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第1章

6 アウトドア ② ⚠

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 やがて車は市街地を外れ、小高い山へ続く林道に入った。雑木林はどこも薄淡い春色だ。その一角を切り取るようにしてそびえる前方の白い建物が、目的のホテルのようだ。敷地の入り口には“私有地につき立入禁止”の立て看板と簡易的な封鎖が施されている。もっと荒れ果てたものを想像していたが、思いのほか外観の傷みは少ない。大きな桜が枝を広げ、建物の一部に取りつこうとしている様が、不思議な迫力を伴って心にせまった。

 凌遅は手前の枝道を傾斜に沿って下り、建物1階入り口が見えるギリギリの場所に車を停めた。

「玄関に横付けじゃなくて悪いんだがな。ここは上の国道から完全に死角になるんだ」

 言いながら彼はドリンクホルダーに置かれていた蓋つきの車載用灰皿を手に取ると、後部座席の袋を取ってそれに詰めた。何に使うのか、ラゲージスペースからナイロン製のスクールバッグのような鞄を二つ取り出し、それも肩にかけた。その足で助手席へ回り、私が降りるのを待つ。つま先が地面についた瞬間、腕を掴まれた。皮膚の薄い箇所に唐突に指が食い込み、びくりと身体が強張る。

「痛っ……あの、勝手に動いたりしないんで、離してもらえませんか」

 ダメ元で訴えたのに、意外にも彼はあっさり拘束を解いた。

「じゃ、行こう。3階な」

 凌遅はそれだけ言うや、ここにも張られていたチェーンを跨ぎ越し、独りでさっさと裏口へ向かった。いつの間にか取り出した鍵束であっけなく解錠すると、こちらを振り返って私を差し招く。何故そんなものを持っているのかなど、今更聞くまでもない。私は黙って後に続いた。

 屋内は薄暗く湿っていたが、やはり汚損は少ない。それ以前に驚くほどものがなかった。瀟洒しょうしゃな外装に比べ、まるで作りかけのような印象だ。

「バブル崩壊の煽りなんだと」

 何の感慨もなく、凌遅が要約する。

「客を迎えるどころか完成すらしないうちに、俺達の遊び場に成り下がるんだから、浮かばれないよな」

 閑散としたホールを抜け、埃とかびのにおいが漂う階段を上る。窓からは麗らかな陽光が差し込み、床を照らしている。

 足音を響かせながら黙々と階段を上がり続け、目的の階に辿り着いた時、ほんの少しだけ息が切れた。凌遅はそんな私を見て、「不眠のツケだ」とわらった。むっとしたが図星なので言い返せない。自分だって寝ていないはずなのに、その活力はどこから来るのだろう。

 無言の私を、引率者は階段を上がり切ってすぐの部屋に導いた。室内には案の定、何もなかった。10畳ほどのコンクリート打ちっ放しの空間で、大きな窓からは渓流と山々が見える。左側の壁には内扉があるので、コネクティングルームになるはずだったのかも知れない。

 私が立ち尽くす中、凌遅は持参したスクールバッグを肩から下ろすと、中から某ブランドポーチを出して床に置いた。続けて先ほどの灰皿を取り出し、中身を入り口付近にぶちまける。同様に飲みかけのペットボトルとチューハイの缶を並べ、お菓子の包み紙と思しきごみの入ったビニール袋をひっくり返して、同じようにばら撒いた。何故わざわざそんなことをするのか私には理解し兼ねる。こんなに汚してはだろうに。

「………」

 自宅で見た光景が意識に上りかけ、私は急いで頭を振った。

 散らかった床にぼんやり視線を送っていると、件の人でなしがどこからか運んで来た椅子に座るよう勧めるので、私は静かに腰を下ろした。と、矢庭に手首を捕らえられ、後ろ手に椅子と繋ぎとめられた。リボンを解かれ、引きちぎるようにして胸元のボタンを外された時、血が凍る思いがした。

「ちょっ……」

 泡を食う私を尻目に、凌遅は「襲うわけじゃない。単なる演出だ」と説明した。

「少し待機していてくれるか。俺は隣の部屋で準備に入る」

「私は何をさせられるんですか」

 ずっと引っかかっていたことを訊いてみた。凌遅は持参した袋から口枷を引っ張り出しながら、「ただ俺の作業を見ていてくれればいい」と返した。その言葉に安堵したのは言うまでもない。だが目の前で誰かが殺されるのを傍観していられるほど、自分は冷血な人間だろうか。

「邪魔をする気ならしてもいい。けど――」

 私の逡巡を感じ取った凌遅の酷薄こくはくそうな目が、冷え冷えとした視線を投げかけてくる。

「――その時は、一緒に解体される覚悟を決めた上でな」

 改めて思う。私に選択肢はないのだ。“少なくとも、今は”――。



 椅子に固定された格好で、私はひたすら事態が動くのを待った。徐々に太陽の位置が高くなっている気はするが、正確な時刻はわからない。口枷を伝って垂れ流しになる唾液が顎から胸を濡らしていく。何とも不快で陰鬱な気分になる。

 凌遅は隣の部屋にいるはずだ。廊下側の戸は開け放されているが、物音から状況を把握することもできない。

 私は不覚にも不安になり始めていた。準備って何だ。段取りとやらはこんなに時間がかかるものなのか。第一、素材が何者なのかも聞かされていない。況してやこれだけ崩れた身なりだ。もしも危害を加えられるようなことになれば、無事でいられる保障はない。

 よもやこのまま置き去りにされたのではあるまいか。山の中の廃ホテルの一室に繋がれ、長い間誰にも発見されず……。恐ろしい想像がよぎり、すくんだ背中で手錠が鳴った。

 その時、階段の方から微かな音がした。“素材”が着いたのか。それとも……。

 身を硬くしていると、人影が二つ近付いてきた。こちらを探っている気配が伝わる。遊び半分に侵入した暇人達ではなさそうだ。

 やがてそれらはゆっくり姿を現した。一人は快活そうな太めの女性、もう一人は屈強な男性だった。どちらも30代くらいに見える。

 彼らは私の様子を確認するなり、一瞬顔を見合わせ、すぐさま周囲を見回した。

 助かった。初めは素直にそう思った。だがその人達を見るうち、ある予感が意識に上った。今回、同行させられた本当の理由も。

 ふざけるな。

 私は大きく首を振る。拘束されていない足をバタつかせ、必死で来るなと伝えようとしたが、噛まされていたギャグが邪魔をしうまくいかない。

 そうこうするうち、女性が両手を前に出し私を静止するような素振りを見せた。

「落ち着いて」

 彼女の口が動く。

 胸が締めつけられる。凌遅に一矢報いるどころか、まんまと“素材”調達の片棒を担がされてしまった。

 今にして思えば、必要以上の拘束もわざとらしく開け放された入り口も、数々の小道具も疑ってしかるべきだったのに――。

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