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【フェリクス編】

03.悪役令嬢の真実

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 フェリクスの誘いを断り自邸に戻ったメリッサは、偶然にも廊下で父親と顔を合わせることになった。
 軽く挨拶をして、そのまま自室へ向かおうとしたが呼び止められてしまう。

「メリッサ、王太子殿下に呼ばれたんだってね。話が聞きたい。執務室へおいで」
「……はい、お父様」

 やや顔を青くして、断る気力もなくメリッサは父親のあとについてく。
 きっとオリフィエルと何を話したのか聞かれるだろう。もしかしたら、すでに『メリッサを第二妃に』という話がされている可能性もある。

(まさか、フェリクス様と婚約解消して、オリフィエル殿下と――)

 考えてもみなかった事態に、再びメリッサは胸をざわつかせた。
 不安を抱えながら執務室に入り、言われるままにソファに腰掛けて父親と対峙する。
 父親――ルーベンス侯爵は使用人を下がらせると、メリッサの緊張を和らげるためか微笑みを浮かべてみせた。

「顔色が良くないね、メリッサ。殿下に何か言われたのかい?」
「いえ、お父様……」
「それとも、フェリクス殿が何か」
「いいえ――」

 なぜそんなことを尋ねるのか、分からないまま首を振っていたメリッサだが、続く言葉に思考が空転する。

「もしかして、『早く結婚しろ』とか『結婚しよう』などと言われたんじゃないだろうね?」
「……、……え?」

 意味が分からず瞬きながら、メリッサは父親の顔をまじまじと凝視した。
 ルーベンス侯爵は微笑はそのままに、真剣な眼差しで娘を見つめ返している。そこに、冗談を言っているような雰囲気はない。

「メリッサももう二十歳だ。結婚を先延ばしにするのはそろそろ難しくなって来ただろう? どうだろう、いっそ婚約破棄をしてみるというのは」
「……お父様、なにを言って」
「メリッサは結婚したくないんだろう? だからずっとフェリクス殿の要望を断ってきたんだろう? 私は知っているんだよ」

 そう言うとルーベンス侯爵は、懐から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げて置いた。つられて視線を落とせば、見覚えのある字と文面にメリッサは目を見開く。

「お父様っ、これは――」
「メリッサとフェリクス殿が書いた契約書だ。婚約解消しても互いに問題にはしない、というものだが――こんな契約書を作るくらいだ。余程、彼との婚約が嫌だったんだろう?」
「いいえっ! そんなことは」
「分かっているよ、メリッサ。私も同じだからね」

 メリッサの否定を無視するように――まるでメリッサの声が聞こえていないかのように、ルーベンス侯爵は一人語り続ける。

「妻に先立たれて私は絶望していた。だが、私にはお前がいた。メリッサの存在だけが私の希望だった。お前は母親に似てとても美しい。本当に、誰よりも……まるで透き通る風の精霊のように……。お前が居れば私はそれだけで良かった」

 父親が目を細め、愛しそうに娘を見つめている――はずなのに、その目に宿る怪しげな光にメリッサは怖気が走った。
 ただならぬ雰囲気に緊張感が高まり、手のひらに嫌な汗が滲む。なのに体温はどんどん下がっていく。

「しかし、モレナール公爵と夫人には逆らえなかったんだ。将来はメリッサを自分の息子と婚約させるからと、そのためには片親では心もとないから再婚しろと私に迫ってきた。あげく、勝手に見繕ってきた母子を私にあてがって、強引に再婚させられてしまった。すまない、メリッサ。私はあの母子のことなど、何とも思っていないんだが、心配させてしまったね」
「……」

 どこか辛そうに眉尻を下げる父親に、メリッサはついに言葉もなく小さく震えはじめる。

「もっと早く言うべきだった。だがフェリクス殿ばかりか、オリフィエル殿下まで度々我が邸にやって来るから、機会を窺っているうちにこんなに遅くなってしまったよ。メリッサ――」
「っ!」

 ふいにルーベンス侯爵が立ちあがったことに怯え、メリッサは小さく飛び上がった。逃げたいのに、震える足に力が入らず立ちあがることができない。
 何とか立ちあがろうとしつつソファの端まで後退っているうちに、ルーベンス侯爵はメリッサが座るソファに腰かけ、こちらへ手を伸ばそうとする。

「本当に美しくなったね。ずっとこの時を待ってたんだよ。愛してる、メリッサ。お前を誰のものにもしたくない、私だけのものにしたい。メリッサも同じ気持ちだろう?」
「いいえ……お父様……」
「だからずっと結婚を先延ばしにして」
「違うっ!」

 娘の言葉を一切聞き入れようとしない父親が――その手が頬に触れることが恐ろしく、メリッサは腹の底から声を上げた。
 ようやく父親の手が止まる。だが同時に、その顔から感情が抜けて能面になるのが、余計にメリッサの恐怖を煽った。

「『違う』? だったらなぜ、結婚を拒んでいたんだ」
「それは……お互いまだ幼かったからで……お互いに好きな人が現れるかも知れないから」
「? だからメリッサは父親である私を慕い、離れたくなかったんだろう?」
「違うっ、違いますっ!」

 言葉が伝わらない、あるいは理解しようとしない父親の思考に苛立たしさを感じ、怒りが一時的に震えを止めた。叫んだ勢いのままメリッサは立ち上がり、父親から離れようとしたが腕を掴まれてしまう。

「離してっ!」

 恐怖に腕を引いて逃れようとするも、年老いているとはいえ男の力に敵うはずもない。逆に引き戻され、それどころか腰に回した腕で抱き寄せられてしまう。

「なぜ逃げる? もしかして、背徳感から私への気持ちに蓋をしているのか? それとも世間の目を気にして? 大丈夫だよ、メリッサ。そんなものはどうとでもなる。愛してさえいれば――」

 父親に迫られるという生理的嫌悪から、メリッサは吐き気を催(もよお)した。
 思わず口元を押さえてえずくが、「メリッサ?」と優しい父親の声で呼ばれて我慢できなかった。
 ルーベンス侯爵の胸元へめがけて胃の中のものを吐き出し、苦しさに涙をこぼし、嗚咽を漏らしながら咳き込む。
 驚いたルーベンス侯爵は咄嗟にメリッサから体を離し、娘を心配するよりも先にスーツを見下ろして声を上げた。

「なんてことをするんだ!」

 娘が吐いた原因が自分であるとも疑わず、ルーベンス侯爵はメリッサの失態を叱る。
 だが当然メリッサに言い返す気力はなく、ただその場に跪きテーブルに置いた手で体を支えた。
 その指先に紙が触れるのと、執務室の外が騒がしいことに気づくのは同時だった。
 何事かとルーベンス侯爵が顔を上げると、執務室のドアが断りもなく開けられ、メリッサを送って帰ったはずのフェリクスが現れる。
 吐瀉物に服を汚されたルーベンス侯爵と、うずくまって涙を浮かべる青い顔をしたメリッサを見て、何が起こったのかを察したらしい。
 フェリクスは顔を険しくすると大股で歩み寄り、メリッサを抱き上げルーベンス侯爵へ鋭い視線を投げた。

「あなたの傍だとメリッサは心安らかに休めないようだ。モレナール邸で預からせてもらう。安心してくれ、ここよりは手厚い看護を約束する」

 そう言い置いてフェリクスは、メリッサを抱きかかえたまま執務室を出て行く。
 思いのほか力強いフェリクスの腕に抱きかかえられ、瞬く間に父親から遠ざかることができた安堵感に、メリッサはルーベンス邸を出るころには意識を失っていたのだった。
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