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シュタイナーの予言①~死後の世界~
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「シュタイナー教育」を確立した、ルドルフシュタイナー。彼も数々の予言をこの世に残しています。
まずは、シュタイナーがどのような思想の持ち主なのか、簡単にお話したいと思います。
* * * * * *
シュタイナーは1861年オーストリア・ハンガリー帝国領のクラリェヴェク(現クロアチア)に産まれ、独学で人智学を学びました。
幼い頃から霊感が強く、超能力を持っており、「自分の見ている世界と、他人が見ている世界は違う」という事に気付いていました。
15歳の頃、お小遣いを貯め、カントの『純粋理性批判』を手に入れ、それを節ごとに分けて教科書の中に隠し、授業中にこっそり読んだりと、徹底的に読み抜いたといいます。
『純粋理性批判』は、人間の知識の源泉と限界について考察した難解な哲学書です。
“純粋に理性だけで答えが出せる問いと、出せない問いがあることを我々は知るべきだ”と説いています。
そうしてシュタイナーは論理的思考能力や言語表現力を身につけていきました。
18歳で、ウィーン工科大学に入学し、将来は実業学校の教師になると決めており、生物学・化学・数学などを専攻しました。
しかし、彼の関心の中心は、生物学・化学・数学ではなく、哲学・文学にありました。在学中はゲーテを研究しています。
シュタイナーは、「哲学を通して真理を探究すること」「霊的世界を直接体験する霊的直感の正当性」について考え続けていたといいます。
自分の霊感の鋭さや、超能力について、科学的に解き明かし、証明する為に勉学に励んでいたのかもしれませんね。
* * *
真理の探求によって磨かれたシュタイナーの思想は、目に見えるもの、物質的なものだけでなく、時間、宇宙と人間との関係、生まれる前や死後の世界など「目に見えない世界」を包括的に考えるものです。
そんなシュタイナーは、宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報が蓄えられているという記録層「アカシック・レコード」にアクセス出来たそうです。
(アカシック・レコードについては、いつか詳しく解説したいと思っています。)
* * ** * *
さて、生まれる前や死後の世界については、誰もが興味があることでしょう。
精神科学から見たそういった世界はどのようなものなのでしょうか。
シュタイナーはこの世界を形作るものは、
「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我」の4つで形成されていると考えました。
┈┈┈┈┈┈┈
「物質体」=「器」
物質体とは、物質的な肉体のことであり、魂の器のこと。
┈┈┈┈┈┈┈┈
「エーテル体」=「生命力」
エーテル体とは、有機体をひとまとまりに保つ生命の力。
┈┈┈┈┈┈┈┈
「アストラル体」=「意識を持つ力」
アストラル体とは、快楽、欲望、衝動、などを担う思考意識を持つための力。
植物にはアストラル体がないが、動物にはある。
┈┈┈┈┈┈┈┈
「自我」=「霊的実体」
物質体・エーテル体・アストラル体に対して働きかける位置にある、霊的実体のこと。
「わたし」であると認識できる能力。いわば、理性、知性。
自我は人間だけが有している。
┈┈┈┈┈┈┈┈
人間の体は物質体の上に、エーテル体・アストラル体・自我の順に重なった重層的な構造になっているそうです。
シュタイナーは、人間が体験する生理的現象を、上の四つの組み合わせから説明しています。
* * *「目覚め」の状態* * *
起きている時の人間は、肉体、エーテル体、アストラル体、自我という4つの構成要素が合体している状態。
* * *「睡眠」の状態* * *
ベッドに横たわり、眠っている人間は、物質体とエーテル体のみで、アストラル体と自我は持たない。
* * *人間の「死」* * *
物質体から、エーテル体、アストラル体、自我が離れてしまう現象。
「臨死体験」といわれる現象は、いわば、一時的にこの状態を体験したもの。
■シュタイナーの考える死後の世界
シュタイナーが説く「転生」は、人間は死んで終わりではなく、死後も生と死を繰り返し、より高みに昇り続けるというものです。
まず、人間が死ぬと 「自我」十「アストラル体」十「エーテル体 」 が物質体(肉体)を残して物質界を去ります。
今まで生きてきた人生の記憶は、エーテル体に刻み込まれており、記憶の担い手であるエーテル体が存在している間は、自分のこれまでの一生の様子を走馬灯のように見るそうです。
よく事故などで死に直面した人が自らの人生を走馬灯のように駆け巡るのを見たという話がありますね。
そこでは苦痛や苦悩、喜びなどの感情を一切感じることはなく、映画を鑑賞するように映像として自らの人生をひたすらに見ることに終始するそうです。
このイベントが終わると、亡くなった人の一生を刻み込んだエーテル体は、分離をし、霊的大宇宙の一部となります。
次は、快楽、欲望、衝動を持つ、アストラル体の浄化を行う番です。
死の瞬間から誕生の時までを遡り、アストラル体で体験してきたことを客観的に見返して行きます。
長い時間をかけて、自分が今までの人生で誰かに対して行った行為、かけた言葉などを相手の人の立場になって体験するのだそうです。そこで他人にどのようなことをしてきたのか痛感することになります。
どうやら死後は神や仏が審判を下すのではなく、自分で過去の行いを裁くことになるようです。生前の行いが悪いと、自分に跳ね返り辛い思いをしそうですね。
現代で多く目にする顔が見えないからと安易な気持ちで書く悪意のあるネットの書き込みや、歪んだ正義感の暴走で誹謗中傷を浴びせるネットリンチなどの行為も、死後は自分に返ってくるかもしれませんので、書き込む前に相手がどんな気持ちになるか考える必要があるように思います。
この期間を終えると、アストラル体は役目を終え、物質界への愛着や執着が次第に薄れ、離れていく時期が来ます。
こうして初めて「自我」は地上的なものから解放されて、純粋な「霊」となり、精神界に入るそうです。
【シュタイナーの考える「輪廻転生」】
■人生は魂を成長させる修行の場
シュタイナーは、人生には目的があり、一人一人が、それぞれ今世で果たすべき課題を持って生まれてきてきていると述べます。
すべての自我は、それまでの転生の歴史の中で、支払うべき「業」を背負ってこの世に舞い降ります。それは、他人に対する「借り」でもあれば、自分に対して償うべき「借り」でもあります。そうした「借り」を返済し、魂の成長のために必要な課題をクリアしていき、最終的には、すべての魂が磨かれていくという境地を目指します。
つまり、私たちの送っている人生は、「魂」を成長させる為の「修行の場」なのだそうです。
┈┈┈┈┈┈┈┈
シュタイナーは、輪廻転生を説いていますが、世界的にはこういった考えをどう受け取られているでしょうか。
東洋固有のものだと思われがちな輪廻転生ですが、初期のキリスト教においては、輪廻転生の考えを肯定していました。ところが、リオンのエレナイオスが輪廻転生は間違っていると断言したことで、輪廻転生思想は弾圧されてしまいました。
聖書には人間は「神の似姿」であり、他の動物に勝る特別な存在であると書かれています。人々が生まれ変わり、何度も地上での人生を送るチャンスを与えられたり、違う人物に転生するということは認められないようです。
しかし、古くは古代ギリシャではピタゴラスやプラトンが転生説を説いていました。
現代では、一般的に輪廻転生は仏教用語として認識されていいますが、東洋では古代インド哲学からヒンドゥー教の流れにおいて、輪廻転生は重要な教えでした。
筆者も身内や知人の臨死体験から、魂(霊)の存在と、輪廻転生説を信じています。
筆者の知人は心臓の手術中、心肺停止となりDCを使い蘇生したのですが、心配停止となっている間、幽体離脱し、手術室の上から手術台に寝ている自分を見下ろしていたそうです。
魂が抜ける前は心臓がとても苦しく、呼吸も辛かったそうですが、魂が抜けた瞬間は痛みも苦しみもなくなり、寧ろとても気持ちが良かったそうです。
しかし、残して来たペットの事を思い出し、「戻らないと」と強く思い蘇生出来たのだそう。
戻って来れて本当に良かったのですが、「肉体から魂が抜ける瞬間は苦しいことはない」こと知り、死への特別な恐怖がなくなったそうです。
また、これは筆者の祖母が生死を彷徨う場面で起こった話ですが、対岸に美しい花畑が広がっていて、目の前の「川」を渡ろうとした時に「まだ来ちゃ行けない」と向こう側にいた既に亡くなっている親族に追い返された、いわゆる「三途の川」に渡りかけて追い返されたエピソードを実体験として聞きました。
「三途の川」は日本人が体験するイメージですが、世界では「砂漠」や「絶壁」など、文化的背景は違えど越えてはいけない境界線のようなものが見えるようです。
こういった臨死現象に関しては、いろいろな説があります。科学的な考察としては、脳の血液が低下した時に脳内の麻薬物質であるエンドルフィンが多量に分泌されるために、とても気持ちがよくなるという説があります。
また、呼吸の停止により低酸素や高二酸化炭素の状態になると脳内の神経活動が一時的に活発になり、過去の思い出や幻覚が見えてくるのではないかという仮説もあります。
しかし、いずれの説もすべてを科学的に説明することは出来ません。
アメリカでは、臨死体験した4000人のカルテから検証を行いましたが、調査データによると、酸素不足と臨死体験をする傾向との関連は認められない結果が判明されました。
このように多くの臨死体験者の証言を集めることで、「あの世」の証明ができるのではないかという科学者もいます。
シュタイナーの思想が科学的に証明されることは、難しいかもしれませんが、カントの純粋理性批判にあるように、科学的な事だけでは答えが出せないものがこの世には存在することを認めるべきであると感じます。
シュタイナーを語るには複雑で説明が難しく、筆者自身も理解出来ていない部分が多いです。
次回は本題のシュタイナーの予言について書きたいと思います。
まずは、シュタイナーがどのような思想の持ち主なのか、簡単にお話したいと思います。
* * * * * *
シュタイナーは1861年オーストリア・ハンガリー帝国領のクラリェヴェク(現クロアチア)に産まれ、独学で人智学を学びました。
幼い頃から霊感が強く、超能力を持っており、「自分の見ている世界と、他人が見ている世界は違う」という事に気付いていました。
15歳の頃、お小遣いを貯め、カントの『純粋理性批判』を手に入れ、それを節ごとに分けて教科書の中に隠し、授業中にこっそり読んだりと、徹底的に読み抜いたといいます。
『純粋理性批判』は、人間の知識の源泉と限界について考察した難解な哲学書です。
“純粋に理性だけで答えが出せる問いと、出せない問いがあることを我々は知るべきだ”と説いています。
そうしてシュタイナーは論理的思考能力や言語表現力を身につけていきました。
18歳で、ウィーン工科大学に入学し、将来は実業学校の教師になると決めており、生物学・化学・数学などを専攻しました。
しかし、彼の関心の中心は、生物学・化学・数学ではなく、哲学・文学にありました。在学中はゲーテを研究しています。
シュタイナーは、「哲学を通して真理を探究すること」「霊的世界を直接体験する霊的直感の正当性」について考え続けていたといいます。
自分の霊感の鋭さや、超能力について、科学的に解き明かし、証明する為に勉学に励んでいたのかもしれませんね。
* * *
真理の探求によって磨かれたシュタイナーの思想は、目に見えるもの、物質的なものだけでなく、時間、宇宙と人間との関係、生まれる前や死後の世界など「目に見えない世界」を包括的に考えるものです。
そんなシュタイナーは、宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報が蓄えられているという記録層「アカシック・レコード」にアクセス出来たそうです。
(アカシック・レコードについては、いつか詳しく解説したいと思っています。)
* * ** * *
さて、生まれる前や死後の世界については、誰もが興味があることでしょう。
精神科学から見たそういった世界はどのようなものなのでしょうか。
シュタイナーはこの世界を形作るものは、
「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我」の4つで形成されていると考えました。
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「物質体」=「器」
物質体とは、物質的な肉体のことであり、魂の器のこと。
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「エーテル体」=「生命力」
エーテル体とは、有機体をひとまとまりに保つ生命の力。
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「アストラル体」=「意識を持つ力」
アストラル体とは、快楽、欲望、衝動、などを担う思考意識を持つための力。
植物にはアストラル体がないが、動物にはある。
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「自我」=「霊的実体」
物質体・エーテル体・アストラル体に対して働きかける位置にある、霊的実体のこと。
「わたし」であると認識できる能力。いわば、理性、知性。
自我は人間だけが有している。
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人間の体は物質体の上に、エーテル体・アストラル体・自我の順に重なった重層的な構造になっているそうです。
シュタイナーは、人間が体験する生理的現象を、上の四つの組み合わせから説明しています。
* * *「目覚め」の状態* * *
起きている時の人間は、肉体、エーテル体、アストラル体、自我という4つの構成要素が合体している状態。
* * *「睡眠」の状態* * *
ベッドに横たわり、眠っている人間は、物質体とエーテル体のみで、アストラル体と自我は持たない。
* * *人間の「死」* * *
物質体から、エーテル体、アストラル体、自我が離れてしまう現象。
「臨死体験」といわれる現象は、いわば、一時的にこの状態を体験したもの。
■シュタイナーの考える死後の世界
シュタイナーが説く「転生」は、人間は死んで終わりではなく、死後も生と死を繰り返し、より高みに昇り続けるというものです。
まず、人間が死ぬと 「自我」十「アストラル体」十「エーテル体 」 が物質体(肉体)を残して物質界を去ります。
今まで生きてきた人生の記憶は、エーテル体に刻み込まれており、記憶の担い手であるエーテル体が存在している間は、自分のこれまでの一生の様子を走馬灯のように見るそうです。
よく事故などで死に直面した人が自らの人生を走馬灯のように駆け巡るのを見たという話がありますね。
そこでは苦痛や苦悩、喜びなどの感情を一切感じることはなく、映画を鑑賞するように映像として自らの人生をひたすらに見ることに終始するそうです。
このイベントが終わると、亡くなった人の一生を刻み込んだエーテル体は、分離をし、霊的大宇宙の一部となります。
次は、快楽、欲望、衝動を持つ、アストラル体の浄化を行う番です。
死の瞬間から誕生の時までを遡り、アストラル体で体験してきたことを客観的に見返して行きます。
長い時間をかけて、自分が今までの人生で誰かに対して行った行為、かけた言葉などを相手の人の立場になって体験するのだそうです。そこで他人にどのようなことをしてきたのか痛感することになります。
どうやら死後は神や仏が審判を下すのではなく、自分で過去の行いを裁くことになるようです。生前の行いが悪いと、自分に跳ね返り辛い思いをしそうですね。
現代で多く目にする顔が見えないからと安易な気持ちで書く悪意のあるネットの書き込みや、歪んだ正義感の暴走で誹謗中傷を浴びせるネットリンチなどの行為も、死後は自分に返ってくるかもしれませんので、書き込む前に相手がどんな気持ちになるか考える必要があるように思います。
この期間を終えると、アストラル体は役目を終え、物質界への愛着や執着が次第に薄れ、離れていく時期が来ます。
こうして初めて「自我」は地上的なものから解放されて、純粋な「霊」となり、精神界に入るそうです。
【シュタイナーの考える「輪廻転生」】
■人生は魂を成長させる修行の場
シュタイナーは、人生には目的があり、一人一人が、それぞれ今世で果たすべき課題を持って生まれてきてきていると述べます。
すべての自我は、それまでの転生の歴史の中で、支払うべき「業」を背負ってこの世に舞い降ります。それは、他人に対する「借り」でもあれば、自分に対して償うべき「借り」でもあります。そうした「借り」を返済し、魂の成長のために必要な課題をクリアしていき、最終的には、すべての魂が磨かれていくという境地を目指します。
つまり、私たちの送っている人生は、「魂」を成長させる為の「修行の場」なのだそうです。
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シュタイナーは、輪廻転生を説いていますが、世界的にはこういった考えをどう受け取られているでしょうか。
東洋固有のものだと思われがちな輪廻転生ですが、初期のキリスト教においては、輪廻転生の考えを肯定していました。ところが、リオンのエレナイオスが輪廻転生は間違っていると断言したことで、輪廻転生思想は弾圧されてしまいました。
聖書には人間は「神の似姿」であり、他の動物に勝る特別な存在であると書かれています。人々が生まれ変わり、何度も地上での人生を送るチャンスを与えられたり、違う人物に転生するということは認められないようです。
しかし、古くは古代ギリシャではピタゴラスやプラトンが転生説を説いていました。
現代では、一般的に輪廻転生は仏教用語として認識されていいますが、東洋では古代インド哲学からヒンドゥー教の流れにおいて、輪廻転生は重要な教えでした。
筆者も身内や知人の臨死体験から、魂(霊)の存在と、輪廻転生説を信じています。
筆者の知人は心臓の手術中、心肺停止となりDCを使い蘇生したのですが、心配停止となっている間、幽体離脱し、手術室の上から手術台に寝ている自分を見下ろしていたそうです。
魂が抜ける前は心臓がとても苦しく、呼吸も辛かったそうですが、魂が抜けた瞬間は痛みも苦しみもなくなり、寧ろとても気持ちが良かったそうです。
しかし、残して来たペットの事を思い出し、「戻らないと」と強く思い蘇生出来たのだそう。
戻って来れて本当に良かったのですが、「肉体から魂が抜ける瞬間は苦しいことはない」こと知り、死への特別な恐怖がなくなったそうです。
また、これは筆者の祖母が生死を彷徨う場面で起こった話ですが、対岸に美しい花畑が広がっていて、目の前の「川」を渡ろうとした時に「まだ来ちゃ行けない」と向こう側にいた既に亡くなっている親族に追い返された、いわゆる「三途の川」に渡りかけて追い返されたエピソードを実体験として聞きました。
「三途の川」は日本人が体験するイメージですが、世界では「砂漠」や「絶壁」など、文化的背景は違えど越えてはいけない境界線のようなものが見えるようです。
こういった臨死現象に関しては、いろいろな説があります。科学的な考察としては、脳の血液が低下した時に脳内の麻薬物質であるエンドルフィンが多量に分泌されるために、とても気持ちがよくなるという説があります。
また、呼吸の停止により低酸素や高二酸化炭素の状態になると脳内の神経活動が一時的に活発になり、過去の思い出や幻覚が見えてくるのではないかという仮説もあります。
しかし、いずれの説もすべてを科学的に説明することは出来ません。
アメリカでは、臨死体験した4000人のカルテから検証を行いましたが、調査データによると、酸素不足と臨死体験をする傾向との関連は認められない結果が判明されました。
このように多くの臨死体験者の証言を集めることで、「あの世」の証明ができるのではないかという科学者もいます。
シュタイナーの思想が科学的に証明されることは、難しいかもしれませんが、カントの純粋理性批判にあるように、科学的な事だけでは答えが出せないものがこの世には存在することを認めるべきであると感じます。
シュタイナーを語るには複雑で説明が難しく、筆者自身も理解出来ていない部分が多いです。
次回は本題のシュタイナーの予言について書きたいと思います。
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