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最後の恋は神さまとでした

光を失ったピアニスト/4

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 弁財天は慌てることもなく、少し低めの声で、人生の難所に差し掛かっている、青年に先輩として一言忠告した。

「これだけは決して忘れないで。ピアニストはピアノを弾いている時が一番幸せなのよ。だから、ピアノから遠ざからないで――」

 光命は喉が締めつけられるように痛くなり、水色の瞳は涙でにじんだ。

 幼いからピアノがとても好きで、何が起きても弾いているうちに、頭の中が整理されて、新しい可能性が浮かんだ日々だった。

 それが最近はなくなり、今まで緻密に積み上げてきたデータがなくなり、可能性の数値が全て狂ってしまっていた。

 自身の基盤となるものが崩壊していたが、あっという間に冷静な頭脳で押さえ込み、光命は深々と頭を下げた。

「お気遣い、感謝いたします」

 ソファーから立ち上がると、ロングカーディガンの裾が気品高く揺れ、ショートブーツのかかとが床にカツカツと、軽やかなステップを残していたかと思うと、すうっと瞬間移動で寂しげに消え去った。

    *

 太陽もないのに、春の日差しが穏やかにさす神世。城の隣にある早秋津家の庭では、広い芝生の上で五歳の子供たちが、ボール遊びをしていた。

「いくよ~!」
「は~い!」

 それぞれの服装は上質な白のシャツに蝶ネクタイと半ズボン。パーティーに行くようなふわふわのドレス。ハイソな装い。

「きゃははははっ!」
「うわっ!」

 他の家とは違って、上品に遊んでいる子供たちは、ボールが不意に誰もいない――思ってもみないおかしな方向へ飛んでゆき、声高らかに笑った。

「あははははっ!」

 ウッドデッキのチェアでは、この家の長男――光命が本を読みながら、アフタヌーンティを嗜んでいたが、彼は上の空だった。

(あちらの可能性が34.57%。こちらが67.97%……)

 読んでいた本をいつの間にかティーカップの脇へ置き、少し曲げた人差し指をあごに当てて、思考時のポーズを取ったまま、一日も早い復帰の目処めどを立てようと、頭をフル回転させていた。

 今までの記憶で残っている部分を、土砂降りの雨でも降るようにザーッと流したまま、そこから必要なものを取り出して、可能性の数値に置き換え――

「――お兄様?」

 あどけない声が足元で聞こえたが、冷静な水色の瞳は動かず、紺の長い髪が春風に優しく揺れるだけだった。

 小さな兄弟たちは、すらっと二メートル近くの背丈を持つ兄が無反応なのを見て取って、小首を傾げた。

「ん?」

 最近、兄の様子がおかしいのだ。刺すような冷たさを持っているが、上品な笑みで優しく話しかけたりすることが、減った気がする。

 氷雨でも降っているようなクールさだけになり、どこか遠くに行ってしまっているようだった。

「お兄様?」

 袖口を引っ張られて、光命は思案の旅から現実へと戻ってきた。彼らしい驚き方をして、

「おや? どうかしたのですか?」

 弟や妹に心配かけないように優しく微笑んだ。弟の一人が大きなボールを差し出して、とびきりの笑顔を見せる。

「一緒に遊ぼう?」
「えぇ、構いませんよ」

 光命はそう言って、もたれかかっていたデッキチェアから起き上がり、ブーツのかかとを鳴らそうとすると、母の優しい声が背後からかけられた。

「光?」
「えぇ」

 優雅にうなずく、決して『はい』とは言わない息子。若さゆえに可能性が導き出せない、隠しているそぶりを見せている光命に、母親は精一杯手を差し伸べた。

「あとは私たちが見ているから、お友達に会ってきたら?」

 ツアーが中止になってからふさぎがちで、小さな子供の面倒ばかり。自身の子供ならまだしも、兄弟ならば、それを見る役目は自分たち親になると、母と父は思っていた。

「しばらく顔を見せとらんから、待っているかもしれないぞ」

 テラスへ出る廊下の扉口で、父に言われてリムジンの用意をした、運転手が丁寧に頭を下げた。

 弟や妹たちだけでなく、両親も運転手からお手伝いさんまでに、心配をかけているのだと思うと、光命は何としてもここから出たいと願った。

 飲みかけの紅茶はそのままに、久しぶりに見せた優しい笑みでうなずく。

「そうかもしれませんね」

 暖かく見守ってくれている家族を見渡して、光命はテーブルの上に置いてあった懐中時計を手に取り、

「それでは、出かけてきます」

 ポケットに忍ばせると、ブーツのかかとを鳴らして窓へと歩いて行き、運転手に視線だけで合図をした。

「いってらっしゃ~い!」

 家族全員が手を振る前で、長男は外出のための上着を瞬間移動させ、瑠璃色のタキシードを着て、暮れかけた夜の街にリムジンを走らせた。
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