最後の恋は神様とでした

明智 颯茄

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趣味はカエルではありません

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 ヘタッぴなデッサンを、3B鉛筆を使って書いてゆく。手のひらが黒くなっているのも気づかず、奇跡来きるくは練り消しで包む込むように線を消す。

 スケッチブックに鉛筆の芯をまたつけようとすると、コウの声が響き、驚いて全然違うところに余計な線が入ってしまった。

「今日は、お前にまた朗報だ」
「何何?」

 奇跡来は今頃手の汚れに気づいて、自分に練り消しをこすりつけた。横滑りするのではなく、コウの小さな足はぴょんぴょんとコミカルな足音を発して、スケッチブックと奇跡来の間に割って入った。

「神様をモデルとして、神が人間に作らせたテレビゲームを紹介する」
「神様が人に作らせた……」

 どこかずれているクルミ色の瞳からは、手のひらが消えて、赤と青のくりっとした目が映った。

「それって、前言ってた、神様の力――神威かむいが効いてるってやつ?」
「そうだ。今から言うことをよくメモしておけよ。重要だからな」

 コウが宣言すると、奇跡来は慌ててスケッチブックを閉じて、メモ帳へ手を伸ばそうとした。しかし、何かに気づいて、机の上に開いたままのパソコンのキーボードへ指を落とし、新しいファイルを開いた。

    *

 数日後――

 スリープしているパソコンの隣で、ゲームのコントローラーを手に取り、必要以上に力を込めてボタンを押している、奇跡来がいた。

「――ゲームソフト買ったか?」

 銀の長い髪が後ろで揺れていても、彼女は振り向かないで画面に夢中。

「うん、一応買ってみた」
「どれどれ?」

 机の上に立てかけられたゲームのタイトルを見て、コウはあれだけ教えたのにと思い、憤慨した。

「お前、恋愛シミレーションゲームばかり買って、どういうことだ!」

 一時停止をして、奇跡来はブラウンの髪を照れたようにかき上げる。

「いや~! 刀でバッサバサ人を斬るのはどうも苦手で……。しかも、歴史弱いしね。登場人物に興味がないんだよね」

 コウは腕組みをして、なぜかニヤニヤした顔をする。

「そうか。まぁ、許してやろう」
「許しはうてないんだけど、まぁいいか」

 奇跡来は負けじと返し、またゲームの中で恋愛を楽しもうとした。コウはそんなあおりに乗らず、特ダネを口にする。

「その中に、孔雀大明王くじゃくだいみょう火炎不動明王かえんふどうみょうおう光命ひかりのみこと夕霧命ゆうぎりのみことがモデルとして出てる。もちろん、陛下もだ!」

 お菓子を口に加えたまま、奇跡来は素っ頓狂な声を上げて、

「マジで! どれどれ?」

 彼女は慌ててゲームを一時停止して、ソフトの表紙をあれこれ見始めた。コウの小さな指先がキャラクターの一人を指さす。

「これが、光命だ」

 そこには、上品に微笑む男が描かれていた。髪は肩より長く、淡く濃い青――瑠璃色。銀の細い丸の向こうに潜むクールな瞳。貴族的な洗練された服装で、青の王子という名が相応ふさわしかった。

 ソフトを持ち上げて、奇跡来はただただキャラクターの絵を眺めていたが、やがて妙な納得声を上げる。

「あぁ~、メガネかけてる神様?」

 神界のルールをまったく理解していない、人間の女の真後ろで、コウは珍しく声を荒げた。

「違う違う! 神様の視力は低下しない! イメージだ、イメージ!」

 肉体がないのに、目が見えなくなるはずがないと、奇跡来は納得して、ドライフルーツをかじりながら、何の感情も抱くことなく、うんうんとうなずく。

「メガネが似合いそうな、知的な人ってことか」
「そうだ。これが夕霧命だ」

 今度は、赤茶髪で上半身の半分まである男が指さされた。顔の表情はほとんどなく、瞳もまっすぐと見つめていて、あごのラインがシャープ。

 長髪なのに、奇跡来は見た目ではなく、霊感を使ってキャラクターの奥深くを見た。何の感情も抱くことなく。

「なるほど。実直で落ち着いてる感がいなめないね」
「合ってる。そして、これが孔雀大明王だ」

 指さされた先には、藤色の髪を後ろで縛り、無精髭をはやした男が優しく微笑んでいた。奇跡来は名を聞いたことがある神様の意外な姿に、ずいぶん驚いた。

「え? もっと、こうゴツい感じの人だと思ってた」
「バカだな。神様の彫像は人間が想像して、彫ったものだろう? 違うに決まってるだろう」

 奇跡来は何の感情も抱くことなく、ただ褒めた。

「結構イケメンで、ハートフルな人だね」

 ドライフルーツの砂糖がゲームソフトにかかってしまい、手で適当に払った。そうして、コウは神世がある意味、理想郷ユートピアだと告げる。

「神様は全員イケメンだ」
「どうして?」

 恋愛シミュレーションゲームのキャラクターなだけあって、神様たちは綺麗に描かれていて、奇跡来は素晴らしい絵画でも眺めるように、ゲームソフトを裏返したりしていた。

「心の世界は魂のままが見た目になるんだ」

 奇跡来は合点がいって、ビルに四角く切り取られた空を見上げた。

「そうか。心が澄んでるから、美男美女ばかりなんだ。美しい世界だ、神世は」
「それで、これが火炎不動明王だ」

 別のゲームを指差されて、慌てて視線を落とすとそこには、カーキ色のくせ毛が柔らかな印象を醸し出す、優男がいた。

 紺の瞳も優しげで、ニッコリ微笑む神をモデルにしたキャラクター。甲冑を着ていた火炎不動明王とは似ても似つかないほど、イメージがかけ離れていて、奇跡来は不思議そうに首を傾げた。

「え? こんな優しい感じの人だった?」
「しかも、独特の価値観で、ちょっと天然ボケが入ってる」
「そうなの? じゃあ、邪神界があった時、大変だったんじゃ……」

 あの油断すれば攻撃を受け、神でさえも消滅という運命をたどり、消え去ってしまう世の中を生き抜けたとは、今見ている絵からは想像できなかった。

 コウはふわふわと回り飛び、あきれたため息をつく。

「真面目にやろうとしても、ボケでまわりを知らないうちに笑わせたりしてたらしいぞ」

 奇跡来は親指を立てて、バッチリです的に渋く微笑んだ。

「いいね! 神様、心に力が入ってなくて」

 シリアスシーンが笑いに変わってしまう。彼女は思った。やはり笑いが世界を救うというのは本当なのだと。

「それはあくまでもイメージだ。実際とはちょっと違うからな」

 コウは空中を右へ左へ、腰の後ろで両手を組んでウロウロする。奇跡来はうんうんとうなずいて、コントローラーに持ち替えた。

「わかった――。ゲームをプレイして、ひとまずはこれで、神様みんなの雰囲気を覚えよう!」

 今にもゲーム画面に突進していきそうな勢いだった人間の女に、コウが待ったをかける。

「そういう返事じゃ、お前、光命はおそらく理解できないぞ」
「え? どういうこと?」

 何を指摘されたのかわからない奇跡来は、ひどく驚いた顔をした。ゲームの中のキャラクターが話しかける声が勝手に再生されてゆく。

「ひとまず、光命のキャラ落としてみろよ」
「うん、そうするよ……」

 奇跡来はもう一度ゲームのパッケージを見た。上品に微笑む、青の王子と呼びたくなるほど、綺麗な男の絵を。

    *

 少しささくれだったウッドデッキに、木のきしむ音がさっきからしていた。藤色をした長めの短髪が、ロッキングチェアを動かすたびに揺れる。

 カウボウイハットは休憩というように顔にかぶせられていて、ジーパンの長い足は床を蹴り上げて離すを続けている。

 そこへ、小さな人たちが元気に走り寄ってきた。

「パパ、これ見て!」
「あぁ?」

 帽子をはずすと、鋭いアッシュグレーの瞳が姿を現した。そこに映ったのは、黄緑色で目が二つ上の方についている帽子をかぶった、我が子だった。

「何、カエルなんかかぶってんだよ?」

 可愛らしいアマガエルハットが息子、はくこうの頭に乗っていた。子供たちは目をキラキラ輝かせながら、パパの大きく節々のはっきりした手を握る。

「先生がかぶって学校に来てたよ」

 今目の前にある黄緑色のものが、大人の頭にある。しかも、あの学校の閑静な廊下と学びの厳格な教室で動いている。孔雀大明王こと明引呼あきひこの脳裏に容易に想像できて、いぶかしげな顔をした。

「あぁ? かぶり物して学校に来るティーチャーなんて、ふざけすぎてんだろ。もしかすっと……」

 教師は数いれど、頭の中で電球がピカンとついたようにはっきりと蘇った。マゼンダ色の長い髪を持ち、ニコニコと堪えることのない笑みを見せる、女性的な男が。

「どのティーチャーさんだよ?」
月主るなす先生!」

 思った通りで、明引呼はあきれたように鼻でふっと笑い、

「あの女みてぇな野郎、どういうつもりだよ?」

 吐き捨てるようにうなるが、興味深い人――いや男との出会いに面白みを覚えた。かさかさと紙がすれる音が荒野を駆け抜けてくる風ににじんで、

「パパ、これ見て」
「あぁ? テレビゲームのチラシってか?」

 この世界は猛スピードで発展していて、娯楽も増えてきた。邪神界がいた時では考えられない、人間と同じような遊びが急成長している。

 子供は折りたたんでいた紙を開いて、パパにRPGゲームなどという物語を見せた。

「そう。これのキャラクターで――」

 明引呼がのぞき込むと、マゼンダ色の長い髪はどこにもなかった。

    *

 そうして、翌日の放課後。

 下校時刻を過ぎた教室で、開けっ放しの窓を閉めた先生は、ロングブーツのかかとを鳴らしながら、静まりかえった廊下へ出た。

 頭には黄緑色のカエルをかぶり、マゼンダ色の長い髪を揺らし、歩き出そうとすると、しゃがれた声がふとかかった。

「よう、月主先生?」

 細身のパンツがねじられるように振り返ると、真正面で挑むようにガタイのいい男が立っていた。鋭いアッシュグレーの眼光は隙なく向かってきていたが、呼ばれた先生はニコニコの笑みのままだった。

「おや、空美そらみさん、本日は親御さんがいらっしゃる日ではないんですが……。以前あなたにはご説明させていただ――」

 教師として注意しなくてはいけない。親バカが多くて、学校の敷地内に次々に瞬間移動してくる大人たちが多いのだから。毎日、いたちごっこである。

「カエルのキャラクターのモデルになったから、それかぶってるってか?」

 明引呼がチラシで見たのは、深緑のカエルが服を着て二本足で立っている姿――キャラクターだった。

「えぇ、そちらもありますが、本当の理由は違います」

 月主命が首を横に振ると、小さな足音が明引呼の背後で聞こえた。幼い声が男二人きりの廊下に元気に響く。

「カエル先生、さようなら!」
「はい、さようなら」

 ニコニコと微笑みながら、上品に手を振るふざけた野郎――いやカエルと呼ばれている教師に、明引呼はカウンターパンチを放つように鋭く迫った。

「教えろや」

 まぶたからヴァイオレットの瞳は解放され、「えぇ、構いませんよ」と貴族的にうなずいて、月に長い間足止めされていた男は、凛とした澄んだ女性的な声で答えた。

「私は子供たちが笑顔になるのなら何でもします。五千年間、小さな彼らが傷ついても、何もできませんでした。ですから、私は彼らの笑顔のためならば、何でもします」
「そうか」

 三百億年も生きてきた教師の心は慈愛に満ちていて、明引呼の心に重たいパンチのように深く響いた。

(ガキのため……。それで、犠牲になるってか? っつうことは、何言っても引かねぇな)

 女みたいに見える男。この男が人間として生きたとしても、子供のためなら、何も嘆きもせず、命乞いすることなく、力強く死んでゆくのだろう。明引呼はそう直感した。

(タフな野郎だ……)

 どことなく妻と似ている。それなのに、男であるからなのか違って見える子供の担任教師。不思議な感情に囚われ、明引呼は珍しくぼうっと立ち尽くした。

 話はこれで終わりというように、カエルを頭にかぶったまま、月主命は軽く会釈をする。

「それでは失礼」

 夕陽が斜めに入り込んだ廊下で、男二人の距離は離れていきそうだったが、ふと明引呼が片手を大きく上げた。

「よう、先生? 放課後暇なら、茶でも飲みにいかねぇか?」

 誘い。仕事を終える間近の男への誘い。月主命は動じるわけでもなく、瞳はまたニコニコのまぶたに隠された。

「えぇ、構いませんよ」

 驚いたり何か反応するかと思えば、さっき直感した通り、絶対的な不動を見せる男を前にして、明引呼のフィーリングに別の波紋が広がった。

 マゼンダ色の髪の上に乗る黄緑色の大きな瞳に、アッシュグレーの鋭い眼光は向けられ、

「カエルは勘弁な」

 冗談で言ったのに、月主命はきっちりと意見してきたが、やけに策略的だった。

はかぶり物が趣味でしているんではないんです。ですから、が心配しなくても、学校の外ではかぶりません」

 どんなパンチを放っても、仙人みたいに余裕でかわしてくる男を前にして、タフなボクサーのように、明引呼はニヤリとした。

外面そとづらってか?」
「えぇ、心を許した人間にしか、は使いません」

 ニコニコしながら、平然と地獄に人を蹴落とすようなことをすると肌で痛いほど感じて、明引呼は口の端で笑った。

「ふっ! これでオレが理由――どうして急に言葉変えたのか聞きゃ、罠にはまっちまうってか?」
「おや? バレてしまいましたか~」

 罠を張ってくるわりには、タネ明かしをする月主命。子供の心を傷つけるような人物が現れたら、どんな相手だろうとも、地の果てを越してまで追いかけてきて成敗するような、執念深さ――やはりタフな男だった。

 夕暮れにむ学校の廊下で、ただの担任教師と保護者の関係が崩れ始めた。ガタイのいいと男と髪の長い女性的な男は廊下を一緒に歩き出す。

「聞いたぜ、先生のヤバい噂・・・・をよ」
「うふふふっ。僕は何も知りませんよ~」

 上品な含み笑いは、凛とした澄んだ女性的な声色なのに、地をはうような低さを感じさせる響き。だからこそ、怖さが増すのだった。

 しかし、明引呼は疎遠にするどころか、新しい世界の誕生と祝して、会うはずもなかった男と個人的な付き合いを望みながら、しゃがれた声を夕闇に黄昏れさせた。

「てめぇが知らねぇでやってっから、マジでヤバいんだろ?」

 妻帯者と独身男は微妙な距離を空けて、子供たちのいなくなった小学校の廊下を歩いていたが、瞬間移動でふと消え去った。
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