最後の恋は神様とでした

明智 颯茄

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価値観の接点を探して

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 黄金色をしたススキ畑は白い綿雪が積もる冬景色に変わっていた。それでも、孔明の一軒家は窓が全開。物質界と同じような寒さを感じることもないというか、高い気温でも神様の世界では雪が降る。

 神様の世界は雨の日が一年で一、二回しか来ない。それが雪に変わると言ったら、子供たちにとっては宝物でももらったようだった。

 首都の公園や学校の校庭では、授業が変更になった子供たちが大はしゃぎ。寒くないのに、量はそれなりに降るものだから、雪だるまづくりに精を出す。

 孔明の聡明な瑠璃紺色をした瞳に、白い雪の粒がハラハラと地面へ向かって落ちてゆくのが映っている。

 文机を縁側に置いて、結い上げた漆黒の髪を手で右に左に弄びながら、孔明は首を傾げた。

「ん~~? この世界の経済、物流について」

 有名だと言っても、それは地球に関わり合いを持っている人間だけで、この世界で自分の存在を知っている人は一握りしかいないと言っても過言ではない。

 だからこそ、きちんと下準備をしなければ、商売として成り立たず、職を失うことになりかねない。私塾ならなおさら、評判というものがつきもので、失敗をすればそれは地へと落ちてしまう。

 反則だと神に言われた軍師は、街の本屋やネットショッピングで手に入れたきた書物をあちこちに広げて、ページをめくり片っ端から記録してゆく。

「お金という概念は陛下が統治されてからできたもの」

 本から視線を上げずに、髪を触っていた右手が床の上にある香ばしい茶色をした丸いものをつかみ取って、未だに文章を目で追ったまま、口元に運んでゆく。

「おせんべいをバリバリ……」

 食べクズが天女のように見えるモード系の服の上に落ちようと構わず、デパートで一番硬いと評判のせんべいを噛み砕く。汚れてしまった手は服で拭いて、本のページをまためくる。

「経済はお金が主流とは言えない」

 生きていた時と法則の違う神世。ポケットから携帯電話を取り出して、どこもタッチもせず、意識化でつながっているそれを操作して画像を出した。

「それから、こ~れ! チップ!」

 小学校の廊下が映っていた。中へ入れてもらえるような理由を考えて、撮影してきたもの。

「子供たちが手に入れるもの。お金としての価値がある」

 ふと風向きが変わって、雪の粉が本にかかるが、すぐに溶けて、シミを残すことなく、あっという間に乾いてしまった。

「小学一年生から高校生まで、いわゆる成人していない人たちの、労働の代価」

 大人が考え出したもので、子供の自主性を助けるためのツールとして使えるお金だった。

「もちろん、子供は働けないけど、誰かのために何かをすると自分に喜びがやってくるという教育方針のもとで作られたもの」

 スクロールを指でするのではなく、視線を動かしてする。すると、白い紙に表が印刷されているものが出てきた。

「写メで撮ってきたんだけど、学校には奉仕一覧表というものが壁に貼られていて、そこに書いてあるお手伝いや依頼をすると、チップが代価として支払われる」

 やりたいことが決まっている高校生ともなると、職場体験も兼ねて、アルバイトのようにして、チップを対価でもらうという方法も存在していた。

「これは主に、友達の誕生日プレゼントに使われるらしい。勉強道具や普段のお菓子代、遊びに行くお金はお小遣いとして、お金で親からもらう家が全体の98.92%を占める」

 厳しい修業ではない神界。人手もお金も豊かにあり、今の地上と比べれば、数十万円するものは、数千円の感覚だが、品質は値段通りという、相手の心を最も大切にする市場。

 この世界の住人になって、孔明はここ二ヶ月近くの間で何度も目の当たりにしてきた。人口の子供が占める割合は年々、急成長しており、彼らのためだけのサービスなどは充実している。

「でも、チップは大人が利用してるお店で使われるから、大人の間にも流通してることになる。子供銀行もあって、貯蓄している子もいるらしい。ここは個人の話だから、正確な情報は入ってこないけど……」

 持っていた携帯電話をポイッと文机の上に滑りおくと、湯飲みの中でいつまでも温かいままのジャスミン茶を飲んだ。

「でも、これも主流とは言えない」

 そうして、初めてこの世界へ行きた時に出会った、クジラの女性が言っていた物流を確たる証拠としてつかんだ。

「だから、昔からある物々交換が主流」

 携帯電話を買うために街へ行って、店の人にネットショッピングという店に行かなくても商品を変えるというものを教わった。

 そこでさっそく買ったパソコンは注文してから三十分ほどで、家に届けられるほどのサービス満点。床板に置いたまま、まだ少し慣れない指使いで操作する。

「昨日行ったカフェで、綺麗な絵を支払いにしてる人を見かけた。その絵はとても素晴らしいものだった。代価としての価値があれば、お金として使える。当然、相手の心を動かせるほどの素晴らしいものでなくてはいけないけど。これが経済の主流」

 それは、とても微笑ましい光景だった。客が帰ったあとにカフェの壁に、店の雰囲気を引き立たせる絵が飾られ、他の客たちもそれ眺めながら、憩いの時間をさらに味わっていた。

 お金を稼いで物を買うのか。それとも、自分の能力で物を交換するのか。どちらか選べる自由さがこの世界には許されていた。

「ボクだったら、みんなが気づいてない理論を教えて、代価にするもできるってこと」

 しかし、どんな分野でもレベルは半端ない。何千年も生きている人が大勢いて、億単位の人もいる。人間に知恵を与えた神様たちと対等の位置へ立たないと、代価にならない。小学校一年生でも地上の言葉を読み書きして、話せるような世界だ。

「お金に人々の重大価値が集中していない」

 白雪しらゆきが風に舞い、グレーの空の下で柔らかな線を引いてゆく。心の世界だからこそ、この世界の言語が違っても勝手に翻訳はしてくれるが、多少の誤差は生まれる。そこはきちんと学ばないといけない。

 全てを記憶する頭脳で、街ゆく人の顔を一人一人思い出す。

「他の種族の人たちの価値観は、ボクたち人間とは違っていることが非常に多い」

 目線が違えば、見ているものも感じるものも違って当然で、人々の話や言動を見ると、自分が今まで培ってきた可能性の数字を簡単にひっくり返された。

「笑いのネタも人間に通じても、他の種族には通じないということろをたくさん見てきた。自虐ネタや死亡フラグというものは、人間で面白いと思う人が少しいるだけ」

 首都の中央にあるスクランブル交差点には、ビルに大画面テレビがあり、今人気の二本足で立つ猫のアーティストが出ているミュージックビデオが流れていた。

「音楽に携わってる人は人間が思いもつかない独特のリズムや、人が出せない声をしてたりする」

 そのあとに入った店は子供の洋服店で、同じデザインなのに大きさや形が様々なものだった。チップを持って買い物に来ていた子供に、丁寧に頭を下げるカンガルーの女性店員をうかがった。

「子供たちは誕生日を祝うのが誰でも当たり前だけど、プレゼントで洋服を買いに行くと、店員の人は必ず、『お友達は何族の人ですか?』と聞いてくる。服の形やデザインなどが違うってこと」

 アイスクリームという冷たくて甘いものも食べた。龍が空を飛んでデパートへ入ってゆく雄大な姿も眺めた。歩道に立っているだけでも、遊園地並みに興味の引かれてばかりの首都の街だった。

「そういうわけで、地上で培ってきたものが通用しない部分が多いってこと。多種多様に大切だと思うことがある。そうなると、さらにこの世界の価値観を勉強しないと、ボクの塾は始めても息詰まってしまう可能性が非常に高い」

 白いモード服は不意に横になって、肘を立てて頭を手のひらに預けた。

「できるだけ、街に行って情報を収集してこよう」

 縁側に寝転がりながら、一番硬いと噂のせんべいをバリバリと噛み砕く。

「本を読む。パソコンは少し手が動かしづらい時があるけど、使いこなして情報を得る。どうも地上では、ネットは危険らしんだけど、偽の情報が載っていたりね。でも、この世界では犯罪が起きないから、大切な情報源として使ってもオッケー」

 足でパソコンを自分へを呼び寄せて、パタンと画面を閉じた。

「みんな仲良くという法律は、人を困らせてはいけないのも入ってるってこと」

 偽の情報を信じて、その人の心が傷つけば、治安部隊などに拘束されるということだ。そんな人はそもそもいないのだが。

 罪を犯せば、神であっても地獄へと入る。陛下でさえ、新しい法則に変わり、自身がそのルールからはみ出たのなら、地獄へと自ら落ちたこともある。

 特別扱いをしないからこそ、陛下に人々がついてゆくのだ。しかし、人間が数千年かかるところを、神は他人優先の心の清らかさで数時間で出てきてしまうのだが。

「あとは、陛下が主催するパーティに参加することかな? そこで知り合いができれば、そこから枝葉を伸ばしていってもいいし……」

 気持ちはとても楽だった。命を狙おうとする人がどこにもいないのだから。自分を邪魔するものはない。ただ自分のノウハウは極秘にしておいかなければいけない。価値のあるものにするのだから。

「とにかく、今日は十七時から陛下主催のパーティがあるから、そこに参加して話を聞こう」

 毎月、何か特別な日がカレンダーには設けられていて、その度に陛下主催のパーティーが城の大広間で開かれる。そこまで堅苦しいものではなく、雛祭りや七夕といった行事だ。

 隣接する高級ホテルへの宿泊もできて、快適さが人々には人気となっていて、大人から子供まで楽しめる社交場となっていた。

「よし、そろそろ行こう」

 古い一軒家というデザインを売りにしていた物件だったが、リモコンを一押しでガラス窓も雨戸もきれいに閉まってゆく。孔明は縁側の上で起き上がって、天井へ何かを投げる仕草をすると、カチャッと金属が響くような音がした。彼の大きな手のひらの中には、車のキーがあった。

「車買っちゃった! 馬じゃなくて舟じゃなくて、車!」

 地上で生きたいた頃には見たこともない乗り物。

「ボクは早く走るのが好き!」

 そう言うと、パッと瞬間移動で消え去り、家の外から急発進する車の悲鳴が聞こえた。

    *

 パーティー会場のロータリーに、一台の車が猛スピードで入ってきて、急ブレーキでキキーッとタイヤ痕を石畳に残して止まった。

 正装した孔明が運転席から降りてきて、係の人に車のキーを投げ預け、他の招待客たちに紛れ、中へ入っていた。

 大きなシャンデリアの下に、様々な人々がすでに集まっていて、子供たちの姿もあちこちにあった。立食パーティで、給仕係も両脇の壁に多数控えている。

(今日は情報収集だから、お酒はほどほどに)

 人間の中では背丈が高い孔明は、聡明な瑠璃紺色の瞳は不自然にならない程度であちこちに向ける。

(ボクの背は二百三十センチある。生きていた時よりも伸びた。年齢も三十二歳になった。神界は法則が違うのかもしれない)

 脇に控えていた宮廷楽団の指揮者が両手を上げ、壮大な音楽が奏でられ、とうとうパーティが始まった。何かのお芝居でも見ているように、いきなり消えた照明に変わって、スポットライトが縦横無尽に動き出した。

「みなさん! 今宵もやってまいりました! 月に一度のお楽しみのパーティ! 司会はわたくし、ドコマデモ ツイテルです!」
「あははははっ!」

 子供たちの笑い声がどっと上がり、今も鳴っている楽器に強く混じった。

「え?」

 司会者は耳に手を添え、遠くの音を聞くように客席に神経を集中させる。

「お腹空かせて来たから、食べさせろですって? 長い話はあとにしろ?」

 スポットが一人当たっている黒いタキシードを着ていた男は、首を大きく縦に振って何度もうなずく。

「ごもっともでございます。私のお腹ももうそろそろ限界です。それでは、細かいことはあとにして、パーティーを心ゆくまでお楽しみください!」

 拍手があちこちから上がると、宮廷楽団の音楽が大きくなり、華麗にパーティーが始まった。

 とにかく、一人でこの世界に来てしまった孔明には知り合いがおらず、自分が生きていた間にあった宴とは違う、パーティーの人々の動きを最初に記憶してゆく。

 飛ぶことができる子供が、できない子たちの分の料理を取ってあげたり、瞬間移動を駆使して、突然現れる人々だったが、ぶつかることもなく平和に楽しく時間は流れてゆく。

 仕事の関係上なのか、制服で参加している大人たちもいた。学校には制服というものは存在しないと聞いたが、国家機関では制服着用が義務づけられているという話は先日訪れた城で情報は入手済み。

 せんべいを常食しているほど、食べることが好きな孔明は、料理を口へ運びながら、大人たちをうかがっていた。すると、一人目を引く人がいた。

 人間なのだが、他の種族の人々がたくさん集まって、楽しそうに談笑している姿が見える。自分と同じように黒の長い髪を首元で縛り、瑠璃色のマントをつけて、白の上下に首元は桜色の細いリボンが色を添えていた。

「あの制服……。聖獣隊せいじゅうたい。国の特殊部隊」

 携帯義務のある剣と情報を管理するスコープは、パーティー会場ということで持ってはいなかったが、不穏分子を探し出して、いち早く対応する部隊。その男が人間ではなく、他の種族の人々と親しげに話している。

 政治と他の種族の価値観を、自分と同じ人間で見ている人物。孔明の興味がそそられないはずがなかった。

 タイミングよく歩いて来た給仕係のトレイからカクテルグラスを取って、男に近づいてゆく。同じ制服を着ている熊――アラスカクズリを手前で見つけて、春風を吹かせるように柔らかに微笑んで、好青年の雰囲気満点で話しかけた。

「あちらにいらっしゃる方はどなたですか?」

 孔明よりもさらに大きな背で鋭い瞳をしていたが、見た目とまったく違って、人がよさそうに視線を向け、すぐに答えて来た。

「あぁ、あの方は、明智 光秀さんですよ」

 見たこともなければ、やはり名前も聞いたことがない人物。特殊部隊に入るには、陛下との信頼関係は絶対だった。

「何か功績を挙げられたのですか?」
「いや~、地上で軍の指揮を取って、謀反むほんを起こしたって有名です」

 人間同士の争い事で、熊族にとっては別世界の話だった。隣に立っていた犬が本当に不思議そうな顔をする。

「どうですかね?」

 ひとつ前の言葉で、孔明と同じように戦場に立っていたとなると、ますます興味がそそられた。

「そうですか。何年前に亡くなられた方ですか?」
「四百年ほど前ですよ」
「ありがとうございます」

 孔明が丁寧に頭を下げると、漆黒の長い髪がタキシードの肩からさらっと落ちた。盛り上がっているパーティー会場で、孔明はまるで獲物を狙う猫のように忍足で近寄ってゆく。

(たった四百年では、軍を指揮して謀反を起こした人が地獄から出て、神界へは上がれない。たくさんの部下たちまで巻き添いにした罪は重い)

 矛盾点が浮かび上がった。急に横切ってきた子供を避けるために、長い髪がふわりと舞い上がる。

(名が残っている人ほど、その後の時代に生まれた人々によくない影響を与えれば、それもまた罪を重ねることなる)

 歴史に名が残っている以上、その人の行いは後世に語り継がれる。謀反が本当に罪だとしたら、何千年の時間がかかる。さらなる矛盾点。

(そうなると、まだ地獄にいる可能性が非常に高い。しかし、神の領域に上がっている。それを追い越す良い行いをしていないと、今ここにはいない。興味深い人物だ)

 どのような心根で、このパーティー会場にいて、他の種族の人たちと親しげに会話ができるのか。まわりを囲んでいた人々が引いたところで、孔明は瞬発力を発して、特殊部隊に所属する男の前に立った。

「失礼いたします。諸葛 孔明と申します」

 男を真正面から見ると、誰かに面影が似ていた。にこやかに微笑むわけではないが、礼儀正しくゆっくりと頭を下げた。その雰囲気は誰がどう見ても貴族的だった。

「お初にお目にかかります。明智 光秀と申します」

 孔明の精巧な頭脳の中で計算して、成功する可能性が高い最初の言葉はこれだった。

「このような噂を耳にしました」
「どのようなことでしょう?」

 光秀は決して低くわない百九十センチ越えの身長で、孔明の聡明な瑠璃紺色の瞳を真っ直ぐ見上げた。ふんわりした春風みたいな雰囲気は一瞬にして消え去り、氷河期のような冷たい声で、孔明は言った。

「地上で生きていた時に、謀反を起こされたと」
「さようでございますか」

 光秀は気にした様子もなく、どこまでも平常でただ相づちを打った。孔明のデジタルな頭脳が猛スピードで動き出す。

(謀反を起こした理由は別にある――という可能性が高い。の強い人間ならば反論してくる可能性が高い)

 ただうなずいただけ。目の前にいる謀反を起こしたと言われている男は。

(反論しないとなると、彼は感情で動く人間ではない可能性が高い。そうなると、恨みや憎しみ、権力に踊らされて行動を起こすという可能性は非常に低いということになる)

 プロファイリングされてゆく。誰かに面影が似ている男の性格が。対する光秀には、孔明はこう映っていた。

(初対面の人物と話す順番としては少々荒っぽい)

 先日、陛下の部下が霊界へ降りて連れてきた人間だ。それだけで十分孔明の名は知れ渡っていた。

(この方は大変優れた方だと陛下もおっしゃっていた。そうなると、罠――)

 天才軍師と言われた男ほどではないが、光秀にも理論がある。ここまでの時間はまだ0.5秒ばかりだった。

 パーティーの音楽が一小節も進まないうちに、孔明の頭脳は稼働し続ける。

(謀反と人から言われれば、何か意見をする可能性が高い。しかし、それを口にしないのは、この方は地位や名誉に価値を見出していない。人からどう見られようと構わないという人間であるという傾向が高い。そうすると、彼が大切にしてたのは……)

 ここまでの時間は一秒もかからなかった。会話としておかしくない間で、孔明は次の的確な質問を放った。

「ご家族は自害なさって、大変だったでしょうね?」
「そうかもしれません」

 光秀の態度はどこまでも揺るぎのない大地という言葉が一番合っていた。すぐさま、孔明の頭脳に今の言動が取り込まれ、消化されてゆく。

(彼にとって大切なのは家族でもない。謀反と言われても仕方がないようなことを起こしたのだから、自分自身でももちろんない。そうすると……)

 誰かに面影が似ているこの男――光秀の望んだものを、孔明は弾き出した。

「あなたが大切に思った、今現在・・・の日本をどのように思いますか?」
(あなたは人間として生きていた時から、神と同じ心と目で、未来を見て行動をした方だ)

 聖獣隊の瑠璃色のマントが微かに揺れて、光秀は少しだけ微笑んだ。

「あなたは頭の優れた方だ」

 だが、すぐに真摯な眼差しに戻った。

「ですが、私は人です。神ではありません。あの時代に生きた一人の人間として、今の未来まで予測できたのは、神のお力添えです」

 素晴らしい頭脳を見せていただいた礼として、光秀は今会ったばかりの男――孔明にだけ聞こえるように言った。

「天下などどうでもよかった――。ただ弱き者たちも何もかもが平等で平穏に暮らせる日を願っただけです」

 過ぎてしまったものは変えられない。ただの通過点でしか今はなく、それでも懸命に生きた結果が謀反だと言われようとも、永遠の世界へ来ては、それはたったひとつの人生に過ぎないのだ。

 雲の動きを見て、天気を予測できるほど眺めた、地上からの空を孔明は鮮明に思い出して、平民は戦いなど望んでいないのだと、痛感する毎日を脳裏でたどる。

「私も戦争ばかりの日々に生まれ、心を痛めてばかりでした。戦争に加わるよう言われましたが、私は戦争をやめることこそが平穏な暮らしの第一歩だと思っていました。ですが、私は考えをその後改めて、自身の手で平穏な暮らしを手に入れようと思いました。人は無力だということも知らずに」

 孔明は一旦言葉を止め、究極の慈悲を持つ男をじっと見つめた。

「明智さんのほうが優れていらっしゃる。戦いを未来で食い止めたのですから」

 本当の敵は人間ではなく、邪神界という悪の集団だった。それに気づくことなく、無防備に思案した結果が孔明の人生だった。

「私は決して一人前ではありません。陛下のお力添えがあってのことです」

 光秀はどこまでも謙虚だった。この男と面影が似ている人は、あの謁見の間で玉座にわす方だった。

「あなたでいらっしゃいましたか」

 目の前にいる男は、地位も名誉もいらないのだ。最低限の礼儀として、孔明はそれ以上わざと言わなかった。

「お気遣い恐れ入ります」

 光秀もわかっていて、少しだけ目を伏せた。パーティー会場にいる人々は男二人のやり取りに気づくものは誰もいなかった。

 孔明は思う。自分がやって来る前にも、この世界は新しく何度も生まれ変わっていて、その間に起きた出来事を聞いた限りを脳裏に蘇らせた。

(陛下の過去世から分身されて、別の個体として生きていらっしゃる方が、お二方いると聞いたけど……)

 また音楽が一小説も奏でられない間で、光秀は慎み深くステージの中央に掲げられている、獅子の紋章の旗を見上げた。

(私は本来なら、陛下に取り込まれており、存在は許されません。ですから、誕生させていただいただけで光栄です。私は何も望みません。明智を名乗っている以上、私は皇家すめらぎけではないのですから)

 身内優先主義の皇帝が人々の尊重など受けられるはずもなかった。それでも、陛下は堂々たる態度で、特殊部隊のメンバーに光秀を含めて彼の息子たちも据えたのだ。

 彼らの人となりは少しでも話せば、他人優先の慈悲に満ちあふれた人々だと、神様の世界に住む人々はすぐに理解した。陛下への忠誠心は揺らぐどころか、より強くなったのだ。

 謀反は噂話ではなく、単なる過去の言葉として言っていたのだ。不思議そうな顔をしたのは、なぜそんなことを光秀が言われているのかが、他の種族にはまったく理解できなかったからだ。

 会場に流れていた曲調が急に明るく速いものに変わり、それがまるで合図というように、孔明が丁寧に頭を下げると、漆黒の長い髪がタキシードからサラサラと落ちた。

「失礼いたします」
「失礼」

 光秀が頭を気品高く下げると、ステージ上でゲーム開始のアナウンスが流れた。孔明はわざと離れてゆくそぶりを見せて、さっきとは違った軽い調子で別の話題をふった。

「あぁ、そうでした。この世界へ来てから、身長と年齢はお変わりになりましたか?」
「えぇ。背は伸び、年齢は若返りましたよ」
「ありがとうございます」

 孔明はカクテルグラスの酒を一気飲みして、カラのグラスをちょうどきた給仕係が持っているトレイに乗せて、背が高い分人よりもよく食べる彼は料理のテーブルへ近づいてゆく。

(思慮深い方だった。陛下とは雰囲気が全然違う。ボクとも違って、落ち着いてる。礼を重んじる人)

 動くことは滅多いないのだが、大切な人だと気づけば、自ら出向いて頭を先に下げる光秀が見てとてた。

 孔明は冷製のラム肉を皿に取って、ソースをかけながらさらに考える。

 ――マキャヴェリズム。

 悪がいる世界では、AとBのどちらか一方しか選べないという場面によく出くわす。
 Aを選ぶと千人助けられる。
 Bを選ぶと千一人助けられる。
 この時、一人でも多いBを選び、Aの千人を切り捨てるという考え方が、マキャヴェリズム。
 それを何の迷いもなしにできる人物。
 人生には制限時間が必ずある。戦争ともなれば、一秒の迷いでも命取りになる。
 だからこそ、理論で無感情に千人を切り捨てられる人材が必要となる。
 彼はそれを実行した人――。

 山盛りにした皿から顔を上げると、光秀の姿は様々な姿形の人たちに隠れてしまっていた。

「彼と仲良くなりたいけど、どうも彼は他の種族の人たちに好かれるみたい。落ち着きを持ってる人間の中には、そういう傾向がある人がいるらしい」

 生きている時よりもよく見え、錯覚という誤差も起こさない瞳で、光秀のそばにいる種族を口にする。

「パンダでしょ? キリン、龍、ウサギ……。この言い方はよくないけど、動物園みたいだ……。あんなにまわりを囲まれてる」

 何かの運命に阻まれているように、孔明と光秀を溝のようなもの――いや幸運という名のリボンが一本横切っているようだった。

「ボクの入り込める余地なし……」

 孔明が軽く嘆息すると、離れた場所から争うような声が聞こえてきた。楽しいゲームタイムのはずなのに、穏やかではない出来事が起きている。

 音楽も鳴っていて、人々の話す声でかき消されてしまうはずなのに、なぜか孔明の耳というか心に入り込んできた。

「この声どっかで聞いたことがある……」

 人混みをかき分けかき分け、漆黒の長い髪を持つ男は進んでいった――
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