化け物バックパッカー

オロボ46

文字の大きさ
上 下
119 / 162

化け物バックパッカー、ホームランを打つ。

しおりを挟む



 小さな野球場から、歓声が響き渡る。

 それが子供の声であることから、球場で動いているほとんどの人間は子供だということがわかる。

 子供たちは、球場の中で野球の練習をしているのだろうか。

 カキーンと、バッドがボールを打つ心地よい音が響き渡った。

 球場の開かれた空を突き抜け、夕焼けに野球ボールが重なった。

 ホームランだ。





 それから、長い年月が過ぎ去った。

 その球場は相変わらず存在している。多少汚れが目立つようにはなったが、その雰囲気からか、時々人々が出入りしている。

 しかし、子供たちの歓声は聞こえなかった。



 その日の夕方には、球場の入り口にふたりの人影が現れた。

 ひとりはベンチに座り、辺りを見渡していた。
 体は黒いローブで包まれており、顔もフードで隠している。しかし、その体つきは女性のようで、興味深そうに辺りを見渡すしぐさは10代の純粋な少女そのものだ。
 その腕には、黒いバックパックが大切そうに抱きしめられている。

 もうひとりは今、自動販売機の前に立っている。
 黄色のデニムジャケットの背中には、ローブの少女と似たバックパックが背負われており、ハードな雰囲気を出すデニムズボンと派手なショッキングピンクのヘアバンドが、奇妙なファッションセンスを感じさせる。

 その人物は自動販売機の取り出し口から缶コーヒーを取り出すと、ベンチに腰かけているローブの少女に顔を向けた。

「タビアゲハ、なにか珍しいものでもあるのか?」

 その顔は、怖い老人だった。

 凶悪な顔つきで見つめられても、タビアゲハと呼ばれたローブの少女がおびえることもなくうなずくその様子から、ふたりは長い付き合いあるようだ。

「ウン。野球場ッテ、想像シテイタノト全然雰囲気ガ違ッテタカラ」
 どこか奇妙な声質が感じられるタビアゲハの隣に、老人は腰掛ける。
「どんな想像をしていたんだ?」
「エット……大キナドームニ包マレテイテ……イッパイ人ガ訪レテイテ……トニカクハナヤカナ感ジ」
 老人はタビアゲハの予想に笑みを浮かべながら、缶コーヒーのふたを開けた。
「ドームがあるのはドーム球場と呼ばれる球場の場合だ。この球場にはドームがない種類のようだな。それに、人が多く訪れるのはだいたい野球の試合があるときだ。最も、試合の内容で訪れる数は違うがな」
 缶コーヒーの中身を喉に流し込む老人の隣で、タビアゲハは改めてもう一度辺りを見渡した。
「ナンダカ人ノイナイ野球場ッテ……心地イイホド寂シイネ」
「さて、それでは人がいなくてもっと寂しい、観客席のところに行ってみるか」

 老人は空き缶を近くのゴミ箱に捨てると、野球場の中へと入っていった。

 その後を、すぐにタビアゲハは追いかけた。





 観客席からは、野球のフィールドが一望できた。

 誰も座らぬプラスチック製の椅子の前を横切るふたり。

 ふと、タビアゲハはイスの一席に目線のようなものを向けた。

 そこに乗っていたのは、硬球の野球ボール1個。

 タビアゲハは鋭い爪の生えた影のように黒い手で野球ボールを手に取った。

 その野球ボールには、傷のような穴が空いている。

 中に緑色のようなものが見えたと思うと、中から閉じるように穴はわずなか隙間になった。

「タビアゲハ、どうしたんだ?」
 先行していた老人が振り返ると、タビアゲハは老人に野球ボールを差し出した。
「“坂春サカハル”サン、コノ子……“変異体”ミタイ」
「……見たところ野球ボールにしか見えないが、また中に何か入っているのか?」
 “坂春”と呼ばれた老人はタビアゲハから野球ボールを受け取ると、眉をひそめながら野球ボールを眺めた。

 その凶悪な顔におびえたのか、野球ボールはぶるぶると震え始めた。

「大丈夫ダヨ、坂春サンハ顔ダケ怖イカラ」

 タビアゲハが野球ボールをなでると、安心したのか、震えるのをやめた。

「それにしても、この変異体……あのイスで寝ていただけかもしれんぞ?」
「……考エタラ、ソウカモシレナイ」

 坂春から野球ボールを取り、タビアゲハは元のイスに野球ボールを置き、「起コシテゴメンネ」と告げ、坂春とともにそこから立ち去った。



 その後ろで、野球ボールはイスから落ちた。





 グラウンドには、緑色の芝生と黒色の砂が敷き詰められていた。

 砂の上を、タビアゲハはブーツごしに踏み心地を味わうかのように、海の海岸と似たように1歩1歩深く歩いて行く。

 その前を先行する坂春は特に気にもせず歩いていたが、ふと立ち止まり、しゃがんだ。
「坂春サン、ナニカアルノ?」
 後ろからタビアゲハがたずねると、坂春は両手で砂を集め始めた。
「いや……昔から、ちょっと憧れていたものがあってだな……」
 坂春は手のひらに乗った砂の山をじっと見つめると、ため息とともにそのまま下に落とした。
「……甲子園の砂を持ち帰るってやつをやってみたかったが、やはりもっと大きい野球場の方がいいな。それに、持ち帰る場所もない」
 純粋な子供の好奇心から現実を見た大人の姿に戻った坂春の背中を見て、タビアゲハは坂春に気づかれないように静かに笑った。

 その足に履いているブーツのかかとに、何かが当たった。

 タビアゲハが振り返ると、そこには土まみれの野球ボールがあった。

「……ツイテキチャッタ?」

 タビアゲハが拾い上げようとした時、野球ボールはひとりでに転がって行った。

 転がる先は、三塁側のダッグアウトがある方向だった。



 選手が座るであろうベンチが並べられたダッグアウトの中で、野球ボールは箱のような物に体当たりをした。

 箱は揺れ、そのまま床に倒れる。

 その中から、数本の金属バットが箱から飛び出してきた。

 ダッグアウトにタビアゲハが訪れた時には、野球ボールはバッドのうちの一本に何度もぶつかっていた。

「……まさか、野球がしたいのか?」
 タビアゲハの後ろでこの様子を見ていた坂春は、野球ボールに問いかけた。
 野球ボールはその問いに対してうなずくようにその場ではねた。
「野球ッテヤッタコトナイケド……ドンナコトヲスルノ?」
 首をかしげるタビアゲハに対して、坂春は野球ボールに近づき、バットを拾い上げた。
「そうだな……野球をやる人数が足りないから、ひとりが投げたボールをこのバッドで打ち返す遊びになるな」
「坂春サンハヤッタコトアルノ?」
「中学生のころ、部活の体験入部の時以来だけどな……タビアゲハ、やってみるか?」

 タビアゲハがうなずくのを確認すると、坂春は足元の野球ボールを拾い上げた。

「ボールはおまえだ」

 野球ボールにそう告げると、坂春はタビアゲハとともにグラウンドに出た。





 グラウンドの打者が立つ位置に、バッドを手に取ったタビアゲハが立つ。

 足元にはホームベースがない。必要ないからだ。

 代わりに本来キャッチャーと審判が立つ方向の壁に、クッションのようにベースが敷き詰められている。

 その目線の先には、グローブをはめて野球ボールを手にした坂春が立っている。

 タビアゲハが左利きの打者と同じ構えを取ると、坂春はボールを構え、大きく振りかぶった。

 手から離れた野球ボールは豪速球のストレートとなり、

 タビアゲハの振るバットをかわし、

 敷き詰められたベースにたたきつけられた。



「……坂春サン、本当ニ中学生以降、野球ハシテイナイノ?」
 野球ボールを拾ったタビアゲハは坂春の元に向かいながら首をかしげた。そのニュアンスには怒りはなく、単純に疑問に思ったことを好奇心で質問しているようだ。
「すまんかった。ほぼやっていなかったからフルパワーで投げても問題ないと思ってな……次は手加減する」
 誤りつつ野球ボールを手に取る坂春だったが、タビアゲハは首を振った。
「サッキト同ジボール、投ゲテ」
「? でもあれじゃあ、打てないだろ」
「ウウン。1回見タカラ、次ハ打テル。ソレニ……」

  タビアゲハは坂春の手にある野球ボールを見て笑みを浮かべた。

「サッキノヨウナボールジャナイト、コノ子、満足シナイト思ウ」

 野球ボールは坂春の上で、興奮しているように小さく飛び跳ねていた。



「それじゃあ、同じように本気でいくぞ」

 坂春の言葉という打者に向けたサインを、打者であるタビアゲハはうなずいて返事した。

 坂春は再びボールを構え、大きく振りかぶり、豪速球のストレートを投げた。

 それに反応して、タビアゲハは地につく足に力をこめ、

 大きくバッドを振った。



 カキーンと、バッドがボールを打つ心地よい音が響き渡った。

 豪速球のスピードとバットに当たった勢いで、

 野球ボールは空高く飛んでいく。

 球場の開かれた空を突き抜け、夕焼けに野球ボールが重なった。

 ホームランだ。



「……」「……」
 飛んでいく野球ボールを、坂春とタビアゲハは口を開けて見送っていた。

「……タビアゲハ、本当に野球をやったことはなかったのか?」

「ウン。街頭テレビデ写ッテイタ野球選手ヲ真似シタダケ……ダケド……」





 空を舞った野球ボールは、徐々に高度を落とし、

 市街地に止まっているトラックの荷台に落ちた。

 トラックの運転手はそれに気づかず、トラックを走らせる。



 揺れる荷台の上で、野球ボールはこんなことを思っていたのかもしれない。

 自分はこれから、どのような場所に向かうのだろうか。

 誰のキャッチャーミットにも捕らえられず、

 さまざまな物にぶつかっていきながら、どこに向かうのだろうか。



 野球ボールは、かつて人間だったかのように、期待と不安で震えていた。
しおりを挟む
ツギクルバナー
感想 1

あなたにおすすめの小説

物書きの終わり方

ひぐらしゆうき
大衆娯楽
 人生という物語の終わり方を考える一人の老人の話。  自問自答しながら自身の行きつく最後を結論付けていく。老人の終わりとは何なのだろうか?

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

嫌われた妖精の愛し子は、妖精の国で幸せに暮らす

柴ちゃん
ファンタジー
生活が変わるとは、いつも突然のことである… 早くに実の母親を亡くした双子の姉妹は、父親と継母と共に暮らしていた。 だが双子の姉のリリーフィアは継母に嫌われており、仲の良かったシャルロッテもいつしかリリーフィアのことを嫌いになっていた。 リリーフィアもシャルロッテと同じく可愛らしい容姿をしていたが、継母に時折見せる瞳の色が気色悪いと言われてからは窮屈で理不尽な暮らしを強いられていた。 しかしリリーフィアにはある秘密があった。 妖精に好かれ、愛される存在である妖精の愛し子だということだった。 救いの手を差し伸べてくれた妖精達に誘われいざ妖精の国に踏み込むと、そこは誰もが優しい世界。 これは、そこでリリーフィアが幸せに暮らしていく物語。 お気に入りやコメント、エールをしてもらえると作者がとても喜び、更新が増えることがあります。 番外編なども随時書いていきます。 こんな話を読みたいなどのリクエストも募集します。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

海道一の弓取り~昨日なし明日またしらぬ、人はただ今日のうちこそ命なりけれ~

海野 入鹿
SF
高校2年生の相場源太は暴走した車によって突如として人生に終止符を打たれた、はずだった。 再び目覚めた時、源太はあの桶狭間の戦いで有名な今川義元に転生していた― これは現代っ子の高校生が突き進む戦国物語。 史実に沿って進みますが、作者の創作なので架空の人物や設定が入っております。 不定期更新です。 SFとなっていますが、歴史物です。 小説家になろうでも掲載しています。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

蒼穹の裏方

Flight_kj
SF
日本海軍のエンジンを中心とする航空技術開発のやり直し 未来の知識を有する主人公が、海軍機の開発のメッカ、空技廠でエンジンを中心として、武装や防弾にも口出しして航空機の開発をやり直す。性能の良いエンジンができれば、必然的に航空機も優れた機体となる。加えて、日本が遅れていた電子機器も知識を生かして開発を加速してゆく。それらを利用して如何に海軍は戦ってゆくのか?未来の知識を基にして、どのような戦いが可能になるのか?航空機に関連する開発を中心とした物語。カクヨムにも投稿しています。

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

処理中です...