298 / 967
最後の恋は神さまとでした
敵の大将は結婚なり/2
しおりを挟む
塾にくる生徒の大半が、諸葛孔明が過去に何をしてきたのか最初は知らない。ただ口コミや紹介で、ありがたいことに受講生が増えていっただけで、糸口までなくしては――
「やってみなきゃわからないっす!」
精密に積み上げてゆく孔明とは対照的に、張飛は自信満々で言いのけた。扇子をさっと折りたたんで、孔明は床板を強く叩く。
「気持ちだけじゃ、物事は進まないの!」
張飛の能天気な雰囲気は消え去って、どこまでも穏やかで優しい笑顔になった。
「彼女の実家がそこにあるっすよ。話合ったんす。だから、俺っちは行くっす」
本当にほしがっていた情報が今出てきた――
十日前に買い物に行ったデパートで、二百四十センチもある背丈の張飛を、二百三十センチの孔明は見かけた。偶然だと嬉しくなって、声をかけようとしたら、人混みの切れ目で、女が優しく微笑んで、張飛を見上げている姿があった。
上げようとしていた手を力なく落とし、一人取り残されたように、しばらく人混みの中に立ち尽くした。
孔明は顔色ひとつ変えずに、平然と嘘をつく。
「その話初めて聞いた。張飛、あんなに女っ気なかったのにね?」
「可愛い人がいたっすよ~。これこれ、写メっす」
張飛はポケットに無造作に入れていた携帯電話を取り出して、孔明の前に差し出した。
ふたりで寄り添って、笑顔で自撮りした写真――。
本当は少しだけ見かけた。それでも、孔明は初めて見たみたいに、驚いた振りをする。
「うわ~! 綺麗な人だね」
嘘でもなく、本当のことだ。張飛は照れたように頭をかく。
「俺っちのこと、何でもわかってくれるっすよ」
「でも、美女と野獣だね」
嘘でもなく、本当だった。毛むくじゃらの大男と華奢な女。張飛は孔明から携帯電話を取り上げて、ポケットにしまった。
「何を言われも、俺っちは気にしないっす。真実の愛があるっすから。名前がまた可愛いんっすよ」
一人で照れて、全身ピンク色に染まっているみたいな張飛を、冷静な孔明はじっと見つめた。
「何て言うの?」
「絆っていう、鈴の音みたいな名前で、出会ってすぐに恋に落ちたっすよ」
この大男が好きになるのは無理もない。しかし、女が張飛を好きと言う。やはりこの世界は、出会えば両想いになるという可能性の数値は、孔明の精巧な頭脳の中で確実に上がった。
不意に吹いてきた風で、草原がさわさわと揺れる。孔明は真正面を向いて、忘れることのない頭脳で、さっき見た写真を、シャボン玉でも触るようにそっとなぞる。
「綺麗な名前だね。そして、本当に幸せそう……」
胸の奥が切ない。
胸の奥が痛い。
センチメンタルになっている孔明の隣で、
「そうじゃなくて幸せなんす!」
張飛は大声で言って、親友の背中をバシンと叩いた。背中に痛みはほとんどないが、心が痛い。だから、孔明は、
「ふーん」
そう言うだけで精一杯だった。
「孔明は彼女はいないんすか?」
「いるよ」
平然と聞き返してくる男の前で、孔明はぽつりとつぶやいた。
経験したことの可能性を導き出すのは簡単だ。しかし、情報がどこにもないことに関しては、最初からうまくいくとは限らない。
隣に座っている大男は、自分とは違うのか――。孔明はそう思うと、さっきの両想いになる可能性の数値を下げざるを得なかった。
張飛はゴロンと寝転がり、孔明の凛々しい眉を見上げた。
「生きてた時の奥さんすか?」
「違うよ」
張飛の視界をふさぐように、孔明は漆黒の長い髪をすいてゆく。袖口が大きく開いたロングシャツは、男ふたりの間に幕でも引いたようにお互いを隠した。声だけが聞こえてくる
「俺っちも答えたんすから、孔明も情報を渡してくれっす」
「名前は紅朱凛、頭のいい人」
「孔明を理解するのは、頭のいい人じゃないと難しいすからね」
「そうかもね」
凍えてしまうほど冷たい雨が、孔明にだけ降っているように、彼の表情はどこまでも冷酷だった。
そして、孔明が罠を仕掛けた通りの順序と回数で、張飛から質問するように仕向けて、聞き出すための言葉がやってきた。
「結婚するっすか?」
「ボクはしない。張飛は?」
して、幸せになってほしい。でも、しないと言ってほしい。親友という狭間で、孔明の心は揺れ動く。
「向こうの宇宙に行ったらするっす」
永遠の世界で、この男は結婚する――。
瑠璃紺色の瞳は珍しく落ち着きなくあちこちに向けられた。
「そう……。じゃあ、子供もできるってこと?」
「家族がほしいっすからね!」
張飛は両手を万才するように大きく上げた。
髪をすく時間は今まで最大三分だった。これ以上するのは不自然に思われ、相手に気づかれる可能性が上がる。孔明は腕を下ろして、好青年の笑みで皮肉っぽく言う。
「張飛、そんなに家庭的だった?」
「彼女に会ってから変わったっすよ」
「やってみなきゃわからないっす!」
精密に積み上げてゆく孔明とは対照的に、張飛は自信満々で言いのけた。扇子をさっと折りたたんで、孔明は床板を強く叩く。
「気持ちだけじゃ、物事は進まないの!」
張飛の能天気な雰囲気は消え去って、どこまでも穏やかで優しい笑顔になった。
「彼女の実家がそこにあるっすよ。話合ったんす。だから、俺っちは行くっす」
本当にほしがっていた情報が今出てきた――
十日前に買い物に行ったデパートで、二百四十センチもある背丈の張飛を、二百三十センチの孔明は見かけた。偶然だと嬉しくなって、声をかけようとしたら、人混みの切れ目で、女が優しく微笑んで、張飛を見上げている姿があった。
上げようとしていた手を力なく落とし、一人取り残されたように、しばらく人混みの中に立ち尽くした。
孔明は顔色ひとつ変えずに、平然と嘘をつく。
「その話初めて聞いた。張飛、あんなに女っ気なかったのにね?」
「可愛い人がいたっすよ~。これこれ、写メっす」
張飛はポケットに無造作に入れていた携帯電話を取り出して、孔明の前に差し出した。
ふたりで寄り添って、笑顔で自撮りした写真――。
本当は少しだけ見かけた。それでも、孔明は初めて見たみたいに、驚いた振りをする。
「うわ~! 綺麗な人だね」
嘘でもなく、本当のことだ。張飛は照れたように頭をかく。
「俺っちのこと、何でもわかってくれるっすよ」
「でも、美女と野獣だね」
嘘でもなく、本当だった。毛むくじゃらの大男と華奢な女。張飛は孔明から携帯電話を取り上げて、ポケットにしまった。
「何を言われも、俺っちは気にしないっす。真実の愛があるっすから。名前がまた可愛いんっすよ」
一人で照れて、全身ピンク色に染まっているみたいな張飛を、冷静な孔明はじっと見つめた。
「何て言うの?」
「絆っていう、鈴の音みたいな名前で、出会ってすぐに恋に落ちたっすよ」
この大男が好きになるのは無理もない。しかし、女が張飛を好きと言う。やはりこの世界は、出会えば両想いになるという可能性の数値は、孔明の精巧な頭脳の中で確実に上がった。
不意に吹いてきた風で、草原がさわさわと揺れる。孔明は真正面を向いて、忘れることのない頭脳で、さっき見た写真を、シャボン玉でも触るようにそっとなぞる。
「綺麗な名前だね。そして、本当に幸せそう……」
胸の奥が切ない。
胸の奥が痛い。
センチメンタルになっている孔明の隣で、
「そうじゃなくて幸せなんす!」
張飛は大声で言って、親友の背中をバシンと叩いた。背中に痛みはほとんどないが、心が痛い。だから、孔明は、
「ふーん」
そう言うだけで精一杯だった。
「孔明は彼女はいないんすか?」
「いるよ」
平然と聞き返してくる男の前で、孔明はぽつりとつぶやいた。
経験したことの可能性を導き出すのは簡単だ。しかし、情報がどこにもないことに関しては、最初からうまくいくとは限らない。
隣に座っている大男は、自分とは違うのか――。孔明はそう思うと、さっきの両想いになる可能性の数値を下げざるを得なかった。
張飛はゴロンと寝転がり、孔明の凛々しい眉を見上げた。
「生きてた時の奥さんすか?」
「違うよ」
張飛の視界をふさぐように、孔明は漆黒の長い髪をすいてゆく。袖口が大きく開いたロングシャツは、男ふたりの間に幕でも引いたようにお互いを隠した。声だけが聞こえてくる
「俺っちも答えたんすから、孔明も情報を渡してくれっす」
「名前は紅朱凛、頭のいい人」
「孔明を理解するのは、頭のいい人じゃないと難しいすからね」
「そうかもね」
凍えてしまうほど冷たい雨が、孔明にだけ降っているように、彼の表情はどこまでも冷酷だった。
そして、孔明が罠を仕掛けた通りの順序と回数で、張飛から質問するように仕向けて、聞き出すための言葉がやってきた。
「結婚するっすか?」
「ボクはしない。張飛は?」
して、幸せになってほしい。でも、しないと言ってほしい。親友という狭間で、孔明の心は揺れ動く。
「向こうの宇宙に行ったらするっす」
永遠の世界で、この男は結婚する――。
瑠璃紺色の瞳は珍しく落ち着きなくあちこちに向けられた。
「そう……。じゃあ、子供もできるってこと?」
「家族がほしいっすからね!」
張飛は両手を万才するように大きく上げた。
髪をすく時間は今まで最大三分だった。これ以上するのは不自然に思われ、相手に気づかれる可能性が上がる。孔明は腕を下ろして、好青年の笑みで皮肉っぽく言う。
「張飛、そんなに家庭的だった?」
「彼女に会ってから変わったっすよ」
0
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?
さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。
私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。
見た目は、まあ正直、好みなんだけど……
「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」
そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。
「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」
はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。
こんなんじゃ絶対にフラれる!
仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの!
実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる