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「奇跡のリンゴ」木村さんの不思議な体験①
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映画にもなった「奇跡のリンゴ」は、フィレンツェ映画祭で観客賞を受賞したりと、多くの話題と人気を集めました。
この映画の元となった青森県弘前市のりんご農家、木村秋則さんの驚くべき半生と、不思議な体験をご紹介しようと思います。
実は、木村さんは何度も「龍」や「宇宙人」など「普通では考えられないもの」と遭遇し、それらからメッセージを受けとるという不思議な体験をされています。
そして、20●●年、「地球カレンダーの終わり」についても話されています。
かなりぶっ飛んだ内容ですが、本当に起こった話だそうです。
■龍との出会い
木村さんが龍を初めて見たのは高校2年生、17歳のときです。
木村さんが自転車で走っていた所、道路の反対側から歩いてきたおじさんの片足が突如ピタリと止まってしまったといいます。
気がつくと、周りの景色も止まっており、まるで自分以外の時間が止まってしまったようでした。
すると、木村さんの前に巨大な「緑色の龍」が現れ、空高く飛び立ったと言います。
不思議なお話ですが、芸能人でも「龍」を見たと語る方は多くいらっしゃいます。
筆者の周りにも、家を建てる際に行った地鎮祭の降神の儀の最中に「見えないけれど龍の存在を感じた」と話してくれた方がいました。その方は理系で、理論的に物事を考える方なのですが、そのようなスピリチュアルな体験をされたとは驚きでした。
そして、木村さんの住む青森県は、龍神信仰が昔からあります。
岩木山神社では「白雲大龍神」が悪霊や邪気などに対して守護の働きをしてくれると言われています。
そういった龍神様に守られてきた神聖な土地である青森県に生まれ、特別純粋で真っ直ぐな心を持った木村さんを選び、龍がその姿を見せたのかもしれませんね。
そして、その時現れた龍は、木村さんの脳内に語りかけてきたそうですが、それは誰にも言ってはならないことだと直感で感じ、今でもその内容は他言していないそうです。
その体験以降、木村さんはさまざまな不思議体験をしてきたそうです。
■絶対に無理だと言われる無農薬リンゴに挑戦
木村さんは、22歳の時にリンゴ農家である奥さんの所に婿養子に入り、リンゴ農家を継ぐことになりました。
しかし、木村さんの奥さんが化学物質に過敏で、農薬の散布の度に体調を崩し2週間もの間寝込んでしまうようになると、「どうにかしてあげたい」との思いから、1978年頃から無農薬・無肥料のリンゴ栽培にチャレンジしようと決めました。
しかし、10年近くにわたって無収穫が続き、苦難の日々が続くことになります。
リンゴの木には、果実に穴を空けて食害する虫や、葉食する虫の発生、斑点落葉病や褐斑病、黒星病といった様々な病気が起こるため、別の果物ならまだしも、多種類の殺菌剤や殺虫剤を含む「化学合成農薬」の利用なしにはリンゴの生産はできないと考えられてきていました。
木村さんのチャレンジは無謀と呼ばれ、いつしか周囲から孤立していくことになります。
無農薬のリンゴ栽培がなかなか実を結ばず、収穫は0になり、収入が無くなると遂には消費者金融に借金までするようになってしまいました。
失意のどん底にあった木村さんは、とうとう死を決心してしまいます。
ロープを持ち、首をくくろうと登った山の中で、木村さんは枝ぶりのいい野生のリンゴの木々に出会いました。
(実際はドングリの木でしたが、その時はリンゴの木に見えたそうです。)
「なぜ山の木には虫も病気も少ないのか」
野生の生き生きとした木を見て、木村さんは思いました。
興味に駆られ、根本の土を掘りかえしてみるとその土は崩れるくらいに柔らかく、
「この土を再現すれば、リンゴが実るのではないか」
そう考えました。
いままで「自分の力でリンゴを実らせるのだ」と思っていたがそれは驕りで、自然の繋がりの中で多くの生き物が助け合った結果、リンゴが実るものなのだとこの時悟ったそうです。
そして、土づくりに励み、1986年にようやくリンゴの花が咲き、果実が2つ実りました。
木村さんは、リンゴの木に対して話しかけながら世話をしていましたが、不思議なことに木村さんが話しかけなかった木は1本残らず枯れてしまっていたそうです。
その時木村さんは、「言葉にはすごい力が宿っている」と感じたそうです。
1989年、ついに従来不可能とされてきたリンゴの無農薬・無施肥栽培を木村さんは成し遂げました。
弘前大学農学生命科学部の杉山修一氏は、「恐らく世界で初めてではないか」と評しました。
リンゴの無農薬・無施肥栽培の軌跡についてもっと詳しく知りたい方は『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』(石川拓治:著)を読んでみてください。
■宇宙人との遭遇
木村さんが35歳の頃。
無農薬でのリンゴ栽培がうまくいかず、世間から孤立していた時の話に戻ります。
その頃、人と会うのが嫌で、日が落ちて、辺りが真っ暗になってから自宅へ帰るという日々を過ごしていた木村さん。
そんなある日、いつものように暗くなってから帰る準備をしていたところ、木村さんの前に、狭い農道をふさぐように立つ2体の人影が現れました。それを見た瞬間「小学生くらいの子供が、黒い全身タイツを履いてふざけている」と最初は思っていたそうですが、よくよく見て見ると、それは人間ではなく、大きな目を光らせた「なにか」だったといいます。
鼻、口、耳、髪の毛などはなく、ただただ大きな目だけを光らせたその「なにか」に怯え、逃げようと考えていた木村さんに、その「なにか」は足音もなくスーッと近づいてきました。そして直接脳内に「わたしたちはあなたに対して、害を加えるようなことはしません」と語りかけたのです。
恐怖が頂点に達した木村さんは、その2体の間を強行突破するしかないと考えましたが、その瞬間に忽然と姿を消してしまいました。木村さんは「あぁ、これは地球の者ではないな」「たぶん宇宙人ではないかな」と直感的に感じたそうです。
これが、木村さんと「宇宙人」との1度目の出会いとなります。
1度目ということはその後もあるということです。何度も遭遇するということは、木村さんに直接コンタクトを取りに来ているのでしょうね。
木村さんと宇宙人の不思議なお話は次回紹介したいと思います。
この映画の元となった青森県弘前市のりんご農家、木村秋則さんの驚くべき半生と、不思議な体験をご紹介しようと思います。
実は、木村さんは何度も「龍」や「宇宙人」など「普通では考えられないもの」と遭遇し、それらからメッセージを受けとるという不思議な体験をされています。
そして、20●●年、「地球カレンダーの終わり」についても話されています。
かなりぶっ飛んだ内容ですが、本当に起こった話だそうです。
■龍との出会い
木村さんが龍を初めて見たのは高校2年生、17歳のときです。
木村さんが自転車で走っていた所、道路の反対側から歩いてきたおじさんの片足が突如ピタリと止まってしまったといいます。
気がつくと、周りの景色も止まっており、まるで自分以外の時間が止まってしまったようでした。
すると、木村さんの前に巨大な「緑色の龍」が現れ、空高く飛び立ったと言います。
不思議なお話ですが、芸能人でも「龍」を見たと語る方は多くいらっしゃいます。
筆者の周りにも、家を建てる際に行った地鎮祭の降神の儀の最中に「見えないけれど龍の存在を感じた」と話してくれた方がいました。その方は理系で、理論的に物事を考える方なのですが、そのようなスピリチュアルな体験をされたとは驚きでした。
そして、木村さんの住む青森県は、龍神信仰が昔からあります。
岩木山神社では「白雲大龍神」が悪霊や邪気などに対して守護の働きをしてくれると言われています。
そういった龍神様に守られてきた神聖な土地である青森県に生まれ、特別純粋で真っ直ぐな心を持った木村さんを選び、龍がその姿を見せたのかもしれませんね。
そして、その時現れた龍は、木村さんの脳内に語りかけてきたそうですが、それは誰にも言ってはならないことだと直感で感じ、今でもその内容は他言していないそうです。
その体験以降、木村さんはさまざまな不思議体験をしてきたそうです。
■絶対に無理だと言われる無農薬リンゴに挑戦
木村さんは、22歳の時にリンゴ農家である奥さんの所に婿養子に入り、リンゴ農家を継ぐことになりました。
しかし、木村さんの奥さんが化学物質に過敏で、農薬の散布の度に体調を崩し2週間もの間寝込んでしまうようになると、「どうにかしてあげたい」との思いから、1978年頃から無農薬・無肥料のリンゴ栽培にチャレンジしようと決めました。
しかし、10年近くにわたって無収穫が続き、苦難の日々が続くことになります。
リンゴの木には、果実に穴を空けて食害する虫や、葉食する虫の発生、斑点落葉病や褐斑病、黒星病といった様々な病気が起こるため、別の果物ならまだしも、多種類の殺菌剤や殺虫剤を含む「化学合成農薬」の利用なしにはリンゴの生産はできないと考えられてきていました。
木村さんのチャレンジは無謀と呼ばれ、いつしか周囲から孤立していくことになります。
無農薬のリンゴ栽培がなかなか実を結ばず、収穫は0になり、収入が無くなると遂には消費者金融に借金までするようになってしまいました。
失意のどん底にあった木村さんは、とうとう死を決心してしまいます。
ロープを持ち、首をくくろうと登った山の中で、木村さんは枝ぶりのいい野生のリンゴの木々に出会いました。
(実際はドングリの木でしたが、その時はリンゴの木に見えたそうです。)
「なぜ山の木には虫も病気も少ないのか」
野生の生き生きとした木を見て、木村さんは思いました。
興味に駆られ、根本の土を掘りかえしてみるとその土は崩れるくらいに柔らかく、
「この土を再現すれば、リンゴが実るのではないか」
そう考えました。
いままで「自分の力でリンゴを実らせるのだ」と思っていたがそれは驕りで、自然の繋がりの中で多くの生き物が助け合った結果、リンゴが実るものなのだとこの時悟ったそうです。
そして、土づくりに励み、1986年にようやくリンゴの花が咲き、果実が2つ実りました。
木村さんは、リンゴの木に対して話しかけながら世話をしていましたが、不思議なことに木村さんが話しかけなかった木は1本残らず枯れてしまっていたそうです。
その時木村さんは、「言葉にはすごい力が宿っている」と感じたそうです。
1989年、ついに従来不可能とされてきたリンゴの無農薬・無施肥栽培を木村さんは成し遂げました。
弘前大学農学生命科学部の杉山修一氏は、「恐らく世界で初めてではないか」と評しました。
リンゴの無農薬・無施肥栽培の軌跡についてもっと詳しく知りたい方は『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』(石川拓治:著)を読んでみてください。
■宇宙人との遭遇
木村さんが35歳の頃。
無農薬でのリンゴ栽培がうまくいかず、世間から孤立していた時の話に戻ります。
その頃、人と会うのが嫌で、日が落ちて、辺りが真っ暗になってから自宅へ帰るという日々を過ごしていた木村さん。
そんなある日、いつものように暗くなってから帰る準備をしていたところ、木村さんの前に、狭い農道をふさぐように立つ2体の人影が現れました。それを見た瞬間「小学生くらいの子供が、黒い全身タイツを履いてふざけている」と最初は思っていたそうですが、よくよく見て見ると、それは人間ではなく、大きな目を光らせた「なにか」だったといいます。
鼻、口、耳、髪の毛などはなく、ただただ大きな目だけを光らせたその「なにか」に怯え、逃げようと考えていた木村さんに、その「なにか」は足音もなくスーッと近づいてきました。そして直接脳内に「わたしたちはあなたに対して、害を加えるようなことはしません」と語りかけたのです。
恐怖が頂点に達した木村さんは、その2体の間を強行突破するしかないと考えましたが、その瞬間に忽然と姿を消してしまいました。木村さんは「あぁ、これは地球の者ではないな」「たぶん宇宙人ではないかな」と直感的に感じたそうです。
これが、木村さんと「宇宙人」との1度目の出会いとなります。
1度目ということはその後もあるということです。何度も遭遇するということは、木村さんに直接コンタクトを取りに来ているのでしょうね。
木村さんと宇宙人の不思議なお話は次回紹介したいと思います。
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