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【カルス編】
04.カルスの告白
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港町より少し離れたところに、この辺境一帯を治める領主の別邸があるという。
アキノと聖騎士団は先にそちらへ向かったらしい。
メリッサは海で溺れて一時意識不明に陥ったので、すぐにも医者に診せる必要があり、近くの宿屋に担ぎ込まれた。
そのまま一晩を明かし、メリッサもカルスと一緒に別邸へ向かった。
「メリッサさん!」
別邸の門をくぐると、メリッサに気づいたアキノが玄関から飛び出してきた。走り寄って、馬から降りたメリッサに抱きついて来る。
「アキノ様、ご無事で良かったです」
メリッサも遠慮がちに背に手を回して、アキノの無事を喜ぶ。
「メリッサさんも、良かった……海に引き摺り込まれたって聞いて――カルスさん、ありがとうございます」
涙までもを浮かべているアキノに、カルスは戸惑う様子もなく聖騎士の礼を執る。
一方メリッサは、普通逆じゃないだろうかと動揺してしまった。そう思うくらい、アキノの反応は大げさに感じる。
アキノは労わるようにメリッサの手を引いて、領主の別邸に誘った。
辺境領は広大で、その領地を治めるに相応しく、辺境伯の別邸は豪奢だった。
ただ、辺境伯は当然自邸で暮らしているので、別邸に居るのはその邸の管理を任された代理人だ。
アキノは直接礼を言えないことが残念だと言い、機会を作ってお会いしたいと代理人に伝える。彼はやや緊張しつつも恭しく礼をして、メリッサたちをもてなした。
「ここにしばらく滞在していいって言ってもらえたので、ここで数日休むことにしたんです」
なぜかアキノに部屋に案内されながら、そう告げられたメリッサは、聖騎士の姿が見当たらなかったことに気づく。
「では、聖騎士の方々も?」
「そうです。海の精霊が私を見守ってくれているし、私自身も自分一人守るくらいの魔法は使えます。だから――カルスさんも、自由にしてくれていいですからね」
アキノの言葉に、ようやくメリッサはカルスが部屋のドアの傍で待機していることに気づいた。
聖女に『自由にしていい』と言われ喜ぶかと思ったが、なぜかカルスは動揺を見せた。
「で、ですが……」
「自由に、していいですよ、カルスさん」
いやに『自由』を強調しながらアキノが言えば、カルスはようやく一礼をして去っていった。
(ずっとお仕事をなさってるから、自由にしていいって言われて戸惑っていらっしゃるのかしら)
カルスが部屋を出て行くと、再びアキノがメリッサに抱きつく。
「あ、アキノ様っ」
「メリッサさん、ごめんなさい、精霊がひどいことを……」
メリッサは緊張に心臓を鳴らす。
謝るということはきっと、精霊がなぜあんなことをしたのか、分かっているのだろう。
メリッサはその決定的な言葉をアキノから聞きたくなくて、慌てて首を振った。
「いいえ、アキノ様。謝らないでください。それより、アキノ様は大丈夫ですか? 倒れておられましたが……」
「うん、体は何とも。これも聖女だからかな? それとも精霊が助けてくれてるのかも」
体は何ともないと聞いてメリッサはホッと胸を撫でおろす。
「良かったです。アキノ様が倒れたとき、血の気が引きましたもの」
するとアキノはメリッサに抱きついたまま、間近から見上げて来た。
「倒れた私に駆け寄ろうとしたって聞きました……そんなに心配してくれたんだって知って私――」
「あ、アキノ様……」
心なしか顔が近づいている気がして、メリッサは別の意味で心臓が高鳴る。
咄嗟に身を引くとアキノが何やらぼそりと呟いた。
「……まだダメか」
「アキノ様?」
だが、彼女は一転明るい笑みを見せるとメリッサから体を離す。メリッサの両手を取り――
「ここにもちょっと大きめのお風呂があるらしいんですが、一緒に入りませんか?」
「――ま、また今度で、お願いいたします」
くるくる表情が変わるアキノに、メリッサは翻弄されつつも何とか一緒に風呂へ、という誘いを断ることが出来たのだった。
翌日、朝食を終えてすぐ、メリッサを訪ねる者があった。
てっきりアキノかと思ったメリッサは、ドアに立ち塞がる大男を見てギョッとなった。
「カルス様?」
「いま、いいだろうか?」
傍にアキノは居ない。単身での訪問だった。
女性の部屋に、一人で――。聖騎士カルスにしては珍しい行動だと思った。もしかしたら大事な話なのかも知れないと思い、メリッサは疑いもなく通してしまった。
しかし、カルスが自らドアを閉め、鍵をかけたのを見たとき、彼の様子がおかしいことにようやく気づいた。
「少し話がしたい」
そう言って彼が目線でソファを指し示すので、メリッサは不穏なものを感じつつもソファへ向かった。
低いテーブルを挟み向かい合って座ると、彼は騎士らしく膝に両手を置いて話し始めた。
「以前も話したが、私のなかでずっとあなたは幼い少女のままだった。だが、気がつけば大人の淑女に成長され、フェリクス殿とご結婚された。めでたい話なのに、私は心から祝福することが出来なかった」
不穏なものを感じたのは気のせいではなかった。
今更ながらにメリッサは、オリフィエルの忠告を思い出してしまう。
(なぜもっと早く思い出さなかったの!)
海に引き摺り込まれて、命を助けてもらったという思いが、カルスへの警戒心を完全に取り払ってしまったらしい。
『赦免日は、女側の同意がなきゃ出来ないってのは覚えておけよ』
(そうね、もし本当にそんなお願いをされても、断ればいいのよ……)
思案している間にもカルスの言葉は続く。
「心の狭い男だと思うだろう。私はあなたに想いを寄せるあまり、嫉妬した。フェリクス殿にも、王太子殿下にも」
「カルス様。お気持ちは嬉しく思います。ですが、私はフェリクス様の妻です」
「分かっている。だが――今日の休日を“赦免日”にしたい。あなたに許されるのなら……」
「っ」
メリッサは咄嗟に言葉が出ず、代わりに首を横に振って拒否を示した。
だが、カルスは諦めない。立ち上がり傍まで来ると、床に膝をついてメリッサを見上げる。
「あなたに許されないのなら、私の赦免日は永遠に来ない。この身を苛む苦痛から、救えるのはあなたしかいない」
それは聖騎士に唯一許される日が、メリッサのせいで永遠に来ないのだと訴えているようなものだ。
卑怯な懐柔の言葉だと思うが、メリッサはカルスがなぜそこまで思い詰めるのか知りたくなった。
「――どうして、そこまでわたくしのことを……?」
「あなたはとても敬虔な信徒だ。それに、神殿に毎週通っている。そんな貴族は稀だ。初めは、そんなあなたを好ましく思っている、その程度だった」
確かに、大人になるにつれメリッサは、貴族の大半が毎週のように神殿に通ってはいない、と知って衝撃を受けた。
それが日課になっているので、運動がてら今も続けているが。
「だが、一目惚れをした」
「一目惚れ……?」
メリッサは、当時すでに大人だった十九歳のカルスが、まだ十三歳だった自分に一目惚れする場面を想像して、やや身を引いた。
しかし、それとは違ったらしい。
「一目惚れという言い方が合っているのか分からないが――聖女様に初めてあなたが会ったとき、励まし、そして微笑んだ――あの笑みに私は一目惚れをした」
「っ――」
あの時、確かに彼はアキノの護衛として傍にいたが、メリッサは悪役令嬢らしく声をかけるので必死で、彼がどうしていたかなどまったく記憶になかった。
まさか、カルスがあの時、自分にそんな想いを抱いたなど、思いもよらなかった。
「ただ私はすぐに、それが一目惚れだと気づかなかった。あなたを思い出すと気持ちが高揚したり、憂鬱になったり……感情の起伏が激しくなり自分でも困惑していた」
(……それは確かに、恋の病にありがちだけども……聖騎士様が、わたしに恋――)
「そんな私の異変に気付いた聖女様に、どうしたのかと尋ねられ、私は黙っていられず正直に話した」
「えっ!? アキノ様に話したのですか?!」
「ああ、そうしたら『それは恋です』と言われて、それで自覚した。私はあなたに好意を寄せているのだと」
(アキノ様、なぜ……)
アキノは想い煩うカルスに想いを自覚させ、その上で、何らかの方法で消化させようとしたのかも知れないが、メリッサにとってはあまり喜ばしくない事態だ。
「自覚すると私の想いは日に日に強くなった。あなたを一目見たいという思いから、こちらを見て欲しい、私に笑いかけて欲しい、あなたに触れたい、あなたを――」
「……」
言い募るカルスの手に力がこもる。拳を握り、捲ったシャツの袖から見える腕の筋肉が隆起する。今もなお、彼はそれを強く自覚し、そして必死に暴走しそうになるのを耐えているのかも知れない。
メリッサは清貧、貞潔を重んじる“聖騎士”のことを思った。これまでずっと神の信徒として過ごしてきた彼が、初めて覚えた劣情に苛まれている。
そう考えるとつい絆されそうになるが、慌ててメリッサはそんな考えを振り払う。
「カルス様、もう一度言いますが、わたくしにはフェリクス様という夫がいます。心苦しいのですが、その想いを諦めていただく、というわけにはいきませんか?」
なるべく非情に見えるよう、メリッサは表情硬くカルスを見下ろす。
だが、メリッサを見上げるカルスも、同じように視線に力を込めて見つめてくる。
「初めはそれも考えました。ですが、悶々とする私に聖女様が仰ったのです。私には赦免日があるじゃないですか、と」
(また、アキノ様っ――)
「赦免日は神に仕え、聖女様を守る聖職者や聖騎士に与えられた、世俗に耽っても許される日――。あなたとフェリクス殿の結婚式で私は嫉妬に駆られつつ、この世に赦免日があることに初めて感謝した」
「カルス様……」
自分を見つめるカルスの目に、嫉妬と熱情の色が見える気がして、メリッサはたじろいだ。
「私はこれまで女性に興味はなかったし、神と聖女様に忠誠を捧げるため一生独身でいると誓った。今も、その誓いを違えることはないが――」
そっとカルスがメリッサの手に手を重ねる。咄嗟に震えてしまったが、壊れ物を扱うような手つきとその熱さに驚き、メリッサは思わず振り払うタイミングを逃してしまう。
「私にこの身を苛む劣情を教えたのはあなただ。だから、私はあなたに癒してもらいたい」
「か、カルス様、ですが……」
再度、自分は既婚者だと言い聞かせ、断ろうとしたメリッサだったが、それを遮るようにカルスが畳みかける。
「メリッサ殿。赦免日に、世俗的なことに耽り許されるのは、私だけではない。あなたも、誰からも責められることはない。もし責める者がいるとしたら神殿が許さないだろう」
「カルス様、でも……」
「今日一日のことだ。今日一日あなたは私のものになるが、明日になればまたいつも通り、あなたはフェリクス殿の妻で、私は聖女様を守る聖騎士に戻る。何も変わらないし、私はそれ以上を望まない。ただ、今日一日あなたの許しさえあれば――」
言い募りながらカルスの手に力がこもる。それがまるで枷のように、メリッサは身動きが取れなくなってしまった。
メリッサがどう拒んでも、カルスは絶対に諦めないのだと分かってしまったからだ。
俄かに掌に汗が滲み心臓が早鐘を打つ。それは緊張からか、恐怖からか、メリッサには判別ができなかった。
だから、顔を寄せて来るカルスを、メリッサは拒む機会を逸してしまった。
優しく触れる唇の感触に、どこかたどたどしい所作に、メリッサは胸に迫るものを感じて、つい目を閉じてしまった。
アキノと聖騎士団は先にそちらへ向かったらしい。
メリッサは海で溺れて一時意識不明に陥ったので、すぐにも医者に診せる必要があり、近くの宿屋に担ぎ込まれた。
そのまま一晩を明かし、メリッサもカルスと一緒に別邸へ向かった。
「メリッサさん!」
別邸の門をくぐると、メリッサに気づいたアキノが玄関から飛び出してきた。走り寄って、馬から降りたメリッサに抱きついて来る。
「アキノ様、ご無事で良かったです」
メリッサも遠慮がちに背に手を回して、アキノの無事を喜ぶ。
「メリッサさんも、良かった……海に引き摺り込まれたって聞いて――カルスさん、ありがとうございます」
涙までもを浮かべているアキノに、カルスは戸惑う様子もなく聖騎士の礼を執る。
一方メリッサは、普通逆じゃないだろうかと動揺してしまった。そう思うくらい、アキノの反応は大げさに感じる。
アキノは労わるようにメリッサの手を引いて、領主の別邸に誘った。
辺境領は広大で、その領地を治めるに相応しく、辺境伯の別邸は豪奢だった。
ただ、辺境伯は当然自邸で暮らしているので、別邸に居るのはその邸の管理を任された代理人だ。
アキノは直接礼を言えないことが残念だと言い、機会を作ってお会いしたいと代理人に伝える。彼はやや緊張しつつも恭しく礼をして、メリッサたちをもてなした。
「ここにしばらく滞在していいって言ってもらえたので、ここで数日休むことにしたんです」
なぜかアキノに部屋に案内されながら、そう告げられたメリッサは、聖騎士の姿が見当たらなかったことに気づく。
「では、聖騎士の方々も?」
「そうです。海の精霊が私を見守ってくれているし、私自身も自分一人守るくらいの魔法は使えます。だから――カルスさんも、自由にしてくれていいですからね」
アキノの言葉に、ようやくメリッサはカルスが部屋のドアの傍で待機していることに気づいた。
聖女に『自由にしていい』と言われ喜ぶかと思ったが、なぜかカルスは動揺を見せた。
「で、ですが……」
「自由に、していいですよ、カルスさん」
いやに『自由』を強調しながらアキノが言えば、カルスはようやく一礼をして去っていった。
(ずっとお仕事をなさってるから、自由にしていいって言われて戸惑っていらっしゃるのかしら)
カルスが部屋を出て行くと、再びアキノがメリッサに抱きつく。
「あ、アキノ様っ」
「メリッサさん、ごめんなさい、精霊がひどいことを……」
メリッサは緊張に心臓を鳴らす。
謝るということはきっと、精霊がなぜあんなことをしたのか、分かっているのだろう。
メリッサはその決定的な言葉をアキノから聞きたくなくて、慌てて首を振った。
「いいえ、アキノ様。謝らないでください。それより、アキノ様は大丈夫ですか? 倒れておられましたが……」
「うん、体は何とも。これも聖女だからかな? それとも精霊が助けてくれてるのかも」
体は何ともないと聞いてメリッサはホッと胸を撫でおろす。
「良かったです。アキノ様が倒れたとき、血の気が引きましたもの」
するとアキノはメリッサに抱きついたまま、間近から見上げて来た。
「倒れた私に駆け寄ろうとしたって聞きました……そんなに心配してくれたんだって知って私――」
「あ、アキノ様……」
心なしか顔が近づいている気がして、メリッサは別の意味で心臓が高鳴る。
咄嗟に身を引くとアキノが何やらぼそりと呟いた。
「……まだダメか」
「アキノ様?」
だが、彼女は一転明るい笑みを見せるとメリッサから体を離す。メリッサの両手を取り――
「ここにもちょっと大きめのお風呂があるらしいんですが、一緒に入りませんか?」
「――ま、また今度で、お願いいたします」
くるくる表情が変わるアキノに、メリッサは翻弄されつつも何とか一緒に風呂へ、という誘いを断ることが出来たのだった。
翌日、朝食を終えてすぐ、メリッサを訪ねる者があった。
てっきりアキノかと思ったメリッサは、ドアに立ち塞がる大男を見てギョッとなった。
「カルス様?」
「いま、いいだろうか?」
傍にアキノは居ない。単身での訪問だった。
女性の部屋に、一人で――。聖騎士カルスにしては珍しい行動だと思った。もしかしたら大事な話なのかも知れないと思い、メリッサは疑いもなく通してしまった。
しかし、カルスが自らドアを閉め、鍵をかけたのを見たとき、彼の様子がおかしいことにようやく気づいた。
「少し話がしたい」
そう言って彼が目線でソファを指し示すので、メリッサは不穏なものを感じつつもソファへ向かった。
低いテーブルを挟み向かい合って座ると、彼は騎士らしく膝に両手を置いて話し始めた。
「以前も話したが、私のなかでずっとあなたは幼い少女のままだった。だが、気がつけば大人の淑女に成長され、フェリクス殿とご結婚された。めでたい話なのに、私は心から祝福することが出来なかった」
不穏なものを感じたのは気のせいではなかった。
今更ながらにメリッサは、オリフィエルの忠告を思い出してしまう。
(なぜもっと早く思い出さなかったの!)
海に引き摺り込まれて、命を助けてもらったという思いが、カルスへの警戒心を完全に取り払ってしまったらしい。
『赦免日は、女側の同意がなきゃ出来ないってのは覚えておけよ』
(そうね、もし本当にそんなお願いをされても、断ればいいのよ……)
思案している間にもカルスの言葉は続く。
「心の狭い男だと思うだろう。私はあなたに想いを寄せるあまり、嫉妬した。フェリクス殿にも、王太子殿下にも」
「カルス様。お気持ちは嬉しく思います。ですが、私はフェリクス様の妻です」
「分かっている。だが――今日の休日を“赦免日”にしたい。あなたに許されるのなら……」
「っ」
メリッサは咄嗟に言葉が出ず、代わりに首を横に振って拒否を示した。
だが、カルスは諦めない。立ち上がり傍まで来ると、床に膝をついてメリッサを見上げる。
「あなたに許されないのなら、私の赦免日は永遠に来ない。この身を苛む苦痛から、救えるのはあなたしかいない」
それは聖騎士に唯一許される日が、メリッサのせいで永遠に来ないのだと訴えているようなものだ。
卑怯な懐柔の言葉だと思うが、メリッサはカルスがなぜそこまで思い詰めるのか知りたくなった。
「――どうして、そこまでわたくしのことを……?」
「あなたはとても敬虔な信徒だ。それに、神殿に毎週通っている。そんな貴族は稀だ。初めは、そんなあなたを好ましく思っている、その程度だった」
確かに、大人になるにつれメリッサは、貴族の大半が毎週のように神殿に通ってはいない、と知って衝撃を受けた。
それが日課になっているので、運動がてら今も続けているが。
「だが、一目惚れをした」
「一目惚れ……?」
メリッサは、当時すでに大人だった十九歳のカルスが、まだ十三歳だった自分に一目惚れする場面を想像して、やや身を引いた。
しかし、それとは違ったらしい。
「一目惚れという言い方が合っているのか分からないが――聖女様に初めてあなたが会ったとき、励まし、そして微笑んだ――あの笑みに私は一目惚れをした」
「っ――」
あの時、確かに彼はアキノの護衛として傍にいたが、メリッサは悪役令嬢らしく声をかけるので必死で、彼がどうしていたかなどまったく記憶になかった。
まさか、カルスがあの時、自分にそんな想いを抱いたなど、思いもよらなかった。
「ただ私はすぐに、それが一目惚れだと気づかなかった。あなたを思い出すと気持ちが高揚したり、憂鬱になったり……感情の起伏が激しくなり自分でも困惑していた」
(……それは確かに、恋の病にありがちだけども……聖騎士様が、わたしに恋――)
「そんな私の異変に気付いた聖女様に、どうしたのかと尋ねられ、私は黙っていられず正直に話した」
「えっ!? アキノ様に話したのですか?!」
「ああ、そうしたら『それは恋です』と言われて、それで自覚した。私はあなたに好意を寄せているのだと」
(アキノ様、なぜ……)
アキノは想い煩うカルスに想いを自覚させ、その上で、何らかの方法で消化させようとしたのかも知れないが、メリッサにとってはあまり喜ばしくない事態だ。
「自覚すると私の想いは日に日に強くなった。あなたを一目見たいという思いから、こちらを見て欲しい、私に笑いかけて欲しい、あなたに触れたい、あなたを――」
「……」
言い募るカルスの手に力がこもる。拳を握り、捲ったシャツの袖から見える腕の筋肉が隆起する。今もなお、彼はそれを強く自覚し、そして必死に暴走しそうになるのを耐えているのかも知れない。
メリッサは清貧、貞潔を重んじる“聖騎士”のことを思った。これまでずっと神の信徒として過ごしてきた彼が、初めて覚えた劣情に苛まれている。
そう考えるとつい絆されそうになるが、慌ててメリッサはそんな考えを振り払う。
「カルス様、もう一度言いますが、わたくしにはフェリクス様という夫がいます。心苦しいのですが、その想いを諦めていただく、というわけにはいきませんか?」
なるべく非情に見えるよう、メリッサは表情硬くカルスを見下ろす。
だが、メリッサを見上げるカルスも、同じように視線に力を込めて見つめてくる。
「初めはそれも考えました。ですが、悶々とする私に聖女様が仰ったのです。私には赦免日があるじゃないですか、と」
(また、アキノ様っ――)
「赦免日は神に仕え、聖女様を守る聖職者や聖騎士に与えられた、世俗に耽っても許される日――。あなたとフェリクス殿の結婚式で私は嫉妬に駆られつつ、この世に赦免日があることに初めて感謝した」
「カルス様……」
自分を見つめるカルスの目に、嫉妬と熱情の色が見える気がして、メリッサはたじろいだ。
「私はこれまで女性に興味はなかったし、神と聖女様に忠誠を捧げるため一生独身でいると誓った。今も、その誓いを違えることはないが――」
そっとカルスがメリッサの手に手を重ねる。咄嗟に震えてしまったが、壊れ物を扱うような手つきとその熱さに驚き、メリッサは思わず振り払うタイミングを逃してしまう。
「私にこの身を苛む劣情を教えたのはあなただ。だから、私はあなたに癒してもらいたい」
「か、カルス様、ですが……」
再度、自分は既婚者だと言い聞かせ、断ろうとしたメリッサだったが、それを遮るようにカルスが畳みかける。
「メリッサ殿。赦免日に、世俗的なことに耽り許されるのは、私だけではない。あなたも、誰からも責められることはない。もし責める者がいるとしたら神殿が許さないだろう」
「カルス様、でも……」
「今日一日のことだ。今日一日あなたは私のものになるが、明日になればまたいつも通り、あなたはフェリクス殿の妻で、私は聖女様を守る聖騎士に戻る。何も変わらないし、私はそれ以上を望まない。ただ、今日一日あなたの許しさえあれば――」
言い募りながらカルスの手に力がこもる。それがまるで枷のように、メリッサは身動きが取れなくなってしまった。
メリッサがどう拒んでも、カルスは絶対に諦めないのだと分かってしまったからだ。
俄かに掌に汗が滲み心臓が早鐘を打つ。それは緊張からか、恐怖からか、メリッサには判別ができなかった。
だから、顔を寄せて来るカルスを、メリッサは拒む機会を逸してしまった。
優しく触れる唇の感触に、どこかたどたどしい所作に、メリッサは胸に迫るものを感じて、つい目を閉じてしまった。
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