閉鎖病棟の怪

明智 颯茄

文字の大きさ
上 下
18 / 31

怨霊の魔窟/4

しおりを挟む
 そっとうかがうように、片目だけうっすらと開けてみた。するとそこには、金のボールみたいなものが手のひらに乗っていた。

「おっ、丸いものができました!」

 矢ではないが、飛ばせるものを生み出した。颯茄はにこやかな笑みになり、さっきからずっと待ちぼうけを食らっていた敵に、大きく両手を振って合図をした。

「敵のみなさ~ん! お待たせしました。準備オッケーです!」

 やったことはないが、見よう見まねで、弦に金の透明なボールを引っ掛けようとすると、

「よし、これで弓を引っ張って――」

 武術の達人から、待ったの声がかかった。

「手だけでやるな」
「え……?」

 颯茄はぽかんとした顔をして、武器を思わず落としそうになった。持っているのは弓矢なのである。そう言われても困るのである。

「それでは、狙ったところには飛ばん」

 筋肉という外面にとらわれてはいけないのだ。気の流れという中身が大切なのだ。

 夕霧からすれば、颯茄の今の動きは空っぽなのだ。まぐれで当たったとしても、はずすことが許されない戦場向きでは決してない。

「弓矢は手でやるものですよね?」

 戦い慣れしていない颯茄とっては、不可解以外の何物でもなかった。

 手、腕の動きの基本はどんなことでも同じ。一点集中、敵を置き去りにして、夕霧の指導が始まる。

「手は矢を押さえるだけだ。引くのは肩甲骨を使ってだ」
「け? けんこうこつ? どこの骨?」

 自分の体のことなのに知らない。よくあることだ。胸椎の何番目から何番目の間にあのかもすぐには答えが出ない。

 二番目から八番目だと、反射的に脳裏に浮かんでいる夕霧。だが、そんなことは一般の人は望んでいないし、わかりなどしない。だから、こう言った。

「肩より下の背中の骨だ」
「背中……」

 前へ飛ばすのに後ろ――

 颯茄は戸惑い気味に振り返った。だが、夕霧の理論は正しいのだ。

「手の筋肉は小さい。それで大きな力を使おうとすると、手首などを痛める原因になる」

 人体模型がパッと浮かび、手の比較ではないほど、大きな筋肉が肩甲骨まわりにあるのだった。

 颯茄は大きく前進する学びを得た。彼女は夕霧に向かって礼儀正しく頭を下げる。

「教えてくださって、ありがとうございます」

 そうして、前のめりがちな性格が災いする。言葉だけを受け取り、肩甲骨を使う具体的な行動は起こさず、弓矢を持ち直そうとした。

「よし! 背中で矢を引く――」

 胸の意識は当然ながら、胸にしかない。それは体の前面だ。背後に意識を向けるのは一苦労なのである。

 気の流れ、
 は、
 気にする、

 だ。すなわち、そこを感じることができなければ、使えないのだ。颯茄は気の流れを作るスイッチが何なのかわかないまま、悪戦苦闘する。

 一方、夕霧の無感情、無動のはしばみ色の瞳は、別世界を見ているような目をしていた。

「違う。それはまだ体の前面だ。もっと後ろだ」
「もっと後ろ?」

 永遠、肩のラインを超えられない颯茄。最初から親切丁寧に指導していては学びになどならない。夕霧の師匠はいつもそうだ。腰の重い弟子がやっと動いた。

「教える」
「あぁ、ありがとうございます」

 颯茄が笑顔になったのもつかの間――

 夕霧のしなやかでありながら男らしい左腕が肩を素通りして、彼女の胸の上を横切り、右肩を前から押さえた。深緑の短髪はかがみ込み、颯茄の耳を妖艶に刺激する。

「んんっっ!?!?」

 教えてもらっている。だが、それよりも何よりも、乙女事件発生である。驚いた顔をしている――感情が強くなった颯茄の耳元で、

「胸の意識がさっきより強くなった。もっと後ろだ」

 そんな官能的な低い声で注意されても困るのである。颯茄は顔を赤くしそうだったが、

「あぁ、はい……」

 恥ずかしがっている場合ではない。はっきりと突っ込まないといけない。

「っていうか! 何で後ろから抱きしめてるんですか?!」

 完全にバックハグである―― 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻が心配で成仏できません

麻木香豆
現代文学
40代半ばで不慮の死を遂げた高校教師の大島。 美人の妻の三葉や愛猫のスケキヨを残したことややり残したことが多くて一周忌を迎えたとある日、冗談でスケキヨに乗り移らたらいいなぁと思っていたら乗り移れちゃった?! さらに調子に乗った大島はあちこちと珍道中。しかし受け入れなくてはいけない事実がたくさん……。 周りの人たちを巻き込んだおっさんの大騒動をお楽しみください!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

処理中です...