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★化け物バックパッカー、天の川を渡る。【前編】
しおりを挟む風に揺らされる笹の葉の音が、ささやくように聞こえてくる。
笹に飾られた飾りが、まるで風鈴のように揺れる。
その揺れている笹を、小さな手がつかんだ。
不器用な動きで、必死に何かをくくりつけている。
やがて、その手が離れると、短冊が笹の葉につるされた。
【みんな一緒に、会えますように】
「お願い事、書けたかい?」
父親のような、やさしい男の声が、家の中から呼びかける。
「うん! 七夕さま、見てくれるかな?」
幼い少年は、家の中に向かって声をかける。
「……ああ、晴れてたらね」
「それじゃあ、僕、てるてるぼうず、作る! いーっぱい作って、今日が晴れになるように、お願いするの!」
父親と息子の笑い声が、庭に響きわたった。
何者かの視線にも気づかずに……
いや、視線のようなもの……か。
「あの子……なかなかいいスタイルをしているじゃないか……」
住宅街の道で立っている青年。
その細い目には、塀の外から家の庭をのぞき見ているひとりの少女が映っている。
その少女は全身を黒いローブで隠しており、その背中には黒いバックパックが背負われている。
付近の住民が少女を見た時の反応は、「不審者?」だろう。
しかし、この青年の次の言葉は……
「特にあの、長い足。ローブに隠れて分かりづらいが実に惜しい」
このようになる。
家の中をのぞく少女と、それを観察する青年。
しばらくすると、青年が決心したようにうなずき、少女に近づいた。
「ねえ、そこの君」
「!?」
細目の男が話しかけると、少女はいきなり肩を上げ、恐る恐る体を青年に向ける。
ローブに付いているフードは深く被っており、黒いアゴの先以外はよく見えない。
「おっと、僕は怪しいものじゃないよ。この辺に住んでいるモデルのプロデューサーなんだけどさ……君、なかなかいい体形をしているよね」
「……」
少女は何も言わず、その場から離れようとした……が、すぐに青年が手首を捕む。
「逃げなくてもいいじゃないか。なあ、ちょっとだけ顔を見せてよ」
「……!!」
青年は少女のフードをつかみ、少女の顔を見ようとのぞく。
「……ん?」
青年のひたいに、水を含んだスポンジのような触感があった。
よく見てみると、それは昆虫の触覚。青色の触覚は、本来眼球が収まっている場所から生えていたのだった。
それはまぶたを閉じると引っ込み、開くとまた出てくる。
“変異体”と呼ばれる、化け物だ。
「な……なんで……こ……こんなところに……変異体が……」
青年は尻餅をついた。恐怖で震えるように、しかし、どこか発作のような、自然な恐怖ではないように見える。
「だ……誰か……だずげっ」
青年が大きく口を開けた瞬間、いきなり首が空を見上げ、そのまま後ろ向きに倒れてしまった。
その後ろには、若者の好みそうな服装を身にまとった老人が立っていた。
「“タビアゲハ”、大丈夫か?」
新設そうに変異体に話しかけるこの老人、顔が怖い。それにも関わらず、タビアゲハと呼ばれた変異体は安心したように一息ついた。
「ゴメンナサイ、坂春サン……ツイ気ニナッチャッテ……」
その声は聞くだけで鳥肌の立つ、奇妙な聞きここちだ。
「……その気になったのは、あの笹の葉か?」
塀から少しはみ出ている笹の葉を、坂春と呼ばれた老人が指さした。
その背中には、タビアゲハのものによく似たバックパックが背負われていた。俗に言う、バックパッカーである。
「タナバタノ日トカ言ッテタケド……タナバタッテナニ?」
住宅街の道を、坂春とタビアゲハは歩いていく。
「本来は年によって日にちが違うんだが、だいたいは7月7日が七夕だとしているな。短冊と呼ばれる紙に願い事を書いて、それを笹の葉につるすんだ」
「アノ子……晴レニナルヨウニッテ言ッテタケド……雨ニナルトドウナルノ?」
「まあ別に意識しないんでいいんだが……タビアゲハは七夕の伝説は覚えているか?」
「ウウン……コノ姿ニナル前ノコトハ……ゼンゼン覚エテナイ……」
「簡潔に説明すると、夜空に浮かんでいるおり姫とひこ星、天の川をはさんだ位置にあるふたつの星が1年で1度だけ会える日……それが七夕だ」
「ヨクワカラナイケド……面白ソウ……」
「うーむ……どこが面白いかわからないが……まあ、今夜山奥で見てみるか?」
ふたりは、住宅街の外れの川沿いを通っていた。
その道中で、タビアゲハは自信の手を見る。影のように黒い手の先には、鋭くとがった爪が伸びている。
「突然変異症デ変ワッタ部分ハ、耐性ノナイ人ガ見ルト、恐怖ノ感情ヲ呼ビ起コス……」
「急にどうしたんだ?」
「サッキ驚カセテシマッタカラ……今度ハアンナコトガナイヨウニシナイト……」
「別に自分を責めることはないだろう。おまえは世界を見て回るという旅の目的があるんだろう?」
「ウン……ソウダネ……」
タビアゲハは、空を見上げた。
夕暮れに、雲が覆い被さろうとしていた。
日が沈み、暗闇が支配する空間。
その中に、ほのかな明かりが見える。煙が立っていないことからたき火ではないことはわかる。
より近づいてみると、その明かりはテントの中にあるようだ。恐らく、ライトを置いているのだろう。
その側で、空を見上げているタビアゲハの姿があった。
あまりにも見上げすぎて、頭のフードがとれて変異体の触覚が見えている。
「タビアゲハ、星は見えているか?」
テントから頭を出して、坂春はタビアゲハにたずねた。
「坂春サン、オキテタノ?」
タビアゲハはフードを被り直しながら坂春の頭を見る。
坂春は顔を空に向けて、眉をひそめた。
「ああ、なんだか眠れなくてな……しかし……こんな空模様じゃあ聞くまでもないな」
暗闇は空まで及んでいた。
星を覆う雲さえも暗闇に飲まれ、浮かんでいるのは黒塗りの空だけだ。
「オリ姫トヒコ星ッテ、今日ジャナイト見エナイノ?」
「そんなことはないが……やっぱり今日じゃないと雰囲気が出ないよな」
ふたりが顔を見合わせ、数秒ほど経ってから同時に息をはいた。その後数分ぐらいの沈黙が訪れる。
「ネエ、コノ辺リッテ……変ワッタ森ダヨネ」
話題を変えるように、タビアゲハは辺りを見渡した。
「森というよりは竹林だな」
坂春はそう言っているが、タビアゲハの例えも正しい。
空高く伸びている無数の竹が、ふたりがいる空間を包み込むように生えている。
「コレガ……タケ?」
タビアゲハは近くにあった1本の竹に手を触れた。爪を立てず、指の腹で触り心地を味わうように下へと滑らせる。
「竹は硬いが、風に揺れる。だがそれは風を受け流すことで、吹き飛ばされないようにしているんだ」
「硬イノニ……風ヲ受ケ流ス……?」
首をかしげながら、タビアゲハは竹にノックをする。コンコンという心地よい音が響く。
ドサッ
「……ッ!!」「なんだ!?」
タビアゲハの背中から数センチ離れた位置を通り、何かが落ちた。
坂春は手元の懐中電灯を手に、テントから飛び出し、その何かに懐中電灯の光を照らした。
「……七夕の……笹の葉か?」
その笹の葉はおよそ150センチと、普通の笹の葉よりも小さいサイズだった。
坂春はその笹の葉を手に取ろうと手をのばす……
「キャッ!?」「ぬおっ!?」
ふたりの短い悲鳴が、聞こえてきた。
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