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砕けた神さま

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 空中スクリーンが消え去ると、食堂の明かりが戻ってきた。駄菓子やジュースの甘い匂いが再び臭覚を刺激する。

 静かな夫婦十人だったが、倫礼の少し憤慨した声が破壊した。携帯電話をテーブルに投げ置いて、

「最後のセリフは完全にアドリブです!」

 何の問題もなさそうなストーリーだったのに、作者の中では大問題発生だった。横に置いてあった台本を慌ててパラパラとめくり、

「ここは……『人間の幸せが神さまの幸せだからね』なのに、神さまで恋をして……」

 神の慈愛で美しく終わるはずだったのに、ダブル恋愛ものになってしまっていた。

 マスカットをサクッとかじった焉貴。いつの間にか椅子の背もたれに座って、テーブルを足で蹴り、斜め後ろに倒しては戻してを繰り返している。

「気づいたら、あぁ言ってたの」

 アンバランス極まりない、エキセントリックな座り方をしている夫を作っている材料を、他の旦那たちがため息まじりに告げた。

「無意識の直感……」

 しかし、過ぎてしまったことを悔やんでも仕方がない。倫礼は気を取り直して、暗転する前の、山吹色のボブ髪をした夫と赤茶のふわふわウェーブ髪の妻が、見つめ合ったシーンを思い出した。

「知礼さんと焉貴さんのペアって、純真無垢でいいですね。大人の香りが全然しない」

 色欲という言葉とは無縁なカップリング。本当の天使と神みたいな神聖な関係。それでも、妻と夫のふたり。

「知礼はね」

 焉貴も納得の声を上げ、その隣で、孔明は漆黒の髪をつうっと指先ですいて伸ばした。

「彼女、ピュアでプラトニックだよね」

 独健どっけんはラムネのガラス玉を瓶の中へ押し入れて、一口飲んだ。

ひかりの元彼女だが、お前どう思ってるんだ?」
「私もそのように思いますよ。彼女とは肉体関係をほとんど結んでいませんからね」

 デフォルトで、ピュアな妻――知礼。スナック菓子を食べるのを止め、倫礼は光命ひかりのみことに同意を求めた。

「心が強くつながってるんですよね?」

 十五年もパートナーとしてやってきて、今もなお、スパーエロ夫のそばにいても、プラトニックに近い知礼。ふたりの関係が倫礼には微笑ましかった。

 焉貴のまだら模様の声が、真逆だというように言葉を添える。

「お前と光だと、煩悩だらけなのにね」

 倫礼は持っていたお菓子をテーブルに叩きつけた。

「煩悩言うな! 煩悩! 普通に話してる時もありますよ!」

 斜め向かいの席で、光命はチョコレートの包み紙を握った手の甲を、中性的な唇に当てて、くすくす笑い出した。

「…………」
「寄ればセックスしてるよね?」

 宝石のように異様に輝く黄緑色の瞳から、倫礼はテーブルクロスの白に視線を落とした。

「どうだったかなぁ~?」

 妻の脳裏にめくるめく情事が浮かんでは消えてを繰り返している姿を前にして、夫たちがため息をついた。

「とぼけて……」

 倫礼はぷるぷるっとかぶりを振り、コーラを一口飲んで、気持ちを入れ替えた。

「無意識の策略なのか、焉貴さん、セリフ勝手に変えちゃって……。ワンシーンカットになったんです」

 ミラクル風雲児は他にもやらかしていた。

「どの部分だ?」

 左隣に座っていた夕霧命ゆうぎりのみことの、無感情、無動のはしばみ色をした瞳を、倫礼は見上げた。

「レンの部屋に行くように、ルファーからリンレイが言われるところです」

 最初のほうで、部屋のドアを蹴破った前の場面。孔明が両腕をテーブルの上で大きく伸ばすと、細いシルバーのブレスレットがさらさらと音を立てた。

「その映像はあるの~?」
「もちろんあります。再生しま~す!」

 倫礼は得意げに携帯電話を取り上げて、食堂の明かりを早々と落とした。再び現れた空中スクリーンに、全員の視線が集中する。

 ――暗転ののち、淡い黄色に光り輝く世界の中で、リンレイは一人立っていた。焉貴が演じるのは、レンの心の成長を願う神、ルファー。人智を超えた存在に連れてこられた別世界。

 リンレイのどこかずれているクルミ色の瞳には、光ばかりで姿形も見えなかった。だが、軽薄的な男の声が突如響いた。

「――ねぇ、そこの彼女?」

 神の威厳など、どこかに吹き飛んでいて、他の夫たちが耐えきれなくなって、笑った。

「あはははは……!」

 しかし、映像はカットがかからない。リンレイはうまく拾って、少し顔をしかめた。

「ナンパ?」
「ちょっ! 話があんの」

 完璧にナンパである。もしくは、キャッチである。それでも、カットはかからないので、リンレイはあたりを見渡す。

「姿が見えない。……神さまとかかしら?」
「そう。ルファーって神さまやっちゃってんの」

 語尾が軽すぎだった。リンレイはあきれため息をつく。

「ずいぶん、砕けた神さまだわね」
「いいから、そこのドア開けちゃって」

 そんなものはなかったはずだが、いつの間にか真っ白な扉が目の前に立っていた。リンレイはそれを指差して、上を見上げる。

「これですか?」
「そう。で、またドア出てくるからそれも開けちゃって」

 妻の頭の中で、ピンとひらめいた。

「そうすると、またドアが出てきて、永遠に出てくる。合わせ鏡みたいなドア?」

 しかし、三百億年の歴史を持つ夫のほうが何枚も上手だった。

「お前、人の話は最後まで聞かないといけないでしょ」

 ナンパな神から説教を食らったリンレイは素直にうなずくしか対処法が見あたらなくなった。笑いも、皇帝のような威圧感でありながら、軽薄的に却下される。

「はい」
「ふたつ目のドア開けて、男に会っちゃって」

 悪魔退治の説明が抜けているのに、ルファーの中では辻褄が合っているのだろう。いや、あとで不思議そうに首をかしげるのかもしれない。

「急展開だわね」

 ミラクル旋風で吹き飛ばされた、いくつものセリフを思い返しながら、リンレイはボソッとつぶやいた。

「いいから行っちゃって」
「よし、じゃあ、ここを開けて」

 ドアノブに手をかけようとすると、茶色いものがすうっと現れた。

「で、そこに置いてある紙袋、ふたつ持ってって」

 ルファーチョイスのフルーツがたくさん入った袋。リンレイは驚いて動きを止めた。

「え? 両手ふさがっちゃう。これじゃドア開けられな――」
「いいから、行っちゃって。急いでんの」
「なんだか強引に引きずり回されてる気がするわね……」

 リンレイはしゃがみこんで、何とか買い物袋を抱え上げ、ドアを肩で押し開けた――

 スクリーンは暗転して、食堂に明かりが戻ってくると、旦那たちがため息をついた。

「神としての威厳がない……」

 携帯電話をテーブルに置いた、リンレイは同意を求める。

「カットですよね?」
「学校でしている言葉遣いでよかったんではないんですか~?」

 ふ菓子でベタベタになった手をハンカチで拭きながら、月命るなすのみことの凛とした澄んだ女性的な声が響いた。リンレイはマゼンダ色の長い髪をのぞき込んで、

「『私』を使って、丁寧語ですよね?」

 外行きとプライベートが違う夫の一人、焉貴。しかし、リンレイの言葉は失速した。

「でもそれが……」
「家族の物語でしょ? これって。いつもの俺でやらないとでしょ?」
「そういうわけで、却下でした」

 明智分家の宴だと、焉貴は熟知していた。

 誰が主役の話だったかわからなくなりそうだったが、焉貴がミラクル旋風で一気に話を戻した。椅子の背もたれに座り、斜め後ろにかたむけながら、

「どう? 蓮は演じてみて」
「…………」

 無言のまま、鋭利なスミレ色の瞳は、斜め前に座っている倫礼を、刺し殺すようににらみつけた。

「っ……」

 妻は慌てて顔をそらし、手元に置いてあった台本をパラパラとめくると、赤いペンで縦線が何本も引かれていた。右隣に座っていた明引呼あきひこの、鋭い眼光はそれを見逃さず、

「もめたんだろ?」
「ケンカで夫婦の仲を深めちゃいました」

 左横で貴増参たかふみの羽布団みたいな柔らかな声が響くと、倫礼は顔を上げたが、その前に、超不機嫌な天使のように綺麗なルックスを持つ蓮に捕まってしまった。

「…………」

 無言だったが、俺さま夫の心のうちは、態度デカデカだった。

(説明することを許す。ありがたく思え)

 倫礼はにらみ返してみたが、レン ディストピュアとリンレイのように、どこまでも言い争いが続いていきそうで、軽く息を吐いて、気持ちを入れ替えた。

「……書いたセリフのほとんどを、自分はこんなこと言わないって言って、スタートかかっても、言わなかったんで、ことごとく削ってやりました」

 だが、語尾でパンクをくわらしてやった。渦中のふたりを置いて、納得の声が上がる。

「だから、セリフ少なかったのか!」

 演出ではなく、ただの変更だった。ジンジャーエールのビンをカツンと、テーブルに置いて、明引呼が、

「ギャグなかったな」
「入れようとしたんですけど、蓮、焉貴さん、知礼さんだとそれぞれ、違う方法でスルーされるだけなので、今回はなしでした」

 どこで入れるかとタイミングを常に計っていた倫礼だったが、結局ないまま終了してしまった。瞬間移動で、手のひらに新しいふ菓子を持ってきた、月命がゆるゆる~っと語尾を伸ばす。

「どのようにスルーされるんですか~?」
「蓮は怒るか、ボケ倒し。焉貴さんは、『そう。いいから、話元に戻して』って強引に進められる。知礼さんは大暴投になる……」

 キャスティングに問題があった。夫たちは一斉に納得の声を上げる。

「確かにそうだ」

 誰も気づいていなかったが、夕霧命の地鳴りのような声が突如こんなことを言った。

「なぜ、焉貴に気を向けている?」
「?」

 妻を含めで全員の視線が、蓮に集中した。気を向ける=気にする、である。合気の武道家にとっては気の流れがいつもと違えば、不思議に思うものだ。

 蓮は真正面を超不機嫌で見つめたまま、腕組みをテーブルの下でして、ロングブーツの足で、椅子を斜め後ろへ蹴り上げているが、綺麗な唇は一ミリも動かないままだった。

「…………」

 だが、鋭利なスミレ色の瞳は、間に座っている光命と孔明を飛ばして、彫刻像のように彫りが深く、山吹色のボブ髪をして、背もたれに座り、自分と同じように椅子を後ろへ危なかしげに倒している夫を少しうかがっては、落ち着きなくあたりを見渡すを続けている。

 しかし、焉貴が何の反応もしないものだから、倫礼は返事なしの意味をこう解釈した。

「あぁ~、そうか。焉貴さんと恋愛したかったってことか。次回以降やるから」

 蓮の天使のように綺麗な顔は怒りで歪み、言い返そうとしていたが、途中で相手にしないというように、首を横に振った。

「お前の頭は……いい」
「え……?」

 どうやら、返事なしの意味を間違えたようだった。倫礼は台本を触っていた手をピタリと止め、銀の長い前髪をじっと見つめる。

 すると今度は、旦那たち全員が無言で、視線だけで何か合図をし始めた。

「…………」

 一人妻の倫礼は、イケメン九人を見渡して、一抹の不安を抱き、膝に両手を落として、スカートを落ち着きなく触り出した。

(何で、こんな妙な間が……?)

 聞けば解決することだ。だが、妻は心得ている。話したくないことは、絶対に話してこないのである、この九人は。

 どうにかして情報をと、倫礼があぐねていると、食堂のドアがまた誰の姿も見えないのに、ゆっくりと開いた。

 全員の視線がそっちへ向いたあと、焉貴の椅子が床にきちんと安定感を持って止まり、まだら模様の声が大理石の上に降り積もった。

「何? お前」
「…………」

 姿もなく返事もなかったが、焉貴は瞬間移動で、普通に椅子に座り、

「いいよ」

 すると、テーブルから小さな黒髪の頭が、焉貴の膝の上に現れた。背伸びをしているようで、右に左に傾きながら、くりっとした子どもらしい瞳がふたつ、テーブルより上に出てきた。

「お菓子!」

 キラキラと輝かせた瞳を持つ小さな人の頭を、焉貴の大きな手が優しくなでる。しかし、口調は街角で声をかけるようなナンパなノリ。

「食べたいの?」
「うん。あれ」

 倫礼が用意したお菓子の山の裾野に転がるスナック菓子を、焉貴は取り上げる。

「これ?」
「そう」
「はい」

 駄菓子を受け取った小さな人は、宝石みたいに異様に輝く黄緑色の瞳を見上げて、この部屋に入ってきた本来のおねだりをする。

「パパして」

 山吹色のボブ髪は大きく後ろへかき上げられ、

「今、大人やっちゃってるから、あとで」
「わかった~」

 幼い声が響くと、小さな人の姿はテーブルの下に隠れた。そうして、ドアはカチャッと開き、誰もいないはずなのに、パタンとしまった。

 微笑ましい空気に包まれて、夫婦十人はドアから視線をテーブルの上へと戻した。それぞれの飲み物を飲んで、至福の時を過ごす。

 しばらくして、春風みたいな柔らかな声が聞こえてきた。

「倫ちゃん、結構、雰囲気違ったね?」
「お笑いモードを消すと、実はこういう性格なんです」

 真正面に座る孔明に、倫礼が返事を返すと、夫たちから意外というように、

「色気あるんだな」

 妻は得意げに微笑んで、コーラをグビッとあおり祝福した。

「これは前からあったのか?」

 ゼリーを手で押し出していた独健に、倫礼は大いにうなずく。

「あらすじだけはありました。配役も、蓮と私はあってます」
「他はどうだったんですか?」

 今度は反対に顔を向けて、貴増参からの質問に、妻はテキパキと答える。

「知礼の役はなかったです。神さまは別の人がモデルでした」
「どなたですか?」

 ティーカップをソーサーへ置いた光命の問いかけがテーブルの上に舞うと、倫礼は薄気味悪い含み笑いを始めた。

「むふふふ……」
「また笑いやがって」

 明引呼のしゃがれた声とともに、手の甲で妻の腕はパシンと軽く叩かれる。そレが合図と言うように、倫礼のどこかずれているクルミ色の瞳にはマゼンダ色の長い髪が映った。

るなすさんです。最初のタイトルは、『天使の旋律』だったんです。つきに住んでる天使が守護してくれるという話です。ということで、つきに実際住んでたるなすさんを採用というわけです」
「単純すぎだ」

 夫全員からのツッコミを受けた妻だったが、気まずそうに、「んんっ!」と咳払いして話を先に進めた。

「でもまさか、当時は蓮と月さんが結婚するとは思ってなかったです。予感だったのかなと……」

 ただの保護者と担任教師。妻が知らぬばかりで、いつからか恋仲になっていたのだろう。蓮が月命にプロポーズをして、婿に来ているのだから。

「俺じゃなくて、月でよかったんじゃないの?」

 焉貴からもっともな意見がやってきたが、台本制作者としてはきちんとした理由があった。

「そうすると、月さんの出番が多くなって、主人公と脇役が平等に旦那さんたちに回らないので、ここは焉貴さんに変更しました。親友だったふたりが、神と人の関係で共演する……。いいですよね?」

 当時まだ出会っていなかった焉貴に、妻は同意を求めたが、山吹色のボブ髪は瞬間移動でしゅっと消え去った。

 どこへ行ったのかと思うと、孔明と光命を飛ばして、一番左に座っていた、蓮のすぐ隣に焉貴は立っていた。

 砕けた神さまは、人間の男のあごに指を添えて、ナルシスト的に微笑む。

「じゃあ、人間のレンと恋しちゃ~う!」

 蓮と焉貴の唇がキスをしようと近づこうとしたが、妻はがっちり阻止。

「はい! お楽しみはまたあとにしてください。まだまだ残ってるので」

 他の旦那たちから何か言葉が飛んでくると思っていたが、静寂だけが広がった。

「…………」
「え……?」

 妙な空気に、妻は真顔に戻り、食卓を見渡す。

(だから、この間は何?)

 そうして、こんな光景が目に入った。月命が瞬間移動で、可愛くピンクを基調にしてデコした携帯電話をじっと見るめているのを。意識化でつながるそれ。手で操作しなくても動かすことはできる。

 倫礼は思う。さっき電話をしても、応答しなかった子供にでも、メールを送っているのかと。終わったのを見計らって、妻は先へ話を進めた。

「それでは、次の作品で真ん中の五番目。ということで折り返し地点です。主役で出てきた人が今度は脇役で出てくるようになります。それでは、タイトルは――」

 食堂の明かりがすうっと、薄闇に落ちて、空中スクリーンに文字が浮かび上がった。

「――復活の泉!」

 妻は視界の端で、テーブル近くに青白い携帯電話の画面がいくつも浮かんでいるのを見つけた。
 
 旦那たち全員に同じ文字が映っていたが、妻からは見えない仕組みで、たまたまメールが重なったのかと思い、気にもせずに、プレイボタンはそのままだったが、すぐに携帯電話はそれぞれのポケットにしまわれた。
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