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【フェリクス編】

01.メリッサ、悪役令嬢ムーブをかます?

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「まずいわ……」

 メリッサは一人きりの自室で、珍しく室内を忙しなく歩きながら呟きを漏らした。
 つい先ほどフェリクスとオリフィエルが訪ねてきて、先月現れた聖女についてようやく話してくれたのだが、いまだ彼女は戸惑うばかりで現状を受け入れられていないらしい。
 ゲームとは違う流れに内心で驚きつつ、メリッサは詳細を尋ねた。
 聖女は名前を「アキノ」と名乗ったという。それが苗字なのか、下の名前なのかは分からないが、日本人っぽい名前だと思う。
 しかも色白の肌ではあるが自分たちとは色味が異なり、髪は黒く、瞳はこげ茶だというので、やはり聖女は日本人である可能性が高い。
 身長は低く華奢な体格で、幼く見えるのに年齢は二十歳だと言うから驚いた、とフェリクスもオリフィエルも口を揃えて言っていた。
 言葉は通じるらしく会話はできるが文字は読めず、オリフィエル側はまず文字を覚えてみてはと提案したが、神殿側は「そんなものは必要ない」と突っぱねているらしい。
 神に選ばれた聖女に「余計な労力なんて」という考え方なのかも知れない。
 そんな両者の軽い衝突もあり、おまけに聖女は戸惑うばかりで「自分がどうしたいか」という望みすら口にしない。
 結局、神殿側が侍女と護衛をつけて、こちらの生活に慣れてもらおうと、いまは彼女の思うままに過ごしてもらっているらしい。
 だが聖女が現れたということは精霊の――ひいては国の危機である。国側としては、彼女の“聖女としての役割”をなるべく早急に取り掛かれるようするべきでは、という不安がすでに出て来ている。

「カルスと言ったか、護衛だという男にそれとなく訊ねてみたが、『聖女様は安全に過ごされております。ご安心ください』と取り付く島もない。まったく頭の固いヤツだった」

 そう愚痴をこぼすオリフィエルは、不満を隠そうともしていなかった。

(これはまずいわ)

 普通なら協力体制をとり、聖女の行動を補助する役目を担う両者が、対立してしまっては物語が――というよりは国が分裂してしまう。
 しかし、なぜこうもゲームと違うのか。

(……わたしが悪役令嬢ではないから? だけど、序盤は関係ないはずよ。ヒロインがフェリクス様のルートに入れば関係してくるけど――ん?)

 序盤なので誰のルートにもまだ入っていないだろうが、聖女は精霊王を除き他三人の攻略キャラと接触している。
 そういった描写はなかったが、恐らくゲーム内でフェリクスは聖女のことを、“悪役令嬢メリッサ”に話して聞かせただろう。
 あるいは、メリッサの方から聞きたがったのかも知れない。
 そうして聖女のことを知ったメリッサは、毎週、祈りのために通う神殿にて偶然聖女を見かけることも――

「あっ!」

 ゲーム内で描かれなかった流れを脳内で補完していたとき、メリッサはあることに思い至り思わず声を漏らした。

(なんてこと……すっかり忘れていたわ。序盤で“わたし”、ヒロインに突っかかって行ったシーンがあったんだった……)

 聖女としてみんなからチヤホヤされながらも、異世界から来たせいで右も左も分からずドジばかり踏む彼女に、“悪役令嬢メリッサ”は辛辣な言葉を投げかけていた。

(なんて言ったんだっけ。確か……『のんきなものね』とか、『そんな悠長に庭園を散策している暇があるのかしら』とか、そんな感じだったかしら)

 まだ序盤なのでフェリクスルートにさえ入っていないのに、“悪役令嬢メリッサ”はなぜか彼女に攻撃的だった。
 そのことに多少違和感を覚えつつも、メリッサは当初の『聖女とは極力接触しない』という予定を変えるべきかどうか迷う。
 ゲーム通りに行動を起こすか、それとも無視するか――逡巡するメリッサの脳裏に、先ほど訪ねて来たフェリクスとの会話が思い起こされる。

『聖女様は戸惑っておられる様子だったけど、不思議なほど取り乱すようなことは無かったんだ。要望も不満も口にすることはなく、かと言って僕らの言うことを飲み込めているようにも感じない。どうしたらいいのか……』

(フェリクス様が困っていらっしゃる――それが、わたしのせいなのだとしたら――やるしかないわ!)

 聖女が動かなければ精霊は癒せず、瘴気は増え続け、国の危機にも成りかねない。あるいは、神殿と国が対立してしまう恐れもある。
 そうなれば、王太子オリフィエルの側近になったフェリクスが、本来しなくて良い苦労を背負うはめになる。

(たとえ婚約解消するとしても、今はまだ婚約者だもの)

 婚約者を助けるため――ゲームの通り物語を進めるため、メリッサは意を決して立ちあがった。





 神殿の回廊は祈りの間から出入り口に続くが、それを通り過ぎると中庭をぐるりと一周する造りになっている。
 通常は制限されているが、週に一度、昼間であれば貴族はその回廊を通ることができる。
 神殿の中庭には、神話に縁のある大きな木が中心にあり、その大木を囲むように石製のベンチが並んでいた。
 一見、質素な光景だがそれゆえに、その場にいる者を落ち着かせる神聖な雰囲気が感じられる。
 その回廊を歩きながら、メリッサは目的の人物を視界に収めて、一度おおきく深呼吸する。
 あらかじめフェリクスから確認した情報によれば、近ごろ聖女は昼食後に回廊を歩き、中庭で休憩をとることが日課になっているらしい。
 その情報の通りに、いま聖女らしき人物が、休憩していた中庭から再び回廊へ戻ろうとしているところだった。
 黒いストレートの髪を肩を過ぎたあたりまで伸ばし、肌の色は色白だが確かに自分たちとは若干異なる。遠目なので目の色は分からないが、遠目だからこそ日本人的な顔立ちに見えた。
 そして傍には侍女らしき女性と、護衛である聖騎士――カルスが付き従っていた。
 回廊に戻って来た聖女は、こちらへ向きを変えると歩いて来る。メリッサもゆっくりと進みながら、緊張に喉を鳴らす。
 あと三メートルという距離でメリッサが立ち止まれば、相手も何かを察したのか歩く速度が遅くなり、互いの声が届くだろう距離まで来て立ち止まった。メリッサがじっと自分を見ていることに気づいたのだろう。
 ここまで近くに来れば聖女の容姿はよくわかった。

(やはり、日本人に間違いないわね)

 ヒロインに相応しく好ましい顔立ちをしているが、彫りが深くなく小鼻で、一見して目を引く華やかさはないように感じる。
 だが、目鼻立ちが整っているために、清楚で可愛らしい雰囲気が庇護欲をそそる。身長も高くなく華奢なため余計にそう感じさせられる。まさに“ヒロイン”といった雰囲気の女性だ。
 メリッサはまず挨拶をするため、膝を折り頭を下げる。

「初めてお目にかかります、聖女様。わたくし、メリッサ・ルーベンスと申します」

 顔を上げて再び目を合わせようとしたが、彼女はやや動揺しているのか視線が定まらない。挨拶を返すどころか、「えっと、あの」と言ったきり何も言葉が出てこないようだった。

(突然、異世界に呼び出されて戸惑う気持ちは分かるけど、でも聖女として覚醒してもらわないと困るのよ)

 それは“国の危機”ということもあるが、婚約者のためでもあるし、“逆ハーレムルートに行って欲しいから”というメリッサ個人の望みのためでもある。

「断りもなく声をかける無礼を、どうぞお許しください。――先日、わたくしの婚約者であるフェリクス様から、聖女様は異なる世界から来た方だと聞きました。遠い異界から来られたとなれば、きっと分からないこと、戸惑うこと多々おありでしょう。ですが――」

 それまで同情を込めていた表情を、メリッサは真顔に戻す。

「聖女様はその戸惑うお気持ちを、言葉にしたことはございますか? ここはどこか、なぜ自分はここに居るのか、自分は何をしたらいいのか――いくつかはご質問なさったことでしょう。では、『元の世界に帰りたい』と仰ったことは?」
「っ――」

 メリッサの言葉に、初めて聖女が表情を大きく崩す。目を見開き、次いで苦しそうに顔を歪める。

「何も理解していないのに、受け入れよう、馴染もうとするから先へ進めないのでしょう」

 日本人は概ね、感情をはっきりと他人に伝えることが苦手だ。協調性を重んじ、同調圧力に慣れ、自分を抑制することが比較的うまい。
 だが、異世界に突然召喚されたこんな状況で、そんな性質を発揮したとしても思考が追いつかないだろう。

(それに“ここ”ではゲームのように選択肢は出てこない。なら、彼女の方から選択肢を見つけるよう動いてもらわなければ)

「聖女様はまず、我々にこういうべきです。『自分を元の世界に帰して』と」

 そこまで言って、メリッサは彼女を挑発するつもりで笑みを浮かべた。

「それから皆様と一緒に、将来のことを考えていくと良いですよ。もしかしたら聖女としての役目を終えたあとに、精霊界を統べる王があなたの望みを叶えてくださるかも知れません。そのためには王太子殿下やフェリクス様のご提案に、いま少し耳を傾けてくださると良いかと存じます」

 メリッサの言葉に聖女は、またも大きく目を見開き、そしてみるみる頬に赤みが差していくのが分かった。
 どうやら希望が見えたことで活力が戻って来たようだと、メリッサは自分の行動が上手くいったことを確信し、辞去の挨拶のため再び頭を下げた。

「では、聖女様の願いが一刻も早く叶うよう願っております」
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