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ナイフの向こうに憎しみがある/3
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そして、家族は江を腫れ物を扱うようにして、裏手にある空き家に一人で住むことにさせた。
しばらく誰も住んでいないため、家の中でも靴でないと歩けないほどだった。しかし、江は緑と楽しそうに会話をしながら、一人で二階建ての家を全て片付け、荷物を運び入れた。
好きなワインと外国産のチーズを囲んで、小さな弟や妹たちと一緒に、一人暮らしに乾杯と洒落込んだが、
「よう! 修羅場を経験した、お前に朗報だ」
赤と青のくりっとした瞳が、ブルーチーズをかじっていた江が振り返ったそこにあった。
「何?」
彼女の態度は可愛らしいものではなく、気品高く堂々としたものになっていた。
「また澄藍に戻ったぞ」
四度目の魂変更、澄藍再び――。
さっきまでだったら、飛び上がって喜びそうな雰囲気だったのに、携帯電話を手で拾い上げ、着信履歴をたどる。
感情はさておき、冷静な頭脳が的確に動き出す。喧嘩をして別れていないものだから、彼女のクルミ色の瞳に映るのは、元旦那からの着信ばかりだった。
「あぁ、そうか。じゃあ、配偶者の元へ戻らないといけないね」
澄藍が神界で結婚しているのが、元旦那なのだ。それが娘の江になったから、魂を大切にしている彼女は、父と娘が結婚しているのはおかしいと納得して離婚したのだ。
神様が何を考えているのかはわからないが、妻になったのなら、離れて生きているのはおかしいことと、澄藍にはなるのだった。
人間の女を前にして、コウは素知らぬふりでうなずく。
「そうかもしれないな。そこは、お前で考えろ」
「うん」
必要とされない家族よりも、話が伝わる人のそばにいたいと、彼女は自然と思った。リダイアルをタッチする。
「連絡しよう、元旦那のところに」
もう一度やり直す方向に話は進み始め、来年の三月に引っ越しの日は決まった。東京で一緒に暮らす。
見えないものを信じていない家族。魂が入れ替わったから、元に戻るなど通じるはずもなかった。話せば、家族から言葉の暴力がくるのは目に見えている。それに耐えられるほどの余裕は、今の澄藍にはなかった。
やり直すことは家族の誰にも言わず、時期がくるのを彼女は、この世界では一人きりの一軒家で、神界に住む子供たちと一緒に楽しく過ごして待った。
ある晩、パソコンで動画サイトを見ていた彼女は急に笑い出した。
「あははははっ!」
スペースキーを叩いて、動画を一時停止する。
「おかしいなあ~。絶対に笑ってしまう、BL。あははははっ!」
グラスに入った赤ワインを飲み、ドライフルーツを口に放り込む。
「ファンの方々には大変申し訳ないけど、ギャグにしか見えないんだよなあ~」
若さゆえの視野の狭さで、他人の本気の気持ちを認めることが、彼女はできずにいた。憧れてやまない、青の王子――光命を知らないうちに否定しているとも思わなかった。
人間の女と神である光命の距離は、まるで澄藍という魂によって、お互いが目に触れない場所へ引き離されているようだった。
澄藍の価値観は変わらないまま、東京へ行く当日となった。すぐ裏手にある家から、内緒で荷物を運び出す作業が行われてゆく。
澄藍は途中で見つかって、止められそうになったなら、どんな手を使っても出ていこうと決死の覚悟をしていた。
しかし、不思議なことに、まったく気づかれず、引っ越しのトラックが先に出発するのを目で追いながら、彼女は唇を固く噛みしめた。
「もう二度とこの地は踏まない――」
新しく買い直す椅子。古いものはそのまま置き去り。たったひとつの忘形見として、小さな手紙に、
――さようなら。
ただそれだけ書いて、彼女は上りの列車に乗り、元旦那と再会したあとすぐに、携帯電話の番号もメールアドレスも全て変え、完全に家族から失踪した。三十六歳になる春だった――――
しばらく誰も住んでいないため、家の中でも靴でないと歩けないほどだった。しかし、江は緑と楽しそうに会話をしながら、一人で二階建ての家を全て片付け、荷物を運び入れた。
好きなワインと外国産のチーズを囲んで、小さな弟や妹たちと一緒に、一人暮らしに乾杯と洒落込んだが、
「よう! 修羅場を経験した、お前に朗報だ」
赤と青のくりっとした瞳が、ブルーチーズをかじっていた江が振り返ったそこにあった。
「何?」
彼女の態度は可愛らしいものではなく、気品高く堂々としたものになっていた。
「また澄藍に戻ったぞ」
四度目の魂変更、澄藍再び――。
さっきまでだったら、飛び上がって喜びそうな雰囲気だったのに、携帯電話を手で拾い上げ、着信履歴をたどる。
感情はさておき、冷静な頭脳が的確に動き出す。喧嘩をして別れていないものだから、彼女のクルミ色の瞳に映るのは、元旦那からの着信ばかりだった。
「あぁ、そうか。じゃあ、配偶者の元へ戻らないといけないね」
澄藍が神界で結婚しているのが、元旦那なのだ。それが娘の江になったから、魂を大切にしている彼女は、父と娘が結婚しているのはおかしいと納得して離婚したのだ。
神様が何を考えているのかはわからないが、妻になったのなら、離れて生きているのはおかしいことと、澄藍にはなるのだった。
人間の女を前にして、コウは素知らぬふりでうなずく。
「そうかもしれないな。そこは、お前で考えろ」
「うん」
必要とされない家族よりも、話が伝わる人のそばにいたいと、彼女は自然と思った。リダイアルをタッチする。
「連絡しよう、元旦那のところに」
もう一度やり直す方向に話は進み始め、来年の三月に引っ越しの日は決まった。東京で一緒に暮らす。
見えないものを信じていない家族。魂が入れ替わったから、元に戻るなど通じるはずもなかった。話せば、家族から言葉の暴力がくるのは目に見えている。それに耐えられるほどの余裕は、今の澄藍にはなかった。
やり直すことは家族の誰にも言わず、時期がくるのを彼女は、この世界では一人きりの一軒家で、神界に住む子供たちと一緒に楽しく過ごして待った。
ある晩、パソコンで動画サイトを見ていた彼女は急に笑い出した。
「あははははっ!」
スペースキーを叩いて、動画を一時停止する。
「おかしいなあ~。絶対に笑ってしまう、BL。あははははっ!」
グラスに入った赤ワインを飲み、ドライフルーツを口に放り込む。
「ファンの方々には大変申し訳ないけど、ギャグにしか見えないんだよなあ~」
若さゆえの視野の狭さで、他人の本気の気持ちを認めることが、彼女はできずにいた。憧れてやまない、青の王子――光命を知らないうちに否定しているとも思わなかった。
人間の女と神である光命の距離は、まるで澄藍という魂によって、お互いが目に触れない場所へ引き離されているようだった。
澄藍の価値観は変わらないまま、東京へ行く当日となった。すぐ裏手にある家から、内緒で荷物を運び出す作業が行われてゆく。
澄藍は途中で見つかって、止められそうになったなら、どんな手を使っても出ていこうと決死の覚悟をしていた。
しかし、不思議なことに、まったく気づかれず、引っ越しのトラックが先に出発するのを目で追いながら、彼女は唇を固く噛みしめた。
「もう二度とこの地は踏まない――」
新しく買い直す椅子。古いものはそのまま置き去り。たったひとつの忘形見として、小さな手紙に、
――さようなら。
ただそれだけ書いて、彼女は上りの列車に乗り、元旦那と再会したあとすぐに、携帯電話の番号もメールアドレスも全て変え、完全に家族から失踪した。三十六歳になる春だった――――
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