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第1章
8 人類の天敵 ① ⚠
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人が殺し、殺されるところを初めて見た。
フィクションと違って、実際のそれはもっとずっと呆気なかった。一瞬だったし、何が起こるのかある程度予測がついていたからかも知れない。
しかし、きつい……。目の前が暗くなり、額と頬の辺りが引き攣る。自覚できるほどはっきり手足が震えていた。
激しいめまいに襲われながら、私は床に倒れた女性を見る。木製の柄のついたアイスピックが刺さったままの下顎に、弛んだ口元。薄く開かれたままの目は何も映していない。仰向けに倒れた体はマネキンみたいだった。末端が小刻みに動いているのが、不気味な可笑しみを伴って私の神経を刺激する。
凌遅はおもむろにスタンガンを拾い上げると、死体から電極を引き抜き、肩の袋へ突っ込んだ。同じように抜き取ったアイスピックは、腰のシザーケースに差し込む。
「予定では持ち帰るつもりだったんだが、これは少し大き過ぎるな……」
言いつつ彼は、呆然とする私と椅子とを繋いでいた拘束を解いた。と、死体が身に着けていた無線から誰かの声が聞こえた。おそらく先に出て行った、“彼女”の同僚だろう。聞き取りにくかったが、「対象を見失ったようなので、本部に状況を報告してからそちらに戻る」というような内容だった。
「今だ。やれ」
ふと凌遅のつぶやきが聞こえ、直後、ドーンという音と振動が階下から伝わってきた。
何事かと仰天する私を制し、「気にしなくていい。表の仕掛けが作動しただけだ」と言うと、彼は室内にぶちまけたゴミや小物を念入りに回収し始めた。小さなかけらも一つ残らず拾い集め、ゴミ袋に詰め込む。それを手早く肩の袋に収納し、最後に二つのスクールバッグを担いだ凌遅はようやく顔を上げた。
「ここにもう用はない。隣の窓から降りる」
矢庭に走り出した凌遅に引き摺られる格好で、私もその場を後にする。無線からは何度も呼びかけが続き、混乱が伝わってくる。
振り返ると“彼女”の大きな亡骸が見えた。職務を遂行しようとしていた真っ当な人の無残な姿。見るに耐えない光景のはずなのに、しばらく目が離せなかった。
凌遅は内扉を通じて隣室に向かうと、窓から荷物を投げ落とし、用意してあった脱出用具の元へ移動した。カラビナいくつかとベルトのついたロープが下がっている。組み紐のようなそれを器用にセットすると、彼は私を背負い上げ、ロープを伝って下へ降りた。まるで何かの救助訓練だ。
不自然な体勢に固定された私は、少しの時間ひどい苦痛を強いられた。ふと凌遅の肩と袖に点々と繁吹いた赤い染みが目に留まる。アイスピックを引き抜く時に飛んだのだろう。そこにわずかだが被害者の倒懸の跡が残っている。それが伝わるのを感じる度、私の心も濁っていく気がした。
着地し縛めを解くなり、凌遅は出し抜けに私を放り捨てた。おかげでバランスを失い、もろにすっ転んだというのに、こちらを一顧だにしない。
以前から感じていたが、彼は作品作り以外の局面では極端に無造作だ。かと思いきや、ベルトを回収しつつ「ずいぶん震えていたようだが、立てるか」などと労わるような言葉を発したりするので混乱する。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえ始めた。それを耳にするが早いか、凌遅は速やかに落ちていた荷物を拾い、私の手を取った。
サイレンが鳴り止む頃、私達は車へと辿り着いた。凌遅は後部座席に荷物を投げ入れ、足元の収納から上着を取り出すと、早急にそれを羽織る。私にも女性物のパーカーを抛って着替えるよう促してきた。
「先に行く。ああ……後は任せるよ」
凌遅はまた独り言つ。病的な独言かと思っていたら、片耳に小型のワイヤレスイヤホンが見えた。詳細は不明だが現状報告に聞こえる。相手は本部の誰かだろうか。
凌遅と私は車に乗り込み、本部が支持したらしいルートを辿ってその場を離れる。
柔らかな木漏れ日が揺れる雑木林の中、渓流伝いに風光明媚な峠道をのんびりと走る。ラジオからは桜の開花状況とおすすめスポット情報が流れている。
「……囮にしたんですね、私を」
ようやく震えが治まってきた私がぼそりと零すと、隣は臆面もなく言った。
「そうだよ。それが君の役割だから」
「どういう意味ですか」
ずっと気になっていたこととあって、知らぬうちに熱がこもる。それを酌んだのか、凌遅は私のHNについて絵解きし始めた。
「鉄の処女は知っているか。内部に棘の生えた拷問用の像だ。これに対して、バーデン・バーデンの処女は正真正銘ただの像なんだ。その代わり、前の床に落とし穴が仕込まれていてな。中に落ちたが最後、全身を針に突き刺されて死ぬ仕掛けになっている。つまり──」
彼の言いたいことはすぐに知れた。
「罠……」
私のつぶやきに合わせて、凌遅が首肯する。
「そうだ。君は言わば、儀牲者の注意を引きつけておくための餌ってワケだ。結局無駄にしてしまったが、滑り出しは申し分ない。すんなり進み過ぎて味気ないくらいだ」
内容とは裏腹に楽しげな口調が癇に障った。
「病気だね、あなた……」
私は吐き捨てた。
「延々、人を殺して気持ちよくなってるんだから……」
起伏の多い道路に後部座席が揺れ、凌遅の道具袋が共鳴りの如くガチャガチャと顫動した。
フィクションと違って、実際のそれはもっとずっと呆気なかった。一瞬だったし、何が起こるのかある程度予測がついていたからかも知れない。
しかし、きつい……。目の前が暗くなり、額と頬の辺りが引き攣る。自覚できるほどはっきり手足が震えていた。
激しいめまいに襲われながら、私は床に倒れた女性を見る。木製の柄のついたアイスピックが刺さったままの下顎に、弛んだ口元。薄く開かれたままの目は何も映していない。仰向けに倒れた体はマネキンみたいだった。末端が小刻みに動いているのが、不気味な可笑しみを伴って私の神経を刺激する。
凌遅はおもむろにスタンガンを拾い上げると、死体から電極を引き抜き、肩の袋へ突っ込んだ。同じように抜き取ったアイスピックは、腰のシザーケースに差し込む。
「予定では持ち帰るつもりだったんだが、これは少し大き過ぎるな……」
言いつつ彼は、呆然とする私と椅子とを繋いでいた拘束を解いた。と、死体が身に着けていた無線から誰かの声が聞こえた。おそらく先に出て行った、“彼女”の同僚だろう。聞き取りにくかったが、「対象を見失ったようなので、本部に状況を報告してからそちらに戻る」というような内容だった。
「今だ。やれ」
ふと凌遅のつぶやきが聞こえ、直後、ドーンという音と振動が階下から伝わってきた。
何事かと仰天する私を制し、「気にしなくていい。表の仕掛けが作動しただけだ」と言うと、彼は室内にぶちまけたゴミや小物を念入りに回収し始めた。小さなかけらも一つ残らず拾い集め、ゴミ袋に詰め込む。それを手早く肩の袋に収納し、最後に二つのスクールバッグを担いだ凌遅はようやく顔を上げた。
「ここにもう用はない。隣の窓から降りる」
矢庭に走り出した凌遅に引き摺られる格好で、私もその場を後にする。無線からは何度も呼びかけが続き、混乱が伝わってくる。
振り返ると“彼女”の大きな亡骸が見えた。職務を遂行しようとしていた真っ当な人の無残な姿。見るに耐えない光景のはずなのに、しばらく目が離せなかった。
凌遅は内扉を通じて隣室に向かうと、窓から荷物を投げ落とし、用意してあった脱出用具の元へ移動した。カラビナいくつかとベルトのついたロープが下がっている。組み紐のようなそれを器用にセットすると、彼は私を背負い上げ、ロープを伝って下へ降りた。まるで何かの救助訓練だ。
不自然な体勢に固定された私は、少しの時間ひどい苦痛を強いられた。ふと凌遅の肩と袖に点々と繁吹いた赤い染みが目に留まる。アイスピックを引き抜く時に飛んだのだろう。そこにわずかだが被害者の倒懸の跡が残っている。それが伝わるのを感じる度、私の心も濁っていく気がした。
着地し縛めを解くなり、凌遅は出し抜けに私を放り捨てた。おかげでバランスを失い、もろにすっ転んだというのに、こちらを一顧だにしない。
以前から感じていたが、彼は作品作り以外の局面では極端に無造作だ。かと思いきや、ベルトを回収しつつ「ずいぶん震えていたようだが、立てるか」などと労わるような言葉を発したりするので混乱する。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえ始めた。それを耳にするが早いか、凌遅は速やかに落ちていた荷物を拾い、私の手を取った。
サイレンが鳴り止む頃、私達は車へと辿り着いた。凌遅は後部座席に荷物を投げ入れ、足元の収納から上着を取り出すと、早急にそれを羽織る。私にも女性物のパーカーを抛って着替えるよう促してきた。
「先に行く。ああ……後は任せるよ」
凌遅はまた独り言つ。病的な独言かと思っていたら、片耳に小型のワイヤレスイヤホンが見えた。詳細は不明だが現状報告に聞こえる。相手は本部の誰かだろうか。
凌遅と私は車に乗り込み、本部が支持したらしいルートを辿ってその場を離れる。
柔らかな木漏れ日が揺れる雑木林の中、渓流伝いに風光明媚な峠道をのんびりと走る。ラジオからは桜の開花状況とおすすめスポット情報が流れている。
「……囮にしたんですね、私を」
ようやく震えが治まってきた私がぼそりと零すと、隣は臆面もなく言った。
「そうだよ。それが君の役割だから」
「どういう意味ですか」
ずっと気になっていたこととあって、知らぬうちに熱がこもる。それを酌んだのか、凌遅は私のHNについて絵解きし始めた。
「鉄の処女は知っているか。内部に棘の生えた拷問用の像だ。これに対して、バーデン・バーデンの処女は正真正銘ただの像なんだ。その代わり、前の床に落とし穴が仕込まれていてな。中に落ちたが最後、全身を針に突き刺されて死ぬ仕掛けになっている。つまり──」
彼の言いたいことはすぐに知れた。
「罠……」
私のつぶやきに合わせて、凌遅が首肯する。
「そうだ。君は言わば、儀牲者の注意を引きつけておくための餌ってワケだ。結局無駄にしてしまったが、滑り出しは申し分ない。すんなり進み過ぎて味気ないくらいだ」
内容とは裏腹に楽しげな口調が癇に障った。
「病気だね、あなた……」
私は吐き捨てた。
「延々、人を殺して気持ちよくなってるんだから……」
起伏の多い道路に後部座席が揺れ、凌遅の道具袋が共鳴りの如くガチャガチャと顫動した。
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