36 / 967
大人の隠れんぼ=妻編=
妻の愛を勝ち取れ/12
しおりを挟む
夫の大きな手で、妻の前髪はそっと上げられ、おでこに軽くキスをされた。
「僕は君を愛してます――」
――十五年前に知った人が脳裏に浮かび上がるたび、夫になってゆく日々。この感覚は霊的な直感。そんな中で、自分のそばにやってきた男。役職名が本名なのだと信じていたほどで、どんな人かもわからなかった。
話すようになって、この人は落ち着きがあって、どんなことにも驚いたりはしない男。それなのに、穏やかで優しさに満ちあふれていて、独特の価値観を持っている。
呼ばなければこない。呼べばくる。距離があるように思うが、いつも相手を気にかけているから、くるのであって、お互いの心はすぐ近くにいるのだ。そんな男――
「はい……愛してます」
約束は約束。気持ちがないのではなく、言う主義ではないだけだ。伏せ目がちの颯茄の前で、貴増参の手があごに再び当てられた。
「ふむ。僕の王子さまも素敵な人です」
夫婦で王子さまと言ったら、光命だ。また出てきた。優雅な策略家。妻は夢から覚めたみたいにはっとし、今目の前に立っている落ち着きのある王子をじっと見つめた。
「え……?」
複数で結婚しているからこそ、お互いが愛している夫を間にして、二人の幸せがさらに広がってゆく。貴増参はにっこり微笑んだ。それはまるで白馬に乗った王子さまが手を差し伸べたようだった。
「二人が愛の聖堂に今夜もたどり着けるように、僕が魔法をかけよう!」
「ん?」
ベッドに行くの隠語として使ってきていると、妻が気づかないうちに、時々策略的な貴増参からこんな言葉が出てきた。
「あ、そうでした。うっかり忘れてました。僕も、いや、みんなも一緒にです」
いつぞやの11Pになってしまった。だが、もう慣れたのである、妻は。夫たちときたら、仲がいい限りでほぼ毎晩なのだ。
「ふふふっ」
颯茄がまた微笑むと、貴増参の大きな両手が彼女の頬を優しく包み込み、キスをするために、妻の顔をすうっと上げた。
閉じたまぶたの裏が視覚を封印して、他の感覚を鋭くする。そして、触れた唇から魔法をかけられた。
――甘い呪文のキス。
くるくると踊ったこともないワルツを、相手のリードだけで、どこまでも軽やかに楽しめる。
いつまでも続く舞踏会だったが、凛とした澄んだ女性的でありながら男性の声が、語尾をゆるゆる~と伸ばして響いた。
「よろしいですか~? 玄関は空けておいていただかないと、僕が困るんです~」
何かあるみたいな言い方。颯茄はキスをしていたことなどすっかり忘れて、ステンドグラスのはめ込まれた豪華な扉をじっと見つめた。
「外に誰かいるってこと?」
今日は日曜日――を気づいていない妻の前で、貴増参の革靴は軽くクロスされ、あごに人差し指と親指が当てられた。
「ふむ。そういうことですか。僕はわかっちゃいました」
「え……?」
颯茄が聞いているそばから、カーキ色のくせ毛とブラウンの瞳はすうっと退散した。
二つの形の違うスカートだけが、居残った階段の下。ニコニコのまぶたから、邪悪なヴァイオレットの瞳が姿を現した。
「颯、すぐに違う場所に隠れてください。それとも、僕の短剣でズタズタに切り裂きましょうか~?」
平和な我が家に。小学校教諭の手に。鋭いシルバー色を放つ武器があった。しかも、妻を脅迫する夫。もちろん、それは嘘なのだが。
「どこから持ってきたんですか?」
「うふふふっ」
いや違った。突きつけられた刃先。そのすぐ近くの月命の腕時計は、
十五時二十二分三十五秒――。
そんなことを見ている余裕などなく、妻は息を飲んだ。
「ほっ、本気で切り裂く気だ。とにかく、今度は外に行こう!」
深緑のベルベットブーツは市松模様の床をさっと走ってゆき、玄関の扉から外へ急いで出ていった。
*
範囲が広すぎる隠れんぼ。とうとう家の外へと出て、門までの道を歩こうとすると、右手に竹やぶが見えた。舗装された道から、冬に向かうというのに、なぜか青々としている芝生の上からそれて、竹のつるっと固い感触を手で味わった。
「すごいね。ここ」
一歩足を中に踏み入れると、パンダになりたいほど奥深い竹やぶだった。
「これだけ茂ってたら見つからないかも……」
土の上をブーツは進んでゆく。まわりを観察するたび、ピンクのカーディガンの背中で、ブラウンの髪が右に左に揺れ動く。
道に迷わないように一旦後ろに振り返り、よそ見をしたまま歩いていこうとした時、ドンと何かにぶつかった。
素っ頓狂な鼻声が竹やぶに飛び出し、
「うわっ!?」
そのあとすぐに、安堵のため息に変わった。
「あぁ~。颯か。びっくりした。るっ、月かと思った……」
ミリタリーズボンの膝の上に両手を置いて、ドキマギしている夫の前で、妻は訝しげな顔をする。
「またまた~! 独健さん、わざと驚いたふりして~」
少しの間があったが、照れたようにひまわり色の髪をかき上げて、独健はさわやかに微笑んだ。
「まっ、そうだな。お前には通用しないよな」
本当は違うのだ、この夫は。フードつきのジャケットを、颯茄は手で軽くトントンと叩く。
「そうですよ。何で、罠にはまったふりするんですか?」
「その方が罠を仕掛けたやつが喜ぶだろう?」
こんな人なのだ、この夫ときたら。はつらつとした若草色の瞳を、妻はまっすぐ見上げ、腰に両手を当てて叱ってみた。
「独健さんは優しすぎです」
「あぁ、どの口がそんなことを言うんだ?」
少し怒った感じで鼻声が響き、颯茄の小さな肩をガバッとつかみ、妻は逃げようとするが、
「あ~あ~っ!」
あごを無理やり引っ張られて、唇をすぼめられた。颯茄の口からは意味不明な言葉が出てくる。
「フォナシュチェキュジャシャイ~~!(離してください~~!)」
いくらもがいても逃げられなくて、妻の顔がしばらく変な感じで歪んでいた。
「僕は君を愛してます――」
――十五年前に知った人が脳裏に浮かび上がるたび、夫になってゆく日々。この感覚は霊的な直感。そんな中で、自分のそばにやってきた男。役職名が本名なのだと信じていたほどで、どんな人かもわからなかった。
話すようになって、この人は落ち着きがあって、どんなことにも驚いたりはしない男。それなのに、穏やかで優しさに満ちあふれていて、独特の価値観を持っている。
呼ばなければこない。呼べばくる。距離があるように思うが、いつも相手を気にかけているから、くるのであって、お互いの心はすぐ近くにいるのだ。そんな男――
「はい……愛してます」
約束は約束。気持ちがないのではなく、言う主義ではないだけだ。伏せ目がちの颯茄の前で、貴増参の手があごに再び当てられた。
「ふむ。僕の王子さまも素敵な人です」
夫婦で王子さまと言ったら、光命だ。また出てきた。優雅な策略家。妻は夢から覚めたみたいにはっとし、今目の前に立っている落ち着きのある王子をじっと見つめた。
「え……?」
複数で結婚しているからこそ、お互いが愛している夫を間にして、二人の幸せがさらに広がってゆく。貴増参はにっこり微笑んだ。それはまるで白馬に乗った王子さまが手を差し伸べたようだった。
「二人が愛の聖堂に今夜もたどり着けるように、僕が魔法をかけよう!」
「ん?」
ベッドに行くの隠語として使ってきていると、妻が気づかないうちに、時々策略的な貴増参からこんな言葉が出てきた。
「あ、そうでした。うっかり忘れてました。僕も、いや、みんなも一緒にです」
いつぞやの11Pになってしまった。だが、もう慣れたのである、妻は。夫たちときたら、仲がいい限りでほぼ毎晩なのだ。
「ふふふっ」
颯茄がまた微笑むと、貴増参の大きな両手が彼女の頬を優しく包み込み、キスをするために、妻の顔をすうっと上げた。
閉じたまぶたの裏が視覚を封印して、他の感覚を鋭くする。そして、触れた唇から魔法をかけられた。
――甘い呪文のキス。
くるくると踊ったこともないワルツを、相手のリードだけで、どこまでも軽やかに楽しめる。
いつまでも続く舞踏会だったが、凛とした澄んだ女性的でありながら男性の声が、語尾をゆるゆる~と伸ばして響いた。
「よろしいですか~? 玄関は空けておいていただかないと、僕が困るんです~」
何かあるみたいな言い方。颯茄はキスをしていたことなどすっかり忘れて、ステンドグラスのはめ込まれた豪華な扉をじっと見つめた。
「外に誰かいるってこと?」
今日は日曜日――を気づいていない妻の前で、貴増参の革靴は軽くクロスされ、あごに人差し指と親指が当てられた。
「ふむ。そういうことですか。僕はわかっちゃいました」
「え……?」
颯茄が聞いているそばから、カーキ色のくせ毛とブラウンの瞳はすうっと退散した。
二つの形の違うスカートだけが、居残った階段の下。ニコニコのまぶたから、邪悪なヴァイオレットの瞳が姿を現した。
「颯、すぐに違う場所に隠れてください。それとも、僕の短剣でズタズタに切り裂きましょうか~?」
平和な我が家に。小学校教諭の手に。鋭いシルバー色を放つ武器があった。しかも、妻を脅迫する夫。もちろん、それは嘘なのだが。
「どこから持ってきたんですか?」
「うふふふっ」
いや違った。突きつけられた刃先。そのすぐ近くの月命の腕時計は、
十五時二十二分三十五秒――。
そんなことを見ている余裕などなく、妻は息を飲んだ。
「ほっ、本気で切り裂く気だ。とにかく、今度は外に行こう!」
深緑のベルベットブーツは市松模様の床をさっと走ってゆき、玄関の扉から外へ急いで出ていった。
*
範囲が広すぎる隠れんぼ。とうとう家の外へと出て、門までの道を歩こうとすると、右手に竹やぶが見えた。舗装された道から、冬に向かうというのに、なぜか青々としている芝生の上からそれて、竹のつるっと固い感触を手で味わった。
「すごいね。ここ」
一歩足を中に踏み入れると、パンダになりたいほど奥深い竹やぶだった。
「これだけ茂ってたら見つからないかも……」
土の上をブーツは進んでゆく。まわりを観察するたび、ピンクのカーディガンの背中で、ブラウンの髪が右に左に揺れ動く。
道に迷わないように一旦後ろに振り返り、よそ見をしたまま歩いていこうとした時、ドンと何かにぶつかった。
素っ頓狂な鼻声が竹やぶに飛び出し、
「うわっ!?」
そのあとすぐに、安堵のため息に変わった。
「あぁ~。颯か。びっくりした。るっ、月かと思った……」
ミリタリーズボンの膝の上に両手を置いて、ドキマギしている夫の前で、妻は訝しげな顔をする。
「またまた~! 独健さん、わざと驚いたふりして~」
少しの間があったが、照れたようにひまわり色の髪をかき上げて、独健はさわやかに微笑んだ。
「まっ、そうだな。お前には通用しないよな」
本当は違うのだ、この夫は。フードつきのジャケットを、颯茄は手で軽くトントンと叩く。
「そうですよ。何で、罠にはまったふりするんですか?」
「その方が罠を仕掛けたやつが喜ぶだろう?」
こんな人なのだ、この夫ときたら。はつらつとした若草色の瞳を、妻はまっすぐ見上げ、腰に両手を当てて叱ってみた。
「独健さんは優しすぎです」
「あぁ、どの口がそんなことを言うんだ?」
少し怒った感じで鼻声が響き、颯茄の小さな肩をガバッとつかみ、妻は逃げようとするが、
「あ~あ~っ!」
あごを無理やり引っ張られて、唇をすぼめられた。颯茄の口からは意味不明な言葉が出てくる。
「フォナシュチェキュジャシャイ~~!(離してください~~!)」
いくらもがいても逃げられなくて、妻の顔がしばらく変な感じで歪んでいた。
0
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?
さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。
私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。
見た目は、まあ正直、好みなんだけど……
「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」
そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。
「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」
はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。
こんなんじゃ絶対にフラれる!
仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの!
実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。
【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。
猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。
『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』
一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる