翡翠の姫

明智 颯茄

文字の大きさ
上 下
20 / 28

死にゆくならば/6

しおりを挟む
 だが、東の国もよほど注意して、今後の政治を進めていかないと、嘘にはいつか民も気づく。

 その時は、反対勢力として作用し、今度は自分の国が崩壊の危険にさらされることになるのだ。人とは愚かなものだ。そうやって同じ繰り返しをしてゆく。

 それをなくすことは簡単なのに、たくさんの人は地位と金に狂わされて、気づかないまま、多くの歳月を費やしてゆくのだ。

 滅多なことでは怒らない貴増参だったが、自然と手を握る力は強くなった。それでも、目を強くつむって、貝のように固く口を閉ざして耐えるしかない。

「あの男はどこに行った?」

 自分が探されている――

「わざと逃して難癖つけて、奴隷として差し出すつもりだったんだが……」
「とにかく見つけて、少しでも媚を売って、王さまに高く取り立ててもらうんだ」

 だから、鍵はすぐに見つかったのだ。逃げてきたのも間違いだった。だが、過去は変えられない。変えられるのは今と未来。しかし、それも――

 男たちの声が背後でウロウロする。

「侍女はどこだ?」

 奴隷として差し出すのは、やはり自分一人ではなく、この隣に隠れている女も一緒だった。

「逃げてください」

 かすかにそう聞こえた気がした。動き出そうとすると、歩きなれない自分の革靴が落ちていた枝をパチンと踏み潰した。一気に男たちの動きが忙しくなる。

「いたぞ!」

 ガサガサと走り寄る音とほぼ同時に、シルレは貴増参が隠れている木よりできるだけ遠くへ向かって走り出した。

「捕まえろ!」

 男たちの注意は一斉に遠くへ向き、あっという間にシルレは囲まれ、侍女は濁流を背後にして、まさしく背水の陣になってしまった。

 ジリジリと詰め寄られて、ほんの少し足を後ろへやると、大雨のせいでもろくなっていた大地はたやすく崩れ落ち、

「きゃあっ!」

 女の悲鳴が空へ突き刺さるように上がると、男たちのため息交じりの声が聞こえてきた。

「濁流に落ちたか……」
「まぁ、いいか」
「男の方を探せ!」

 今度は自分に追っ手が迫ってくる。声の方向から探ろうとするが、こんなことは日常では起きない。今まで平和な日々だった。慣れない。わからない。勘も持っていない。

 潜める息の中で、貴増参は心の整理をする。

 逃げるのではなく。目を背けるのでもなく。ただ、自分は手を貸せない。味方とか敵とかではなく、彼らに自分を渡すわけにはいかない。

 白に近いピンクのシャツは隠れるのには不向きで、男たちの目に無防備にさらされた。

「いたぞ!」
「あそこだ!」

 捕まることはできない。考古学の見地から見て。願わくば、それを自分はしたくない。だからこそ、捕まるわけにはいかない。

 味方をしてくれる人――頼みの綱はなくなった。それでも、自分のしかばねを埋める場所は、どうにかして望み通りにしたい。

 死ぬゆくならば、濁流の中で――
 自分という証拠が完全になくなる、濁流の中で――

 土砂降りの薄闇の中で、服も心も濡れて物悲しく、死へと手招きするように、ゴーゴーとうねる濁流へと急いで近づいてゆく。だが、ふと足を滑らせて、

「っ……」

 木々も地面もあっという間に高くなり、立ったままの姿勢で落下し始めた。

 全てがスローモーションになる。濁流の音はやけに濁り、手のひらから翡翠の勾玉が反動で飛び上がり、青緑の光を四方八方へ力強く放ち、視界は一瞬にして真っ白になり、まぶしさに思わず両手で目を覆った。

 次は濁流に飲まれ、そこで意識はなくなる。体はバラバラに砕けるのだから。落ち続ける体。近づいてくる濁流の音。だが、不思議なことに途中で全てが消え去った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...