943 / 967
神の旋律
落日の廃城/4
しおりを挟む
一方、二階の廊下を歩いていたレンの脳裏に、砂嵐のような画像が割り込んできた。
さっきは何でもなかったのに、リョウカの床から落ちた姿など見ていないのに、スローモーションで彼女が落ちてゆくのを、脳が勝手に何度も何度も再生し始めて、同じ声が幾重にも重なってゆく。
死んだって。死んだって死んだって。死んだって死んだって死んだって。死んだって死んだって死んだって死んだって……。
「っ……!」
レンは急に息苦しさを覚え、パイプオルガンの音色が今や身を引き裂くような爆音と変わり、まっすぐ立っていられなくなって、片手で顔を覆い、壁に斜めに寄りかかった。
こんなことをしている場合ではないのに、今悪魔に襲われたら対処できない。だが、何かの発作みたいに、震えが止まらない。それっきり彼は前に進めなくなった。
そんなレンの背中を見ている瞳がふたつあった。どこかずれているクルミ色の目。あとから追いかけてきたリョウカは廊下の角に隠れて、様子のおかしい、すらっとした黒のロングコートをじっと見つめる、声もかけずに。
イヤリング。
記憶がない。
誰かがいたような廃城。
リョウカの中で答えが出始めて、ボソッとつぶやいた。
「もしかして、ここって……」
悪魔が怖いわけでもなく。寒さに凍えるような男の背中が涙で急ににじみ、彼女は手で口を覆うと、両頬に雫がそっとこぼれ落ちていった。
「…………」
何と声をかけていいのかわからなかった。リョウカはレンと数メートルの距離を空けたまま、ただただ黙って立ち尽くした。
しかし、ここでじっとしているわけにはいかない。自分の中で出た答えが本当なら、なおさらだ。
彼女は涙を静かに拭い、廊下の陰に隠れて深呼吸を何度もする。わざとらしく大きな声で言いながら、ブーツのかかとを鳴らして廊下の真ん中へ躍り出た。
「や~ね~。床が抜けるなんて……。とんだ遠回り――」
今ごろ気づいたふりをして、不自然に言葉を止め、
「あら? 待っててくれたのかしら?」
さっきまでの息苦しさもめまいも嘘のように消え去り、さっきまで鳴っていたパイプオルガンの音色も聞こえなかった。レンは前を向いたまま、へらず口を叩く。
「……そうだ。ありがたく思え」
「優しいのね」
奇妙なことを言う――。思わず振り向いたレンに、リョウカは静かに近づいてきたが、
「…………」
「さぁ、行きましょう?」
彼女はそのまま通り過ぎた。さっきの失敗にまったく懲りていない女に文句も言わず、レンはリョウカの背中を穴があくほど見つめて、自分の心の内を考える。
予測もしない言動をしてくる。それが妙に心地よく、ずっとイラっとしていたのが嘘みたいに晴れやかだ。自身は一体どうしたというのだろうか。
いつまで経っても背後から足音が近づいてこず、リョウカは不思議そうに振り返った。
「どうしたの? 置いてくわよ」
いや違った。やはりイラっとくることを言う、この女は。レンの天使のように綺麗な顔は怒りで歪み、ひねくれをお見舞いしてやった。
「お前の頭は鶏が跪くほど記憶力崩壊が見事だな。さっきと同じ間違いをしようとするとはな」
リョウカは悔しそうに唇を噛みしめ、
(かちんとくる……!)
いつまでもどこまでも、言い争いが続いていきそうで、彼女は大人になって、適当に流した。
「はいはい」
リョウカを前にして、ふたりはまた廊下を歩き出す。しばらく無言だったが、どうしても気になることがあり、リョウカがふと沈黙を破った。
「ねぇ? あなたって朝からずっと起きたまま?」
自分が気にしていたことと同じことを聞いてくる。偶然なのか。レンは少し出遅れたが、正直に答えた。
「……そうだ」
「そう。そうなると……?」
事実という輪郭がくっきりしてゆく。リョウカは前を向いて進み出した。自分が今どこを歩いているのか、何を目指しているのか予測がついて。
さっきは何でもなかったのに、リョウカの床から落ちた姿など見ていないのに、スローモーションで彼女が落ちてゆくのを、脳が勝手に何度も何度も再生し始めて、同じ声が幾重にも重なってゆく。
死んだって。死んだって死んだって。死んだって死んだって死んだって。死んだって死んだって死んだって死んだって……。
「っ……!」
レンは急に息苦しさを覚え、パイプオルガンの音色が今や身を引き裂くような爆音と変わり、まっすぐ立っていられなくなって、片手で顔を覆い、壁に斜めに寄りかかった。
こんなことをしている場合ではないのに、今悪魔に襲われたら対処できない。だが、何かの発作みたいに、震えが止まらない。それっきり彼は前に進めなくなった。
そんなレンの背中を見ている瞳がふたつあった。どこかずれているクルミ色の目。あとから追いかけてきたリョウカは廊下の角に隠れて、様子のおかしい、すらっとした黒のロングコートをじっと見つめる、声もかけずに。
イヤリング。
記憶がない。
誰かがいたような廃城。
リョウカの中で答えが出始めて、ボソッとつぶやいた。
「もしかして、ここって……」
悪魔が怖いわけでもなく。寒さに凍えるような男の背中が涙で急ににじみ、彼女は手で口を覆うと、両頬に雫がそっとこぼれ落ちていった。
「…………」
何と声をかけていいのかわからなかった。リョウカはレンと数メートルの距離を空けたまま、ただただ黙って立ち尽くした。
しかし、ここでじっとしているわけにはいかない。自分の中で出た答えが本当なら、なおさらだ。
彼女は涙を静かに拭い、廊下の陰に隠れて深呼吸を何度もする。わざとらしく大きな声で言いながら、ブーツのかかとを鳴らして廊下の真ん中へ躍り出た。
「や~ね~。床が抜けるなんて……。とんだ遠回り――」
今ごろ気づいたふりをして、不自然に言葉を止め、
「あら? 待っててくれたのかしら?」
さっきまでの息苦しさもめまいも嘘のように消え去り、さっきまで鳴っていたパイプオルガンの音色も聞こえなかった。レンは前を向いたまま、へらず口を叩く。
「……そうだ。ありがたく思え」
「優しいのね」
奇妙なことを言う――。思わず振り向いたレンに、リョウカは静かに近づいてきたが、
「…………」
「さぁ、行きましょう?」
彼女はそのまま通り過ぎた。さっきの失敗にまったく懲りていない女に文句も言わず、レンはリョウカの背中を穴があくほど見つめて、自分の心の内を考える。
予測もしない言動をしてくる。それが妙に心地よく、ずっとイラっとしていたのが嘘みたいに晴れやかだ。自身は一体どうしたというのだろうか。
いつまで経っても背後から足音が近づいてこず、リョウカは不思議そうに振り返った。
「どうしたの? 置いてくわよ」
いや違った。やはりイラっとくることを言う、この女は。レンの天使のように綺麗な顔は怒りで歪み、ひねくれをお見舞いしてやった。
「お前の頭は鶏が跪くほど記憶力崩壊が見事だな。さっきと同じ間違いをしようとするとはな」
リョウカは悔しそうに唇を噛みしめ、
(かちんとくる……!)
いつまでもどこまでも、言い争いが続いていきそうで、彼女は大人になって、適当に流した。
「はいはい」
リョウカを前にして、ふたりはまた廊下を歩き出す。しばらく無言だったが、どうしても気になることがあり、リョウカがふと沈黙を破った。
「ねぇ? あなたって朝からずっと起きたまま?」
自分が気にしていたことと同じことを聞いてくる。偶然なのか。レンは少し出遅れたが、正直に答えた。
「……そうだ」
「そう。そうなると……?」
事実という輪郭がくっきりしてゆく。リョウカは前を向いて進み出した。自分が今どこを歩いているのか、何を目指しているのか予測がついて。
0
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?
さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。
私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。
見た目は、まあ正直、好みなんだけど……
「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」
そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。
「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」
はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。
こんなんじゃ絶対にフラれる!
仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの!
実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。
【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。
猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。
『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』
一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる