心霊探偵はエレガントに〜karma〜

明智 颯茄

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血塗られた夜の宴/1

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 カーテンの隙間から、斜めに差し込む月明かりは青く冴えていた。全てのものが眠ってしまったような、時が止まってしまったような、静寂が広がる夜。

 窓を叩きつける雨は、真っ赤な血だった――

 ベルダージュ荘の主人――崇剛は寝室でふと目を覚ました。
「地震……?」

 雨音はどこにもなかった――。
 綺麗に晴れ渡る夜空から、月影が窓辺の端に降り注いでいた。
 乱れた髪のまま、揺れが来るのを身構え待っていたが、予想が外れ、静かな夜ばかり。
 虫の音も聞こえないほどの静寂。その中にひっそりとまぎれながら、起きたばかりの冷静な頭脳が即座に稼働する。

 私が夜中に突然目を覚ます原因はひとつだけです。
 地震の数秒前に目を覚まします、どのような小さなものにでもです。
 ですが、来ません。

 窓の外で、血のように赤いふたつの目に月がかかる――

 崇剛はベッドに横になったまま、薄闇に浮かぶ影――家具類を、冷静な水色の瞳に映すが、特に異常はなかった。
(おかしい……。なぜ、目を覚ましたのでしょう? 何か別のことが起きている……という可能性が出てきます)
 就寝時は必ず自分からはずして、サイドテーブルの上へと置く、聖なるダガーを引き寄せようとして、崇剛は上半身だけすうっと起こした。
 桔梗ききょう色をしたシルクのパジャマが姿を現すと、かぶっていた毛布が腰元へするすると落ちる。
「物質界と霊界をつなぐ、二重効力の武器……」
 顔に絡みついた髪をかき上げる、崇剛の神経質な手は、ひたいから頭を通り過ぎ首へと流れた。
 執事を壁ドンの罠にかけた日から、日付はいくつか過ぎて、ダガーの出番と言えば、浄化のために訪れる旧聖堂だけで、特に変わった様子もなかった。
 平和な日々だからこそ、心の中で吹き荒ぶ恋情の嵐だけが、やけに色濃く傷跡をつけてゆくのだった。
(肉体を持っている私は霊には触れられません。すなわち……どんなに望んでも、彼女に触れることはできない)
 
 赤い目の下で、白い服が夜風でなめるように揺れる――

 寝室のベッドの上で、恋に落ちた三十二歳の神父は瞳をそっと閉じた。胸の内で今日までの日々を振り返る。

 冷静な頭脳で、私は常に感情を抑えて生きてきました。
 ですから、自分自身の気持ちに気づかなかったのです。
 彼女を愛していると知ったのは、神父になったあとでした。
 気づいたのは、ごく最近です。
 小さい頃から、繰り返し見る夢が私にはある。
 そちらは、メシアの影響を受け、気を失った時に見るものです。
 ですが、先月の、三月二十四日、木曜日、十一時三十六分二十七秒前。
 そちらの時から、見る内容が一部分変わったのです。
 次に、同じものを見たのは、四月一日、金曜日、十五時四十三分三秒前。
 そして、自身の気持ちに気づいたのです――。

 春の匂いが微かに残る部屋の中で、心は冬に逆戻りしたみたいに花冷えしていた。

 ですが、彼女の心はすでに、他の人へ向いていた。
 しかしながら、それでも……私は彼女を守りたい――

 ごくごく当たり前の感情がはっきりと浮かび上がった時、
 パチ!
 パチ!
 奇妙な音が脳裏の奥底で鳴るのを聞いた。木の棒で何か硬いものを叩くような乾いた響き。
 崇剛はさっと目を開け、さっきまで月明かりが差し込み、薄闇だった部屋に暗黒が広がっているのを見つけた。
「何でしょうか?」
 月に厚い雲がかかり、不気味な闇が忍び寄っていた。それを強調するように、奇怪な音が自分の内側へ響いてくる。
 パチ!
 パチ!
 崇剛は音の出どころを見極めようと、あごに曲げた指を当てた。
「どちらから……?」
 パチ!
 パチ!
 音の聞こえ方の特徴を今までのデータを使って、冷静な頭脳で推し量り、水色の瞳はついっと細められた。

「ラップ音……であるという可能性が99.99%――」

 後ろへ振り返り、闇夜と部屋の境界線を引いている、深藍色の重厚なカーテンを凝視して、神に選ばれし聖霊師は自身の経験を紐解く。
(ラップ音とは、霊界の者が動いた時に発生する音。もしくは、物質界の者へ、何かを伝えたい時に出る音です)
 ここまでを知っている聖霊師は数いれど、ここから先を知る者は、地上には崇剛しかいなかった。
(種類は三つあり、霊、天使、神。それぞれ、周波数が違います。霊層が上がれば上がるほど、周波数――すなわち、音が高く乾いたものになります)
 神経を研ぎ澄ます、夜更けの寝室で。
 パチ!
 パチ!
 乾いた音が、崇剛にだけ聞こえてくる。

 今鳴っているのは……天使であるという可能性が92.34%――
 そうなると、鳴らしているのは……。
 ラジュ天使という可能性が78.67%で出て来ます。
 ですが――

 サイドテーブルに置いてある時計は暗くて見えなかった。メシアを使って探り、前方から自分へ迫るように浮かび上がってくる数字を読み取る。
(21354……二時十三分五十四秒。四月二十一日、木曜日――)
 パチ!
 パチ!
 相変わらず鳴り続ける、霊界からのラップ音。崇剛は暗い部屋で、本棚があるであろうほうへ顔を向け、冷静な思考回路をさらに展開する。
(上から三段目の、左から七番目の本――。隣国――紅璃庵こうりゃん。そちらの国で、昔から受け継がれている陰陽易の内容。四十六ページ、独特の時間表示法――十二時しん
 全てを記憶する頭脳で、風の音も不思議としない夜で、今がどんな時か導き出した。
丑三うしみつどき、二時から二時三十分。草木も眠る時間帯。すなわち、この世とあの世がつながる時) 
 神父という職業もしている聖霊師は、自身を急かすように鳴り続ける窓ガラスからのラップ音と静かに対峙する。
 パチ!
 パチ!
 冷静な水色の瞳はカーテンの向こうを、部屋にいながらのぞくようにじっと見つめた。

 こちらの時間帯に、ラジュ天使が私のところへ来たことは今まで一度もありません。
 先ほどの、ラジュ天使であるという可能性の数値は変わり、23.46%に下がります。
 従って、以下の可能性が、76.54%出てきます。
 別の人物である――

 策略家の中で、警戒心が一気に上がった。霊界からの招待状のように、闇が広がってしまった部屋で、崇剛はサイドテーブルへ手を伸ばした。
 腰からはずしていたダガーの柄を、千里眼を使って捉え、シルバーの装飾部分のデコボコを堪能するように神経質な指先でなぞる。

 そうですね……?
 戦闘になるという可能性が45.67%ある――
 全てのことを考慮すると、ダガーだけでは危険かもしれません。
 ですが、霊界で効力を発する、私の武器はこちらだけです。
 分身させる前に落とした時、私を守る武器はなくなる。

 星の小さなきらめきの下で、くすんだ山吹色の髪が大きな手でかき上げられる――

 勝つ可能性が上がるものを選びたがる、策略家はあごに指を当てたまま、一人きりの部屋で対策を素早く練る。
「そうですね……? 霊界は心の世界――」
 物質界とは法則が色々と違う。今のままでは死ににいくようなものだ。そこで、あの腹黒天使――ラジュのお陰で作戦のひとつに、旧聖堂で窮地に陥れられたことを組み入れることにした。
「幽体離脱……。そちらを試してみましょうか」
 ライターの着火装置のように、誰かが肉体から魂を出してくれない限り、この状況へは故意に持っていけない。しかし、それはもう崇剛の中では計算済みだった。

 戦闘になる可能性は半分以下――。

 それでも、負ける可能性を低くするために、三十二年分のメモリーが鮮明に残る、冷静な頭脳にデータがザーッと流れ始め、神業の如く必要なものを取り出した。
「それでは、こうしましょう」
 霊界とつながる聖なるダガー。物質界のものではなく、霊界のものだけを、崇剛の神経質な手が鞘から抜き取る。
 透明な刃先を背中に隠すようにして持ち、千里眼保有者は両足をベッドから優雅に垂らし、なぜか素足のまま窓に歩み寄った。
 引き返せない死後の世界へ向かって、カウントダウンするように、カーテンをゆっくりと開ける。
 霞のようなレースのカーテンも両側へ引き寄せ、開き窓を慣れた手つきで、銀の取手を外側へと押し出した。

 そこで待っていたのは――

 金色の光る輪っかを頭に乗せ、同じ色をした髪は夜風に揺らめいていた。邪悪という名がよく似合う、サファイアブルーの瞳を持ち、相変わらず何を考えているのかわからない、ニコニコの笑みを浮かべた天使――ラジュだった。

(導き出した可能性と違う。おかしい……)

 崇剛の中で様々な可能性の数値が変化した。何事もないように、窓の外に浮いている人を、いつも通りの優雅な笑みで出迎える。
「何かあったのですか?」
 千里眼の持ち主は屋敷の中では安心して過ごせる。ラジュと瑠璃の張った結界のお陰で、悪霊たちから守られているからだ。

 人である私の心は、霊以上の存在には筒抜けです。
 ですから、結界を張って、私の考えも邪神界には聞こえないようになっています。
 部屋から出るのは危険であるという可能性が98.78%――

 崇剛の中で、この窓枠は死線であるという事実が急浮上した。それとは対照的に、ラジュは不気味な含み笑いをする。
「うふふふっ。今神の元から戻ったのですが、崇剛に急ぎの用がありましてね?」
「どのような内容ですか?」
 聞き返しながら、崇剛は金髪天使の今までのデータを、脳裏で滝のように流し続ける。

 ラジュ天使は神界との行き来があります。
 こちらの屋敷を離れることは多々あります。
 今の言葉が本当であるという可能性は56.78%――
 少し低いです――。
 ですから、疑問形を投げかけて、情報を引き出しましょうか――。

 作戦は繊細かつ大胆に変更された。相手の言葉――要求を巧みに避けつつ、策略家神父は相手には策だとバレないように優雅に微笑む。
 そうして同時に、疑問形――情報引き出しをしながら、可能性を推し量るという、複雑な思考回路がいつも通りエレガントに進んでゆく。
 立派な両翼を広げているラジュのサファイアブルーの邪悪な瞳はニコニコのまぶたに隠されたままだった。
「こちらへ手を伸ばしていただけませんか~?」
「なぜですか?」

 私を結界の外へ出そうとしているという可能性が出てきた――。

「手を伸ばしていただければ、わかりますよ~」
「教えていただけないのですか?」

 私を結界の外へ出そうとしているという可能性は上がり、67.45%――
 同時に以下の可能性が、今までの事実から出てきます。
 今、目の前にいるラジュ天使は、偽物であるという可能性が67.98%――

 本当に用があるのなら、屋敷に入ってくればいいものの、わざわざ無防備になる結界の向こう側へと連れ出そうとしている。
 結界――境界線を間に挟んで、崇剛がラジュとそれぞれの笑みをたもちながら対峙していると、天使のすぐ横に、巫女服を着た黒髪の少女がすうっと現れた。
 幼い声なのに、百年の重みを感じさせるそれで、三十二歳の神父に注意する。
「崇剛、幻ではあらぬ」
「瑠璃さん、なぜそちらにいるのですか?」

 おかしい――。
 瑠璃は私の守護霊です。
 従って、結界の向こう側にいるという可能性は8.66%――
 非常に低いです。
 今の時間帯は、まどかのそばにいるという可能性が99.98%――
 少し、待ってみましょうか。
 可能性を見極めるために……。

 聖女は崇剛から視線をはずし、天使を見上げた。
「ラジュ、お主、何しに参ったのだ?」
「瑠璃さんからも、言っていただけませんか~?」
 語尾がゆるゆる~と伸びた、いつも通りおどけたラジュだった。しかし、崇剛は冷静な水色の瞳を、闇夜に紛れてついっと細める。

 話の内容がおかしい――。

 順調に会話は進んでいるように思えたが、全てを記憶する策略家には事実に大きなズレが生じていた。
「…………」
 聖霊師をひとり置き去りにして、天使と聖女で話は続いてゆく。
「ラジュ、何をじゃ?」
「こちらへ手を伸ばしてほしいと言ったんですが……」
「崇剛、お主、何をしとるのじゃ?」
 若草色の瞳は濃い緑色の瞳となっていた。未だ優雅な笑みは崩れないまま、崇剛の遊線が螺旋を描く芯のある声が薄闇に舞う。
「どのような意味ですか? そちらの言葉は」
 疑問形に疑問形を投げかけ、相手からの要求を無効化した。そうして、返事を待った。
「…………」
 生暖かい風が何度か吹いたが、誰も返してこなかった。崇剛はほんの一、二秒のこの時間に、出来事を一度整理した。
 
 問いかけたのに、誰も何も言ってこない。
 おかしい――。
 私が問いかけて、ラジュ天使と瑠璃が何も返してこないという可能性は6.43%――
 コミニュケーションの取れない方々ではありません。
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