上 下
128 / 967
リレーするキスのパズルピース

武術と三百億年/3

しおりを挟む
 会場にいる人々は不思議そうな顔でことの成り行きを見守っていた。何が起きているのかよく分かっている達人の説明が入る。

「あれは夕霧命が正中線の意識を強くして、遠くの宇宙にまで伸ばしたんじゃ」

 メインアリーナの観戦客のみんなが息を飲む中、アナウンサーとじいさんの声が、人々という絹の布地に染み込むように、会場の隅々に行き渡ってゆく。

「正中線とはなんですか?」
「体の中心を上下を貫く気の流れじゃ。持っとるやつはなかなかおらん」

 試合会場の一番後ろの通路は、聖輝隊の隊員がスコープと無線でやり取りをしながら、右へ左へ忙しそうに動いている。近くの柱のすぐ横で、紺の肩より長い髪はそよ風に揺られる。その人のまわりだけでは、夢想的なおもむきのあるインストゥルメンタル――夢想曲トロメライが奏でられているようだった。


 アナウンサーの目は夕霧命と緑のくまさんの距離がどんどん離れていっているの見て取った。

「それがあると、戦いにはどんな威力を発揮するんですか?」
「相手の動きを抑えられるんじゃ」
「触れてもいないのに、それができるいうことですか?」
「そうじゃ。おのれより大きなものに上から見られると、人は恐怖心が生まれるじゃろ?」
「えぇ、手が震えたりしますね。まるで蛇ににらまれたカエルみたいに」

 大画面を見つめる水色の瞳はついっと細められる。その人は背中で、最後列よりも後ろの通路の柱に、優雅にもたれかかっていた。

 音速というズレは起きずに、達人のじいさんの声は全会場に同時に伝わってゆく。

「今、緑のくまさんは、教会や神社で感じる、人知を超えた存在の畏敬いけいを強く感じてるのと同じ状態じゃ」
「かかっていくのを躊躇ちゅうちょしますね、それは。このまま、戦いもせずに恐怖心だけで試合終了か!」

 見えないもの、だが感じられるもの。それは、そこに何らかの存在がある。それは現実。気の流れも同じ。夕霧命はいわゆる、雰囲気というものを意図的に変える技を習得していた。

「じゃがの、相手の方が人生経験は豊富じゃ。恐怖心もいっときじゃ。一気に間合いは崩れてくるじゃろう」

 年老いた声が言い終えると、試合場で動きがあった。人々のどよめきがそれに反応して、アリーナという大きなうつわの中で揺れ動く。

「おう!」

 歓声をバックにアナウンサーが声を張り上げた。

「歳を重ねたら九十センチ背が縮んでしまった達人さんの言った通り、やはり戦況は動いてきた! 緑のくまさん、力技を仕掛けるため、夕霧命に突進してきた!」

 二本でどっしりとした太い足が地響きを鳴らしながら、ドスドスと試合会場の上を足早に進んでくる、熊の鋭い爪で切り裂くような殺気丸出しで。

 無感情、無動の切れ長な瞳はそれをじっととらえたまま、紺と白の袴は風にはためく以外、動く気配を見せない。

(まずは相手の呼吸。……人族より、深く大きい)

 ガバーッと熊の大きな両腕は振り上げれて、地の底から振動させるようなうなり声が上がった。

「うぉっ!」

 ビュッという音が鳴るほど、勢いよく太く力強い熊の両腕は振り下ろされる。それでも、深緑の短い髪は動こうともせず、あと一ミリで自分を切り裂くというところで、

(瞬間移動)

 すっと消え去った。相手にかけるのは禁止されているが、自分にかけることは許されている動き。空振りに終わりそうだった両腕を落としていた途中で止めると、茶色の毛並みがさざ波のようになびいた。

 熊の鋭い瞳には映っていなかったが、アナウンサーの目にはきちんととらえられていた。白と紺の袴の行方が。

「おっと、緑のくまさんの真後ろに、夕霧命が瞬間移動した。背後を取られた!」

 夕霧命の艶やかな背の高い体躯はさっきと同じように立っていた。

「夕霧命じゃがの。じっとしているように見えて、微動してるのじゃ」
「それはどういうことですか?」
「正中線を使って立つをそうなるのじゃ。余分な力がどこにも入っとらんからじゃ」

 じいさんの解説を聞くことなく、合気の達人は対戦相手のクマを見据える。

(相手の操れる支点。……腹より三センチ上の前面から十七センチ奥)

 緑のくまさんはくるっと振り返って、ドスドスと足音を立てながら、夕霧命にその鋭い爪を向けてゆく。

「がぁーっ!」

(正中線。腸腰筋ちょうようきん腸骨筋ちょうこつきん足裏あしうらの意識を高める……。縮地)

 だが、残像を少し残したまま、まるで猛スピードで物が動いたように、袴はすうっと横に揺れて消え去った。

「また背後に瞬間移動だ、夕霧命」

 アナウンサーの間違いを、達人は即座にのんびりと注意した。

「今のは瞬間移動ではあらん。縮地という技を使ったんじゃ」
「縮地とは何でしょう?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

男子中学生から女子校生になった僕

大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。 普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。 強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

【R18】鬼上司は今日も私に甘くない

白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。 逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー 法人営業部メンバー 鈴木梨沙:28歳 高濱暁人:35歳、法人営業部部長 相良くん:25歳、唯一の年下くん 久野さん:29歳、一個上の優しい先輩 藍沢さん:31歳、チーフ 武田さん:36歳、課長 加藤さん:30歳、法人営業部事務

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?

さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。 私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。 見た目は、まあ正直、好みなんだけど…… 「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」 そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。 「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」 はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。 こんなんじゃ絶対にフラれる! 仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの! 実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。 

【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。

猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。 『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』 一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。

処理中です...