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狂想曲

─20─人として

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 もう三刻ほど馬を走らせただろうか。
 周囲はすでに漆黒の闇に包まれており、アルバートの持つカンテラの灯だけが淡く辺りを照らしている。
 運が良ければそろそろ追いつける頃合いだ。
 しかし、先方の歩みが早くルウツ領オトラベスに入ってしまったらお手上げだ。
 そうなったら、朝まで街道で待ち伏せするか、はたまたオトラベスに潜り込むか。
 どちらにしても自分らしくはないな、と馬上でため息をついた時、前方に何かが見える。
 どうにか追いつけたのか。
 ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、アルバートは違和感を覚えた。
 前方に浮かび上がったは、先程から止まったきりで、全く動いてはいない。
 貴族と呼ばれる人でも野営などするのだろうかと疑問に思いながら馬を進めると、果たしてそれらは目前に現れた。
 馬がいななき、その脚を止める。
 見下ろすと、倒れ伏す人々の姿がカンテラの光の中に浮かび上がった。
 あわててアルバートは馬を降り、そのうちの一人に歩み寄る。
 灯で照らすと、その首筋には吹き矢とおぼしき針が刺さっており、すでに事切れていた。
 視線を動かすと、少し先に護送車と馬車が止まっている。
 立ち上がりカンテラを掲げると、身分が高いとおぼしき人と、武人らしき人が数人草むらに倒れていた。
 アルバートが追ってきた人が乗せられていたであろう護送車は空っぽで、生きた人の気配は全く感じることはできない。
 けれど、必要以上に荒らされた形跡も無く、野盗に襲われたにしては不自然だ。
 一体何があったのだろうか。
 訳もわからず注意深く護送車に近寄ろうとした時、アルバートは首筋に冷たい感触を覚えた。
 同時に、背後から低い声がする。

「……何者だ? エドナの刺客か?」

 首筋に当てられているのが鋭利な刃であると理解して、アルバートの背筋を冷たいものが流れ落ちる。
 とにかく誤解を解かなければ。
 弁明しようとした瞬間、足元に妙なものが触れた。
 恐る恐る視線を落とすと、黒い何かがまとわりついている。
 言いようのない恐怖に、声をあげようとしたその刹那……。

「ペドロ、大丈夫だ。その方は敵じゃない」

 闇の中から、聞き覚えのある声がする。
 と、それに呼応して背後に立つ人は刃を収めていた。

「どうやらそのようですね。毛糸玉は人を見る目があるようですから」

 改めてアルバートは足元を見やる。
 と、金色の目を持つそれは、アルバートの顔を見上げると、一言にゃあと鳴いた。
 なぜ猫がこんなところに。
 いや、それよりも……。

「アルトール殿、ご無事でしたか」

「……師団長殿は、どうしてこんなところに?」

 闇の中から現れたその人は、驚いたようにアルバートに問うた。
 確かにここは、エドナとルウツの国境すれすれの場所である。
 当然と言えば当然の問いだった。
 まだ額ににじんでいた冷や汗をぬぐってから、アルバートは居住まいを正し、大切に持ってきた例の書状を取り出した。

「実は、こちらをお渡ししたかったんです」

 行き違いになってしまったのですが、どうしてもこれだけはお届けしたかった。
 そう告げられて、シエルは一礼して書状を受け取る。

「……大司教府?」

 まったく心当たりがない、と言うように首を傾げつつも、シエルは書状を広げる。
 ほの明るいカンテラの灯を頼りに読み進めるその表情が、次第に驚きに変わる。
 心配したのだろうか、ペドロと呼ばれた人物が、横から書状をのぞき込む。
 そして、細い目をわずかに見開いた。

「導師の叙任状じゃないですか。あれほど連続で昇官試験に落ちていたのが、どういう風の吹き回しですか?」

「俺にもさっぱりわからない。……師団長殿、これは一体……?」

「お持ちになっていた書写を、聖地へ送らせていただいたんです。あれだけの苦労の結晶を無にするのは、さすがにはばかられたので……」

 勝手なことをして申し訳ないと深々と頭を垂れるアルバートに、シエルは慌てて言った。

「お手を上げてください。むしろ、こちらこそ何とお礼を申し上げたら良いか……」

「それと、これを。お父君の形見と聞いたものですから」

 言いながら、アルバートはある物を取り出した。
 その人と常に共にあったであろう短剣を。
 しばらくシエルは言い難い表情でそれを見つめていたが、ややあって両の手で押し頂くように受け取った。

「本当に、感謝の言葉もありません。でもなぜ縁もゆかりもない自分なんかに……?」

「見えざるものに使える者として、当然のことをしたまでです。前にも申し上げたでしょう?」

 言いながら、アルバートは柔らかく微笑んだ。

「では、私はこれで失礼いたします。言える立場に無いかもしれませんが、道中見えざるもののご加護があらんことをお祈り申し上げます」

 一礼して、騎乗しようとするアルバート。
 その時、ペドロが闇に向かい鋭く指笛を吹いた。

「……周囲の配下に繋ぎをつけました。アレンタまでお守りします。先程働いた無礼のお詫びと思ってください」

 そして、振り返り更に続ける。

「我々も行きましょう、シエル。ジョセ卿が心配しているでしょうから」

 わかった、とうなずくと、シエルはアルバートに向かい深々と頭を垂れる。
 そして、二人と一匹は暗闇の中へ消えていく。
 その後ろ姿が完全に闇の中へ溶け込むまで見送りつつ、アルバートは思った。
 神官として、否、人として自分の行いは正しかったのだ、と。
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