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狂想曲

─4─知られざる過去

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「あの……シグマさん、どうしたんですか?」

 戸惑いを隠せないユノーを前に、シグマはようやく笑いを収めるとひらひらと手を振ってみせた。

「何言ってるんだよ、坊ちゃん。大将だって人間だぜ? ここだけの話、初陣の時なんか心配で見てらんなかったくらいだったんだから」

 思いもかけないその言葉に、ユノーは思わず瞬きを返す。
 そんな彼にシグマはわずかに声をひそめて話し始めた。

「今でこそあんな大層な面構えしてるけど、初陣じゃ兜を被りっぱなしでさ、顔が見えることなんかほとんど無かった。固まっているのをオレ達に悟られまいとしてたんだろうな」

 初めて耳にするシーリアスの一面に、ユノーは自らの耳を疑った。
 無言で見つめてくるユノーに、シグマはさらに続ける。

「無事戦が終わった後も、ずっと戦場を睨みつけて動こうとしないんだ。返り血もぬぐわないでさ。あの時はどうかしちまったのかと思ったぜ」

 生まれながらの名将なんて、いるはずが無いんだよ。
 そう言って片目をつぶってみせるシグマに、ユノーは曖昧に笑うのが精一杯だった。
 そんなユノーをよそに、シグマは言葉を継いだ。

「それで……帰還してから、大将を飲みに誘ったんだ。最初は断ってたのを無理矢理に。……正直、今も悪いことをしちまったなと思ってる」

「悪いこと、ですか?」

「ああ。あの時の大将は、普通じゃ無かった。荒れるってのとは違うんだけど、とにかく飲むんだ。それこそ浴びるように。……慌てた奴が止めたくらいにさ。後にも先にも、大将が酒を口にするところを、オレは見ていない」

 おそらく全てを忘れようとしたのだろう。
 目に焼き付いてしまったあの惨劇を。
 ユノー自身、初陣から戻ってしばらくは血煙が舞う戦場を夢に見てうなされた。
 直接敵を手にかけていない彼でさえそうだったのだから、いきなり前線で指揮を執り、敵を斬り伏せることを余儀なくされたあの人の心境は、どればかりのものだったのだろうか。
 虚空を見つめるユノーの耳を、シグマの声が通り過ぎる。

「……けど、大将は、こんな所に住んでたんだな。良くわからない人だと思ってたけど、本当にわからなくなってきた」

 三年近く一緒に戦ってきたのに、信用されてなかったのかな。
 そううそぶくシグマに、ユノーは首を左右に振った。

「そんなことはないと思います。周り全部が敵に近い中で、閣下はシグマさんを信頼していたんですよ。そうでもなければ、後衛を任せるなんてことはできませんよ」

「そうかなあ……。だったらうれしいな。でもさ、大将は一体、何を考えていたのかな?」

「……はい?」

 出し抜けに問われ、首を傾げるユノー。
 そんな彼の前で、シグマは全く生活感がない室内をぐるりと見回した。

「いや……。大将は孤児だったんだろ? 生きて帰って来ても、誰も待ってる人もいなくて……。今まで大将は、何のために戦っていたのかな?」

 ごく自然なシグマの疑問に、ユノーは返す言葉を持たなかった。
 敵からは恐れられ、味方からは嫌われていたあの人は、自ら犯した罪の重さと後悔の念を誰にも言うことなく一人抱いて孤独と戦っていたのだろう。
 そう考えて、ユノーはふと床に目を落とす。
 埃の積った板張りの床は、涙で塗り固められているような気がしてならなかった。
 そんなユノーの内心を察したのだろうか。
 シグマはおもむろにその肩をぽんと叩いた。

「坊っちゃん、無理すんなよ。あの時も言っただろ? どんなに逃げようが、最後に生き残った奴が勝ちなんだから」

 その不器用な優しさに、ユノーは無理矢理に笑顔を作った。

「形式だけですが、僕は今回の司令官ですよ? 味方を放って逃げる訳にはいきません」

 それからユノーは兵法書を机の脇へ押しのけると、蒼の隊隊員名簿を引き寄せる。
 一つため息をついてから、ユノーは表紙をめくり、除隊届けを出した人物の名を二重線で抹消した。
 とりあえず彼らは、これで無為に命を散らすことはない。
 安堵から、ユノーは再びため息をつく。
 その視線が、名簿の一点に留まる。

「おい、坊っちゃん。どうかしたのか?」

 勉強のし過ぎでおかしくなっちまったんじゃないかと言わんばかりに顔を覗き込んでくるシグマに、ユノーは思わず尋ねた。

「あの……シグマさんは、蒼の隊が結成された時からの隊員でしたよね?」

「ああ。正確に言うと、傭兵部隊として国境を回ってた頃から……蒼の隊なんて御大層な名前になる前からいたけど。それが何か?」

「以前僕は、閣下からろくな医務官が回してもらえないから、応急措置を習っておくようにと言われたことがあるんですけれど」

 何事かと身を乗り出していたシグマは、なるほどとうなずいてから腕を組む。

「確かに。うちに来る医務官は使えない奴らばっかりで……」

 でもそれが今更どうしたとでも言うようなシグマの視線を痛いほど感じながら、ユノーは静かに切り出す。

「でしたら……従軍神官はどうでしたか?」

「従軍神官? 何だそりゃ? そんなの今まで見たことも聞いたこともないぜ」

「ですよね? けれど、この名簿には、ちゃんと名前が有るんです」

「本当かよ? 上の奴が頭数合わせで適当に名前を載せたんじゃないか?」

 どうせそんなオチだと思うぜと言いながらも、シグマは興味を持ったようだ。
 覗き込んでくるシグマに、ユノーは名簿を指し示そうとする。
 と、その時何の前触れも無く扉が開いた。
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