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8.告白

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 服を脱がしてみて分かったが、ガイの傷は相当深いものだった。腕や背中の切り傷も酷かったが、特に撃たれた脚と腹に突き刺されたナイフが致命傷になっているようだ。内蔵まで傷つけているのか、包帯でいくらきつく巻いても出血がなかなか止まらなかった。医者でもない自分が今の状態のガイを救うためには、一つしかない。

 目を閉じたまま深呼吸を繰り返し、意識を体の外側に集中させた。体の芯が冷えていくに従って、体の表面がじんわりと熱くなっていった。
 人間相手にオメガの治癒力を使ったことはない。だが、これしか方法がないのだ。
「絶対、助けるから」
 意識のないガイに言葉を落とし、フォルカは強い光を発する自身の手を、ガイの血で赤く滲んだ包帯の上にかざした。特に傷の深い腹の部分を重点的に、背中や腕、顔にできた傷の上に手から放つ光を滑らせていく。
 だが、治すべき傷が広範囲にあるせいで、こちらの気力と体力も消耗された。腹と脚の傷は少し小さくなったものの、まだ血が止まるまでには至っていない。
 このままこちらの体力と気力が底を尽きれば、フェロモンをエネルギーに変換することも叶わなくなる。焦ってエネルギーを増大させてしまえば、ガイの傷口をより広げてしまうことに繋がってしまう……。
 思案の末、フォルカは自身の服を脱いだ。床に自身のシャツがするりと落ちる。ズボンや下着も脱ぎ、一糸まとわぬ姿になってから、フォルカは膝からベッドに乗った。傷ついたガイに体重をかけないよう、腕や膝で自身の重さを支えつつ跨る。
 手だけに集めていたエネルギーを全身に分散させると、手から放たれていた光が全身を包み込んだ。手に集中させていたときより弱い光になったが、これならガイの全身についた傷をいっぺんに癒すことができるはずだ。時間がかかったとしても、こちらの方が効率もいいだろう。
 フォルカは男の鎖骨あたりに頭を置いた。心臓の近い場所だ。微弱ながらもトクン、トクン……と男の鼓動が聞こえ、嬉しくなった。
 それからフォルカは全身を使ってガイの肌をなぞった。特に酷かった腹には手だけではなく、自身の腹や腰を優しく押し当てた。腱が切れかかった脚には、こちらの脚をやんわりと絡ませた。
 殴られたのか口の横が切れて血が滲んでいた。指先でちょんと触ると「う……」と眉が痛そうに歪んだ。寝込みを襲うようで少しためらわれたが、フォルカはその場所に唇をそっと押し当てた。
 ガイの表情が険しいものから落ち着き、傷とともに眉間の皺も消える。それからは、小さな傷を見つけるたび、フォルカは該当の箇所を唇で包んだ。
 顎や首筋、腕や逞しい胸の筋肉の上など……膝や股関節のつけ根に唇を這わせ、ガイの傷を癒したのだった。
 少しずつとはいえ、こちらの体力も無限ではない。フォルカが限界を迎えたのは、朝方のこと。少なくても腹と脚の出血が止まったのを見届けてから、
「……お願いだから、死なないで」
まだ眠るガイにそう告げ、意識を手放した。



 目が覚めると、重力が数倍にものしかかっているみたいに全身が重たかった。まるで何日ものあいだ眠り続けていたかのようだ。
 体の起こし方を忘れてしまったみたいに、指の一本も動かすことができなかった。自分はどれだけの時間眠っていたのだろう。もともと食は細い方だが、ものすごく腹が減っていた。声がしたのは、次の瞬間だ。
「安心しろ。まだ今日だ」
 え、と声のした方を見るため首を横に回す。すると真隣に、包帯をあちこちに巻いたガイが横たわっていた。
「なんっ――」
 びっくりして身を引く。驚いたことで体が動かし方を思い出したのはよかったが、反動で壁に頭をぶつけてしまった。「痛っ……」と頭の後ろを手で抑えると、ガイはぶはっと口角を上げて笑った。
「俺の家にパンツ忘れるし、おまえってしっかりしてるようで案外マヌケだよな。ま、そういうところが……」
 言いかけて止めた男に、「そういうところが?」と続きを催促する。男は口元を手で隠しつつ「いや、今の俺が言える立場じゃねえか」と表情を柔らかくする。上半身を起こし、脚をベッドから降ろす。
 怪我はどうなっただろう。気になって見ると、傷跡はまだ残るものの、ガイの脚は最後に見たときよりも傷が薄まっていた。
 ホッとして向けられた背中に視線を移す。自分で包帯を替えたのだろうか。新しい包帯が、右側の肩から腹部と背中を包むように巻かれていた。もちろん血は包帯に滲んでいない。真っ白だ。
 治った箇所を目で追っているうちに、黙ったままのフォルカを不思議に思ったらしい。ガイが「間抜けって言ったのに、今日はいつもみたいに突っかかってこないんだな」と振り返ろうとした。
 自分は今、ひどい顔をしているだろう。見られたくないのと、安心感がどっと胸に溢れる。ガイが振り返りきる前に、フォルカは男の背中に飛び込んだ。
「もう、痛くないか……?」
「ああ。誰かさんの力のおかげで、痛みがどんな感覚だったかも忘れたよ」
「よかった……っ」
 男の背中に頬を擦りつける。心臓の音が強く聞こえる。心底安堵した。
 素直なフォルカが意外だったのか、「面食らうなあ」と苦笑いする。
「まったく、おまえに助けられることになるとは思わなかった。情けない話だが、礼を言うぜ。フォルカさんよ」
「さん付けはやめてくれないか」
「いやでも……」
 王子だし、とガイは気まずそうに続ける。
「そんなことは君が気にすることじゃない」
「無茶言うな」
 振り返ったガイに頭を撫でられる。細い髪をガイの指に絡めとられ、胸がチクッと痛む。ああ、やっぱり自分はこの男のことを――。
 だからこそ訊かなければいけないと思った。
「なあ、ガイ……君は一体何者なんだ?」
 自分の頭を撫でていたガイの手がピタリと止まる。
「僕がどうやって君の傷を治したか訊いてこないということは、知っているんだろう? 僕の――オメガの能力を」
「……」
「君はアルファなのにオメガの知識が豊富だ。ただのごろつきであるはずがないと思ってる」
 ガイはフォルカの頭から手をどける。
「フォルカの言う通り、少なくてもただのごろつきじゃねえな」
 諦めたように認めた。だが、それ以上は言うことができないようだ。
「悪いが、俺の口から言えるのはここまでだ。おまえが気になるのも分かるけど」
「……そうか」
 そう簡単に教えてくれるとは思っていなかった。だが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。ガイがもし極悪非道の人間で官憲隊に追われていたとしても、自分の目の前に映る男はどうだろう。悪い人間どころか、フォルカはますますガイという男に気持ちが傾いてしまう。冷静じゃないと言われれば、それまでかもしれないけれど。

 さすがに何も話せない自身に罪悪感を抱いたのか、ガイはバツが悪そうに訊いてきた。
「ずるいか?」
 内心は今でもガイが何者か教えてほしいと思っている。なぜって、好きだからだ。好きな相手のことを知りたいと思う気持ちは否定すべきじゃないだろう。
 だからこそ、その気持ちが相手を追い詰めてしまうのなら、フォルカは全力で避けたいと思った。相手の心を守りたかった。
「僕の知ってるガイ・クロードは、破天荒で乱暴で喧嘩っ早くて……服も部屋も言葉遣いも汚い」
「おいおい、いきなり悪口かよ」
「でも……どうしようもないくらいに優しいんだ。それに優しさを押し付けたりしない」
 フォルカはシーツの皺に目を落とす。
「僕もその優しさに応えたいと思うよ。だから、言いたくないなら無理に言わなくていい」
 だってそうだろう。ガイはガイだ。それ以上でも、それ以下でもない。昨晩、ガイを官憲隊から匿った時点で、自分の心は決まっている。
「君が何者でも……僕は構わない」
 昨夜、口付けて治した男の口の横を親指で触る。痛がりはしなかったが、男の眉が困ったように動いた。
「俺の耳がおかしくなってるなら、今すぐ撤回したほうがいいぜ。俺にはおまえの言葉が、愛の言葉に聞こえる」
 ガイはそう言うと、フォルカの手を取った。指や手のひらにそっと口付ける。
「愛の言葉だとしたら、君はどう思う……?」
 胸がドキドキした。同じ気持ちだったら嬉しい。でも、もしそうじゃなかったとしても、ガイを好きになったことを後悔したくなかった。いや、後悔なんてきっとしないだろう。
ガイは「ああもうっ」とフォルカを自分の胸に引き寄せた。
「俺の心臓の音、聞こえるか?」
 耳をガイの胸に押し当てられる。ドッドッドッ……と速いペースで刻まれる心臓の音が近い。「強くて速い」と応えれば、ガイは少し早口で言った。

「これが答えだ――なんて曖昧な言葉で言い逃げするつもりはねえ。俺もおまえが、」
 ガイはふう、と自身を落ち着かせるように一息つくと、
「フォルカが好きだ」
 とはっきりと言葉にした。
「気が強いところも、困ってる人間がいたらすぐに首を突っ込んで助けようとするところも、少しマヌケなところも……ずっと目が離せなかった」
 ガイの告白に一瞬ん?となる。ずっと? 目が離せなかった?
 ガイと会ったのはまだ片手で数えられるくらいだ。その間も、ガイは自分を見ていたということだろうか。いつ、どこで……?
 だが、深く考える前に疑問は消えた。抱きしめてくるガイの手が、強くなったからだ。
「おまえが俺の『優しさ』に惚れたっていうなら、俺は断言できる。俺はおまえの『強さ』に惚れたんだ」
 まさかそこまで直球な言葉をもらえるとは思わなかった。顔が熱い。ガイはフォルカを抱きしめたまま、一人呟いた。
「俺がこんな告白するとか……親父が知ったらとんだ笑いモンだぜ」
 親父……ガイの父親のことだろうか? 自分の話をするガイが珍しくて、尋ねたくなる。だが、家族のことや立場について言えない事情を抱えているのは自分も同じだ。
 もしかしたら、自分たちは似ているのかもしれない。そう思ったら、ますます男のことが愛おしくなった。遠い存在だけど、近くに感じた。

「好きだよ、ガイ」
 もう一度言うと、ガイは「俺の方が好きだと思うぜ」とフォルカの顎を持ち上げた。唇にキスをしてきたかと思うと、頬にもチュッと口づけた。甘いくすぐったさに、フォルカはほほ笑んだ。
 思いの通じ合ったキスが気持ちいいなんて知らない。触れ合う肌の温かさがこんなにも心地いいだなんて、知らない。
 フォルカは男の背中に腕を回す。ガイの心臓の音に耳を澄ませる。
 聞こえてくるガイの心臓の音は、まだ速い。

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