上 下
73 / 132
夜想曲

─25─ささやかな反撃

しおりを挟む
 日はすでに西へ傾き、夕闇はすぐそこまで迫っていた。
 そんな中、シエルはただひたすら旧道を走り続けていた。
 時折すれ違う人の顔には、等しく疲れた表情が浮かんでいる。

 間に合ってくれ。

 そう思いながらふと、彼の脳裏をある疑問がかすめた。
 果たして自分はどうしようというのだろう。
 見捨てる訳にはいかない、そう啖呵を切って走り出した自分に一体何ができるのだろう。
 迫り来る敵軍を前に、自分一人ではさしたる戦力にならないのは、火を見るよりも明らかだ。
 けれど……。
 その時、風向きが変わった。
 向かい風に乗って運ばれてきたのは、彼の体に染み付いて離れない匂いだった。
 そう、土埃と鉄臭さが入り混じったあの匂い。
 シエルの足が早くなる。
 生い茂る木々の中を抜け開けた視界の先に広がったのは、変わり果てた村の姿。
 それは戦場と言う名の地獄絵図だった。

 崩れた家。
 燃え盛る畑。
 そして、倒れ伏す人々の群。
 上空には、猛禽が何かを狙うかのようにぐるぐると飛び回っている。
 日が完全に沈む頃には、夜行性の肉食獣がやって来るのだろう。

 今まで自分が築き上げ、長らくその身を置いてきた場所。
 にも関わらずそれを目の前にして、彼は震えていた。
 立つこともおぼつかず思わずその場に膝をつく。
 虚ろに見開かれた瞳から光る物が流れ落ち、その口からはかすれた声が漏れた。

「そんな……馬鹿な……」

 伝え聞くところ、ロンドベルト・トーループは根っからの武人。
 その人が、武器を取ったことの無い村人達をここまで叩き潰すとは一体どういうことか。
 そこまで考えを巡らせた時、シエルは我に返った。
 背後から人の気配がする。
 腰の短剣に手をかけつつ振り返ると、そこには黒衣に身を固めた二人の人影があった。

「き……貴様何者だ! こんな所で何をしている?」

 全く予想のつかなかった来訪者に、驚いたような敵兵。
 そんな彼らにをぎっと睨みつけながらシエルは言った。

「何が……何が軍神だ! お前ら、自分達が一体何をしたのかわかっているのか?」

 その声はさして大きくはなかったが、戦勝に酔った彼らの感情に水をさすには充分なものだった。

「何者だ! 巡礼者……神官には関係無いことだろう!」

 ゆらり、とシエルは足を踏み出した。
 ただならぬ威圧感を感じたのだろう。彼らはさっと後ずさった。
 彼らが武器を取るよりも早く、シエルは短剣を抜きその手を一閃させる。
 銀色の光が弧を描く。
 同時に鮮やかな朱が空中に舞った。
 残されたのは、反撃の機会すら与えられず首筋から血を吹き上げ草むらに沈む二つの死体。
 その時、異変を察知した黒衣の集団がわらわらと姿を現した。
 無意識のうちにシエルは、死体の脇に転がる長剣を拾い上げると、流れるような所作でそれを構える。
 その身から立ち上るのは、幾度も死線を越えてきた者だけが持つ殺意。
 思わずひるんだところに、一瞬の隙が生じる。
 それをシエルは見逃さなかった。
 すい、と踏み出すなり構えた長剣を水平になぐ。
 同時に低い姿勢を保ったまま大地を蹴った。
 一つ、二つ、三つ。
 すれ違うたび返り血を浴び、両脇に屍の山を築いていくシエル。
 その姿は文字通り鬼神のようだった。
 接近戦ではかなわない。
 そう理解した黒衣の集団は、その周囲を取り囲みながら手を出しあぐねていた。
 槍を構えた一団がじりじりとその包囲網を狭めていく。
 その切っ先がシエルの喉元に届こうとした、まさにその時だった。
 肩口に、激痛が走った。
 見ると衣服は紅に染まり、黒い羽根の矢がそこに突き立っていた。
 同時に冷たい声が響く。

「援軍か。ずいぶんと遅い到着だな」

 その声に、緊張が走った。
 何事かとシエルは痛みに耐えながら剣を引く。
 漆黒の中から現れたのは、さらに深い闇だった。
 黒い髪に黒い瞳を持つ長身の男。
 言われなくともそれが誰かわかる。
 エドナの軍神、またの名を黒衣の死神。
 そう、ロンドベルト・トーループその人だ。
 自分を見つめてくるその瞳に、シエルは何か違和感を覚えた。
 冷たい光をたたえたその瞳は確かにこちらに向けられているのだが、どこかその焦点が合っていないのだ。

 もしかしたら、この人の目は……。

 ふとそんなことを思った時、低い声が沈黙を揺らした。

「援軍ではなくて神官か。ルウツは早々に敗戦を認め、弔いの祈りを捧げようという訳か」

 その言葉に、シエルの中で何かが切れた。
 藍色の瞳で死神をぎっと睨み返す。
 と、黒玻璃の瞳に戸惑いの色が浮かんで消えた。

「何が……何が軍神だ! ここで死んだのは戦と無関係な農民だ! お前は軍神なんかじゃない。血まみれの死神だ!」

 まさに掴みかからんとするシエルの勢いに、一斉に槍の穂先が突き付けられ、再び張り詰めた空気が場を支配する。
 が、それを破ったのはやはりロンドベルトだった。

「なるほど。確かにその通りかもしれないな。が、悲しいかなエドナには誰一人真実を口にする者はいない」

 はっとシエルは息を飲んだ。
 ロンドベルトの顔には苦笑いが浮かんでいる。
 何か言い返そうとした時、ロンドベルトはすでに踵を返し命令を下していた。

「なかなか面白いことを言われる御仁だ。ぜひともゆっくりと話しがしたい。……この方をアレンタにお連れしろ。くれぐれも丁重にな」

「まて! 俺は……!」

 シエルは歩み出そうとするが、押し寄せる人垣と矢傷という二重の枷の前には無力だった。
 気が付けば彼は大地に組み伏され、乱暴に猿ぐつわを咬ませられ、鈍い痛みと共に後ろ手に縛り上げられていた。

 何が無紋の勇者だ。

 その思考を最後に、シエルの意識は遠のいていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

転生墓守は伝説騎士団の後継者

深田くれと
ファンタジー
 歴代最高の墓守のロアが圧倒的な力で無双する物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

結婚してるのに、屋敷を出たら幸せでした。

恋愛系
恋愛
屋敷が大っ嫌いだったミア。 そして、屋敷から出ると決め 計画を実行したら 皮肉にも失敗しそうになっていた。 そんな時彼に出会い。 王国の陛下を捨てて、村で元気に暮らす! と、そんな時に聖騎士が来た

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...