【R18】ギルティ~クイーンの蜜は罪の味~

クロキ芽愛

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 ステムを持ち、ワイングラスを傾ける。こげ茶の液体がゆらりと揺れた。
 ――――ああ……とっても美味しそう。
 ごくりと唾液を飲み込む。これ以上は我慢できそうにない。
 いや、そもそもする必要もなかった。これはもう私のモノなのだから。
 微かに残っていた躊躇する気持ちを捨て、グラスに口をつける。ああ、やっぱり……

 瞼が震える。目を開くと、見慣れた自室の天井が見えた。

「ああ」

 無意識に漏れた名残惜しそうな声色。
 ぺろりと己の唇を舐める。特に何の味もしないはずなのにどこか甘い。

「……」

 上半身を起こして数秒後。完全に目が覚めたサラは自己嫌悪に襲われていた。
 残念なことに記憶はしっかり残っている。気を失う前に何をしていたのかも、先程まで見ていた夢の内容も。

 ――――今更なかったことには……できないか。それよりも、今後のことを早急に考えないと……そういえば……ファビオは?

 ベッドに寝ていたのはサラだけだ。慌てて部屋の中に視線を巡らせれば思いがけない人物と目が合った。

「起きたか」
「義兄、どうしてここに……」

 途中で気づいて青ざめる。――――バレたんだわ!
 いつのまにかいなくなっているファビオ。それだけならまだしも、普段は研究室にこもってばかりの義兄がここにいるということは……つまりそういうことだ。

 ニーノ義兄はサラの質問には答えずに手にしていた資料をテーブルの上に置きソファーから立ち上がった。サラに近づき、顔を覗き込む。
 思わずビクリと身体が反応してしまい、視線を逸らした。義兄相手に警戒する必要なんてないと頭ではわかっているのに、不安がぬぐえない。もし、ファビオのように義兄まで巻き込んでしまったら……そんな不安がすでに端の方にこびりついてしまっている。

 義兄の手がサラに伸びた。咄嗟にぎゅっと瞼を閉じる。首に義兄の冷たい指先が触れた。

「脈は、普通だな。目を開け」
「っ、はい」
「ふむ。特に異常はないように見える。自覚症状はあるか?」
「い、まは特にない……かな」

 答えながらも内心いつもどおりの義兄の言動に安堵する。どうやら大丈夫なようだ。少なくとも今は。自分も義兄も。

 モノクル越しに見える瞳はいつもと変わらない。あるのは観察対象に向ける好奇心と探究心だけ。
 ――――よかった。
 そうとわかれば、今度は違うことが気になってくる。

「義兄。ファビオは今どこにいるの? 帰った?」
「いや、ファビオなら私の研究室にいるが……ここに呼んだ方がいいか?」
「ううん。なら、私が行く」

 ベッドから出ようと床に足をつけた瞬間、ぐらりと身体が揺れた。義兄が咄嗟に支えてくれなかったらそのまま倒れていただろう。危なかった。

「大丈夫か?」
「うん。ただ……ちょっと腕を貸してくれると嬉しいかも」
「……掴まってろ」

 てっきりあの状態になれば痛みや疲れなんてない体力お化けになると思っていたけどどうやら違ったらしい。それとも初めてだからだろうか。足に上手く力が入らない。なんなら下半身全部がだるい。痛みこそないがまだ違和感も残っている。

「なるほど」
「え”?」

 小さな呟きが義兄から聞こえ慌てて顔を向けたが義兄は何もなかったかのようにまっすぐ前だけを見ている。なんとなく掘り下げない方がいい気がしてサラも聞こえなかったフリをした。

 静かな廊下を二人でゆっくりと歩く。まるでパーティー会場で義兄にエスコートされているようだ。実際は義兄がパーティーに参加することなんて稀だし、今のこの状況はどちらかというと介護に近いが。

 義兄がおもむろに口を開いた。

「サラが寝ていたのは半日ほどだ。その間にファビオからは聞いた。それと、私のところに報告にきたメイドには金を握らせ口止めをしてある。私がいいというまでおまえの部屋には何人たりとも近づけさせないようにとも」
「……お父様とお母様には?」
「あの人達にはサラが体調を崩したから私が診ていると伝えた。感染症の可能性があるから今は近づかないようにともな」
「それなら、よかった」

 両親が突撃してきたらどうしようかと心配だったが、さすが義兄だ。……まだ壁はあるようだけど、それでも昔に比べたら義兄と両親の仲も随分良くなったものだ。微かに微笑みながら義兄の横顔を見つめていると義兄が不機嫌そうに一睨みしてきた。バレた。

「わかっているのか? サラが本当になら報告しなければならないんだぞ? あの人達だけじゃなく……国にも」

 義兄の言葉に足を止める。
 そんなこと、義兄に言われなくてもわかっている。きっと、この世界の誰よりも私がわかっている。だって……私は原作を知っているから……なんて言えないけど。

 淑女らしい微笑みを浮かべ、義兄と視線を合わせる。

「もちろん。わかっている」
「ならいいが。で? 確認するのは私でいいのか? 前任の時は魔術具師長が担当したんだが……」
「義兄いい」

 食い気味で即答する。
 正直に言うと、義兄に己のあれやこれやの事情を知られるというのは抵抗があるが、背に腹は代えられない。現魔術具師長よりも豊富な知識と実力を持っている義兄の協力はこの先も必要になるはず。

 サラの必死さに驚いたのか一瞬義兄が目を見開いた。――――あ。珍しい表情。
 我に返ったのか、義兄がサッと視線を逸らした。再び歩き始める。サラもあわせて歩き出した。研究室に向かって。

 義兄の研究室、という名の別宅は本邸から続く外廊下の先にある。もはや研究所といっても過言ではない規模だが、人嫌いの義兄はこの研究室に他の魔術具師を招いたことは一度もないそうだ。

 扉を義兄が開く。義兄の身体越しに部屋の中が見えた。奥のソファーに誰かが腰かけ本を読んでいるのがわかった。逆光なのと俯いているので顔はよく見えないが、あの長身と特徴的なミディアムパーマはファビオだろう。
 ――――あ、気づいた。
 目が合い、ファビオは持っていた本を閉じた。

「身体は大丈夫か?」
「うん。ファビオこそ大丈夫?」
「ああ」
「むしろいつもより調子が良さそうだ」

 途中で口を挟んだ義兄をファビオが睨みつける。義兄にこんな態度がとれる人なんて限られている。相変わらず仲がいいことだ。
「それよりも」とサラも一人掛けの椅子に座って義兄を見上げた。

 義兄は普段自分が使っている椅子に腰かけると、長い足を組み、ファビオとサラを順に見た。

「ファビオ、渡した本には全部目を通したか?」
「一通りは」
「おまえならそれで充分だろう。これに魔力を流してみてくれ」

 義兄が差し出したのは一枚の紙。何か絵のようなものが描かれている。規則性がありそうなところを見ると、おそらく魔法陣というやつだろう。本来、魔法陣だけでは魔法は使えない。魔術師が造った魔術具を通さないと……ファビオが紙を手にした。

 紙に描かれた魔法陣の端っこが光り始めた。一筆書きをするように光が広がっていく。全ての線が繋がると紙が消えた。瞬間、空中に水球が生まれた。

「わぁっ!」

 初めて見る魔法に驚いて声を上げる。義兄に視線を向けると、義兄は興味深そうに色んな角度から水球を観察していた。ファビオはというと、集中しているのか珍しく眉間に皺を寄せて水球を睨みつけている。邪魔をしないように口を閉じた。

 義兄がデスクの上にあったビーカーを手にする。

「ファビオ。それをこの中に入れてくれ」
「……」

 ファビオがコクリと頷くと、ふよふよと水球が動きだした。吸い寄せられるようにビーカーへと入っていく。

「いいぞ」

 義兄の声掛けとともに水球がただの液体へと変わった。
 何を思ったのか義兄は手にしたビーカーに口をつけた。

「ええ?! 義兄?!」
「ただの水だな」
「いやいや! そんなあっさりっ!」

 たまらず声を上げたサラに義兄が横目で視線を送る。

「あの魔法陣はこの魔術具に使っているものと同じだから大丈夫だ」

 そう言って、水差しを指さす。

「そういうことじゃ……まあいいか。ていうことは今のは魔法で間違いないんだよね?」

 義兄が頷いた。嘆息して今度はファビオに視線を向ける。
 ファビオは険しい表情で空になったビーカーを見つめていた。

「ファビオ。どうだ?」
「ああ……魔法陣のおかげか魔法を使うことについてはさほど難しいとは感じなかった。ただ、魔力が抜ける感覚は……なかなか慣れそうにないな」
「なるほど」

 義兄が紙に何やら書いている。

「それで、魔力はまだ残っているのか?」
「あくまで俺の感覚だが……まだ半分以上は残っている気がする」
「そうか。なら、ひとまずその魔力は残しておいてくれ。国王陛下にも見せることになるかもしれないからな」
「……わかった」

 ファビオとの話は終わったのか、義兄の視線がサラに向く。
 サラはじっと義兄の目を見つめた。すでに覚悟は決めているとでもいうように。

「私が次の『クイーン』ってことだよね?」
「ああ。間違いない」
「やっぱり……そうだよね」

 はあ、と溜息を吐く。わかりきっていたことだが改めて言われるとなんとも言えない気持ちになる。心配そうな目で見てくるファビオに笑顔を向ける。ファビオの眉間の皺が増えた。
 義兄に視線を向ける。

「それで、私はこれからどうするのがいいと思う? 義兄の知恵を借りたいんだけど……私のことはいくらでも研究していいから」
「サラ?!」

 ファビオが非難の声を上げるが無視をする。
 言いたいことはわかるが、私としてはむしろ徹底的に研究してもらいたいくらいなのだ。義兄にはぜひあの衝動を抑える薬を作ってもらいたい。原作ではそんな薬でてこなかったけど……この世界が原作とは違う展開になっている時点で先のことなんてわからないのだから希望を持ちたい。

 それに、考えないといけないことは他にもある。ヒロインが死んだ理由。『クイーン』となった私は絶対に知っていた方がいい。……そんな気がする。

「サラにそこまで言われたらさすがの私も否とは言えないな」

 仕方ないなと微笑みながらもその目は輝いている。貴重な義兄の笑みに、ファビオとサラは顔をひくつかせた。――――私、はやまったかもしれない。
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