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狂想曲
─1─狂気
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窓辺に立つルウツ皇帝メアリ・ルウツの視界の先には、練兵場がある。
常ならば誰かしら剣技を磨いているその場所には、今日は人の姿は見られない。
だが、その場所を見つめる彼女の蒼緑色の瞳は怒りをはらんでぎらぎらと輝き、淡桃色の唇は真一文字に引き結ばれている。
その様子は、まるで何かの幻影を見つめているかのようでもある。
そして白い手袋がはめられた華奢な両の手は、固く握りしめられていた。
と、突然、静かな室内に扉を叩く音が響く。
振り向いたメアリはあわてて|垂れ絹を閉め、お入りなさいと声をかける。
扉が開いて現れたのは、うら若い女帝とはいささか不釣り合いな壮年の男……この国の実権を握っていると噂されるマリス侯だった。
女帝はその顔をつまらなそうに一瞥すると、何事なの、とでも言うようにわずかに顎を上げて見せた。
一方のマリス侯は、自分の娘ほどの年齢であろう女帝に向かい、かしこまって頭を垂れる。
「お探しの物が、ようやく見つかりました。そのご報告に参りました」
女帝の宝石のような瞳に、瞬間閃光が走る。
が、表情をまったく動かすことなく、続きを促すよう一つうなずいた。
それを確認したマリス侯は、さらに深く頭を下げる。
「多少厄介な場所に潜り込んでおりまして……。どうやら北の果て、エドナのマケーネ大公領、アレンタの地に隠れているようです」
その言葉を受けて、女帝は美しい顔に艶やかな笑みを浮かべて見せた。
その笑みの意味を計りかねて、マリス侯は一瞬いぶかしげな表情を浮かべる。
それを意に介すことなく女帝は文机脇の椅子に腰をかけ頬杖を付き、上目遣いにマリス侯を見やった。
「……では、取引をしましょうか。|先方が納得し飲み込むような、とびきりの条件を付けてやりましょう」
言いながら女帝は今度は無邪気な笑顔をマリス侯に向ける。
が、マリス侯は得心がいかないとでも言うようにわずかに首を傾げた。
「……失礼ながら、と申されますと、一体何を?」
困ったようなマリス侯に向かい、女帝は勝ち誇ったように人差し指を突き立てた。
「名誉を。常勝部隊を打ち破るという戦勝。エドナにとっては、これ以上ない名誉でしょう」
「……蒼の隊をせん滅させる、ということでしょうか?」
確かに『無紋の勇者』を失った今、蒼の隊は烏合の衆に等しい。
だが、その事実をエドナは知る由もなく、その隊に勝利することはこの上ない栄誉となるだろう。
しかし、たかが神官一人に対する対価とするには、あまりにも大きすぎる犠牲なのではないか。
さすがのマリス侯も異を唱えようとした刹那、それに先んじるように女帝は口を開く。
「それだけじゃなくってよ。……あの子を差し出すわ」
女帝が言うあの子とは、すなわち誰か。
それを理解して、マリス侯は思わずおののき蒼ざめる。
マリス侯の内心の戦慄をよそに、女帝はおもむろに立ち上がると再び窓辺へと歩を進める。
そして垂れ絹越しに外の様子をうかがいながら、感情を押し殺したような声で低くつぶやいた。
「引き裂いてあげるの。私から盗み取った報いとして、引き裂いてあげるの。そう、二度と手の届かないように……」
言い終えると、女帝は声を立てて笑った。
室内には、女帝の乾いた笑い声が響く。
それはいつかのごとく、どこか常軌を逸したものだった。
が、マリス侯は何も言うこともできず、その場に立ちつくしていた。
常ならば誰かしら剣技を磨いているその場所には、今日は人の姿は見られない。
だが、その場所を見つめる彼女の蒼緑色の瞳は怒りをはらんでぎらぎらと輝き、淡桃色の唇は真一文字に引き結ばれている。
その様子は、まるで何かの幻影を見つめているかのようでもある。
そして白い手袋がはめられた華奢な両の手は、固く握りしめられていた。
と、突然、静かな室内に扉を叩く音が響く。
振り向いたメアリはあわてて|垂れ絹を閉め、お入りなさいと声をかける。
扉が開いて現れたのは、うら若い女帝とはいささか不釣り合いな壮年の男……この国の実権を握っていると噂されるマリス侯だった。
女帝はその顔をつまらなそうに一瞥すると、何事なの、とでも言うようにわずかに顎を上げて見せた。
一方のマリス侯は、自分の娘ほどの年齢であろう女帝に向かい、かしこまって頭を垂れる。
「お探しの物が、ようやく見つかりました。そのご報告に参りました」
女帝の宝石のような瞳に、瞬間閃光が走る。
が、表情をまったく動かすことなく、続きを促すよう一つうなずいた。
それを確認したマリス侯は、さらに深く頭を下げる。
「多少厄介な場所に潜り込んでおりまして……。どうやら北の果て、エドナのマケーネ大公領、アレンタの地に隠れているようです」
その言葉を受けて、女帝は美しい顔に艶やかな笑みを浮かべて見せた。
その笑みの意味を計りかねて、マリス侯は一瞬いぶかしげな表情を浮かべる。
それを意に介すことなく女帝は文机脇の椅子に腰をかけ頬杖を付き、上目遣いにマリス侯を見やった。
「……では、取引をしましょうか。|先方が納得し飲み込むような、とびきりの条件を付けてやりましょう」
言いながら女帝は今度は無邪気な笑顔をマリス侯に向ける。
が、マリス侯は得心がいかないとでも言うようにわずかに首を傾げた。
「……失礼ながら、と申されますと、一体何を?」
困ったようなマリス侯に向かい、女帝は勝ち誇ったように人差し指を突き立てた。
「名誉を。常勝部隊を打ち破るという戦勝。エドナにとっては、これ以上ない名誉でしょう」
「……蒼の隊をせん滅させる、ということでしょうか?」
確かに『無紋の勇者』を失った今、蒼の隊は烏合の衆に等しい。
だが、その事実をエドナは知る由もなく、その隊に勝利することはこの上ない栄誉となるだろう。
しかし、たかが神官一人に対する対価とするには、あまりにも大きすぎる犠牲なのではないか。
さすがのマリス侯も異を唱えようとした刹那、それに先んじるように女帝は口を開く。
「それだけじゃなくってよ。……あの子を差し出すわ」
女帝が言うあの子とは、すなわち誰か。
それを理解して、マリス侯は思わずおののき蒼ざめる。
マリス侯の内心の戦慄をよそに、女帝はおもむろに立ち上がると再び窓辺へと歩を進める。
そして垂れ絹越しに外の様子をうかがいながら、感情を押し殺したような声で低くつぶやいた。
「引き裂いてあげるの。私から盗み取った報いとして、引き裂いてあげるの。そう、二度と手の届かないように……」
言い終えると、女帝は声を立てて笑った。
室内には、女帝の乾いた笑い声が響く。
それはいつかのごとく、どこか常軌を逸したものだった。
が、マリス侯は何も言うこともできず、その場に立ちつくしていた。
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