小さなハートを象ったチャームのついたブレスレットだった。HNハンドルネームの窯に由来したもので、ギリシャ神話のかまど神・ヘスティアの象徴となるミラグロス(中南米のシルバーアクセサリー)だと言う。

「可愛いですね」

「でしょ? 前、メキシコ行った時に買ったんだ。仕事が仕事だけにね。こういうお守り的なもの持ってると和むんだよ。そりゃ温泉ちゃんみたいなカワイイコが四六時中、側にいりゃ別だけどさ。御覧の通り、ここって顔面偏差値低めなんだわ。今のオバサンみたいのばっかじゃ……ねえ?」

 私の表情がほぐれるのを見たクエマドロは、ハートのついた鎖を外し、私の手首に巻きつけた。

「あげる。よかったら着けてよ。気休めにはなると思うから」

「でも大切なものなんじゃ」

 思いがけないことに私がまごついているのを察したのか、クエマドロは言った。

「いいのいいの。お下がりで恐縮なんだけど、お近付きのしるし。あれ……? でもハートのミラグロスって恋愛成就のお守りだったかな……やばい、なんかおれ、気持ち悪いね」

 私は思わず笑ってしまった。すると彼も相好そうごうを崩し、「深い意味はないんで、あんまり気にしないでね。とにかく、なんか困ったことあったら相談乗るから、いつでも頼って」と続けた。

 彼の軽快で余裕ある言動は、ヴィネとは違った安心感をもたらした。凌遅と同じ処刑人には違いないのだが、殺害方法がいまいち判然としないこともあってか、比べればずっと心を許せるような気がした。

「ありがとうございます」

 よく考えてみれば、人類の敵である彼に感謝するのもおかしいと、言った後で気付いた。

「ところでさあ、温泉ちゃん」

 何やら思案していたクエマドロが言った。

「もし嫌じゃなかったら、このままおれに乗り換える気ない?」

「えっ」

 急な話に言葉を失う私そっちのけで、クエマドロはにこやかに続ける。

「凌遅くんと違っておれは面倒くさいこと言わないし、温泉ちゃんのQOLは保障する。そりゃあ、おれの作業をちょっとだけ手伝ってもらうかも知れないけど、嫌なことは強制したりしないよ。温泉ちゃんがいてくれるだけでおれは目の保養になるから、Win-Winだと思うなあ。一緒に美味しいもの食べたり遊びに行ったりして楽しく暮らそうよ。ご希望なら勉強も見てあげられるし、教育係はおれが後継するってことで本部に確認して承認されれば――」

「それには及ばない」

 落ち着いたい声が彼の台詞を遮った。
 
 はっとして振り返ると、そこには私の教育係が立っていた。凌遅だ。

「バーデン・バーデンの処女は、発掘した俺が育てるのを条件に本部から生きるのを許されているんだ。君が気を回す必要はない」
 
 凌遅はいつものように言うべき事柄だけを端的に述べた。

「相変わらず強硬だねえ、凌遅くん。でも人の話はちゃんと聞こうね。その本部に伺いを立ててみてからって言ってるでしょ」

 クエマドロも退かなかった。

「通過儀礼も済ませて、今となっちゃ立派な処刑人の同志である以上、彼女本人の意向も無視できないよ」

「生憎だが、彼女にそんな権利はない。まだ俺の教え子だからな。どうしてもと言うなら――」

 凌遅は表情のない顔で言った。

「この場で彼女を細切れにしてご破算にしようか」

 彼の手がシザーケースに触れる。

「…………」

 クエマドロは口を噤んだ。

 
 “俺が何故、君をバラさずにいるかわかるか”


 不意に凌遅の言葉が甦った。私は凌遅の一存でLR×Dに引き入れられた。凌遅に任せると本部が言った。
 つまりはそういうことなのだ。私の身柄は凌遅の元にある。彼が決意した瞬間、私は慰み者に成り果てる。彼が思い留まる限り、私はずっと籠の鳥だ。

「……あの、それは困るんで、この件は保留してもらえますか」

 私はクエマドロに向かって言った。

「しばらくの間は、私も離されるわけにいかないですし」

 厚待遇のお誘いはありがたかったが、端っから私にその意思はなかった。
 私がここに留まるのは、確実に父の仇を仕留めるため。ただそれだけだからだ。

 クエマドロは何か言いかけ、嘆息した。

「わかったよ。温泉ちゃんがそう言うんなら。けどね、凌遅くん。彼女と本部の気が変わるようなことがあれば、おれは即座に動くからね」

 真剣な眼差しが私へと向けられる。どうやら本気のようだ。

「他を当たってくれ。時間を無駄にしたくないならな」

 凌遅は私の手首を掴み、「来な」と強めに引いた。私はされるがまま、その場を後にした。

 肩越しに見れば、クエマドロは笑顔で手を振ってくれていた。せっかくの配慮を無下にして、心証を悪くしたかも知れない。
 が、却ってよかったと思う。親睦を深めるオフ会に来ておいて本末転倒もいいところだが、親密になり過ぎるのは好ましくない。
 そもそもイカレた集会なのだ。参加者同士、一定の距離は保って然るべきだろう。

 呑まれてはならない。

 握り締めた拳の上で銀細工の鎖が揺れた。

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