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成年王族
②
しおりを挟むエアルは人の波に揉まれながら、バルコニーが見える位置に移動する。
「失敬、少し屈んでもらってもよろしいですかな?」
後ろから声をかけられたので振り返ると、そこには紳士服に身を包んだ初老の男性とその母親らしき高齢の女性が微笑んで立っていた。母親は腰が曲がっていて、杖と息子の細い腕に支えられながら立っているようだった。
新しい成年王族の誕生を、自分のことのように喜んでいるのだろう。この日を目に焼きつけたいと思っているのかもしれない。愛国心の強い国民性のおかげで、この国の王族の威厳は保たれているのだから。
民衆の前に出向くということで、エアルは麻の外套を羽織ることで翼を隠していた。だが、さすがに背の高さまでは変えられない。
「どうぞ。よかったら私の前に」
エアルは高齢親子に前を譲り、後ろに移動する。周囲に割れんばかりの歓声と拍手があがったのは、それからすぐのことだった。
歓声に沸き立つ民衆が、一斉に前を向く。エアルも同じ方向に目を向ければ、城のバルコニーに立ったローシュ王子が、民衆に向けてにこやかな笑顔を浮かべながら手を振っていた。
礼冠の儀で見たときの精悍な顔とは違う。親しみを込めた笑顔にドキッとする。国民の目に映る男の姿を目の当たりにし、寂しさと同時にホッとした気持ちがやってくる。
そうか。二年前のあの日に、ローシュ様は私の手から離れたのだ……と、そう思った。
この二年間、もやもやしていた気持ちが晴れていくようだった。あの日、自分の役目は確かに終わっていた。執着していたのは、自分の方だったのかもしれない。
民衆の前で成年王族となった感想や意気込みを語るローシュを見つめながら、エアルはようやく自分の気持ちに気付いた気がした。
「親の気持ち……か」
この二年もの間、ローシュに抱いていた気持ちの正体は親心だったのだろう。初めて抱く感情に戸惑い、ローシュのことばかり考えてしまっていたのも、ローシュを自身の子のように想っていたからなのかもしれない。
一時期は自分の中に生まれた感情を、ローシュが自分に向けるものと同じ種類のものかもしれないと疑ったこともある。でもそれを認めてしまえば、これまで根を這っていた自分の根幹が揺らぐことになるのではと危機感が芽生えた。
歯のように、抜けてしまえば二度と生えることはないだろう。ボロボロになって、今まで食べていた日常を味わうことができなくなる。だから認めたくなかった。認めることが怖かった。
でも今、ようやくわかった。謎が解けたことに安堵する。
ローシュの演説に耳を傾ける民衆の中で、エアルは外套のフードを目深に被った。
自分の気持ちがわかれば、この場に居続ける必要はない。エアルはその場から抜けるため、踵を返そうとする。
それまで静けさを保っていた民衆がドッと沸いたのは、そのときだ。
「ふざけんじゃねえよ!」
隣にいた男の口から吐き出される怒号に、エアルはビクッと現実に引き戻された。
王族に楯突く輩は、今も昔もいる。怒号を飛ばした男もその手の人間かと思って見たが、先ほどまでエアルの隣で「いやあ、ローシュ様はいずれ立派な国王になるよ」と一緒に来ていた友人に熱く語っていた男と同一人物だった。
様子がおかしくなったのは、エアルの隣にいた男だけではなかった。先ほどエアルが前方を譲った高齢親子の母親が、静かに肩を震わせ始めたのだ。
「うぅ」と聞こえてきたか細い声から、泣いているのだと判断できる。一方息子の方も、「おお、神よ」と落胆した声を発しながら天を仰いでいた。
周囲を見渡すと、どの民もさっきまでの歓声とはほど遠い怒号や落胆の声をあげている。
どうして急にこのような状況になっているのだろうか。ローシュの演説を半分も聞いていなかったのでわからない。エアルは急いで民衆から王子に目を移した。
悲愴感漂う民衆の反応とは異なり、成年したばかりの王子は揺るぎない口調で「皆には申し訳ないが、これが私の気持ちだ」と告げている最中だった。
「もう一度言う。私はこの国を想っている。そしてこの国を愛している一人の男でもありたいと考えている。どうか私の伴侶には、かつて私の教育係であったフリューゲルの民・エアルを指名させてもらいたい」
ローシュが言い放った瞬間、再び民衆からワアッとブーイングの嵐が起こる。
エアルは耳を疑った。
今あの男はなんて言った? 訳が分からない。ローシュの伴侶? その相手を指名したい? しかも相手として挙げたのはエアル――自分の名前を言わなかったか?
「もちろん私の一存ではなく、エアルの気持ちを最も思いやらねばならない。残念ながら、私はまだ一人の男として見られてはいないだろう。だが皆には応援してもらいたいのだ」
ローシュが口を開くたび、マグマが少しずつ湧き立つようにブーイングが大きくなる。ローシュと民衆の間に温度差が開いていく。
だがローシュは声の調子を一切変えず、真っ直ぐな目をして国民に訴えを続けた。
「異論がある者もいるだろう。だがエアルの心が私に向き、そして固まった暁にはぜひ皆が祝福してくれることを願っている」
ローシュの結婚相手はローシュが決められることじゃない。仮に決められたと しても、国民に向けて願い頼むことでもないはずだ。
国民を混乱させるだけのことをこの場で告げる意図が分からなかった。
エアルの存在は、ザウシュビーク国民なら誰もが知っている。エアルがフリューゲルの唯一の生き残りであることも、王族の教育係として囲われていることも知られている。
その姿を見たことはなくても、王族の慰み者であることも知られているのだろう。ブーイングが巻き起こる中、後ろにいた中年女性たちが「教育係のフリューゲルって、王族の玩具なんですって」とひそひそと話している声が聞こえてきた。
全身がカッと熱くなる。そこにエアルがいることを誰も知らないはずだが、周りにいる民衆の声が痛いほど肌に刺さる。蜂の巣にされている気分だった。
今すぐローシュの口を封じたかった。魔法を駆使すれば不可能ではないが、混乱の嵐が渦巻いているこの場で目立つことは避けたい。怒声や悲観の声で溢れかえる民衆の波を掻き分けて、エアルは急いで人々の群れを抜けた。
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