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パパがお世話になりました
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季節はまためぐり、新しい春がやって来た。宇宙が統治されるたび、飛んでゆく飛行船のルートは増えて、遠くから首都へと引っ越してくる人々が後を立たず、ここ姫ノ館の全ての学部で生徒数が急上昇中。
特に、初等部の成長は凄まじく、五年もまだ経たないのに、小学校一年生だけでも十数兆となっていた。
去年も一昨年も一年生だった子供たちに、また新学期が始まり、神界レベルで知恵と心は大きく育ってゆく。
教室の後ろには様々な親たちが並び、大きな龍は高い天井に登り体を巻き、顔だけ下ろして我が子を見ていると、子供の龍が振り返って嬉しそうに微笑んだ。
人手が足りている世界。お金がなくても生きていける世界。両親そろって子供の様子を見ている夫婦たちばかりだった。
パパ友ふたり――明引呼と貴増参は、六百八十年近くは間違いなく一緒という腐れ縁。今日も肩を並べて、子供たちも隣の席という仲だった。
そこへ、はつらつとしているが鼻にかかった男の声が割って入ってきた。
「おう! 貴じゃないか!」
呼ばれたほうへ、火炎不動明王という強そうな名前を持つ優男は振り返って、晴れ渡る草原でもスキップするように注意した。
「僕の名前は貴増参です。省略しないで呼んでくださいね♪」
男はげんなりして、ひまわり色の髪をかき上げ、若草色の瞳を曇らせた。
「お前相変わらずだな。親友だから、わざと略して呼んでるんだろう?」
「誰だ?」
明引呼は間に立っている貴増参の腕をトントンと手の甲で叩いた。優男は意外というような顔で、
「おや? お父さんは知ってましたが、息子は知らなかったみたいです」
男は素早く明引呼に近寄って、右手をサッと差し出した。腕につけていたミサンガが少しだけ揺れる。
「初めまして、広家 独健って言います」
邪神界が崩壊してゆくのをそばで見ていた男の中の一人。そのあと城で何度か顔を合わせた男が変えたといつか言っていた、苗字だった。
「広家って、毘沙門天――っつうか広域天のとこだろ? 息子ってか?」
純粋な若草色の瞳で、鋭いアッシュグレーのそれをまっすぐと見つめ、さわやかに微笑んだ。
「はい。もう二千年ちょっとになりますが……」
年齢が二千年代のパパがちょうど三人そろった。
「オレは孔雀大明王だ」
話には聞いたことがあるが、実際会うのは初めてで、独健は思っていた通りの男だと思い、納得の吐息をもらした。想像していたより、若干目がキラキラと輝いていて、美形だったが。
「あぁ、その節は父がお世話になりました」
護法童子つながりで、短い間だったが、共に戦った仲間。どこかへ行けるわけでもなく、陛下が力をつけてゆく過程で一緒に集った戦友。話したことも当然あるわけで、明引呼は口の端をふっと歪ませて、
「おう。あれこれ愚痴が多かったぜ」
「はぁ~」
独健は握っていた手を力なくはずして、ガックリと肩を落とした。大変な戦いの最中、父が愚痴を他の人に聞かせて、迷惑をかけていたのかと思うと、独健は何と詫びていいのかわからなかった。
フェントをかけて、パンチしてこない正直な独健に、明引呼は軽いジャブを放った。
「半分ジョークだ」
カマをかけた明引呼は珍しく少しだけ笑った。あの男は暑苦しいではないが、熱い性格で、憤慨している姿は何度か見たことがあった。どうやら、昔からそうだったらしい。
「愚痴も言いたくなんだろ? 十年間も小せぇ神社に閉じ込められて、出られなかったんじゃよ。オレだって言うぜ?」
しきりと言っていた。左遷どころではなく、監禁だ、不当だと。あの熱い男は何度も激怒していた。独健はひまわり色の髪を困ったように、くしゃくしゃとかき上げる。
「父は昔から、正義感に強い性格でしたから……」
明引呼の声が黄昏気味にしゃがれた。
「違ぇだろ? 人助け――普通のことを普通にしたら、前の統治者が怒って、監禁したんだろ。親父さんに非はねぇだろ」
熱い男は黙って見ていられなかった。どうなるかわかっていても、彼は手を差し伸べたのだ。間違っていることを止めただけ。誰よりも勇気ある行動を取ったのだ。
ただ少々文句が多かっただけの話だ、今となっては。もう前の統治ではなく、邪神界もなくなり、過去となったのだから。
前統治者は地獄へと落ち、罪をきちんと償って、陛下の元で今は謹んで生きている。それをどうこういう権利は誰にもない。
神様たちの実験だったのなら、なおさら誰の責任とかではないのだ。というか、発案者の神々でさえ、地獄に入って償ったのだ。ここまで来ると、誰も文句の言いようがなかった。
平和になった世界の首都で、貴増参のカーキ色のくせ毛が、窓から入ってきた春風に優しく揺れた。
「独健がここにいるってことは、子供ができちゃったってことですか?」
整然と並ぶ椅子と机の中から、生徒が一人が振り返って、独健に向かって手を振った。親も同じことをしながら、逆らうことのできない者からの嫉妬に怯えた日々を語った。
「そうなんだ。結婚はしてたけど、父への圧力が結構昔からあったんだ。子供が生まれたらどうなるか心配で作らなかったんだが、陛下に代わって平和になった。そうしたら、すぐに生まれた」
陛下はいつも自分の背中を人々に見せて、前を向いて生きている。結婚もそう。子供もそう。レディーファーストもそう。他種族との交わりも率先している。幸せの連鎖が首都を中心にして、遠い宇宙にまで波紋を広げていた。
まだ手を振っている子供を、アッシュグレーの瞳に映しながら、明引呼は問いかけた。
「ガキの名前何つうんだ?」
独健は顔を戻して、聴き慣れない響きを言った。あえて表すならこうとしか言いようがなかった。
「愛香だ」
共通語はあるが、他宇宙の言語が入り乱れ、正確な発音で表せなかったり、翻訳する言葉がなかったり。それでも、言語研究者はあっという間に解読して、追記があれば政府からのお知らせとして、国民には伝わる配慮は十分されている。
貴増参は独健に向かってにっこり微笑んだ。
「流行っちゃてる名前です」
「そうか?」
ひまわり色の短髪が照れたようにかき上げられた。
「姫か? 童子か?」
明引呼が聞いた。目の前にいるのだが、名前の響きからして、女の子かもしれない。それでも、可愛い名前がついている男の子もたくさんいる。ピンクを好きだから、女の子とは限らない。他の種族もいて、趣味は多種多様。
唯一違いといえば、スカートぐらいで、椅子に座っている今ではわからなかった。
「童子――男の子だ」
陛下の家はハーレムだが、女性が男性の付属的な役割では決してない。女王陛下も政治に関与して、それぞれ活動をし独立した存在となっている。
だからこそ、国民には男性と女性を区別するという価値観がないのだ。それは最近急成長した風習。貴増参は風で乱れたくせ毛をよけながら、にっこり微笑む。
「やはり流行っちゃってる名です」
「そういうこと言ってるてめぇだって、ガキの名前横文字だろ?」
明引呼は太いシルバーリングをした手で、隣に立つ優男の腕をトントンと叩いた。国境はこの世界にはない。古い風習も新しいものとして取り入れられ、名前は漢字表記が鉄則になっていた。
貴増参は咳払いをして、居住まいを正した。
「コホンっ! 護法童子だったふたりはいいですね?」
小さな体で悪と直接戦った彼らは、ヒーローとして語り継がれていた。独健は少しだけ微笑む。
「今や誰でも知ってる。知らないやつがいないくらいだ。大ヒット映画にもなったからな。悪を倒した八人組のふたりだって。学校でも有名人だ」
彼らを学校では知らない生徒が誰もいないほど人気だった。生きてきた年月も最近生まれた子供よりも長く、知恵を持っている分、困っている他の子を助けたりできる。だからこそ、人気に拍車がかかるのだ。
そうして、貴増参は両手を腰の後ろで組んで、長々と子供の名前を言い始めた。
「それでは、菩華、沙雨芽、樹愉隆――」
「待ちやがれ。てめぇ全員答える気じゃねぇだろうな?」
明引呼が手の甲でトントンと叩いた。陽気に、ここにいない我が子の名前を生まれた順で応え始めた男を。
「えぇ、答えちゃいます」
「日が暮れっちまうだろ」
「そちらは誇張表現です」
男三人で横一列に並んでいて、左側ふたりだけで会話をしているところへ、一番右に立っていた独健が割って入った。
「待った待った! 貴、子供何人生まれたんだ?」
「八人です。僕もがんばっちゃいました」
肉体がないのに、何を言っているのかと思って、明引呼がカウンターパンチさながらに突っ込んだ。
「てめぇががんばったんじゃなくて、神さんががんばったんだろ?」
「えぇ。子供は天からの授かりものですからね」
貴増参はリズムをつけて首を傾げた。専門の研究者がいるが、未だに子供が生まれてくるメカニズムはわかっていないらしい。条件のひとつに真実の愛が必要ということ以外、大人でも誰も知らない。
独健は腕を組んで、うんうんと大きく何度もうなずく。
「子沢山になるなんて、お前がな。世の中本当に平和になったな」
二千年以上も甲冑を着続けていて、時々ボケていた男が、パパと呼ばれ子供たちに囲まれている。予想もしなかった風景だった。
「独健は何人ですか?」
「うちは六人だ」
陛下の家は今や、百人を超えそうな勢いで、子沢山を世界に公然と広めていた。明引呼は口の端でふっと笑って、ブームの波に乗っている男ふたりに突っ込んだ。
「てめぇら多過ぎろ!」
「君は何人ですか?」
誘導した通り聞いてきた貴増参を前にして、兄貴は渋く微笑んだ。
「ふっ! 四人増えて六人だ」
独健は素早くパンチを入れようとしたが、途中からさっと右手を握手を求めるため差し出した。
「同じ――っていうか笑い取るなんて、俺は気に入った!」
独健と明引呼は手をつかみ、お互いの瞳をまっすぐ見て、腕相撲でもするようにガッチリ組んだ。
「本名は明引呼っつうんだ、よろしくな、独健さんよ」
ハングリー精神旺盛なボクサーのように、鋭い眼光を向けてきた明引呼に、独健はさわやか好青年で微笑み返して、語尾でさりげなくパンチを放った。
「あぁ、よろしくな。パパ友として」
明引呼は迷惑顔で、パンチを手のひらで受け止めるように防御した。
「だからよ、ガラじゃねぇんだよな」
独健はしてやった的な微笑みを隠しながら、つかんでいた手を離して、次のパンチを放つ。
「そうか? 父もパパ友って、他の保護者から呼ばれてるぞ」
ふたりの間であごに手を当て、足を軽くクロスさせていた貴増参が、意外というように話に参戦した。
「おや? ずいぶん寛大になったみたいです」
「昔の感じからして、怒るんじゃねぇのか? 心境の変化ってか?」
どうやっても、あの広域天が納得するとは思えなかった。多少は感情の抑えが効く明引呼でさえ、違和感をあらわにしているのに、あの男が何も言わないのは少々おかしかった。
独健は楽しそうににっこりして、笑いのオチをつけた。
「そうだ。家に帰ってくると、いつも憤慨してる」
やはり怒っていた、あの熱い男は。しかも、間違いなく親子だと思った。油断も隙もない、その息子も。いいところを狙ってパンチを喰らわしてきやがると思って、明引呼はふっと鼻で笑った。
「だろうな」
「三つ子の魂百まで――いいえ、永遠です」
自分たちよりもはるか昔から生きているだろう男に、貴増参は言葉を捧げた。会話が途切れると、開け放たれた教室のドアの向こうを、深緑の短髪を持ち、無感情、無動のはしばみ色の瞳を持つ男が横切り始めた。
「おう」
明引呼はそれが誰だかわかると、人差し指と中指を立てて、合図を送るように目の前で横に振った。
紺のスーツを着た男は無表情のまま軽く会釈をして、貴族的な雰囲気をまといながら去っていった。
普通の人と違っている感が否めず、独健は聞いた。
「今の誰だ?」
「僕も初めて見ます」
ふたりが知るはずもない。生まれで数年しか経っていないのに、大人として生きている男なのだから。
「紀花 夕霧命だ。うちのガキが一人、クラスが一緒でよ」
女王陛下の姉妹の苗字だとわかって、独健は夕霧命の後ろ姿から視線をはずした。
「子供が増えると、パパ友が多くなってな」
単純計算でいけば、子供の数だけ、クラスメイトの父親と母親がいるのだから、覚えるだけでも大変だった。しかも、種族によってはミドルネームだの何だのと、長い名前の人も多かった。
「えぇ、えぇ。混線状態、複雑怪奇です」
貴増参は真面目な顔をしてボケ倒した。さりげなく、お化けみたいな言い方をしてきた優男に、兄貴は強烈なパンチをお見舞いした。
「怪奇は余計なんだよ」
「お前、時々天然じゃなくて、策略的なんだよな」
あの邪神界と対峙する世の中で、やはりボケだけでは生き抜いてはこれなかった。貴増参は得意げに咳払いをする
「コホン! ちょっとした罠でした」
派手さはないが、男に色香という言葉を使わずにはいられないほど、性別を超える魅力が匂い立つ色気が、夕霧命の歩いた廊下に漂っているようだった。
妖艶な魔法にかけられた男三人の中で、一番落ち着きを持っていた貴増参が場を仕切り直したのだった。
寡黙で無動の視線が印象的な男について、明引呼はただのパパ友達としてアドバイスする。
「さっきの野郎のとこもよ、ガキ増えてきてっから、クラス一緒になっかもしれねぇぜ」
スーツ姿にしては、歩き方がどうも不思議というか、足音がしておらず、独健は首を傾げた。
「落ち着いた感じに見えたが、何かやってるのか?」
「細けぇ名前は忘れちまったけどよ、武道やってるってよ」
あの男の色香が匂い立つ夕霧命が、上が白で下が紺の袴姿で、百九十八センチの長身で重厚感を持って歩いてくる姿が、男三人の脳裏に浮かんでいた。
「この世界によくいる男性の一種類に分類される、一点集中型――修業バカタイプです」
あごに手を当てていた貴増参は、にっこり微笑んでいるが、さりげなく判定を下した。独健はため息をつき、鼻声でしっかりツッコミ。
「お前もあんまり人のこと言えない」
「僕は修業バカではありません」
ついこの前までは鎧兜を着ていたが、決して一点集中ではなく、武術など無縁に近い生活だった。そんな貴増参の右隣で、明引呼は声をしゃがれさす。
「もうひとつに引っかかんだろ?」
「のんびり天然ボケタイプ」
してやったりと微笑んだ独健の隣で、貴増参は頭に手を軽く当てた。
「そちらは僕も直したいんですが、知らないうちにボケてしまうので、僕にも困ったものです」
「俺と明引呼はどっちにも入らない、珍しいタイプってことだな」
「希少価値があると言うことで、ふたりは女性に持てちゃいます」
陛下の十八歳になる息子の一人は、しっかり者タイプで、国家公務員なのに、結婚しているのに、子供もいるのに、ファンクラブができているような世の中だ。
恐れ多くも皇子殿下と一緒にするなと思い、貴増参の腕をパシンと、明引呼は軽く叩いた。
「ふざけてんじゃねぇよ。現実は、野郎どもにだろ」
兄貴と呼ばれて、二千年ちょっと。一人にパンチをお見舞いすると、次の攻撃が独健からやって来るのだった。
「俺はのんびりしてるやつには、驚かせることをするぞ」
傷口に塩を塗るようなことを、さわやかな笑みで言ってくるものだから、明引呼は鋭くカウンターパンチを放った。
「てめぇも親父さんに似て、まっすぐじゃねぇな?」
「そのほうがしっかりするだろう? 人助けだ」
どこまでも明るく前向きな神々ではなく、パパたちだった。新任教師の紹介やら、行事の説明やらが続いてゆく教室の後ろで、男三人の話はまだまだ盛り上がり中だった。
振り返って手を振る我が子に、貴増参は振り返しながら、
「そんな悪戯をする独健に質問しちゃいます。仕事は何にしたんですか?」
独健は両腕を組んだまま、窓から見える城の屋根を、春の光の中で仰いだ。
「陛下には父の件で恩義もあるし、尊重という意味で、聖獣隊だ」
「より一層忠誠心があり、能力もある人物がなれる特殊任務隊です」
地上と変わらず、様々な人々が交差して、大きな運命の歯車は回ってゆくが、神と呼ばれていても、その上に神様がいる彼らは自分の未来を見ることはできなかった。
「先鋭がそろってるっつうのは聞いたぜ。息子も優れてたってことか?」
明引呼が足を動かすと、ウェスタンブーツのスパーがカチャッと鳴った。その音が自分が以前着ていた甲冑がすれる響きと重なり、城の廊下で先日すれ違った、光秀という長い黒髪を持つ上品な男が脳裏に鮮明に蘇った。
独健にも同じ隊にいる光秀が浮かぶ。剣の太刀筋は素晴らしく、目の付け所も隙がない。
確かに自分は神と呼ばれてはいるが、実際に地上で戦ってきた人間がどれほど大変だったのだろうと思うと、彼はゆっくりと首を横へ振るのだった。
「いや、俺は本当に陛下についていこうと思ってるんだ。ありがたい配属だと思ってる」
人の生まれは関係ない。その存在と心が大切なことだ。母親が前統治者の身内だからという理由で、特別扱いされてきた独健だったが、それが間違いだと以前から思っていた。
しかし、それを取り払うこともできず、今やっと呪縛から解放された。平等という自由を、陛下が与えてくださったのだ。
*
調律もされていないピアノを弾いていたが、澄藍は手をふと止めて、すぐ近くの書斎机からノートを引っ張り出した。
「いいか? あとは独健だ」
黒光りするピアノのボディーには映っていない、コウが言った名前をシャープペンシルで素早く書く。
「独健さん……」
「広域天と弁財天の子供だ」
神様の家系図が少しずつ出来上がってゆく。
「ん~~? 弁財天さんは恩富隊、いわゆる音楽事務所の社長さんってことね」
澄藍の心の奥底を、青の王子がかすめてゆく。専属アーティストとして、今も曲を作っているであろう彼を思い出さないようにして、一生懸命紙に書き込んでゆく。
「で、お父さんが政治関係の聖輝隊……」
コウは空中を右に左に、腕を組みしながら行き来する。
「息子も父の意思を継いで、そこで特殊任務をする聖獣隊だ」
「それね」
すでに書いてある組織名で、澄藍はメンバーに目を通してゆくと、見たことも会ったこともない神々だが、それぞれの細かいエピソードがまだ脳裏に浅い部分にあって、パソコンのキーボードを叩く手を止めた。
「あれ? この人とこの人が仕事一緒なんだ。こうやって書いてくると、不思議な人間関係が見えてくる」
物質界と神界――。
彼女は常にふたつの世界が織りなす人間関係の中に身を置いている。同時進行してゆく時もある。物質界で誰かと話している間に、自分の子供が走り寄ってくるなど日常茶飯事。
いきなり違う部屋にいるなんてことも起き始めていた。肉体は相変わらず同じ場所に座っているのに、霊視している場所が変わる。脳に記憶されていないのに、知っている空間。
コウに相談すると、あの世にある家へと魂が戻っている時の記憶が、霊感を通して影響を受けているから、霊視しているのと同じ状態になるのだとか。知らない人と会って話しているような場面がぼんやり見える時もあった。
つまりは、澄藍は人の二倍覚えてなくてはいけないことが起きていて、とても忙しくなってしまって、神々のほとんどが忘却の彼方へと消え去るとは考える暇もなかった。
パソコンに打ち込んであるものは、名前と仕事と役職名、そして、家族関係だけ。神のルーツを知るためのエピソードがなく、のちに抜け落ちて、それでも残ったものが、運命という大きな歯車には必要なものだと、彼女が知るよしもなかった。
呑気にパソコンの画面をスクロールさせている女の横に、埃をかぶっているコントローラーをコウは見つけた。
「テレビゲームは進んでるか?」
「まあまあ」
恋愛ゲーム熱もだいぶ覚めてきた。ピアノの鍵盤を深く押し込むが、鈍い音が壁中にある本に吸収されて消える。
「独健をモデルにしたのがあっただろう?」
「うん、やったよ」
前へと落ちてきたブラウンの長い髪を、澄藍は後ろへはらい、ダンバーペダルに足を乗せた。シンガーソングライターを目指していた時に作った曲の、コードを弾き始めた。
「どうだった?」
コウが聞くと同時に、ライブハウスでもやっていただけあって、澄藍は話しながらでも、平気でピアノを奏でてゆく。
「どうって、いわゆる王道って感じの人。さわやかで好青年って感じで、優しいよね」
モデルである以上、設定上のズレはどうしても生じる。独健の実年齢は二千年を越している。そんな人物は登場しない。しかも、高校生で出ている。神様の二千年を十代で再現するのは無理がある。
澄藍にとっては、ただの通過点になってしまっていた。そこらへんに片鱗というものはあったのだが、スルーしてしまった人間の女を前にして、コウは赤と青の瞳を疑わしげに向けた。
「ふ~ん。お前は見る目がないな」
「ん? どういうこと?」
ピタリとピアノの音がやんだ。死のない世界で生きた二千年という時間は、人の心をどう変化させるのか予測ができないでいる澄藍を置いて、コウは神として、厳しくも優しい導きをした。
「じゃあ、また来るからな」
学びとは一から十まで丁寧に教わることではない。消えそうになった銀の長い髪に、澄藍は呼び止める。
「ちょっと待って、広域天さんの乙くんと若くん、独健さんの新しく生まれた子供と両方とも同じ五歳だよね?」
子供たちの名前を書いたものは別のノートにあり、まさかそれを今後手元から失うとは思っていない、未来が見えない澄藍だった。
人の記憶力とは崩壊するように作られていて、前に聞いたことと似たようなことを聞いてしまう。それでも、コウは文句も言わず説明する。
「当たり前だ。老いというものは起きないんだからな。子供を望めば、何世代間でも、生まれて十ヶ月で五歳児だ。子供同士が同じクラスってこともあり得るだろう?」
「年齢は関係ないって感じだね、ここまでくると」
慣れてしまえば違和感などないのだろうが、死という期限がついている世界で生きている澄藍には、想像がつかない出来事だった。
「例えば、陛下の十八歳で音楽やってる息子がいただろう?」
「うん、いたね」
子供たちに大人気で、恋愛シミレーションゲームに毎回登場しているほど。澄藍の脳でもきちんとまだ思い出せた。
「あの娘は今五歳だ」
「そうだね、新しく生まれたんだから」
「十八歳の息子の弟も五歳で、ふたりは付き合ってる。だから、同じ歳同士だ」
「そういう関係もありってことか……」
叔父と姪が同じ学年。なかなかない家族構成だ。神世の代表として、コウは人間に説教する。
「そもそも人を好きになるのに、年齢差は関係ないだろう」
澄藍が鍵盤の上に両肘をつくと、小さく濁った音が響いた。
「そうだね。こっちの決まった命にどれだけ縛られてるかよくわかったよ。歳の差なんて騒ぐけど、神様から見たら大したことない。というか、点みたいな差だよね」
「そうだ。何億年と二桁だって、相性が良ければうまくいくんだ」
「自由でいいね」
年が明けたら、三十四歳になるという女に、コウは、
「アラサー真っ只中のお前に、朗報だ」
「何?」
前屈みになっていた澄藍は姿勢を正した。コウはふんぞり返って、偉そうに言ってのけた。
「お前も、どのくらいかかるかはわからないが、神界へ来た時には自分の好きな年齢で止めるがよい。許してやる、ありがたく思え」
どこぞの皇帝陛下みたいに思えて、澄藍は小さく反論する。
「だから、許しは乞うてないんだけど。時々態度デカデカになるのは気のせい?」
「俺は忙しいからなぁ。厳しい現実に生きろよ~!」
大きな力で蹴散らすように、コウは言って、ピアノの奥へと消え去った。椅子の背もたれにもたれ、両腕で頭を抱くように包み込む。
「あぁ、行っちゃった。生徒の数が増えてるってことは、先生もどんどん増えて、校舎も増築され続けてるってことだよね?」
龍に乗って生徒が通学する校舎。芸術の神様たちがデザインした校舎。教えてもらった神様たちでさえ、何人も子供がいる状態で、どんな広さなのだろうと想像してみる。
人として地上で生きていた経験を持つ、女王陛下が校長をしている姫ノ館。自然と、澄藍は自分の小さい頃を思い出さずにはいられなかった。
「学校の近所に駄菓子屋さんとかあるのかな? プールの授業とかもあるよね? 給食とかもあるのかな?」
珍しく微笑むと、調律されていないピアノの音が冬の日差しに柔らかく揺れ始めた。
特に、初等部の成長は凄まじく、五年もまだ経たないのに、小学校一年生だけでも十数兆となっていた。
去年も一昨年も一年生だった子供たちに、また新学期が始まり、神界レベルで知恵と心は大きく育ってゆく。
教室の後ろには様々な親たちが並び、大きな龍は高い天井に登り体を巻き、顔だけ下ろして我が子を見ていると、子供の龍が振り返って嬉しそうに微笑んだ。
人手が足りている世界。お金がなくても生きていける世界。両親そろって子供の様子を見ている夫婦たちばかりだった。
パパ友ふたり――明引呼と貴増参は、六百八十年近くは間違いなく一緒という腐れ縁。今日も肩を並べて、子供たちも隣の席という仲だった。
そこへ、はつらつとしているが鼻にかかった男の声が割って入ってきた。
「おう! 貴じゃないか!」
呼ばれたほうへ、火炎不動明王という強そうな名前を持つ優男は振り返って、晴れ渡る草原でもスキップするように注意した。
「僕の名前は貴増参です。省略しないで呼んでくださいね♪」
男はげんなりして、ひまわり色の髪をかき上げ、若草色の瞳を曇らせた。
「お前相変わらずだな。親友だから、わざと略して呼んでるんだろう?」
「誰だ?」
明引呼は間に立っている貴増参の腕をトントンと手の甲で叩いた。優男は意外というような顔で、
「おや? お父さんは知ってましたが、息子は知らなかったみたいです」
男は素早く明引呼に近寄って、右手をサッと差し出した。腕につけていたミサンガが少しだけ揺れる。
「初めまして、広家 独健って言います」
邪神界が崩壊してゆくのをそばで見ていた男の中の一人。そのあと城で何度か顔を合わせた男が変えたといつか言っていた、苗字だった。
「広家って、毘沙門天――っつうか広域天のとこだろ? 息子ってか?」
純粋な若草色の瞳で、鋭いアッシュグレーのそれをまっすぐと見つめ、さわやかに微笑んだ。
「はい。もう二千年ちょっとになりますが……」
年齢が二千年代のパパがちょうど三人そろった。
「オレは孔雀大明王だ」
話には聞いたことがあるが、実際会うのは初めてで、独健は思っていた通りの男だと思い、納得の吐息をもらした。想像していたより、若干目がキラキラと輝いていて、美形だったが。
「あぁ、その節は父がお世話になりました」
護法童子つながりで、短い間だったが、共に戦った仲間。どこかへ行けるわけでもなく、陛下が力をつけてゆく過程で一緒に集った戦友。話したことも当然あるわけで、明引呼は口の端をふっと歪ませて、
「おう。あれこれ愚痴が多かったぜ」
「はぁ~」
独健は握っていた手を力なくはずして、ガックリと肩を落とした。大変な戦いの最中、父が愚痴を他の人に聞かせて、迷惑をかけていたのかと思うと、独健は何と詫びていいのかわからなかった。
フェントをかけて、パンチしてこない正直な独健に、明引呼は軽いジャブを放った。
「半分ジョークだ」
カマをかけた明引呼は珍しく少しだけ笑った。あの男は暑苦しいではないが、熱い性格で、憤慨している姿は何度か見たことがあった。どうやら、昔からそうだったらしい。
「愚痴も言いたくなんだろ? 十年間も小せぇ神社に閉じ込められて、出られなかったんじゃよ。オレだって言うぜ?」
しきりと言っていた。左遷どころではなく、監禁だ、不当だと。あの熱い男は何度も激怒していた。独健はひまわり色の髪を困ったように、くしゃくしゃとかき上げる。
「父は昔から、正義感に強い性格でしたから……」
明引呼の声が黄昏気味にしゃがれた。
「違ぇだろ? 人助け――普通のことを普通にしたら、前の統治者が怒って、監禁したんだろ。親父さんに非はねぇだろ」
熱い男は黙って見ていられなかった。どうなるかわかっていても、彼は手を差し伸べたのだ。間違っていることを止めただけ。誰よりも勇気ある行動を取ったのだ。
ただ少々文句が多かっただけの話だ、今となっては。もう前の統治ではなく、邪神界もなくなり、過去となったのだから。
前統治者は地獄へと落ち、罪をきちんと償って、陛下の元で今は謹んで生きている。それをどうこういう権利は誰にもない。
神様たちの実験だったのなら、なおさら誰の責任とかではないのだ。というか、発案者の神々でさえ、地獄に入って償ったのだ。ここまで来ると、誰も文句の言いようがなかった。
平和になった世界の首都で、貴増参のカーキ色のくせ毛が、窓から入ってきた春風に優しく揺れた。
「独健がここにいるってことは、子供ができちゃったってことですか?」
整然と並ぶ椅子と机の中から、生徒が一人が振り返って、独健に向かって手を振った。親も同じことをしながら、逆らうことのできない者からの嫉妬に怯えた日々を語った。
「そうなんだ。結婚はしてたけど、父への圧力が結構昔からあったんだ。子供が生まれたらどうなるか心配で作らなかったんだが、陛下に代わって平和になった。そうしたら、すぐに生まれた」
陛下はいつも自分の背中を人々に見せて、前を向いて生きている。結婚もそう。子供もそう。レディーファーストもそう。他種族との交わりも率先している。幸せの連鎖が首都を中心にして、遠い宇宙にまで波紋を広げていた。
まだ手を振っている子供を、アッシュグレーの瞳に映しながら、明引呼は問いかけた。
「ガキの名前何つうんだ?」
独健は顔を戻して、聴き慣れない響きを言った。あえて表すならこうとしか言いようがなかった。
「愛香だ」
共通語はあるが、他宇宙の言語が入り乱れ、正確な発音で表せなかったり、翻訳する言葉がなかったり。それでも、言語研究者はあっという間に解読して、追記があれば政府からのお知らせとして、国民には伝わる配慮は十分されている。
貴増参は独健に向かってにっこり微笑んだ。
「流行っちゃてる名前です」
「そうか?」
ひまわり色の短髪が照れたようにかき上げられた。
「姫か? 童子か?」
明引呼が聞いた。目の前にいるのだが、名前の響きからして、女の子かもしれない。それでも、可愛い名前がついている男の子もたくさんいる。ピンクを好きだから、女の子とは限らない。他の種族もいて、趣味は多種多様。
唯一違いといえば、スカートぐらいで、椅子に座っている今ではわからなかった。
「童子――男の子だ」
陛下の家はハーレムだが、女性が男性の付属的な役割では決してない。女王陛下も政治に関与して、それぞれ活動をし独立した存在となっている。
だからこそ、国民には男性と女性を区別するという価値観がないのだ。それは最近急成長した風習。貴増参は風で乱れたくせ毛をよけながら、にっこり微笑む。
「やはり流行っちゃってる名です」
「そういうこと言ってるてめぇだって、ガキの名前横文字だろ?」
明引呼は太いシルバーリングをした手で、隣に立つ優男の腕をトントンと叩いた。国境はこの世界にはない。古い風習も新しいものとして取り入れられ、名前は漢字表記が鉄則になっていた。
貴増参は咳払いをして、居住まいを正した。
「コホンっ! 護法童子だったふたりはいいですね?」
小さな体で悪と直接戦った彼らは、ヒーローとして語り継がれていた。独健は少しだけ微笑む。
「今や誰でも知ってる。知らないやつがいないくらいだ。大ヒット映画にもなったからな。悪を倒した八人組のふたりだって。学校でも有名人だ」
彼らを学校では知らない生徒が誰もいないほど人気だった。生きてきた年月も最近生まれた子供よりも長く、知恵を持っている分、困っている他の子を助けたりできる。だからこそ、人気に拍車がかかるのだ。
そうして、貴増参は両手を腰の後ろで組んで、長々と子供の名前を言い始めた。
「それでは、菩華、沙雨芽、樹愉隆――」
「待ちやがれ。てめぇ全員答える気じゃねぇだろうな?」
明引呼が手の甲でトントンと叩いた。陽気に、ここにいない我が子の名前を生まれた順で応え始めた男を。
「えぇ、答えちゃいます」
「日が暮れっちまうだろ」
「そちらは誇張表現です」
男三人で横一列に並んでいて、左側ふたりだけで会話をしているところへ、一番右に立っていた独健が割って入った。
「待った待った! 貴、子供何人生まれたんだ?」
「八人です。僕もがんばっちゃいました」
肉体がないのに、何を言っているのかと思って、明引呼がカウンターパンチさながらに突っ込んだ。
「てめぇががんばったんじゃなくて、神さんががんばったんだろ?」
「えぇ。子供は天からの授かりものですからね」
貴増参はリズムをつけて首を傾げた。専門の研究者がいるが、未だに子供が生まれてくるメカニズムはわかっていないらしい。条件のひとつに真実の愛が必要ということ以外、大人でも誰も知らない。
独健は腕を組んで、うんうんと大きく何度もうなずく。
「子沢山になるなんて、お前がな。世の中本当に平和になったな」
二千年以上も甲冑を着続けていて、時々ボケていた男が、パパと呼ばれ子供たちに囲まれている。予想もしなかった風景だった。
「独健は何人ですか?」
「うちは六人だ」
陛下の家は今や、百人を超えそうな勢いで、子沢山を世界に公然と広めていた。明引呼は口の端でふっと笑って、ブームの波に乗っている男ふたりに突っ込んだ。
「てめぇら多過ぎろ!」
「君は何人ですか?」
誘導した通り聞いてきた貴増参を前にして、兄貴は渋く微笑んだ。
「ふっ! 四人増えて六人だ」
独健は素早くパンチを入れようとしたが、途中からさっと右手を握手を求めるため差し出した。
「同じ――っていうか笑い取るなんて、俺は気に入った!」
独健と明引呼は手をつかみ、お互いの瞳をまっすぐ見て、腕相撲でもするようにガッチリ組んだ。
「本名は明引呼っつうんだ、よろしくな、独健さんよ」
ハングリー精神旺盛なボクサーのように、鋭い眼光を向けてきた明引呼に、独健はさわやか好青年で微笑み返して、語尾でさりげなくパンチを放った。
「あぁ、よろしくな。パパ友として」
明引呼は迷惑顔で、パンチを手のひらで受け止めるように防御した。
「だからよ、ガラじゃねぇんだよな」
独健はしてやった的な微笑みを隠しながら、つかんでいた手を離して、次のパンチを放つ。
「そうか? 父もパパ友って、他の保護者から呼ばれてるぞ」
ふたりの間であごに手を当て、足を軽くクロスさせていた貴増参が、意外というように話に参戦した。
「おや? ずいぶん寛大になったみたいです」
「昔の感じからして、怒るんじゃねぇのか? 心境の変化ってか?」
どうやっても、あの広域天が納得するとは思えなかった。多少は感情の抑えが効く明引呼でさえ、違和感をあらわにしているのに、あの男が何も言わないのは少々おかしかった。
独健は楽しそうににっこりして、笑いのオチをつけた。
「そうだ。家に帰ってくると、いつも憤慨してる」
やはり怒っていた、あの熱い男は。しかも、間違いなく親子だと思った。油断も隙もない、その息子も。いいところを狙ってパンチを喰らわしてきやがると思って、明引呼はふっと鼻で笑った。
「だろうな」
「三つ子の魂百まで――いいえ、永遠です」
自分たちよりもはるか昔から生きているだろう男に、貴増参は言葉を捧げた。会話が途切れると、開け放たれた教室のドアの向こうを、深緑の短髪を持ち、無感情、無動のはしばみ色の瞳を持つ男が横切り始めた。
「おう」
明引呼はそれが誰だかわかると、人差し指と中指を立てて、合図を送るように目の前で横に振った。
紺のスーツを着た男は無表情のまま軽く会釈をして、貴族的な雰囲気をまといながら去っていった。
普通の人と違っている感が否めず、独健は聞いた。
「今の誰だ?」
「僕も初めて見ます」
ふたりが知るはずもない。生まれで数年しか経っていないのに、大人として生きている男なのだから。
「紀花 夕霧命だ。うちのガキが一人、クラスが一緒でよ」
女王陛下の姉妹の苗字だとわかって、独健は夕霧命の後ろ姿から視線をはずした。
「子供が増えると、パパ友が多くなってな」
単純計算でいけば、子供の数だけ、クラスメイトの父親と母親がいるのだから、覚えるだけでも大変だった。しかも、種族によってはミドルネームだの何だのと、長い名前の人も多かった。
「えぇ、えぇ。混線状態、複雑怪奇です」
貴増参は真面目な顔をしてボケ倒した。さりげなく、お化けみたいな言い方をしてきた優男に、兄貴は強烈なパンチをお見舞いした。
「怪奇は余計なんだよ」
「お前、時々天然じゃなくて、策略的なんだよな」
あの邪神界と対峙する世の中で、やはりボケだけでは生き抜いてはこれなかった。貴増参は得意げに咳払いをする
「コホン! ちょっとした罠でした」
派手さはないが、男に色香という言葉を使わずにはいられないほど、性別を超える魅力が匂い立つ色気が、夕霧命の歩いた廊下に漂っているようだった。
妖艶な魔法にかけられた男三人の中で、一番落ち着きを持っていた貴増参が場を仕切り直したのだった。
寡黙で無動の視線が印象的な男について、明引呼はただのパパ友達としてアドバイスする。
「さっきの野郎のとこもよ、ガキ増えてきてっから、クラス一緒になっかもしれねぇぜ」
スーツ姿にしては、歩き方がどうも不思議というか、足音がしておらず、独健は首を傾げた。
「落ち着いた感じに見えたが、何かやってるのか?」
「細けぇ名前は忘れちまったけどよ、武道やってるってよ」
あの男の色香が匂い立つ夕霧命が、上が白で下が紺の袴姿で、百九十八センチの長身で重厚感を持って歩いてくる姿が、男三人の脳裏に浮かんでいた。
「この世界によくいる男性の一種類に分類される、一点集中型――修業バカタイプです」
あごに手を当てていた貴増参は、にっこり微笑んでいるが、さりげなく判定を下した。独健はため息をつき、鼻声でしっかりツッコミ。
「お前もあんまり人のこと言えない」
「僕は修業バカではありません」
ついこの前までは鎧兜を着ていたが、決して一点集中ではなく、武術など無縁に近い生活だった。そんな貴増参の右隣で、明引呼は声をしゃがれさす。
「もうひとつに引っかかんだろ?」
「のんびり天然ボケタイプ」
してやったりと微笑んだ独健の隣で、貴増参は頭に手を軽く当てた。
「そちらは僕も直したいんですが、知らないうちにボケてしまうので、僕にも困ったものです」
「俺と明引呼はどっちにも入らない、珍しいタイプってことだな」
「希少価値があると言うことで、ふたりは女性に持てちゃいます」
陛下の十八歳になる息子の一人は、しっかり者タイプで、国家公務員なのに、結婚しているのに、子供もいるのに、ファンクラブができているような世の中だ。
恐れ多くも皇子殿下と一緒にするなと思い、貴増参の腕をパシンと、明引呼は軽く叩いた。
「ふざけてんじゃねぇよ。現実は、野郎どもにだろ」
兄貴と呼ばれて、二千年ちょっと。一人にパンチをお見舞いすると、次の攻撃が独健からやって来るのだった。
「俺はのんびりしてるやつには、驚かせることをするぞ」
傷口に塩を塗るようなことを、さわやかな笑みで言ってくるものだから、明引呼は鋭くカウンターパンチを放った。
「てめぇも親父さんに似て、まっすぐじゃねぇな?」
「そのほうがしっかりするだろう? 人助けだ」
どこまでも明るく前向きな神々ではなく、パパたちだった。新任教師の紹介やら、行事の説明やらが続いてゆく教室の後ろで、男三人の話はまだまだ盛り上がり中だった。
振り返って手を振る我が子に、貴増参は振り返しながら、
「そんな悪戯をする独健に質問しちゃいます。仕事は何にしたんですか?」
独健は両腕を組んだまま、窓から見える城の屋根を、春の光の中で仰いだ。
「陛下には父の件で恩義もあるし、尊重という意味で、聖獣隊だ」
「より一層忠誠心があり、能力もある人物がなれる特殊任務隊です」
地上と変わらず、様々な人々が交差して、大きな運命の歯車は回ってゆくが、神と呼ばれていても、その上に神様がいる彼らは自分の未来を見ることはできなかった。
「先鋭がそろってるっつうのは聞いたぜ。息子も優れてたってことか?」
明引呼が足を動かすと、ウェスタンブーツのスパーがカチャッと鳴った。その音が自分が以前着ていた甲冑がすれる響きと重なり、城の廊下で先日すれ違った、光秀という長い黒髪を持つ上品な男が脳裏に鮮明に蘇った。
独健にも同じ隊にいる光秀が浮かぶ。剣の太刀筋は素晴らしく、目の付け所も隙がない。
確かに自分は神と呼ばれてはいるが、実際に地上で戦ってきた人間がどれほど大変だったのだろうと思うと、彼はゆっくりと首を横へ振るのだった。
「いや、俺は本当に陛下についていこうと思ってるんだ。ありがたい配属だと思ってる」
人の生まれは関係ない。その存在と心が大切なことだ。母親が前統治者の身内だからという理由で、特別扱いされてきた独健だったが、それが間違いだと以前から思っていた。
しかし、それを取り払うこともできず、今やっと呪縛から解放された。平等という自由を、陛下が与えてくださったのだ。
*
調律もされていないピアノを弾いていたが、澄藍は手をふと止めて、すぐ近くの書斎机からノートを引っ張り出した。
「いいか? あとは独健だ」
黒光りするピアノのボディーには映っていない、コウが言った名前をシャープペンシルで素早く書く。
「独健さん……」
「広域天と弁財天の子供だ」
神様の家系図が少しずつ出来上がってゆく。
「ん~~? 弁財天さんは恩富隊、いわゆる音楽事務所の社長さんってことね」
澄藍の心の奥底を、青の王子がかすめてゆく。専属アーティストとして、今も曲を作っているであろう彼を思い出さないようにして、一生懸命紙に書き込んでゆく。
「で、お父さんが政治関係の聖輝隊……」
コウは空中を右に左に、腕を組みしながら行き来する。
「息子も父の意思を継いで、そこで特殊任務をする聖獣隊だ」
「それね」
すでに書いてある組織名で、澄藍はメンバーに目を通してゆくと、見たことも会ったこともない神々だが、それぞれの細かいエピソードがまだ脳裏に浅い部分にあって、パソコンのキーボードを叩く手を止めた。
「あれ? この人とこの人が仕事一緒なんだ。こうやって書いてくると、不思議な人間関係が見えてくる」
物質界と神界――。
彼女は常にふたつの世界が織りなす人間関係の中に身を置いている。同時進行してゆく時もある。物質界で誰かと話している間に、自分の子供が走り寄ってくるなど日常茶飯事。
いきなり違う部屋にいるなんてことも起き始めていた。肉体は相変わらず同じ場所に座っているのに、霊視している場所が変わる。脳に記憶されていないのに、知っている空間。
コウに相談すると、あの世にある家へと魂が戻っている時の記憶が、霊感を通して影響を受けているから、霊視しているのと同じ状態になるのだとか。知らない人と会って話しているような場面がぼんやり見える時もあった。
つまりは、澄藍は人の二倍覚えてなくてはいけないことが起きていて、とても忙しくなってしまって、神々のほとんどが忘却の彼方へと消え去るとは考える暇もなかった。
パソコンに打ち込んであるものは、名前と仕事と役職名、そして、家族関係だけ。神のルーツを知るためのエピソードがなく、のちに抜け落ちて、それでも残ったものが、運命という大きな歯車には必要なものだと、彼女が知るよしもなかった。
呑気にパソコンの画面をスクロールさせている女の横に、埃をかぶっているコントローラーをコウは見つけた。
「テレビゲームは進んでるか?」
「まあまあ」
恋愛ゲーム熱もだいぶ覚めてきた。ピアノの鍵盤を深く押し込むが、鈍い音が壁中にある本に吸収されて消える。
「独健をモデルにしたのがあっただろう?」
「うん、やったよ」
前へと落ちてきたブラウンの長い髪を、澄藍は後ろへはらい、ダンバーペダルに足を乗せた。シンガーソングライターを目指していた時に作った曲の、コードを弾き始めた。
「どうだった?」
コウが聞くと同時に、ライブハウスでもやっていただけあって、澄藍は話しながらでも、平気でピアノを奏でてゆく。
「どうって、いわゆる王道って感じの人。さわやかで好青年って感じで、優しいよね」
モデルである以上、設定上のズレはどうしても生じる。独健の実年齢は二千年を越している。そんな人物は登場しない。しかも、高校生で出ている。神様の二千年を十代で再現するのは無理がある。
澄藍にとっては、ただの通過点になってしまっていた。そこらへんに片鱗というものはあったのだが、スルーしてしまった人間の女を前にして、コウは赤と青の瞳を疑わしげに向けた。
「ふ~ん。お前は見る目がないな」
「ん? どういうこと?」
ピタリとピアノの音がやんだ。死のない世界で生きた二千年という時間は、人の心をどう変化させるのか予測ができないでいる澄藍を置いて、コウは神として、厳しくも優しい導きをした。
「じゃあ、また来るからな」
学びとは一から十まで丁寧に教わることではない。消えそうになった銀の長い髪に、澄藍は呼び止める。
「ちょっと待って、広域天さんの乙くんと若くん、独健さんの新しく生まれた子供と両方とも同じ五歳だよね?」
子供たちの名前を書いたものは別のノートにあり、まさかそれを今後手元から失うとは思っていない、未来が見えない澄藍だった。
人の記憶力とは崩壊するように作られていて、前に聞いたことと似たようなことを聞いてしまう。それでも、コウは文句も言わず説明する。
「当たり前だ。老いというものは起きないんだからな。子供を望めば、何世代間でも、生まれて十ヶ月で五歳児だ。子供同士が同じクラスってこともあり得るだろう?」
「年齢は関係ないって感じだね、ここまでくると」
慣れてしまえば違和感などないのだろうが、死という期限がついている世界で生きている澄藍には、想像がつかない出来事だった。
「例えば、陛下の十八歳で音楽やってる息子がいただろう?」
「うん、いたね」
子供たちに大人気で、恋愛シミレーションゲームに毎回登場しているほど。澄藍の脳でもきちんとまだ思い出せた。
「あの娘は今五歳だ」
「そうだね、新しく生まれたんだから」
「十八歳の息子の弟も五歳で、ふたりは付き合ってる。だから、同じ歳同士だ」
「そういう関係もありってことか……」
叔父と姪が同じ学年。なかなかない家族構成だ。神世の代表として、コウは人間に説教する。
「そもそも人を好きになるのに、年齢差は関係ないだろう」
澄藍が鍵盤の上に両肘をつくと、小さく濁った音が響いた。
「そうだね。こっちの決まった命にどれだけ縛られてるかよくわかったよ。歳の差なんて騒ぐけど、神様から見たら大したことない。というか、点みたいな差だよね」
「そうだ。何億年と二桁だって、相性が良ければうまくいくんだ」
「自由でいいね」
年が明けたら、三十四歳になるという女に、コウは、
「アラサー真っ只中のお前に、朗報だ」
「何?」
前屈みになっていた澄藍は姿勢を正した。コウはふんぞり返って、偉そうに言ってのけた。
「お前も、どのくらいかかるかはわからないが、神界へ来た時には自分の好きな年齢で止めるがよい。許してやる、ありがたく思え」
どこぞの皇帝陛下みたいに思えて、澄藍は小さく反論する。
「だから、許しは乞うてないんだけど。時々態度デカデカになるのは気のせい?」
「俺は忙しいからなぁ。厳しい現実に生きろよ~!」
大きな力で蹴散らすように、コウは言って、ピアノの奥へと消え去った。椅子の背もたれにもたれ、両腕で頭を抱くように包み込む。
「あぁ、行っちゃった。生徒の数が増えてるってことは、先生もどんどん増えて、校舎も増築され続けてるってことだよね?」
龍に乗って生徒が通学する校舎。芸術の神様たちがデザインした校舎。教えてもらった神様たちでさえ、何人も子供がいる状態で、どんな広さなのだろうと想像してみる。
人として地上で生きていた経験を持つ、女王陛下が校長をしている姫ノ館。自然と、澄藍は自分の小さい頃を思い出さずにはいられなかった。
「学校の近所に駄菓子屋さんとかあるのかな? プールの授業とかもあるよね? 給食とかもあるのかな?」
珍しく微笑むと、調律されていないピアノの音が冬の日差しに柔らかく揺れ始めた。
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