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Time of repentance/2

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 ――ふと立っている感覚を覚え、崇剛はゆっくり瞳を開けた。青い光のシャワーが下から噴水のように天へ登っていた。天地が逆転している聖堂――神と人間は同じ高さで向かい合う。
 パイプオルガンの荘厳な音色に、遊線が螺旋を描く優雅な声が混じった。
「夜見の交差点へ向かった時は、守護をしてくださっただけですか?」
 黄色のサングラスの奥に潜む、赤い目をじっと見つめると、自分の居場所がわからなくなるように、ぐるぐるとまた回り出す。聖戦争の最後に感じた遠心力を受けているように。
「そう」とナールは言って、「ラジュがいないのはもちろんだけどさ、カミエもいなくなちゃって、俺一人になったんだよね」
 土砂降りの交差点で大鎌を投げては戻して、敵と対峙した夜は、神の脳裏にもはっきりと残っていた。
「他の方は主の正体をご存知なのでしょうか?」
「そうね、ラジュだけじゃないの? 気づいてんの。もしかすると、ダルレシアンもね」

 パチンと指が鳴る音がして気がつくと、聖堂の青い絨毯の上にふたりとも立っていた――。
「で、懺悔は?」
 あたりの空気は一転して、ビリビリと体中を震わせる畏敬で埋め尽くされた。黒い神父服はひざまづき、崇剛はこうべを垂れる。
生霊いきりょうから瞬を助ける時間の導き出し方を誤ってしまいました」
「まあね、あれは、正神界の生霊だったからさ、間に合わなくても全然オッケーじゃん」
 ナールは片足に体重をかけることもせず、祭壇に寄りかかることもなく、裸足のまま聖堂で感じる縦の線――正中線を、まるで自身の体に持っているように立っていた。
「あとは?」
「悪霊に襲われた時、感情に流され判断を誤ってしまいました」
「あれは、厄落としが大きく関わってるからね。お前の判断鈍らせたの、俺の力だし。お前なりに十分制御できてたよ」聖書の中にあった、エジプト王の話と同じだった。
「ありがとうございます」
 銀のロザリオを、崇剛は強く握りしめた。
「それから?」
「四月十八日、月曜日。二十時五分二秒から、瑠璃に罠を仕掛けてしまいました」
 いけない癖だ――。聖女に罠を仕掛ける時刻をインデックスとして記憶しておくのは。こうやって、最後に懺悔をするためになのだ。
「お前、好きだよね、罠仕掛けんの」
 さすがの神もあきれた顔をした。崇剛は両方の手のひらを天井へ向けて上げ――優雅に降参のポーズを取る。
「罠に相手がはまるという快楽から逃れられないのです」
 ナールはマスカットを口の中に放り入れて、シャクッと噛み砕いた。
「でも、まあさ。あのガキも気にしてないから、いいんじゃないの? コミュニケーションのひとつってことでさ」
「赦していただいて、ありがとうとざいます」
「終わり?」
「いいえ」崇剛の紺の髪は横へ揺れ、さっきまでと違って真摯な眼差しになった。
「国立 彰彦の心を傷つけました。どのように罪を償ってゆけばよいのでしょうか?」
 恋愛――という感情が絡む出来事。データが少なかったばかりに、取り返しのつかないことをしてしまった。後悔の海へと断崖絶壁から真っ逆さまに落ちて、海面で派手な音を上げ、そのまま深く深く……青が闇色へと変わっても、崇剛は沈み続けてゆく。
 その時だった、一筋の光が天から差してきたのは。
「そうね。お前なりの断り方だったんだからいいんじゃないの? それに、反省してるしさ。今後、同じように傷つけないでしょ?」
 赤い目をした神からの問いかけに、崇剛は少しだけ微笑んだ。
「えぇ、そうかもしれません」
 未来の見えない人間は、戒めとして曖昧な返事を返した。
 裸足で身廊に降り立つ神は、無機質な表情だった。まるで、どんな感情にも左右されることとは無縁だというように。
「それにさ、あれ・・には厄落としがまだ継続してんだよね。それと関係してるから、お前が深く反省しすぎることじゃないよ」
「そうですか」
 ナールは足音ひとつさせず、跪いている崇剛へと近づき、神経質な頬に手を当てた。神の手に吸いついたように、崇剛の体はすうっと立ち上がる。
「今回の事件についての懺悔は、こちらで終了です。導いてくださって、感謝いたします」
 遊線が螺旋を描く優雅な声が聖堂に響き渡ると、ナールは神父をいきなり抱き寄せた。崇剛の手から絨毯へと思わず落ちた聖書。二百三十一センチの背丈がある神の腕の中で、百八十七センチの神父は身を任せる。
 青い光のシャワーが抱き合う男ふたりに、祝福するように降り注ぎ続ける。その中で、崇剛は神を触れられなくても強く感じ、神経質な頬を一粒――贖罪しょくざいの涙――がこぼれ落ちていった。
 ナールの大きな手は、崇剛の頭をぽんぽんと優しくなでる。パイプオルガンの曲が流れてきて、しばらく神父は瞳を閉じ、その音色に、神の存在に酔いしれていた。
 
 祭壇に一番近い参列席へ崇剛は座り、ナールは背もたれの縁――二センチほどの幅の上を綱渡りでもするように、バランスを崩すこともなく歩いていた。
「十月十九日、水曜日。邪神界との戦いで、最後に使われた力は、変化へんげのメシアですか?」
 冷静な水色の瞳には、白いシャツからはだけた鎖骨と、ドクロのペンダントの鎖がなまかしい曲線を作っているのが映っていた。
「そう」ナールはさっと消え去って、今度は身廊の真ん中に立っていた。
「神様って、いろんなやつがいて、得意なこともみんな違うでしょ。俺がメシア作れるって言ったら、ああいう感じってことで、変化のメシア作っちゃったの。今の時点では、人間には貸してないけどね」
 神が大きく手を上げると、物理的法則を無視して、ステングラスの向こうから、大鎌が飛んできた。ガシャンと鉄がすれる鈍い音がする。
「ダルレシアンとは、やはり接点があっていらしたのですか?」
「そうね」ナールがパチンと指を鳴らすと、大鎌と引き換えに、マスカットが出てきた。
「あいつの前世――天都 レオンの奥さんが、俺の守護する人だったからね。レオンを守護してた神様とは話し合ったりで、そういう接点はあったよ」
「そうですか」
 崇剛はあごに軽く曲げた指を当て、データを次々と脳裏に記憶して、可能性の数値を変化していった。
 シャクっとマスカットをかじって、ナールは崇剛のそばに瞬間移動してきた。
「でさ、お前に頼みごとがあんの」
「どのようなことでいらっしゃいますか?」
 神が人間に頼み事――無意識の策略をするだけのことはあり、まだまだ導き出せない可能性があるのだと、崇剛は思った。
 ナールは街角でナンパでもするようにナルシスト的に微笑んで、人差し指を斜め上に持ち上げた。
「ここに住まわせてくんない? まだ全然、守護するやつらと人間のデータ取れてないからさ。しばらく、地上にいたいんだよね」
 何をお願いされるのかとお思いきや――崇剛はくすりと笑った。
「全ての持ち物はしゅの物なのですから、断る必要はないと思いますが、違いますか?」
 マスカットにあきれてしまったナールは、リンゴをシャクっとかじった。
「ちょっと言葉は違うけどさ。親しき仲にも礼儀あり――って言葉があるでしょ?」
「えぇ」
「だからさ、一応お前に断っとかないとね。神様と人間の間にも礼儀ありだから」
「そうですか。神と同じ屋敷に住まえることに、感謝いたします」
 崇剛は慎ましく頭を下げた。
「神様って未来までよく見えてるじゃん?」
「えぇ」
「だから、俺の中ではもう、次の事件始まっちゃってんの」
 これ以上質問が来ないように、ナールはさっと右手を上げ、教師が授業を仕切るように話をしめくくった。
「はい! 今回の事件はここまでです! 花まる差し上げちゃいます!」
 空中に赤で綺麗な花まるが浮かび上がり、崇剛の中――魂へ吸い込まれていった。
「邪神界と対峙できるよう、日々精進いたします。ですから、どうか、守護をお願いいたします」
 崇剛が頭を下げると、ナールの綺麗な手が伸びてきた。
「いいよ」そう言って、崇剛の頬にそっと揺れなでて、神経質なあごに手は添えられた。キスをするようにそれは上げられ、ナールはナルシスト的に微笑む。
「お前が成長するように導いちゃう」
 触れるはずのない次元の違いという壁の前で、唇と唇が近づいてゆく。リンゴのさわやかな香りがどんどん強くなってゆく。神からの祝福のキスを、神父は受け止めるために、銀の細い縁のメガネの奥で、冷静な水色の瞳はそっと目を閉じた――

「――崇剛?」
 触れる寸前で、春風が吹いたようなふんわりした男の声が、聖堂に響き渡った。崇剛は我に返り、まぶたをさっと開けると、ナールの姿はどこにもなかった。
「おや? なぜ、こちらへ来たのですか?」崇剛が参列席から立ち上がると、黒い神父服の上で、銀のロザリオがゆらゆらと揺れた。
「ボク、ここらへんよく知らないから、一緒にお散歩しようと思って」
 ダルレシアンの聡明な瑠璃紺色の瞳の中で青が降る。身廊を歩いて、落としてしまった聖書を拾い、崇剛は白い着物を着ている魔道師を見た。
「坂道を歩くのですか?」
「崇剛は運動不足だって、涼ちゃんから聞いたんだけど」
 屋敷の主人の瞳は、今や猛吹雪が吹き、瞬間凍結させるような冷たさだった。
「なぜ、自身の敷地内をわざわざ歩くのですか? 非合理的です」
 ルールはルールだ。旅先で歩くことは意味があるが、新しい発見がほとんどない、家の中を歩くとは――しかも小高い丘の上に建っている屋敷。坂道ばかり。
「――それは登りたいやつがもう一人いるからだ」はつらつとした鼻にかかる声が響き渡った。
「涼介……?」洗いざらしのシャツに、ホワイトジーンズを着た執事が入り口から顔を出していた。足元には小さな人も。
「せんせい、おそと、いっしょにいこう?」
「リムジンで下まで丘を降りて、歩いて登ってきたら、冷たいアイスティーが待ってるぞ」
 大富豪の贅沢な遊びであった。
「なぜ、父親であるあなたは行かないのですか?」どうしても行きたくない崇剛。
「俺はご主人様の帰宅を待ってる、従順な執事だからな」
 立場を利用してくるとは、執事に対する面白味は、主人――策略家の中で増した。
「あなたは私の執事なのですから、坂道を登ってきた感想を、主人である私にぜひ教えてくださ――」
 執事にバトンタッチしたかったが、瞬の表情が曇った。
「せんせい、いかないの?」
 純真無垢なベビーブルーの瞳を見つけると、情を持ってしまったのだと、崇剛は気づいた。優雅な笑みは穏やかな陽だまりのように変わった。紺の長い髪が背中で横へ揺れる。
「いいえ、構いませんよ。ですが、着替えをしてきますので、玄関ホールで待っていてくれますか?」
「わかったー!」瞬は右手を元気に上げて、教会の中を走り出して、魔導師のそばまでサッとやって来た。
「ダルレおにいちゃん、いっしょにげんかんまでいこう」
「じゃあ、魔法で行こう」ダルレシアンはそう言って、瞬を抱き上げた。
「やったあ!」
 瞬の声が聖堂中に響くと、ふたりはパッと姿を消した。
「俺も玄関で、ご主人様の見送りをするから、先に行ってるぞ」涼介は言い残して、教会の扉はパタンと閉まった。
 一人きり。崇剛は祭壇から青いステンドグラスを見上げ、神を感じる。
「今までの日常は変わってしまったのかもしれませんね。よい意味で」
 黒い神父服は振り返って、教会から出ていった。
 
 玄関ホールに置かれた座り心地のよいソファーに腰掛け、ダルレシアンは足を組んでいた。
「瞬。午後は何するの?」
 一足早く玄関に来た、魔導師と小さな人は仲良く待ち続ける。
「おひるねとピアノ!」
「そう。瞬はどんな曲が好きなの?」
「ちょうちょとチューリップ」
「じゃあ、その曲聞かせて?」
「わかった」
 同じ空間に天使たちが控えていた。話に夢中のダルレシアンには聞こえないように、ラジュは向いのソファーに女性のように足をそろえて、ニコニコしている。
「崇剛の弱点は子供みたいです~。この先の厄落としには、子供関連のことを行いましょうか~?」
「五十歩百歩――君と弱点が同じです」ラジュの椅子の背もたれに、肘をついていたクリュダが言った。
「おや~、瑠璃のことですか~?」
 ラジュが振り返ると、金の長い髪がサラサラと肩から落ちた。
「昔の話っすか? いつかまた、できるようになるっすよ。死なないんすから。ラジュさんの未来は明るいっす!」
 アドスは気さくに、ラジュの肩をバシバシと強く叩いた。どこから出して来たのか、ラジュは玉露の入った湯飲みをズズーッとすすり、返事は返さなかった。


 その頃――屋敷の一番東の部屋で眠っていた瑠璃は、ベットで寝返りを打ちながら、「お主など眼中にないわ……」ボソボトと寝言を言って、また夢の中へ飛んでいった。


 ラジュをじっと見つめている瞳があった。無感情、無動のカーキ色のそれを持つカミエは、武道家の目で戯言天使の奥深くをに見抜いた。
「あたり一帯に広がる金色の気」
「貴様また、修業バカにもほどが――」
 服が汚れるのを気にして、椅子に座ることができないシズキは、今日も完璧と言わんばかりに、ゴスパンクのロングブーツをクロスさせて立っていた。
「違う」合気の達人は首を横に振る。「ラジュの女を惑わせる気の流れの正体がわかった」

 シズキは鼻でバカにしたように笑う。
「気の流れだけで人を惑わせることなどあるはずがないだろう」
「――俺もそれあるって、言われたことあるね」
 天使の輪っかと立派な両翼をつけた、ナールが横から割って入った。
 シズキは訝しげな顔をする。「何だと?」
「あの気の流れは、近づいてきた人を惑わせるものだ。武道家でも持っている人間はかなり少ない」
 絶対不動のカミエに負けず、シズキは言い返した。
「ナールに惑わせられたことは、俺は一度もない」
「あれほど強力だと、気づかないうちに巻き込まれている」
「俺は神に誓って、そんなことは一度もない」鋭利なスミレ色の瞳はカミエからナールへと向けられ、「その話、誰に聞いた?」
「武術が得意な神様から」
 無機質な表情ではなく、ナルシスト的な笑みで、ナールは軽薄的に答えた。
 身近な神で武術と言えば一人しかいない。
「夕霧命様か?」
「そう。カミエの守護神ね」
 軽快にそこまで答えていたナールは、シズキがここで平気で話していることを問い詰めた。
「――っていうか、お前、何でここにいんの? 守護の仕事どうしたの?」
「俺を見えもしない、声も聞こえない、国立のそばにいるだけ、時間の無駄だ。コンピュータ制御で十分だ。少しでも、霊感を磨く気にもなれば、そばにいてやってもいいがな」
 腰の低い位置で腕組みをして、シズキは俺様全開の堂々たる態度だった。


 その頃――聖霊寮で死んだ目をしたゾンビみたいな同僚に囲まれながら、仕事をしていた彰彦は、
「ハクション!」
 手に持っていた紙を危うく破いてしまうところだった。鼻を手でさすりながら、鋭い眼光であたりを見渡す。
「誰か、オレの噂してやがんのか?」
 うかがっていたが、話している同僚は誰もらず、彰彦は事件の調書をまた記入し始めた。


 再び、ベルダージュ荘の玄関――
 教会から地道に歩いて来た涼介は、ダルレシアンの膝の上に乗っている瞬を見つけて、うんうんと首を大きく縦に振って、妙に納得した。
「魔法って本当にすごいな。この広い屋敷も一瞬にして隅々までいけるんだからな」
 しばらく談笑していたが、待ちくたびれて、ダルレシアンの膝の上で足をパタパタさせていた瞬は、勢いをつけてぴょんと床に降り立った。
「せんせい、まだかな?」
 二階へと続く階段を見上げようとすると、茶色のロングブーツが一段降りてきた。
「お待たせしました。それでは、行きましょうか?」
 紺の長い髪はいつも通り、もたつかせてターコイズブルーのリボンで縛り、瑠璃色の貴族服に身を包んだ崇剛が、上品に玄関ホールまでやって来た。はずしたメガネの代わりに千里眼を使う準備は万端。
「おやまのぼり~♪」瞬はぴょんと飛び跳ねると、崇剛とダルレシアンの手を握って、玄関の扉へと近づく。執事はドアノブを回して外へ押しやり、秋のさわやかな風が新たな幕開けのように吹いてきた。
 眩しい日差しで、冷静な水色の瞳は一瞬閉じられたが、美しい三沢岳の景色を眺めると、心霊探偵はエレガントに微笑んだ。

                                     次回作へつづく
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