13 / 28
妻の愛を勝ち取れ/9
しおりを挟む
深緑の髪は動きやすいように極力短くなっている。ソファーの上に頭を乗せても、乱れる余裕がないほどだった。
ひとまず声をかけよう。むやみやたらに触ると、この夫は危険だから。意識がある時はいい。だが、今は無意識だ。
修業という名の瞬発力で技をかけられるのだ。それがどんなものか、颯茄は知っている。どんな原理でできていて、どんな影響を相手にもたらすのかも心得ている。
「夕霧さん? 夕霧さん?」
寝返りも打たない。ピクリともしない。熟睡中。というか、まず自ら動いてこない、絶対不動の夫。
「ダメだ起きない。ん~~? どうしよう――!」
妻の頭の中で電球がピカンとついた。
「わかった、こうしよう!」
待っていろ、武術夫。今起こしてやるぜ、である。
「右、殺気!」
健やかな寝息はそのままで、袴の白い袖をともない、右手が斜め上へ向かって艶やかに上げられた。敵の攻撃を払うものである。しかもこの手に少しでも触れたら、大変ことになるのだ。
気合いのような詰まった息遣いもなく、手だけ急に動いた。遠くで技を見たことがあっても、こんな近くで体感したことがなかった颯茄は、びっくりして後ろに下がり、
「うわっ!」
足がもつれて、思わず尻餅をついた。物音――気配に気づいて、無感情、無動のはしばみ色の瞳はさっと開かれ、
「すまん」
地鳴りのような低い声で詫びを入れ、一ミリのぶれなく、袴姿の夫は男の色香を強く匂わせて起き上がった。草履はきちんと大理石の上にそろえて下され、夕霧命の瞳には妻の出血大サービス――パンツが丸見えだった。
「あぁ、いや、いいんです。私が変なことを言ったから……」
いつまでも床に落ちたままの颯茄を前にして、夕霧命は彼なりの笑み――切れ長な目を細めた。
「お前はいつでも変わらん」
パンツなど見せても、減るものではないだろう。そういうざっくばらんな妻。しかも、本人は気づいていないという、バカさ加減。そこに対して、夫は言ったのに、妻はこう思った。絶対不動の夫に、落ち着きのない自分がこんなことを言われるとは、不服である。
「夕霧さんもいつでも変わらないじゃないですか」
「そうだ」
ずれているはずなのに、噛み合ってゆく会話。同じ物事を見ているのに、自分とは違う角度で取ってくる妻。自分にないものを持っている女。だからこそ、夕霧命の切れ長な瞳はさらに細くなるのだ。
またまどろみそうな目を見つけて、颯茄は立ち上がって止めようとしたが、
「横になるの今は禁止です。また寝ちゃい――」
目の前にいた夕霧命の和装とソファーは急になくなり、背中にあったはずの庭園が眼前ににわかに広がった。
「あれ?」
瞬間移動を夫に勝手にかけられたのだ。見極める前に、背後から夕霧命の地鳴りのような低い声が響いた。
「逃げられん」
――まるで何かの呪文。
颯茄の紫色のワンピースは、袴の紺の上にすっぽりと収まり、白い袂は両脇から胸の上に伸びていて、いわゆるバックハグだった。
颯茄は武術を学んでいる。後ろから羽交い締めに男にされようとも、逃げる術を知っている。それは正しい腕の使い方をすれば簡単なのである。
最小限の力で最大限の力を発揮する。前寄り気味な意識を、背中へとかたむける。肩の下あたりを前から後ろへ回すように少しだけ動かした。
「よし、肩甲骨を使って……」
これで、相手の力が緩んだ隙に……。のはずだったが、力がかかっていないのだ、夕霧命の腕は。しっかりと固定されていない。
だからこそ、颯茄がどんな動きをしようとも、即座に対応できてしまう。柔軟でありながらの、真の強さ。
夫の膝の上で、妻は捕まっている運命でしかなかった。
「あぁ~、他の人なら逃げられるんだけどな」
「同じ技を習得しているのなら、力の競り合いは起きる。俺にお前は勝てん」
ぴったりとくっつく背中から、夕霧命の地鳴りのような低い声が振動を起こした。心地よい安心感に包まれる。
「まぁ、そうですよね。夕霧さんはプロですから……」
「俺はまだまだだ」
どこまでも謙虚な夫。そんな彼を見えないながらも、颯茄は後ろへパッと振り返った。深緑の髪とブラウンのそれがお互いの額とこめかみで絡み合う。
「そんなことないです!」
結婚を何度もして、子供もたくさんいる。年齢は二十三歳。されども、十五歳。少年である、本来なら。
この世界では、自分勝手に武道家にはなれない。師匠から許しを得ないとなれないのだ。
「十五年で師匠の許可を得て、武道家になれる人はいないです」
毎日同じことを淡々とこなしていける性格でないと、何事も極められない。過去も現在も未来も関係なく、どんなことにも左右されず続けられる人。それが夕霧命なのだ。それだけで、才能だと颯茄は思うのだ。
「焉貴さんや月さんみたいに、三百億年も生きている人がいるから、確かにかなわないと思うのかもしれないですけど、夕霧さんがその人と同じ歳になった時は絶対抜かしてます!」
永遠の世界だからこそ、努力するのが当たり前だからこそ、相手はずっと永久に先を歩いている。追いかけても追いかけても、距離は縮まらない。だが、追い抜く方法はあったのだ。
「お前は俺の気づかんことに気づく」
夕霧命の両腕が、颯茄のワンピースに強く巻きついた。ブラウンの髪に夫の頬が愛おしそうに寄り添う。妻としては思っていることを言ったまでで、不思議そうな顔になった。
「ん?」
どこかずれているクルミ色の瞳を、無感情、無動のはしばみ色の瞳は横からのぞき込む。
「愛している――」
ひとまず声をかけよう。むやみやたらに触ると、この夫は危険だから。意識がある時はいい。だが、今は無意識だ。
修業という名の瞬発力で技をかけられるのだ。それがどんなものか、颯茄は知っている。どんな原理でできていて、どんな影響を相手にもたらすのかも心得ている。
「夕霧さん? 夕霧さん?」
寝返りも打たない。ピクリともしない。熟睡中。というか、まず自ら動いてこない、絶対不動の夫。
「ダメだ起きない。ん~~? どうしよう――!」
妻の頭の中で電球がピカンとついた。
「わかった、こうしよう!」
待っていろ、武術夫。今起こしてやるぜ、である。
「右、殺気!」
健やかな寝息はそのままで、袴の白い袖をともない、右手が斜め上へ向かって艶やかに上げられた。敵の攻撃を払うものである。しかもこの手に少しでも触れたら、大変ことになるのだ。
気合いのような詰まった息遣いもなく、手だけ急に動いた。遠くで技を見たことがあっても、こんな近くで体感したことがなかった颯茄は、びっくりして後ろに下がり、
「うわっ!」
足がもつれて、思わず尻餅をついた。物音――気配に気づいて、無感情、無動のはしばみ色の瞳はさっと開かれ、
「すまん」
地鳴りのような低い声で詫びを入れ、一ミリのぶれなく、袴姿の夫は男の色香を強く匂わせて起き上がった。草履はきちんと大理石の上にそろえて下され、夕霧命の瞳には妻の出血大サービス――パンツが丸見えだった。
「あぁ、いや、いいんです。私が変なことを言ったから……」
いつまでも床に落ちたままの颯茄を前にして、夕霧命は彼なりの笑み――切れ長な目を細めた。
「お前はいつでも変わらん」
パンツなど見せても、減るものではないだろう。そういうざっくばらんな妻。しかも、本人は気づいていないという、バカさ加減。そこに対して、夫は言ったのに、妻はこう思った。絶対不動の夫に、落ち着きのない自分がこんなことを言われるとは、不服である。
「夕霧さんもいつでも変わらないじゃないですか」
「そうだ」
ずれているはずなのに、噛み合ってゆく会話。同じ物事を見ているのに、自分とは違う角度で取ってくる妻。自分にないものを持っている女。だからこそ、夕霧命の切れ長な瞳はさらに細くなるのだ。
またまどろみそうな目を見つけて、颯茄は立ち上がって止めようとしたが、
「横になるの今は禁止です。また寝ちゃい――」
目の前にいた夕霧命の和装とソファーは急になくなり、背中にあったはずの庭園が眼前ににわかに広がった。
「あれ?」
瞬間移動を夫に勝手にかけられたのだ。見極める前に、背後から夕霧命の地鳴りのような低い声が響いた。
「逃げられん」
――まるで何かの呪文。
颯茄の紫色のワンピースは、袴の紺の上にすっぽりと収まり、白い袂は両脇から胸の上に伸びていて、いわゆるバックハグだった。
颯茄は武術を学んでいる。後ろから羽交い締めに男にされようとも、逃げる術を知っている。それは正しい腕の使い方をすれば簡単なのである。
最小限の力で最大限の力を発揮する。前寄り気味な意識を、背中へとかたむける。肩の下あたりを前から後ろへ回すように少しだけ動かした。
「よし、肩甲骨を使って……」
これで、相手の力が緩んだ隙に……。のはずだったが、力がかかっていないのだ、夕霧命の腕は。しっかりと固定されていない。
だからこそ、颯茄がどんな動きをしようとも、即座に対応できてしまう。柔軟でありながらの、真の強さ。
夫の膝の上で、妻は捕まっている運命でしかなかった。
「あぁ~、他の人なら逃げられるんだけどな」
「同じ技を習得しているのなら、力の競り合いは起きる。俺にお前は勝てん」
ぴったりとくっつく背中から、夕霧命の地鳴りのような低い声が振動を起こした。心地よい安心感に包まれる。
「まぁ、そうですよね。夕霧さんはプロですから……」
「俺はまだまだだ」
どこまでも謙虚な夫。そんな彼を見えないながらも、颯茄は後ろへパッと振り返った。深緑の髪とブラウンのそれがお互いの額とこめかみで絡み合う。
「そんなことないです!」
結婚を何度もして、子供もたくさんいる。年齢は二十三歳。されども、十五歳。少年である、本来なら。
この世界では、自分勝手に武道家にはなれない。師匠から許しを得ないとなれないのだ。
「十五年で師匠の許可を得て、武道家になれる人はいないです」
毎日同じことを淡々とこなしていける性格でないと、何事も極められない。過去も現在も未来も関係なく、どんなことにも左右されず続けられる人。それが夕霧命なのだ。それだけで、才能だと颯茄は思うのだ。
「焉貴さんや月さんみたいに、三百億年も生きている人がいるから、確かにかなわないと思うのかもしれないですけど、夕霧さんがその人と同じ歳になった時は絶対抜かしてます!」
永遠の世界だからこそ、努力するのが当たり前だからこそ、相手はずっと永久に先を歩いている。追いかけても追いかけても、距離は縮まらない。だが、追い抜く方法はあったのだ。
「お前は俺の気づかんことに気づく」
夕霧命の両腕が、颯茄のワンピースに強く巻きついた。ブラウンの髪に夫の頬が愛おしそうに寄り添う。妻としては思っていることを言ったまでで、不思議そうな顔になった。
「ん?」
どこかずれているクルミ色の瞳を、無感情、無動のはしばみ色の瞳は横からのぞき込む。
「愛している――」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
大人の隠れんぼ=旦那編=
明智 颯茄
恋愛
『大人の隠れんぼ=妻編=』の続編。
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
ある日、夫の提案で、夫婦だけで隠れんぼをすることになるのだが、何だかおかしなルールが追加され、大騒ぎの隠れんぼとなってしまう。
しかも、誰か手引きしている人がいるようで……。
*この作品は『明智さんちの旦那さんたちR』から抜粋したものです。


甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる