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天使が訪れる時/4

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「注意事項がいくつかあります。よくお聞きください」
「はい」
 聖霊師の中でも、聖なるダガーを持った聖霊師しか知り得ない話を、崇剛はゆっくりと話し出した。
「あなたの魂に入り込んでいる邪気を払います。ですが、あなたの魂は肉体に入っています。ですから、引き剥がすことがとても困難です。少しでもずれた時には、肉体、魂いずれかに損傷を残すこととなってしまいます」
 旧聖堂での戦闘とは比べもにならないほど、細心の注意が必要とされる。浮遊霊や怨霊はすでに魂だけになっているが、元は肉体という器の中にある。勝手が違うのだった。
 モデル張りにポーズを決めている俺様天使――シズキを、崇剛はチラッとうかがう。
(ラジュ天使もそうですが、私の魂の修業のために、幽体離脱はしていただけませんからね)
 脅しでも何でもなく、ただの注意事項だったのだが、気の弱い元にとっては十分恐怖となるもので、のどをごくりと鳴らした。
「はい……」
「終了するまで、目を閉じていていただけますか?」
 安心させるために、崇剛は優雅に微笑んで見せた。その心のうちでは、
(見えていると、ダガーを投げる仕草が入るので、怖がる――驚くという可能性が高くなってしまいます)
 聖霊師が武器を所持しているとは知らない元は素直に「わかりました」とうなずいて、すぐさま目を閉じた。
 崇剛は椅子から立ち上がり、まぶたを閉じ、ロザリオをシルクの生地越しにつかんで、祈りを捧げる。

 主よ、どうか、こちらの者をお救いください――

 さっと開け放たれた水色の瞳はどこまでも冷静で澄み切っていた。
 いつもと違い、効き手ではない左手で瑠璃色の貴族服の隙間から、聖なるダガーのシルバー色の柄をつかもうとする。
 すぐに触れるチャンネルを変えて、霊界の透き通ったものを取り出す。
 線細い体の前へと持ってくると、慣れた感じで床と平行にすうっと上へ投げた。
 右手の甲で横向きのダガーを受け止め、手をくるっと外向きに回し、まるで手に吸いついているように回転した、短剣の柄を人差し指に引っ掛け回し、中指との間に入り込ませ、二本の指ではさみ持ちした。
 冷静な水色の瞳と同じ高さへ持ってきて、千里眼のチャンネルを最大限に引き上げる。
(邪気にも意志があります。従って、消滅させられるとわかっている以上暴れまわります)
 元の肉体の中をじっとうかがう。黒い煙みたいなものが、あたふたと逃走しようとしているのがはっきりと見えた。
(相手の動きを予測することが必要となります。右、左、右上、上……今です!)
 手の甲を元に向けたまま突き出した。
 紺の髪は艶やかに揺れ、聖なるダガーはシルバーの線を描いて、元の額を目掛けて真っ直ぐ飛んでいった。
 刃先が相手に触れると、そのまま貫通する。肉体を通り抜けたあと、真っ黒な影だけが診療室のドアに磔となった。
 ズバン!
 霊界だけで、ダガーが刺さった音がしたが、悲鳴も何も上がらなかった。邪気はゆらゆらと風船のように揺れていた。
(成功したみたいです――)
 聖霊師の役目は終了し、天使へ引き渡されたが、
「消滅して、俺の前に跪くがいい!」
 俺様なセリフが響くとともに、
 ズバーンッッッ!!!!
 まわりのものを引き裂くような爆音が響き渡った。さっきまで静かで穏やかなベルダージュ荘に突如湧き上がった大きな音に、瑠璃はびっくりして、大きく目を見開いた。
「な、何じゃっ!?」
 驚きはしなかったが、崇剛は冷静な水色の瞳を、天使の手元に素早く向けた。そこには、ダガーとは違った鉄の塊があった。
「魂の浄化に拳銃を使われるのですか?」
 超不機嫌だが綺麗な顔立ちの前で、横向きに構えられていた天使の聖なる銃――フロンティア シックス シューターは役目を終え、シズキの手で太ももの外側にある、レッグホルスターに慣れた感じでしまわれた。
「全員、そうしている。改めて聞くとは――!」
 態度デカデカで言っていたが、何かに気づいたようで、天使は言葉を途中で止めた。
 喧嘩している猫みたいな声で、いつも浄化している金髪天使を思い出して、聖女は不思議そうな顔をする。
「ラジュは持っておらぬであろう? 百年も一緒におるがの、武器など使ってるのは見たことがあらぬ」
 発砲の衝動で乱れた髪を、シズキは神経質に綺麗に整えながら、
「天使は全員、武器の所持が義務付けられている。当然、やつも持っている。貴様らだけだ、知らないのは。これだけ邪神界が力を増してきているのに、持っていなかったら、すぐに犬死にだ」
「なぜ、ラジュは使わんのじゃ?」
 聖女の小さな口から当然の疑問が出てきた。
 崇剛の冷静な水色の瞳は少しだけ陰った。
 負けることが大好きな天使がラジュだが、頭は非常にいい。神に仕えている身では失敗は許されないだろう。
 そうなると、何か特別な理由がある。その可能性が浮かんでしまって、崇剛は紡ぐ言葉を見つけ出せなかった。
「…………」
 シズキは二百二十五センチの長身で、八歳の瑠璃を上から、鋭利なスミレ色の瞳でにらみつけた。
「守護される側の貴様が心配するとは、守護霊のガキ、身分をわきまえるがいい」
 超不機嫌天使は、あのニコニコとしている男を思う。
(ラジュは邪神界ができる前から生きている。天使にもそれぞれ人生がある。聞いてやるな)
 瑠璃の若草色の瞳は、崇剛とシズキを交互に見ていたが、それ以上は追求しなかった。
 崇剛の瑠璃色の上着は再び椅子にエレガントに腰掛け、冷静な頭脳の持ち主から、天使へ策略家らしい話がふられた。
「シズキ天使?」
「何だ? 貴様も、ラジュの心配か?」
「いいえ」と、崇剛は言って、
「先ほどの『消滅して、俺の前に跪くがいい』ですが、そちらの言葉で間違っておられませんか?」
 予測ははずれたが、そんなことはどこ吹く風で、シズキは腕組みをして、ナルシスト的にポーズを決めた。
「俺にそんなに構って欲しいのか? 許可してやってもいい」
「ですから、許しは乞うていません」
 さっきとまるっきり同じやりとりがリピートされ、シズキは何とも気まずそうに、崇剛に視線だけをチラチラと向けながら、
「……き、聞いてやる、感謝しろ。何だ?」
 そうして、会話の順番も内容も覚えている、デジタルな頭脳を持つ人間から、重箱の隅をつつくような指摘がやってきた。
「消滅したあとでは、跪くことは出来ませんが、不可能なことをおっしゃっているみたいでしたので、うかがったのですが?」
 やけにトゲのある言い方だった。
 天使の怒りは最高潮になり、火山が噴火したみたいに、天ヘスカーンと抜けるように怒鳴り散らした。
「貴様も跡形もなく消滅させてやる、ありがたく思え!」
 シズキの射殺しそうな視線を、崇剛は神経質な頬で、顔色ひとつ変えず――クールに受け止めた。
「えぇ、構いませんよ」
 売り言葉に買い言葉――。
 銀の長い前髪で隠れている片目だけでも、人ひとり簡単に殺せそうな鋭利なスミレ色の瞳。
「今度は本気だ。俺を怒らせたら、どうなるか思い知るがいい」
 ゆっくりとうなるように、シズキが言った。
 優雅な笑みは崇剛からいつのにか消えていた。一瞬にして氷河期にするような、ひどく冷たい声が、この世の者を全て震え上がらせるように響き渡る。
「そうですか。受けて立ちしましょう」
 天使と人間が果し合いという殺気立った場面になってしまった――。
 お互いの武器に手をかけ、男ふたりの間に張り詰めた空気が広がる。瑠璃はその隣で、どこから持ってきたのか、玉露の入った湯呑みをかたむけ、ズズーッと音を立てながら、素知らぬ振りでのんびりとすすった。
 緊迫した空気は一気に崩れ、崇剛は人差し指と中指でダガーの柄を挟み、霊界のものをすっと取り出した。
 シズキも銃を太もも脇からさっと抜き、天使が銃口を聖霊師に向けたと同時に、その先にダガーの刃が直角になるように素早くかざされた。
 金属同士が触れ合う音がカチャッとして、銃弾をもろに聖なるダガーで受ける形になってしまった。
 しかし、シズキはいつまで経っても引き金を引かず、崇剛のダガーも一ミリも動かなかった。
 まるで時が止まってしまったように、ふたりはしばらくじっとしていた。

 崇剛の神経質な手の甲は中性的な唇に当てられ、くすくす笑い出した。
「天使のあなたには、私を殺すことは神からの赦しが出ていません。ですから、わざと承諾しましたよ」
「貴様のその頭脳は称賛に値する」
 銃口を構えたままシズキは、まるで小さな子供が新しいことができるようになって、喜んだみたいなとびきりの笑顔になっていた。不機嫌は嘘みたいになかった。
 ご機嫌になっている男ふたり。人間と天使の間で、のんびりと玉露を飲んでいた瑠璃は、湯呑みを唇から離した。
「お主ら、夫婦めおとみたいじゃの」
 崇剛とシズキは同時に聖女へ振り返り、言葉が重なった。
「瑠璃さん、どのような意味ですか?」
「ガキ、どういう意味だ?」
 神経質な顔立ちと手。
 線の細い体躯。
 瞳の雰囲気は違うが、どこか似ている聖霊師と天使を、聖女の百年の重みを感じさせる若草色の瞳が代わる代わるに見る。
「先から聞いておったがの、立場は対等、息も合っておって、阿吽あうんの呼吸じゃったからの。我が入り込めぬほど、面白く話しておったわ」
 崇剛は肘掛にもたれかかりながら、天使を見上げ、酔わせるような優雅な声で言った。
「結婚しましょうか――? 罠を張らずに、これほどの楽しい会話が出来る方に初めて会いましたよ」
「考えてやってもいい。俺が何を言っても平然と返してくるところが気に入った。貴様のことは認めてやる」
 
 いつの間にか――瑠璃は青い聖堂の中に立っていた。身廊の中央に立って、祭壇の前に広がった光景を目の当たりにしてぼんやりしている。
 パイプオルガンの音色が花嫁の登場を促すはずだが、外から入ってくる両開きの扉は開くことはない。
 花嫁のドレスの裾をつかみ、邪魔にならないように後ろからついていく役を頼まれたいたが、花嫁はどこにもいなかった。
 白いタキシードを着た崇剛とシズキ――
 どちらかが花嫁衣装を着るのかと思って、いろいろ想像してみたが、どうにもうまくいかなかった。
 崇剛がウェディングドレスを着るなんて……。シズキなどは、冗談で言ったとしても、あの拳銃――フロンティアで額を撃ち抜かれるだろう。
 瑠璃が考えているうちに、祭壇の前では、崇剛とシズキがお互いの手を取り合って、指輪の交換が始まった。
「ま、誠にする気かの――!?」
 びっくりした聖女の大声は、聖堂中にこだました。

 平和な診療室へ意識が戻ると、崇剛は神経質な手の甲を唇へ当て、くすくす笑いながら、冷静な水色の瞳を聖女へ向けた。
「冗談ですよ。天使と人です。霊層が違いますから、結婚はできませんよ」
「俺は本気だ」
 鋭利なスミレ色の瞳は射殺すように、瑠璃を見下ろしながら、シズキはこんなことを思っていた。
(守護霊のガキ、俺の笑いの前に跪くがいい)
 瑠璃は男ふたりを交互に眺め、あきれたため息をつく。
「お主ら、よくわからぬ関係じゃの。申してる意味はたがえておるのに、結果は同じとはの」
 さっき会ったばかりだというのに、なぜか息が合っている聖霊師と天使。
 崇剛はくすくす笑いながら、
「私たちはわかっていますよ」
「わかっていないのは、ガキだけだ」
 天使はまた可愛らしい笑顔になっていた。

 天使と守護霊との会話を終えて、滞っていた浄化の話がまた進み出した。崇剛の優雅な声がこの世で響く。
「もう終わりましたから、目を開けていただいて構いませんよ」
「あぁ、はい」
 痛みも何も感じなかったが、肩に入っていた力を、元は抜いた。目を開けて、どんな患者も必ず口にする質問を投げかけた。
「地獄に行ったあと、私の人生はどうなるんでしょう?」
 優雅な笑みで真実を隠しながら、隣に立っているシズキに、霊界のルールを知っている聖霊師は心の中で確認を取った。
「伝えてよろしいのですか?」
「こいつには無理だ。言ったら、貴様のその冷静な頭脳をフロンティアで打ち抜いてやる。錯乱して、肉体が自殺するだけだ」
 はるか未来を見ることができる天使からの警告。
「そうですか」崇剛はただの相づちを打ち、嘘を考える。どんな質問を受けても、隠し通せる嘘を。
「そうですね? こうしましょうか」
 相手を守るための嘘を、崇剛は平然とついた。
「こちらからは、寝ている間に魂が抜け出し、地獄で罪を償うを一生かけて繰り返します。天に召されたあとは、残っている罪をそのまま地獄で償います」
 聖霊師の心のうちには、耐えがたい真実が隠されていた。
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