ベータの兄と運命を信じたくないアルファの弟

須宮りんこ

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3.自己犠牲

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 煌が退院し、家族の通夜葬式を済ませたあと、優鶴は大学を辞めた。保険が降りたので当面の生活には困らなかったが、喪失感で大学の勉強に身が入らなかったというのが一番の理由だ。
 中退したことを打ち明けたとき、煌は「ふざけんなよっ」と優鶴をなじった。正直に理由を説明すると煌が心配するかもしれないと思い、優鶴は「働いてみたくてさ」と笑って言った。
 現在の職場を紹介してもらったのは、大学を辞めて半年経った頃だ。その当時、優鶴は何かから逃げるようにガソリンスタンドや居酒屋のアルバイトに明け暮れていた。

 ある日のこと、四国に住む父方の大叔父が、出張のついでに線香をあげにきてくれた。もらった土産の菓子を仏壇の前に置いていると、大叔父は言った。
「今後、煌をどうするつもりでいるんだ?」
 突然訊かれ、優鶴は言葉に詰まった。もちろん大叔父も煌が平沢家の人間でないことを知っている。両親も妹もいなくなり、優鶴と煌を兄弟だと証明する人はいない。

「とりあえず大学を卒業するまでは面倒みようかと……」
 苦しまぎれに言うと、叔父は「アルファだったそうじゃないか」とため息をついた。
「もし煌がアルファ専門の大学に行きたいなんて言い出してみろ。金がかかるぞ」
 現実を突きつけられ、優鶴はうっ……となった。高校まではアルファもベータもオメガも同じ教育を受けるが、大学にはより能力向上や専門知識を養うためのアルファ専門の大学がある。有能な教授や研究施設が整っているため、学費は一般的な私立大学の約二、三倍ともいわれている。

 せっかくアルファとして生まれてきたのなら、煌にはその能力を活かしてほしい。学費はうんぬんとして、アルファ専門の大学の話を聞いて優鶴は純粋にそう思った。そのとき初めて、それまで感じていた喪失感を忘れることができた。『働きたい』とはっきり思ったのだった。
 働く意思を見せた優鶴に、大叔父は意外な顔をしつつ応援すると言ってくれた。東京の会社でいくつか紹介できるところがあるらしく、後日優鶴はその中の一つ『ソフテミック』というパソコン機器の製造メーカーの面接を受けた。こうして現在、優鶴はそこの事務として働いている。

 優鶴が前に進もうとする一方で、煌は家族が亡くなってからというもの、ほとんど外に出ようとはしなくなった。
 高校の担任教師から煌が最近学校に来ていないことを電話で知らされたあと、夕飯のときに優鶴は煌を問い詰めた。

「無理に行けとは言わないけどさ、なんで行ってるなんてバレる嘘つくんだよ」
「あんただって俺にどうせバレる嘘ついて大学辞めただろ」
 ずっと『兄ちゃん』や『兄貴』と呼ばれていたので、突然のあんた呼びに面食らった。
「お、俺のは嘘じゃないよ。本当に働きたいって思ったんだって」
 反論すると、煌は箸を置いて「それ、自分のためかよ?」と顎をしゃくった。
「自分のためっていうより、とりあえずおまえがどんな大学に行きたくなっても、払えるお金は用意しときたかったからな」
 煌は短いため息をつき、「ウッザ」と優鶴を睨みつけて自分の部屋にこもってしまった。煌が食べ残したおかずを見ていると、煌のためによかれと思ってやっている自分の行動のすべてが間違っているんじゃないだろうかと思えてくる。そう考えては気分が落ち込んだ。

 結局、煌はその後もまったく高校には行かなかった。担任教師と相談し、テレビ授業と添削課題でなんとか卒業はできたが、大学に関しては進学の意思を見せなかった。
 それでも、優鶴は煌を諦めたくなかった。アルファ専門の大学じゃなくてもいいから、将来の選択肢が増えるように進学してほしくて、優鶴はいろんな大学や専門学校の入学案内を取り寄せた。資料を見せるたび、煌は不満そうに整った眉を歪ませた。

 あるとき優鶴が会社から帰宅すると、リビングがぐちゃぐちゃに荒らされていた。椅子は倒れ、ソファの位置もおかしな場所にあった。カーテンも破かれ、皿も何枚か割れていた。泥棒が入ったのかと思ったが、あるものを見て優鶴はそれらが煌の仕業だとわかった。
 キッチンカウンターの上に重ねて置いてあったはずの大学の入学案内が、すべてビリビリに破かれて床に散らばっていたのだ。反対に、両親と妹の遺影が微笑む仏壇だけは、手をつけられた痕跡がまったくなかった。
 煌の内側に触れた気がして、優鶴は胸が締めつけられた。煌のペースを考えずに前へ進ませようとしたことに対し、罪悪感を覚えた。
 煌が二階から降りてきたのは、散り散りになった大学の入学案内を手でかき集めているときだ。リビングに入ってきた煌は、「謝らねえから」とボソッと言った。

「べつにいいよ」

 優鶴が怒ると思っていたのだろう。煌はイライラしたようにチッと舌打ちをした。
「その時代錯誤なアタマ、まじでどうにかなんねえの? 今どきアルファでも大学にいかない奴はいるし、親が死んでも働かない奴だってたくさんいる。あんたのその自己犠牲的な発想、見てて不快なんだよ」
 自己犠牲と言われ、優鶴は「そうかもな」と納得の声を洩らした。自分だって大学がすべてだとは思っていない。ただ、煌には生きる目的を見つけてほしいだけだった。

 そのまま切れ端をゴミ袋に捨てていると、自棄になった声が頭に降ってきた。
「自覚があるなら俺のことなんか放っておけよっ!」
 煌の言葉にムカッときて、優鶴は下唇を噛んだ。集めていたゴミ袋を煌に投げつけると、破かれた紙が煌を包むように舞った。
「だったあれもめちゃくちゃに壊せばいいだろうがっ!」
「は……?」優鶴が指をさした先を見て、煌がゴクッと唾を飲む。
 優鶴の指先が示したのは仏壇だった。写真立てに入れられた三人が兄弟に微笑んでいる。後ずさる煌の胸ぐらを掴み、優鶴は前後に揺すった。

「放っておいてほしいなら、俺を心底呆れさせろっ! おまえのことなんて見限りたくなるぐらい、俺におまえのことを憎いって思わせてみろよっ!」
 叫びながら、目の端に涙が溜まっていくのを感じた。どうしてこんなひどいことを言わなくちゃならないんだろうと悲しくなった。
「でも俺は、おまえがどんなに嫌なやつでも、呆れることをしても、憎いなんて思わない」
 煌の目が徐々に開かれていく。目を合わせて話をするのは事故以来初めてのことだった。
「俺はおまえのことが世界で一番大事なんだからな!」
 そう言って突き放すと、力の抜けた煌はペタンと床に尻餅をついた。そして立ち上がることを忘れたように、ゴシゴシと涙を拭く優鶴のことをじっと見上げていた。

 この日を境に、煌は優鶴のことを『あんた』と呼ばなくなった。反抗的な態度も影を潜め、優鶴が見ているとも知らず、こっそりと大学入学案内をめくっていることもあった。
 そんな煌が「通信制なら」と優鶴に言いだしたのは、事故から四年が経った去年の夏。二人で家族の眠る墓前を訪れた帰りの電車だった。乗客は優鶴と煌の二人しかおらず、窓から射しこんだ西日がまぶしかった。
「腹減ったなぁ」
 住宅街が並ぶ窓の外を見つめながら優鶴がつぶやくと、煌は突然口を開けた。
「俺、大学行く」
 脈絡のない返答に「急にどうした」と訊く。
「べつに。兄貴が行け行けってうるさいから」
 照れを隠すようにそっぽを向いた煌の耳は、好きな子を打ち明けたあとのように赤かった。
 煌の心境の変化が嬉しくて、優鶴は煌の腕をにやにやしながら何度も肘で小突いた。はじめは照れていた煌だが、やがて「しつこい」と迷惑そうに身体を引いた。
 どんなに迷惑がられても、優鶴は弟の頭を撫でたくてしょうがなかった。「このこの~っ」と癖のある黒髪を撫でまわすと、煌は怒ったように顔を赤くして反対側の座席に逃げていた。そんな煌が微笑ましかった。

 こうして今年の春、優鶴の気難しい弟は同級生たちから二年遅れて通信制の経済大学へ進学したのだった。

 二十一歳の煌は、現在大学一年生。相変わらず家に引きこもっているが、部屋の中から真面目に大学の授業を受けているようだ。大学から送られてくる成績表を見ると、やっぱりアルファ専門の大学にいったほうがよかったんじゃ……と本人ではない優鶴が後悔してしまうほどに申し分ない。




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