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第1章

5 アウトドア ①

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「明日、出かけるから」

 ベッドに腰を下ろしたままの私に凌遅が言った。彼はずっとパソコンの前で作業を続けている。

「オリエンテーションを兼ねて、俺の活動に同行してもらうことになった。9時に出る。それまで休んでな」

 そう告げられたところで、到底くつろぐ気にはなれない。壁の時計を見ると、午後3時を回っている。外出までの膨大な時間を見知らぬ部屋で、父を殺した男と共に過ごさねばならない。

 一時いっときも側に居たくない。でも下手に動けば殺されるのだろう。どうしようもない。それがもどかしい。

 いつまでもこんな不条理が続くはずはないこともわかっている。品行方正な女子高生が何日も無断で学校を休み、親にも連絡がつかないとなれば学校が黙っていない。教師が自宅を訪ねれば、様子がおかしいことに気付くはずだ。

 近所の誰かが異変を察知して警察に届けてくれているかも知れない。いずれ叔父にも伝わる。そうしたら、きっと何らかのアクションがある。

 希望がないわけではないのだ。実を結ぶのがいつになるかはわからないが……。

 考えるだけで気が滅入った。

「はあ……」

 いつの間にか溜息が零れる。

「退屈か」

 凌遅が問う。外れてはいないが、もっと根本的な問題だ。言ってもわからないだろうし、どうせ解放してはもらえないのだろう。ならば黙っていても同じことだ。

「何か食うか」

「…………」

 彼は私の答えを待たずに冷蔵庫へ向かい、何やら取り出してきた。あんなことがあった後だ。食欲など湧くはずがない。
 
 要らないと突き返してやるつもりで身構えていた私に手渡されたのは、袋に入れられた新作コンビニスイーツだった。CMで目にして気になっていたシリーズもので、全種類入っていた。

「君が寝ている間に訪ねてきた本部の人間が置いていった。目が覚めたら食べさせてやれってな」

 意外な食べものの登場に私は毒気を抜かれてしまった。これを選んだ人は何を狙っているのだろうか。私を取り込もうとする作戦なのか。つい邪推してしまうが、機械的に統制されている印象の本部がそんなくだらない手段を採るとは考えにくい。

 思えば昨日の昼食以来何も食べていなかった。どちらにせよ、いずれは食事をしなければならないのだし、甘いものには精神を落ち着かせる作用があると聞いたことがある。だとしたら今、口にすべきだろう。

 強引な関連付けを経て、一番食べたかったのを手に取った。開封した瞬間、甘い香りが鼻をくすぐる。

「君の私物──」

 パソコン前の男がつぶやくのが聞こえる。

「──処分する時、少し見せてもらった」

 私は袋から菓子を取り出し、齧りついた。当たりだ、おいしい。これなら他の四つも期待できる。胃が空っぽだったのを思い出したかのように、黙々と甘味を受け入れていく。

「年季の入った手作りのストラップ、ペンケース。名入りの時計、ボールペン。両親からか」

 私は答えなかった。ただ食べることに集中する。

「大事にされていたようだな。たった一人の愛娘だから、かな」

 クシャと音を立てて包装紙がひしゃげる。あと一言、余計な言葉を聞いたら、飛びかかっていたかも知れない。なのに彼はそれ以上、何も言わなかった。

 年季の入った手作りのストラップ、ペンケース。名入りの時計、ボールペン──母が作ってくれた、父があつらえてくれた……かけがえのない思い出まで踏みつけにされた気がして、私の精神は激しく消耗した。

 たった一人の愛娘。それを言うのか。私を独りにした張本人が。心が軋んで固くなるのがわかる。
 
 こいつは、許せない。
 許さない。必ず──。

 私は二つ目の袋を掴み、思い切り破いた。


 ベッドの上で膝を抱えたまま、日が暮れて、夜が来た。凌遅は何度か、「少し休んだ方がいい」と勧告してきた。その都度無視していたら、いきなり私の髪を掴んで壁に叩きつけようとした。どうやら無理矢理“寝かせる”つもりだったらしい。必死で振り解き、「後で疲れるのは私の勝手だから放っておいて欲しい」と訴えると、彼は「そうか」とだけ言って、以降パソコン前から動くことはなかった。

 言葉が通じないわけではない。噛み合わないのは、彼の精神の蝶番が外れているせいだ。血の通わない機械と“会話ごっこ”をしているようなズレを感じる。人でなし、そんな言葉が脳裏をよぎった。
 
 身じろぎもせず時間を空費するうち定刻となったので、後は互いに無言で部屋を出る。上がり口に見たことのない女性ものの靴が揃えてあり、凌遅からそれを履くよう促された。こちらも本部からの支給品だそうだ。
 玄関を出ると、外廊下越しの眼下にはにぎやかな市街地が広がっていた。見覚えのあるものが一つとして見当たらないので、私の暮らす地区からはだいぶ離れていると思われるが、一体どこなのか検討もつかない。

 ぼんやりと考え込む私の手首に再び、あの圧がかかる。

「移動、車だから」

 私の手首を引っ張りながら凌遅が言う。そんなに握り締めなくても逃げはしないのに。私は自嘲の笑みを浮かべ、大人しく彼の後に従った。

 階段を下りてすぐ、近所の住人と思しい年配の女性とすれ違った。目が合うと、彼女は興味と悪意の入り混じる下卑た視線を浴びせてきた。私は顔を伏せ、足早に通り過ぎる。物見高いご婦人には、年の離れたカップルあるいは不道徳な売り手と客にでも見えているであろう我々が、本当はどういう関係かなど知る由もないだろう。わかりきったことなのに、何故だかひどく悲しかった。

 件の車はマンションの駐車場に当たり前のように停められていた。想像通り、町に溶け込む白のミニバンだ。ナンバープレートから現在地を特定できないかと思ったが、記されている地名はウチの車と同じものだった。考えてみればそれすら偽造の可能性が高いので、この平板には何の価値もないのと一緒だ。そう思うと、自分だけが並行世界に迷い込んだような錯覚に陥る。

「乗りな」

 促され、私は自分で助手席のドアを開けた。凌遅が隣に座るまでにシートベルトも締めておく。次に何を言われるのかわかっているのだから、静かに従っておく方が身のためだ。少なくとも、今は。

「聞き分けがよくて助かる」

 提げていた袋を後部座席にほうると凌遅が言った。

「君が協力的だと、それだけできることも増えるからな」

 車が走り出す。穏やかな陽射の中を軽快に進む。

「どこ、行くんですか……」

 その問いに、凌遅は「アウトドア」と返した。もっとわかりやすい例えはないのか訊くと、「近くの廃ホテルだ。本部が用意した素材が来る」と端的過ぎる答えが返ってきた。

連絡員リエゾンによれば、けっこう景色がいいらしい」

「散策に行くんじゃないなら、景色とか関係ない気が……」

 投げ遣りにつぶやく私に、凌遅は「モチベーションの話だ」と説いた。

「どうせなら心地好い環境の方が作業効率も上がるだろう」

 変に納得がいったので、私は「周りなんか見てないくせに」と毒突くに留めておいた。

 所在ないままに窓の外へ目を遣ると、川縁かわべりの桜並木が見えた。何組かの睦まじげな家族連れの姿が映る。
 こんな行楽日和に、私は何をしているのだろう。
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