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妻の愛を勝ち取れ/11
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強く床を蹴り上げると、立ったままの姿勢で、妻の服は逆再生した映像のように、二階の廊下に向かって山なりの線を描いて飛び上がり柵を乗り越え、ストンと上階の床に着地した。
「すごい! アクション映画だ!」
さっきまでいた玄関の扉が斜め下にあるのを眺めながら、できないはずの動きができたことに大いに感心。
だが、一階にいたかったのであり、深緑のロングブーツは、オレンジ色の絨毯を身にまとう階段を降り始めた。考えなし、勢いだけの颯茄。
「でも、この階段、真面目に登ってる人、何人いるんだろう?」
浮遊できるのである。瞬間移動できるのである。子供でさえ、飛べる子は飛べる。そうなると、使う人は限られる。
颯茄は隠れることもせず、首をかしげ続ける。いつも自分の隣を浮遊してついてくる夫を思い浮かべながら。
「光さんは絶対抜ける。だって前こう言ってたもんね」
――なぜ、自宅で歩かなくてはいけないのですか? 非合理的です。
あの優雅な王子さまときたら、神経質なまでに、合理主義者なのである。外はまだ新しい発見があり、足元の感触を楽しむなどがある。しかし、自宅はないのである。
「あっ、階段の下!」
盲点であった。妻のベルベットロングブーツは小走りに近づいてゆく。
「よしよし、ゴーゴー!」
後ろに回り込もうとしたところで、すうっと人が前に立ちはだかった。通せんぼだ。
「――ここで会ったが百年目。盲亀の浮木。優曇華の花です!」
行く手を阻まれた颯茄はパッと見上げ、カーキ色のくせ毛と今はちょっとグレているみたいなブラウンの瞳を見つけた。だが、どこかずれている颯茄が目をつけたところはここだった。
「仇討ちの続きの言葉ってあったんですね!」
ピンクのシャツの胸に、貴増参の大きく優しい手は乗せれた。にっこり微笑んで、得意げに言う。
「僕は長生きしちゃってますから、いろんなことを知ってますよ」
二千年以上も生きていると違うのだろうと、妻は大いに感心した。
「あとは何ですか?」
颯茄の手をすっと引っ張って、貴増参は自分の背中の後ろへ隠した。
「お嬢さん、ここは僕に任せて、後ろに下がっちゃってください」
「正義の味方ですか?」
颯茄は前に身を乗り出して、夫の色白の綺麗な顔をのぞき込んだ。
「名乗るほどのものではありません」
まだまだ続いているヒーローごっこ。颯茄の頭の中に、子供部屋にあったランドセルが浮かび上がった。
「あれかな? 学校のクラス名『宇宙の平和を守ろうぜ組』の先生と一緒? 生徒が担任の先生の素顔知らないっていう噂のクラス?」
そんなふざけたクラスが存在するのだ。本当に生徒は知らないのである、先生の正体を。貴増参は「んんっ!」と咳払いをして、いつもの羽布団のような柔らかな声で付け足した。
「ちなみに、そちらのクラスの我が子は、冠成、花慈愛、善珠です」
「やっぱり、重なりますよね」
この世界の出産は少し違う。たった一日で臨月を迎えてしまう。しかも、十八歳以降は好きな年齢で止めることができるから、親は永遠の若さがあり、子供が十人いるなどごくごく自然なことなのだ。
そうこうしているうちに、貴増参の中では悪との戦いが佳境をとうとう迎えた。
「それでは、僕の必殺技の出番です」
シャイニングウィザードとか、ブレーンバスターとか、が出てくるのかと思いきや、
「――水色桔梗で君も明智一門です!」
滅多に声を上げて笑わない颯茄が吹き出した。
「あはははっ……!」
明智家の家紋を出して、必殺技にする夫。この家の人間でないとわからないマニアックな笑い。こんな笑いが好きな妻だった。
お腹を抱えている妻の顔の前に、貴増参はそっとかがみこんだ。
「――君は笑顔が素敵です」
ボケている時もあれば、しっかりしている時もあるのだ。この夫は。
笑うのをやめて、階段の下という死角で、妻は夫の顔をじっと見つめ返した。
「あぁ、ありがとうございます。私を笑わせるためにしたんですね?」
「愛のラビリンスへと君を連れてゆく、僕のちょっとした罠です」
どこかメルヘンチック仕様。それなのに、仁王像のような存在を演じていた夫。今この男は自分のまま生きている。強くて甘い男の前で、颯茄は微笑んだ。
「ふふふっ。貴増参さんってどこかの王子さまみたいですよね」
「僕はどこかではなく、君だけの王子さまです」
貴増参は颯茄の小さな肩に両手を置いて、自分へ正面を向かせた。どこかずれているクルミ色の瞳は今はしっかりとした面持ちで、首を横に振る。
「違います。みんなの王子さまです」
夫たちにも、他の人を愛する自由はあるはずだ。だから、バイセクシャルなのだ。みんなはみんなのためにいる。その中で、自分だけ特別でいたいなどと、颯茄は決して望まない。
カーキ色のくせ毛はブラウンの頭からすっと離れ、貴増参はあごに手を当てうなずく。優しく真剣な眼差しを降り注がせながら。
「ふむ。君はやっぱり素敵な女性です。僕はこの結婚をできてよかったと思います。君は人よりも色々あり、僕の手の届かない存在でしたが、今はこうして触れることができます。素晴らしい巡り合わせです」
毎日の繰り返しの中で、自分の願いなど叶わないことがほどんどだ。それに埋もれて生きているが、ふとした瞬間に神様は願いを叶えてくださるものだ。
「そうですね。一秒一秒を大切に生きないといけないですね」
一期一会。数奇な運命と言っても過言ではない出来事を前にした、颯茄は優しく微笑んだ。ブラウンの長い髪を、貴増参の綺麗な指先が優しくなでてゆく。
「君はいつでも一生懸命生きすぎちゃってます。たまには頑張り屋さんにも、お休みしていただいちゃってください」
時間は前にしか進まない。焦って生きようが、落ち着いて生きようが、一秒は一秒、一日は一日、一年は一年でしかない。それならば、のんびり生きたほうがいいと、この個性的なボケをかましてくる夫は教えてくれているのだと、颯茄は思い、少しふざけた感じで言った。
「はい、休暇届出しておきます」
どこまでも優しく、揺るぎないブラウンの瞳が、颯茄のクルミ色の瞳をのぞき込んだ。
「そんな素直な君に、特別なキスを差し上げちゃいます」
「ありがとうございます」
「すごい! アクション映画だ!」
さっきまでいた玄関の扉が斜め下にあるのを眺めながら、できないはずの動きができたことに大いに感心。
だが、一階にいたかったのであり、深緑のロングブーツは、オレンジ色の絨毯を身にまとう階段を降り始めた。考えなし、勢いだけの颯茄。
「でも、この階段、真面目に登ってる人、何人いるんだろう?」
浮遊できるのである。瞬間移動できるのである。子供でさえ、飛べる子は飛べる。そうなると、使う人は限られる。
颯茄は隠れることもせず、首をかしげ続ける。いつも自分の隣を浮遊してついてくる夫を思い浮かべながら。
「光さんは絶対抜ける。だって前こう言ってたもんね」
――なぜ、自宅で歩かなくてはいけないのですか? 非合理的です。
あの優雅な王子さまときたら、神経質なまでに、合理主義者なのである。外はまだ新しい発見があり、足元の感触を楽しむなどがある。しかし、自宅はないのである。
「あっ、階段の下!」
盲点であった。妻のベルベットロングブーツは小走りに近づいてゆく。
「よしよし、ゴーゴー!」
後ろに回り込もうとしたところで、すうっと人が前に立ちはだかった。通せんぼだ。
「――ここで会ったが百年目。盲亀の浮木。優曇華の花です!」
行く手を阻まれた颯茄はパッと見上げ、カーキ色のくせ毛と今はちょっとグレているみたいなブラウンの瞳を見つけた。だが、どこかずれている颯茄が目をつけたところはここだった。
「仇討ちの続きの言葉ってあったんですね!」
ピンクのシャツの胸に、貴増参の大きく優しい手は乗せれた。にっこり微笑んで、得意げに言う。
「僕は長生きしちゃってますから、いろんなことを知ってますよ」
二千年以上も生きていると違うのだろうと、妻は大いに感心した。
「あとは何ですか?」
颯茄の手をすっと引っ張って、貴増参は自分の背中の後ろへ隠した。
「お嬢さん、ここは僕に任せて、後ろに下がっちゃってください」
「正義の味方ですか?」
颯茄は前に身を乗り出して、夫の色白の綺麗な顔をのぞき込んだ。
「名乗るほどのものではありません」
まだまだ続いているヒーローごっこ。颯茄の頭の中に、子供部屋にあったランドセルが浮かび上がった。
「あれかな? 学校のクラス名『宇宙の平和を守ろうぜ組』の先生と一緒? 生徒が担任の先生の素顔知らないっていう噂のクラス?」
そんなふざけたクラスが存在するのだ。本当に生徒は知らないのである、先生の正体を。貴増参は「んんっ!」と咳払いをして、いつもの羽布団のような柔らかな声で付け足した。
「ちなみに、そちらのクラスの我が子は、冠成、花慈愛、善珠です」
「やっぱり、重なりますよね」
この世界の出産は少し違う。たった一日で臨月を迎えてしまう。しかも、十八歳以降は好きな年齢で止めることができるから、親は永遠の若さがあり、子供が十人いるなどごくごく自然なことなのだ。
そうこうしているうちに、貴増参の中では悪との戦いが佳境をとうとう迎えた。
「それでは、僕の必殺技の出番です」
シャイニングウィザードとか、ブレーンバスターとか、が出てくるのかと思いきや、
「――水色桔梗で君も明智一門です!」
滅多に声を上げて笑わない颯茄が吹き出した。
「あはははっ……!」
明智家の家紋を出して、必殺技にする夫。この家の人間でないとわからないマニアックな笑い。こんな笑いが好きな妻だった。
お腹を抱えている妻の顔の前に、貴増参はそっとかがみこんだ。
「――君は笑顔が素敵です」
ボケている時もあれば、しっかりしている時もあるのだ。この夫は。
笑うのをやめて、階段の下という死角で、妻は夫の顔をじっと見つめ返した。
「あぁ、ありがとうございます。私を笑わせるためにしたんですね?」
「愛のラビリンスへと君を連れてゆく、僕のちょっとした罠です」
どこかメルヘンチック仕様。それなのに、仁王像のような存在を演じていた夫。今この男は自分のまま生きている。強くて甘い男の前で、颯茄は微笑んだ。
「ふふふっ。貴増参さんってどこかの王子さまみたいですよね」
「僕はどこかではなく、君だけの王子さまです」
貴増参は颯茄の小さな肩に両手を置いて、自分へ正面を向かせた。どこかずれているクルミ色の瞳は今はしっかりとした面持ちで、首を横に振る。
「違います。みんなの王子さまです」
夫たちにも、他の人を愛する自由はあるはずだ。だから、バイセクシャルなのだ。みんなはみんなのためにいる。その中で、自分だけ特別でいたいなどと、颯茄は決して望まない。
カーキ色のくせ毛はブラウンの頭からすっと離れ、貴増参はあごに手を当てうなずく。優しく真剣な眼差しを降り注がせながら。
「ふむ。君はやっぱり素敵な女性です。僕はこの結婚をできてよかったと思います。君は人よりも色々あり、僕の手の届かない存在でしたが、今はこうして触れることができます。素晴らしい巡り合わせです」
毎日の繰り返しの中で、自分の願いなど叶わないことがほどんどだ。それに埋もれて生きているが、ふとした瞬間に神様は願いを叶えてくださるものだ。
「そうですね。一秒一秒を大切に生きないといけないですね」
一期一会。数奇な運命と言っても過言ではない出来事を前にした、颯茄は優しく微笑んだ。ブラウンの長い髪を、貴増参の綺麗な指先が優しくなでてゆく。
「君はいつでも一生懸命生きすぎちゃってます。たまには頑張り屋さんにも、お休みしていただいちゃってください」
時間は前にしか進まない。焦って生きようが、落ち着いて生きようが、一秒は一秒、一日は一日、一年は一年でしかない。それならば、のんびり生きたほうがいいと、この個性的なボケをかましてくる夫は教えてくれているのだと、颯茄は思い、少しふざけた感じで言った。
「はい、休暇届出しておきます」
どこまでも優しく、揺るぎないブラウンの瞳が、颯茄のクルミ色の瞳をのぞき込んだ。
「そんな素直な君に、特別なキスを差し上げちゃいます」
「ありがとうございます」
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