大人の隠れんぼ=妻編=

明智 颯茄

文字の大きさ
上 下
7 / 28

妻の愛を勝ち取れ/3

しおりを挟む
  ――この男は夜空の星よりも、ずっと遠い自分の手の届かない存在だった。いつだって突き放すような冷たさで、冷静な水色の瞳はこっちへ向くことはなかった。

 惑星のまわりを回る軌道の違う、ふたつのほうき星のように、どこまでも遠く遠くすれ違い続け、生きてゆく。そう思っていた。

 それが、今はすぐそばに、しかも無防備でいる。神経質で負けず嫌いであるがゆえ、他人に醜態しゅうたいなど絶対にさらさない光命。今はロングブーツという武装をしているが、眠る時には素足になるのだ――

「ふふふっ。愛してます……」

 内緒のささやき。――のつもりだったが、

「えぇ、私も愛していますよ――」

 遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声が、肩のそばで普通に返ってきた。

「あれ、起きてたんですか?」

 どこかずれているクルミ色の瞳の前で、長いまつ毛は動き、冷静な水色の瞳が下から上がってきて、まっすぐ向けられた。

「えぇ、先ほどから起きていましたよ」
「罠でしたか……」

 颯茄は貸していた肩を離した。だが、妻は知っている。この夫は誰かの幸せのために策を張るのであって、人を傷つけることは絶対にしないと。

 三十八センチの身長差を持って、妻と夫は見つめ合う。

「なぜ、あなたは他の方に愛していると言わないのですか?」

 策士の夫たちが気にしていたことだった。

 妻はそんなやり取りなど知らないが、今は問われている。答えなくてはいけない。しかし、言わないのには、きちんとした理由があったのだ。

「私はこういうことを言うタイプじゃないので……」

 これが颯茄の個性なのだ。変えなくてはいけない部分もあるだろう。だがこれは違う。譲ってしまったら、自分ではなくなる。

 軽々しく言うものなのかと、颯茄は思うのだ、いつも。他の人がどうとかではなく、自分はそう思う。女子力なしの颯茄。だから、夫全員が聞いていないになっているのだ。

 中性的なイメージなのに、肩幅はしっかりとある光命の腕がすうっと、颯茄の肩に回され、抱き寄せた。

「私はあなたに愛していると言われて、とても幸せな気持ちになりました。そちらを、彼らにも与えていただけませんか?」

 ピアノの下で。二人きりの部屋で。甘く見つめ合う妻と夫だった。いい雰囲気。だったが、罠の本質を知った、颯茄のあきれた顔で破壊された。

「光さんは相変わらず、他の人優先ですね」
「あなたもではありませんか?」

 即行返ってきた、言い返し。この夫もある意味、ひねくれている。素直にうなずかない。いや、認めたところなど見たことがない。本当は十五年しか生きていない二十三歳の子供な夫。

 だが、言っていることは筋が通っている。颯茄は素直に従った。

「わかりました。言います」
「約束です」
「はい」

 颯茄がうなずくと、ロイヤルブルーサファイアの十字がすっと近づいてきて、そっと閉じたまぶたの向こうで、男性にしては少し柔らかい唇が優しく甘く触れた。 

 ――高貴で優雅なキス。

 どこまでも二人きりの時間が過ぎていきそうだったが、ドアが開いた気配もなく、凛とした澄んだ儚げで丸みのある女性的だが、男性の声がふたりの間に忍び込んだ。

「見つけましたよ~」

 唇の感触がなくなり、颯茄はパッと目を開けた。左側の窓の下で、月命が白いミニのチャイナドレスにも関わらず、片膝を立ててピアノの下をのぞき込んでいた。

 本能とは怖いもので、妻は反射的に動いてしまった。大理石の床に手を置き、かがんだ。下着も女装なのかと思って。

「気になる……」

 だが、どんなにかがんでも、うまい具合に太ももで隠れていて、残念ながらおがめなかった。

「あぁ~!」

 妻のため息が夫二人の前で、盛大に床に降り積もった。いいだろう。夫の下着をのぞこうと、妻の特権である。

 そんなことを堂々としている颯茄。光命が手の甲を唇に当てながら、くすくす笑っている隣で、

「じゃあ、別のところに行かないと……」

 隠れ続けなければいけない颯茄は、すうっと消え去った。

 今度は夫二人きりの部屋になった。しかも、策士同士。

 光命はいつの間にかピアノの椅子に座っていた。磨き上げた黒に、マゼンダ色と紺の長い髪が映り込む。

「君は、彼女が一番最初に見つける可能性が高い場所に隠れましたね~?」

 冷静な水色の瞳はついっと細められた――

 この男は、三百億年も生きている。自分はたかだか十五年だ。勝てるはずがない。経験値が絶対的に足りない。しかし、自身の夫である。多少なりとも、データは頭の中に入っている。だからこそ、この男の言動が、

 ――おかしいのだ。

 自分と同じ思考回路だが、この男に感情などと言うものはない。

 ――妻に好きと言ってほしい。

 その望みがないとは言えない。だが、この男が真っ先に言ってくる可能性は限りなくゼロに近かった。

 それなのに、事実として確定している。それならば、それが確定する可能性を探さないといけない。

 ここまでの思考時間、0.3秒。光命は問いかけには答えず、別の質問を返した。

「どなたに頼まれたのですか?」
「おや~? 何のことですか~?」

 人差し指はこめかみに突き立てられ、腕時計は、

 十四時四十七分十七秒――。

 さっきから二人の会話は疑問形だけ。情報漏洩を逃れる手だ。しかし、夫と夫だ。敵ではない。実は情報だったのだ。冷静な水色の瞳は、ニコニコの笑顔に向けられた。

「あなたが答えないということは、毎週、木曜日と日曜日に起きること……と関係するという可能性が99.99%」

 今日は日曜日。仕事が終わらなくて、遅れたなど嘘なのだ。月命は光命に近寄り、神経質な手をそっとつかんだ。女装教師とピアニスト。男二人の昼下がりの情事。

「うふふふっ。ですから、君にも協力していただきます~」
「えぇ、構いませんよ」

 優雅に微笑むと、月命の手を乗せたまま、光命はピアノの鍵盤を弾き始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

大人の隠れんぼ=旦那編=

明智 颯茄
恋愛
 『大人の隠れんぼ=妻編=』の続編。  あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  ある日、夫の提案で、夫婦だけで隠れんぼをすることになるのだが、何だかおかしなルールが追加され、大騒ぎの隠れんぼとなってしまう。  しかも、誰か手引きしている人がいるようで……。  *この作品は『明智さんちの旦那さんたちR』から抜粋したものです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

処理中です...