上 下
945 / 967
神の旋律

落日の廃城/6

しおりを挟む
 シュピーンッッッ!

 鋭いカミソリで切り裂くように、銃弾がレンの首を前からかすめて、

「っ……」

 背中の廊下で壁にめり込んだ。悪魔も奏者も攻撃はしていない。それなのに、リョウカは少し離れたところで、左肩を抑え、痛みに耐えている。

 レンが空いている手で首筋をそっと拭うと、水などどこにもないのに濡れていた。

 さっきまで降り注いでいた赤い月影は今はどこにもなく、パリパリと雷光が龍のように分厚い雲をはう音と青白い光の中で、恐る恐る眼前に持ってきた手のひらで、べっとりと真っ赤な血が浮かび上がった。

(首が切れて……)

 レンは急に息苦しくなり、足元がおぼつかなくなる。

(女が落ちて……)

 焦点が合わず、ブラックアウトを繰り返し出して、同じ言葉がぐるぐると心の中で駆け巡る。

 自殺したって。自殺したって自殺したって。自殺したって自殺したって自殺したって。自殺したって自殺したって自殺したって自殺したって……。

 空が落ちてきたようなザザーンという雷鳴が響き、青白い閃光が走った。窓を叩き始めたスコールの音が、しけた海の荒波のように激しく押し寄せる。

 銀の輝きもつ髪の奥にある脳裏で、記憶が猛スピードで巻き戻り、とうとう全て思い出した。奥行きのある少し低めの声で、レンは叫ぶ。

「フローリアっ!」

 リョウカは知らない女の名前を聞いて、思わず振り返った。

 鮮血が首筋から流れるのが記憶の重い扉を開ける鍵のように、レンの脳裏に悲痛という名のフィルムが早回しで再生されてゆく。

    *
 
 ――澄み切った青い絵の具が染める秋空。黄色、オレンジ、赤の枯葉が風に乗せられ、実りの季節を彩る。

 ダステーユ音楽堂の広い階段を、レンのロングブーツが降りようとすると、女の声が背後から引き止めた。

「あなたもバッハが好きなの?」

 知り合いなどいない。関わり合いなどいらない。返事もせず去っていこうとしたが、自分の脇で階段をカタカタとヒールの音が足早に通り過ぎ、行く手をさえぎった。

 妖精みたいな儚げで可愛らしい女。ブラウンの長い髪。クルミ色の瞳。背丈は百六十センチといったとこだ。

 音楽堂で出演したコンサートで、パイプオルガンを弾いていた女だ。それならば多少は関係がある。

 レンは鋭利なスミレ色の瞳を女に刺すように向け、愛想など不要とばかりに、超不機嫌で答えた。

「そうだ」

 そんな些細なことだった、彼女と出会いは――。

 広い草原に立ち、晴れ渡る空の下で、乾いた風に吹かれている。心地よくて、思わず目を閉じて、自然に身を任せる。彼女に会うと心の中はいつもそうだった。

 それは恋という名の景色。気づいた時には、レンはいつの間にかそこに立っていた。

 楽しく穏やかに時は過ぎ、仕事も順調。それでも人生だ。多少の困難はあったが息を潜めて、順風漫歩で進んでいたはずだった。

 しかし、女の様子が少しずつおかしくなり、ある日話を切り出された。

「悪魔に取り憑かれてるの」

 よく聞けば、女は霊感を持っていて、目に見えない存在と話すことがあるらしい。一日中耳元でそそのかすように、

「死ね」

 とささやかれる。眠っている間も、誰かと話している間も、ずっと。それは、幻がいつしか真実へと変わってしまう、幻想心理効果――

 病んでいる精神に追い討ちがかけられる。

 女が何か失敗すれば、あざ笑う声が聞こえ、自尊心は容赦なく破壊される。耳をふさごうとも、体の内側から響く声から逃げることはできない。

 ちょっとした喜びも、他人を踏み台にして手に入れたように見せかけられ、罪の意識という濡れ衣を着せられる。何もかもが自分が生きているせいで、まわりが傷ついてゆく――

 そう信じ込ませるように仕向けられた精神病質サイコパス

 一ヶ月もしないうちに、女の心は蝕まれていき、元気だった頃の面影はどこにもなくなった。

 それでも愛した女だ、救いたいとレンは願った。だが、相手は目にも見えず、触れることもできない悪魔。助けるすべがないジレンマの日々。

 痩せこけ、目の下にクマを作り、すっかり生気をなくした女が、決死の頼みごとをレンにした。

「一人きりでいると、気が狂いそうなの。だから、あなたと結婚をしたいの」
「わかった――」

 式の準備は進み、結婚式当日まで一週間と迫った。仕事の合間にふと見た携帯電話に、コレタカからの留守番電話が入っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

男子中学生から女子校生になった僕

大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。 普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。 強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?

さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。 私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。 見た目は、まあ正直、好みなんだけど…… 「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」 そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。 「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」 はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。 こんなんじゃ絶対にフラれる! 仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの! 実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。 

【R18】鬼上司は今日も私に甘くない

白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。 逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー 法人営業部メンバー 鈴木梨沙:28歳 高濱暁人:35歳、法人営業部部長 相良くん:25歳、唯一の年下くん 久野さん:29歳、一個上の優しい先輩 藍沢さん:31歳、チーフ 武田さん:36歳、課長 加藤さん:30歳、法人営業部事務

彼氏の前でどんどんスカートがめくれていく

ヘロディア
恋愛
初めて彼氏をデートに誘った主人公。衣装もバッチリ、メイクもバッチリとしたところだったが、彼女を屈辱的な出来事が襲うー

処理中です...