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夜想曲
─29─謎
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司祭館を出てすぐ目前に見える大きな石造りの建物が、通称『死神の居城』だった。
すでに顔見知りになっている衛兵は、いつになく険しい表情のアルバートをわずかに首を傾げながらも通した。
あとは勝手知ったるなんとやらである。
ずんずんと歩を進めると、アルバートは突き当たりの一際大きな扉の前で足を止める。
その扉を叩こうとした時、内側からお入りください、と言う声が聞こえてきた。
『千里眼』は何でもお見通し、ということか。
やれやれと溜め息をついてから、アルバートは重い扉を押し開く。
果たしてそこにはロンドベルトともう一人、ヘラの姿があった。
これは軍事機密の会議中だったのかもしれない。
そう判断したアルバートは深々と頭を下げた。
「お取り込みのところ、失礼いたしました。改めます」
「その必要はありません。私も今から報告を受けるところでした。二度手間にならないから丁度良い」
戻ってきたのは想定外の言葉だった。
これは一体、どういうことなのだろうか。
疑問に思いながらもアルバートは後ろ手に扉を閉め、一歩室内に足を踏み入れると改めてロンドベルトとヘラに向けて一礼した。
それを受けるロンドベルトの顔には、わずかに笑みが浮かんでいる。
「頭数が揃ったところで副官殿、報告を聞こうか。あのお客人はどのような素性かな?」
その言葉にアルバートは顔を上げ、美しい副官を見つめる。
ヘラはうなずくと、手にしていた書類をロンドベルトの卓の上に置いた。
これは一体、と問いかけてくるようなロンドベルトに向かい、ヘラは簡潔に答えた。
「この通行許可証によると、名前はシエル・アルトール。ルウツ中央管区所属の修士となっています。膨大な量の書写を持っていたので、聖地巡礼の途中だったのは間違いないと思われます」
「書写と言ったが、その内容は?」
「あいにく古代語には暗くて……。ですが、苦労の結晶であるということはわかります」
そうか、とつぶやいてから、ロンドベルトは黒玻璃の瞳をアルバートに向けた。
今度は一体どんな無理難題を押し付けられるのだろうか。
思わず身構えるアルバートに、ロンドベルトは笑いながら言った。
「そう構えることはありませんよ、師団長殿。何を書写していたのかを見ていただきたいだけですから」
やはりそれか。
アルバートは心の中で溜め息をついた。
そんなアルバートの心中を知ってか知らずか、ロンドベルトはさらに言う。
「ところでお客人の様子はいかがです? |何分武骨な従軍医務官の処置は荒っぽいので」
荒っぽい以前の問題だろう。
そう思いつつも、それをおくびにも出さずアルバートは答えた。
「かなり衰弱しておられますが、命に別状はありません。先ほど一瞬、意識を取り戻されました」
「そうですか。直接話を聞くことは可能ですか?」
「無理です。少なくとも数日は充分な治療と休息が必要です」
それだけは譲れない。
アルバートはロンドベルトを正面から見据え、きっぱりと言い切った。
室内には張り詰めた空気と重い沈黙が流れる。
それを打ち破ったのは、ロンドベルトの方だった。
「わかりました。ではお客人……アルトール殿のことは師団長殿に一任します。……副官」
「はい」
「アルトール殿の荷物を司祭館へ。例の書写を見ていただくように」
「承知いたしました。師団長殿、申し訳ありませんが……」
「……わかりました」
その一瞬の間がアルバートの意思表示だった。
ささやかな抵抗である。
だが、それ以上どうすることもできない。
アルバートは一礼してその場を辞去し、ヘラのあとを追った。
室外に出、扉が閉じられるやいなや、ヘラは心底申し訳ないとでも言うように深々と頭を下げた。
戸惑いの表情を浮かべるアルバートに向かい、ヘラは小さな声で言った。
「本当に申し訳ありません。戻ってくるなり無理難題ばかりお願いしてしまって……」
『お願い』ではなくて『押し付け』だろう。
そう思ったものの、アルバートはさすがに口にはできなかった。
恐らくこの副官の行動も、ロンドベルトは計算しているのだろう。
嘆息をつきながらも、いいえ、と濁してからアルバートはヘラに問う。
「ところで書写とはどんな物でしょう。ただならぬ苦労の結晶とおっしゃっていましたが」
「こちらへどうぞ。見ていただければおわかりいただけると思います」
すぐ隣の部屋の扉を開きながらヘラは言う。
そこに置かれた机の上には巨大な鞄が鎮座し、そこからは紙の束が顔をのぞかせていた。
「これです。とても丁寧に書かれているのはわかるのですが……」
なるほど、とアルバートはそれを手に取った。
薄茶色の紙にはびっしりと古代文字が記されている。
一瞥するなりそれが何であるか理解して、アルバートは思わず口をつぐむ。
怪訝そうにこちらを見つめるヘラの視線に、アルバートは我に返った。
そして、表情そのままの固い声で答える。
「これは、『死者に捧げる祈りの書』ですね。原典をすべて写しています。分量からいって間違いないでしょう。ですが……」
一介の神官がどうしてこれを題材に選んだのか。
一体あの人は何者なのだろうか。
皆目見当もつかず、アルバートは首をひねる。
「ありがとうございます。では、後ほど司祭館へお持ちしますので……」
「いえ、それには及びません。私が持って行きましょう」
お手間をおかけして申し訳ありませんと再びヘラは頭を下げる。
いいえ、と答えながらアルバートは鞄を肩にかけた。
果たしてそれは、その人の今まで歩んで来た道を思わせるようにずっしりと重たく感じられた。
すでに顔見知りになっている衛兵は、いつになく険しい表情のアルバートをわずかに首を傾げながらも通した。
あとは勝手知ったるなんとやらである。
ずんずんと歩を進めると、アルバートは突き当たりの一際大きな扉の前で足を止める。
その扉を叩こうとした時、内側からお入りください、と言う声が聞こえてきた。
『千里眼』は何でもお見通し、ということか。
やれやれと溜め息をついてから、アルバートは重い扉を押し開く。
果たしてそこにはロンドベルトともう一人、ヘラの姿があった。
これは軍事機密の会議中だったのかもしれない。
そう判断したアルバートは深々と頭を下げた。
「お取り込みのところ、失礼いたしました。改めます」
「その必要はありません。私も今から報告を受けるところでした。二度手間にならないから丁度良い」
戻ってきたのは想定外の言葉だった。
これは一体、どういうことなのだろうか。
疑問に思いながらもアルバートは後ろ手に扉を閉め、一歩室内に足を踏み入れると改めてロンドベルトとヘラに向けて一礼した。
それを受けるロンドベルトの顔には、わずかに笑みが浮かんでいる。
「頭数が揃ったところで副官殿、報告を聞こうか。あのお客人はどのような素性かな?」
その言葉にアルバートは顔を上げ、美しい副官を見つめる。
ヘラはうなずくと、手にしていた書類をロンドベルトの卓の上に置いた。
これは一体、と問いかけてくるようなロンドベルトに向かい、ヘラは簡潔に答えた。
「この通行許可証によると、名前はシエル・アルトール。ルウツ中央管区所属の修士となっています。膨大な量の書写を持っていたので、聖地巡礼の途中だったのは間違いないと思われます」
「書写と言ったが、その内容は?」
「あいにく古代語には暗くて……。ですが、苦労の結晶であるということはわかります」
そうか、とつぶやいてから、ロンドベルトは黒玻璃の瞳をアルバートに向けた。
今度は一体どんな無理難題を押し付けられるのだろうか。
思わず身構えるアルバートに、ロンドベルトは笑いながら言った。
「そう構えることはありませんよ、師団長殿。何を書写していたのかを見ていただきたいだけですから」
やはりそれか。
アルバートは心の中で溜め息をついた。
そんなアルバートの心中を知ってか知らずか、ロンドベルトはさらに言う。
「ところでお客人の様子はいかがです? |何分武骨な従軍医務官の処置は荒っぽいので」
荒っぽい以前の問題だろう。
そう思いつつも、それをおくびにも出さずアルバートは答えた。
「かなり衰弱しておられますが、命に別状はありません。先ほど一瞬、意識を取り戻されました」
「そうですか。直接話を聞くことは可能ですか?」
「無理です。少なくとも数日は充分な治療と休息が必要です」
それだけは譲れない。
アルバートはロンドベルトを正面から見据え、きっぱりと言い切った。
室内には張り詰めた空気と重い沈黙が流れる。
それを打ち破ったのは、ロンドベルトの方だった。
「わかりました。ではお客人……アルトール殿のことは師団長殿に一任します。……副官」
「はい」
「アルトール殿の荷物を司祭館へ。例の書写を見ていただくように」
「承知いたしました。師団長殿、申し訳ありませんが……」
「……わかりました」
その一瞬の間がアルバートの意思表示だった。
ささやかな抵抗である。
だが、それ以上どうすることもできない。
アルバートは一礼してその場を辞去し、ヘラのあとを追った。
室外に出、扉が閉じられるやいなや、ヘラは心底申し訳ないとでも言うように深々と頭を下げた。
戸惑いの表情を浮かべるアルバートに向かい、ヘラは小さな声で言った。
「本当に申し訳ありません。戻ってくるなり無理難題ばかりお願いしてしまって……」
『お願い』ではなくて『押し付け』だろう。
そう思ったものの、アルバートはさすがに口にはできなかった。
恐らくこの副官の行動も、ロンドベルトは計算しているのだろう。
嘆息をつきながらも、いいえ、と濁してからアルバートはヘラに問う。
「ところで書写とはどんな物でしょう。ただならぬ苦労の結晶とおっしゃっていましたが」
「こちらへどうぞ。見ていただければおわかりいただけると思います」
すぐ隣の部屋の扉を開きながらヘラは言う。
そこに置かれた机の上には巨大な鞄が鎮座し、そこからは紙の束が顔をのぞかせていた。
「これです。とても丁寧に書かれているのはわかるのですが……」
なるほど、とアルバートはそれを手に取った。
薄茶色の紙にはびっしりと古代文字が記されている。
一瞥するなりそれが何であるか理解して、アルバートは思わず口をつぐむ。
怪訝そうにこちらを見つめるヘラの視線に、アルバートは我に返った。
そして、表情そのままの固い声で答える。
「これは、『死者に捧げる祈りの書』ですね。原典をすべて写しています。分量からいって間違いないでしょう。ですが……」
一介の神官がどうしてこれを題材に選んだのか。
一体あの人は何者なのだろうか。
皆目見当もつかず、アルバートは首をひねる。
「ありがとうございます。では、後ほど司祭館へお持ちしますので……」
「いえ、それには及びません。私が持って行きましょう」
お手間をおかけして申し訳ありませんと再びヘラは頭を下げる。
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