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最後の恋は神さまとでした

陛下の命令は絶対服従/1

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 三年前――。
 まだ蓮がR&Bのアーティストとしてブレイクする前。おまけの倫礼が二度目の結婚をする前のこと。

 太陽もないのに、美しい光が窓から降り注ぐダイニングで、五歳の息子――百叡は落ち着きなく、指先を顔の前でトントンと合わせていた。

「パパ……あ、あの……」
「?」

 砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲もうとした父――蓮は無言のまま、息子のくりっとした大きな瞳を上から目線で思いっきり見つめた。

 本人は決して、怖がらせようとかそういうのではなく、ただパパは超不機嫌顔がデフォルトで無口なだけだった。

「あ、あの……」

 小学一年生はパパにもう一度挑もうとしたが、声がフェードアウトしてしまいそうだった。そこへ、ママが救いの手を差し伸べた。

「百叡? 頼み事なんだから、自分で言いなさい」
「何だ?」

 相変わらず無表情のままだったが、奥行きのある少し低めの声で聞き返され、百叡はにっこり笑顔になった。

「パパ、ピアノ習いたいの」

 同じ音楽だが、ヴィオリニストであって、鍵盤はプロ並みの腕は持っていない。蓮の鋭利なスミレ色の瞳が、倫礼に鋭く向かった。

「なぜ、俺にわざわざ伝える?」

 パパが作曲するために買った電子ピアノで、遊んでいるのを、本体の倫礼はよく聞いていたのだ。

「客観的に聞いても、百叡、才能があると思うの。街で子供に教えてるピアノの教室じゃなくて、ピアニストを現役でしている人に教わったほうが伸びるんじゃないかしら?」
「ピアニスト……」

 夫は思った。妻はやはり、光命の得意とする楽器を知っていたのではないかと。しかし、倫礼は冷たい水を一口ただ飲んだだけだった。

「事務所で誰かいないかと思って、蓮に頼んだのよ」

 どう見ても知らないようだった。何の因果で、妻が過去に好きだった男の元へ、息子がピアノを習いに行くのかと思ったが、他にあてがあるわけでもなかった。

 焉貴に聞かせてもらった日から、あのピアニストには才能があると認めていた。人の目を引くほどの絶美。あれはどうやっても、アーティストの素質を秘めた男だ。

 いや、それ以上の想いが自分の中にあった。しかし、それが何だかわからないような、どこかで感じたことがあるような――

「どうかした?」

 妻の声で、蓮は我に返った。

「……ひとりあてがあるから、聞いてみる」
「やった! パパ、ありがとう」

 百叡は万歳をして、床の上でぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。

    *

 仕事の打ち合わせを終え、ガラス張りの事務所の廊下を、蓮の革靴は足早に歩いていた。

 子供のピアノのレッスンを頼むだけだ。他の人を巻き込むほど大ごとではない。蓮は廊下を迷っていることも忘れて、あの紺の長い髪をした綺麗な男を探す。

(光命はいるか? いなかった時には、社長に聞くしか――!)

 角の廊下をショートブーツが曲がってくる。甘くスパイシーな香水が人を酔わせる波のように広がった。

 一人きりで、光命がタイミングよく、蓮の前へ現れた。

「いた……。早秋津さん! お話ししたいことがあるのですが、お時間よろしいですか?」

 冷静な水色の瞳と鋭利なスミレ色の瞳は、職場の廊下で一直線に交わった。光命の表情から優雅な笑みは消えていて、氷河期のようにどこまでも冷たかった。

「明智 蓮さんでよろしいですか?」
「なぜ、俺の名前を知っている?」

 蓮は心の中で自問自答した。おまけの倫礼には会っていないはずだ。親戚でも何でもなく、仕事場でも一緒ではない。そうなると、もうひとつしか共通点は残っていなかった。

 光命はブーツのかかとを鳴らして、内緒話をするようにさらに蓮へ近づいてきた。

「あなたに大切なお話があります。お時間いただけますか?」
「構わない」

 近くを通り過ぎるスタッフや物音がやけに大きく聞こえてくる。光命は人としてエチケットを守ろうとした。

「こちらではお話できませんので、私が利用しているサロンへ瞬間移動をかけてもよろしいですか?」
「いい」
「それでは失礼」

 遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声が断りを入れると、男ふたりは事務所の廊下からすうっと煙に巻かれたように消え去った。
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