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9.別れ
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それから数日間、ガイはしばらくフォルカの部屋に留まった。官憲隊の目をかいくぐるためにもと、フォルカが提案したのだ。
フォルカが「しばらくこの部屋に留まった方がいいんじゃないか?」と言ったとき、ガイは目を丸くした。
「俺はおまえにとっちゃ、得体の知れない男だぞ?」
自分で自分に指をさして言うガイがおかしかった。
「得体は知れないけど、僕なりに君のことを知ってるつもりだ。それに、これでも君を信用している……いや、信じたいんだよ」
ガイが罪を犯して追われている身だとしたら、自分は犯罪に加担していることになるのだろう。だけど、そのときはそのときだ。ガイと一緒に罪を償おう。
こういった逞しさは、王宮を離れて別の国で暮らしたからこそ身についたのかもしれないな……とフォルカは微笑した。
フォルカの言葉に、ガイは感心したように言った。
「さすがフォルカだな」
王子と知ってもなお、自分を見てくれるガイが嬉しかった。
フォルカがハルヴァート学園でカタリーナ教授の手伝いをしている日中は、ガイも外に出ているようだった。
だが、ガイにどこへ行っているのかまでは訊かなかった。訊いても申し訳なさそうに口を閉ざしてしまうのは明らかだったからだ。それに信用しているとは言ったものの、もし訊いてしまったことで、ガイが帰ってきてくれなくなってしまったら? そう考えると気になっても訊けなかった。信用はしているけれど、なんだかんだ不安だった。
一方で帰路に就けば、ガイはいつも出迎えてくれた。フォルカの好きな店『オメガ・リーベ』のサンドウィッチを買ってきてくれたり、カタリーナにこき使われて疲れた話をベッドの上で聞いてくれたり……。
キスやセックスもたくさんした。初めてヒートではない状態でセックスをしたとき、恥ずかしさでフォルカはずっと枕で顔を隠していた。「顔が見たい」と枕を無理やり奪われ、本気で「返してくれっ」と訴えると、キスで唇を塞がれた。
ヒート状態でのセックスは、本能的な気持ちよさに溺れた。だが、理性のあるセックスや触れ合いは、それ以上の気持ちよさでフォルカの心と体を満たしてくれた。
気持ちが繋がった今、改めてヒートの状態でガイとセックスをしたらどうなってしまうんだろう。想像すると、期待と悦びで体が何度も疼きそうになった。
毎日が満たされていた。この幸せが永遠に続くのではないかと錯覚した。
それはガイがフォルカの部屋に身を寄せてから、一ヶ月ほど経った頃だった。
フォルカは帰りにパン屋へと寄り、前にガイが好きだと言っていたバゲットを買って帰ることにした。
アパートメントの下にたどり着いたのは夕方で、西日の強い時間帯だった。レンガ造りの自宅建物の下に、馬車が止まっていた。
嫌な予感がした。その馬車の造りやデザインに、見覚えがあったからだ。シンプルだが黒光りする馬車に、御者の着ている濃いグレーのオーバーコート……あれは忘れもしない。
八年前、祖国のルミナス王国からトレントリー共和国に移送される際に、フォルカが乗せられた馬車だ。
民間人に王族の馬車だと勘付かれないようにするためか、両国の一般的な貴族がよく利用する馬車と同じ造りになっているらしい。だが、実際はどちらも乗ったことのある人間にしか分からない程度に、貴族のそれよりも微妙に車高が高くなっている。
フォルカは見た瞬間、その馬車がルミナスファミリーのものだと気がついた。警戒心をあらわにする。そんなフォルカの前に、馬車の中から現れたのは、子どもの頃から世話になっている元家庭教師のフベルトだった。
現在はルミナス王宮の執事としてルミナスファミリーに仕えており、王宮とフォルカの橋渡し役も担っている。昔から頭の切れる男だが情に厚く、五十代も中盤になるというのに腹は出ていない。背筋もピンと伸びており、清潔感のある男だ。
いつも文でやり取りしているが、急にフォルカの住まいまでやって来るのは初めてだった。自分に何か用があるのだろうか。緊張で手に力が入る。腕に抱えたバゲットの入った紙袋が、グシャッと鳴る。
「お久しぶりです。坊ちゃま」
先に口を開いたのはフベルトだ。
「何の用だ? 僕に会いに来るなんて、珍しいじゃないか」
「今日は会いに参ったのではありません。貴方様をお迎えに参りました」
「は……? 急に何を言い出すんだ」
「詳しいことは後ほどに。今は何も訊かず、こちらにお乗りいただけますでしょうか」
急なことに頭が追い付かなかった。ただ、ここで拒む権利は自分にない。父である国王からの伝令であることは、聞かずとも分かっている。
「では少し待ってくれないか。部屋に一度戻りたいんだ」
この時間なら、ガイが帰ってきているはずだ。買ってきたバゲットを手渡して、しばらく戻れないことを伝えたかった。
アパートメントの方に足先を向けるフォルカに、フベルトは落ち着いた声で言った。
「貴方様の同居人でしたら、お部屋にはおりませんよ」
え、と動きを止めるフォルカに、男は「あしからず」と体を前に倒した。
「なぜおまえがガイを知っているっ?」
フォルカは咄嗟にフベルトの襟に片手で掴みかかった。フベルトは口を閉ざしたまま顔色一つ変えない。今は教える気がないようだ。
フォルカは男の襟を離すと、急いでアパートメントの階段を駆け上がった。部屋のドアを開ける。西日の射し込んだ部屋に、ガイの姿はなかった。
フォルカはガクッと膝を折った。腕の力が抜ける。紙袋がゴトッと床に落ち、中に入っていたバゲットやリンゴ、缶詰が散らばった。
ガイはついに官憲隊に捕まったのだろう。フォルカは自然とそう思った。きっとそこから自分の存在が明るみになり、ルミナス王宮にも伝わってしまった。
王族はそう簡単に逮捕することはできない。だがルミナス王国とトレントリー共和国の外交のためにも、犯罪者の手伝いをした王子をトレントリーの地に住まわせ続けるわけにはいかない……。いかにも父が考えそうなことだ。
ガイとの生活が、ずっと続かないことは頭のどこかで分かっていた。ただもう少しは続いてくれるんじゃないかと、漠然と思っていたのも事実だった。
ガイは自分のことを『強い』と言った。強いところに惚れたのだと。
視界が曇っていく。胸が締め付けられるように苦しい。もう二度と会えないなんて、信じたくない。さよならも言えずに別れるなんて、耐えられる気がしなかった。
床に崩れ折れたまま、フォルカは泣いた。手の甲や指で拭っても拭っても、涙が止まらなかった。
「ガイ……っ」
焦がれた相手の名前を呼んだだけで、涙がさらに目から溢れる。そんな自分を見ても、ガイは「強い」と言ってくれるだろうか。
二人の声で満たされた部屋に、フォルカのむせび泣く声が響いた。
フォルカが「しばらくこの部屋に留まった方がいいんじゃないか?」と言ったとき、ガイは目を丸くした。
「俺はおまえにとっちゃ、得体の知れない男だぞ?」
自分で自分に指をさして言うガイがおかしかった。
「得体は知れないけど、僕なりに君のことを知ってるつもりだ。それに、これでも君を信用している……いや、信じたいんだよ」
ガイが罪を犯して追われている身だとしたら、自分は犯罪に加担していることになるのだろう。だけど、そのときはそのときだ。ガイと一緒に罪を償おう。
こういった逞しさは、王宮を離れて別の国で暮らしたからこそ身についたのかもしれないな……とフォルカは微笑した。
フォルカの言葉に、ガイは感心したように言った。
「さすがフォルカだな」
王子と知ってもなお、自分を見てくれるガイが嬉しかった。
フォルカがハルヴァート学園でカタリーナ教授の手伝いをしている日中は、ガイも外に出ているようだった。
だが、ガイにどこへ行っているのかまでは訊かなかった。訊いても申し訳なさそうに口を閉ざしてしまうのは明らかだったからだ。それに信用しているとは言ったものの、もし訊いてしまったことで、ガイが帰ってきてくれなくなってしまったら? そう考えると気になっても訊けなかった。信用はしているけれど、なんだかんだ不安だった。
一方で帰路に就けば、ガイはいつも出迎えてくれた。フォルカの好きな店『オメガ・リーベ』のサンドウィッチを買ってきてくれたり、カタリーナにこき使われて疲れた話をベッドの上で聞いてくれたり……。
キスやセックスもたくさんした。初めてヒートではない状態でセックスをしたとき、恥ずかしさでフォルカはずっと枕で顔を隠していた。「顔が見たい」と枕を無理やり奪われ、本気で「返してくれっ」と訴えると、キスで唇を塞がれた。
ヒート状態でのセックスは、本能的な気持ちよさに溺れた。だが、理性のあるセックスや触れ合いは、それ以上の気持ちよさでフォルカの心と体を満たしてくれた。
気持ちが繋がった今、改めてヒートの状態でガイとセックスをしたらどうなってしまうんだろう。想像すると、期待と悦びで体が何度も疼きそうになった。
毎日が満たされていた。この幸せが永遠に続くのではないかと錯覚した。
それはガイがフォルカの部屋に身を寄せてから、一ヶ月ほど経った頃だった。
フォルカは帰りにパン屋へと寄り、前にガイが好きだと言っていたバゲットを買って帰ることにした。
アパートメントの下にたどり着いたのは夕方で、西日の強い時間帯だった。レンガ造りの自宅建物の下に、馬車が止まっていた。
嫌な予感がした。その馬車の造りやデザインに、見覚えがあったからだ。シンプルだが黒光りする馬車に、御者の着ている濃いグレーのオーバーコート……あれは忘れもしない。
八年前、祖国のルミナス王国からトレントリー共和国に移送される際に、フォルカが乗せられた馬車だ。
民間人に王族の馬車だと勘付かれないようにするためか、両国の一般的な貴族がよく利用する馬車と同じ造りになっているらしい。だが、実際はどちらも乗ったことのある人間にしか分からない程度に、貴族のそれよりも微妙に車高が高くなっている。
フォルカは見た瞬間、その馬車がルミナスファミリーのものだと気がついた。警戒心をあらわにする。そんなフォルカの前に、馬車の中から現れたのは、子どもの頃から世話になっている元家庭教師のフベルトだった。
現在はルミナス王宮の執事としてルミナスファミリーに仕えており、王宮とフォルカの橋渡し役も担っている。昔から頭の切れる男だが情に厚く、五十代も中盤になるというのに腹は出ていない。背筋もピンと伸びており、清潔感のある男だ。
いつも文でやり取りしているが、急にフォルカの住まいまでやって来るのは初めてだった。自分に何か用があるのだろうか。緊張で手に力が入る。腕に抱えたバゲットの入った紙袋が、グシャッと鳴る。
「お久しぶりです。坊ちゃま」
先に口を開いたのはフベルトだ。
「何の用だ? 僕に会いに来るなんて、珍しいじゃないか」
「今日は会いに参ったのではありません。貴方様をお迎えに参りました」
「は……? 急に何を言い出すんだ」
「詳しいことは後ほどに。今は何も訊かず、こちらにお乗りいただけますでしょうか」
急なことに頭が追い付かなかった。ただ、ここで拒む権利は自分にない。父である国王からの伝令であることは、聞かずとも分かっている。
「では少し待ってくれないか。部屋に一度戻りたいんだ」
この時間なら、ガイが帰ってきているはずだ。買ってきたバゲットを手渡して、しばらく戻れないことを伝えたかった。
アパートメントの方に足先を向けるフォルカに、フベルトは落ち着いた声で言った。
「貴方様の同居人でしたら、お部屋にはおりませんよ」
え、と動きを止めるフォルカに、男は「あしからず」と体を前に倒した。
「なぜおまえがガイを知っているっ?」
フォルカは咄嗟にフベルトの襟に片手で掴みかかった。フベルトは口を閉ざしたまま顔色一つ変えない。今は教える気がないようだ。
フォルカは男の襟を離すと、急いでアパートメントの階段を駆け上がった。部屋のドアを開ける。西日の射し込んだ部屋に、ガイの姿はなかった。
フォルカはガクッと膝を折った。腕の力が抜ける。紙袋がゴトッと床に落ち、中に入っていたバゲットやリンゴ、缶詰が散らばった。
ガイはついに官憲隊に捕まったのだろう。フォルカは自然とそう思った。きっとそこから自分の存在が明るみになり、ルミナス王宮にも伝わってしまった。
王族はそう簡単に逮捕することはできない。だがルミナス王国とトレントリー共和国の外交のためにも、犯罪者の手伝いをした王子をトレントリーの地に住まわせ続けるわけにはいかない……。いかにも父が考えそうなことだ。
ガイとの生活が、ずっと続かないことは頭のどこかで分かっていた。ただもう少しは続いてくれるんじゃないかと、漠然と思っていたのも事実だった。
ガイは自分のことを『強い』と言った。強いところに惚れたのだと。
視界が曇っていく。胸が締め付けられるように苦しい。もう二度と会えないなんて、信じたくない。さよならも言えずに別れるなんて、耐えられる気がしなかった。
床に崩れ折れたまま、フォルカは泣いた。手の甲や指で拭っても拭っても、涙が止まらなかった。
「ガイ……っ」
焦がれた相手の名前を呼んだだけで、涙がさらに目から溢れる。そんな自分を見ても、ガイは「強い」と言ってくれるだろうか。
二人の声で満たされた部屋に、フォルカのむせび泣く声が響いた。
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