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夜想曲
─18─別れ
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視界の先に見えてきた小さな家の煙突からは、白い煙が立ち上っている。
何事かとテッドは固い表情を浮かべ扉を押し開く。
が、すぐにそれは安堵の笑みに変わった。
「母さん! 起きて大丈夫なの? もう少し寝てたほうが……」
「お客様を放り出してそうもいかないでしょう?」
そう言う女性は顔色も良く、もうすっかり回復しているように見える。
喜びを隠そうともせずに、テッドはかたわらに立つシエルに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! なんてお礼をしたらいいか……」
「俺は何もしちゃいない。お母上の治ろうとする意志の力さ」
素っ気なく言ってから、シエルはテッドの母に向き直る。
「無断で押しかけた上、食事に宿まで提供していただき感謝します。この上は……」
「人は一人では生きていけないものですよ。たとえどんなに知恵を身に付けたとしても。この子も今回の件で、良くわかったと思いますよ」
微笑む女性に、テッドはばつが悪そうに頭をかく。
あの時あの森でシエルに出会わなければ、毒草を母に飲ませていたかもしれなかったのだから。
一方のシエルも、どこか照れくさそうに視線を泳がせた。
そんな二人の様子を前に女性はさらに笑うと、朝食の準備はできていますよ、と言いながら机に皿を並べ始める。
テッドは弾かれるようにそれを手伝い始め、残されたシエルは所在無げに戸口に立ち尽くしていたが、足元に異変を感じ視線を落とした。
すると、いつの間にか毛糸玉が転がっている。
「お前は本当に現金だな。食い終わったらすぐそっぽを向くくせに」
その言葉の意味を理解しているかのように、毛糸玉は一声にゃあと鳴いた。
憮然として毛糸玉を見下ろすシエル。そうこうするうちに、朝餉の支度はすっかり整っていた。
どうぞこちらへと言うテッドに、シエルは小皿を一枚持ってきてくれるよう所望した。
差し出された皿にシエルは自らのスープを注ぎ分け、パンをちぎってそこに浸し、珍しく行儀良く座っている毛糸玉の前に置いた。
別に用意するのに、と言うテッドに彼は少し厳しい表情を浮かべる。
「俺は押しかけ者だ。得体のしれない招かれざる客の、しかも野良に近い飼い猫に、貴重な食料を分けるなんて奴がどこにいる?」
確かに正論だった。
しゅんとしてうなだれるテッドをよそに、毛糸玉は黙々と食べ始める。
気まずい雰囲気を押し流したのは、穏やかな女性の一言だった。
「お気遣いありがとうございます。でも、息子はそれだけあなたを信頼しているということですよ。お気に障りましたら申し訳ありません」
向けられた暖かい笑顔。
それを受け止めかねて、表情を隠すようにシエルはうつむいた。
そのまま席につき、低い声で祈りの言葉をつぶやいてからパンを取り静かに口へ運び始める。
そんな神官の様子に母子は顔を見合わせると、彼に習うように手を合わせ祈りを唱えると、各々食事を取り始めた。
すべての皿が空になった時、改めてシエルは宿と食事に対する謝意を母子に述べる。
しかし二人は逆に深々と頭を垂れた。
「お礼を申し上げなければならないのは、こちらの方です。お陰様ですっかり……。旅の安全を、心からお祈り申し上げます」
「良ければ途中まで案内させてください。村から街道までは少し離れてますし、それに……」
言いかけてテッドは口をつぐむ。
いぶかしげにシエルは首を傾げたが、ややあってから荷物を取って来ると言って家を出て行った。
あわててテッドはそのあとを追う。
納屋の前で転がる毛糸玉をなでながら待つことしばし。
扉が開き、現れたシエルの姿にテッドは言葉を失った。
やや毛羽立ったフード付きマントを頭からすっぽりと被り、その間から鋭い藍色の瞳が隙なくこちらをうかがっている。
経典の写しが入っているという大きな鞄も手伝って、その出で立ちは見るからに怪しい。
が、それを一番理解しているのはどうやら当の本人のようだった。
「……だから言っただろ? 暗いあの時に出て行く、と」
無理矢理引き止めてしまったことを、テッドは正直後悔した。
が、今更それを言ってみても仕方がない。
せめて無事に聖地に着いてもらわなければ。
テッドは立ち上がると、先に立って歩き始めた。
村人達はすでに収穫をあきらめてしまったのだろうか、畑に出ている人の姿はまったく見られない。
寒風が吹きすさぶ中、二人と一匹は言葉無く歩き続ける。
昨日彼らが出会った村外れの森にさしかかったところで、おもむろにシエルの方が口を開いた。
「ここまででいい。……旧街道に出るには、この森を突っ切ればいいんだろ?」
「旧街道ですか? でも、最近は通る人もほとんどなくて、宿も店も無いですよ」
何よりも遠回りになる、そう言うテッドに、シエルはわずかに笑う。
「物見遊山で行く旅じゃなくて、巡礼だ。そう簡単に着く道を選んだら、何より修行にも償いにもならないような気がして……」
だから、旧街道で行くくらいが丁度いい。
静かに告げるシエルを前にして、テッドはふと朝の一件を思い出した。
一体この人は、何を背負っているのだろうか。
計りかねてテッドはまじまじとシエルを見つめる。
謎の神官は、その視線の先で微笑を浮かべている。
いたたまれなくなって、テッドは思わず口を開いた。
「それも罰なんですか? どうしてそんな……」
「終わってしまったことを蒸し返しても仕方がない。今俺にできるのは、すべてを背負って受け入れることだけだ」
本当に世話になった。
そう付け加えると、シエルは森に向かい歩み出す。
次第に小さくなっていくその後ろ姿に、テッドは精一杯叫んだ。
「必ず……必ず無事聖地に着いてください! 帰りにまた寄ってください! 僕も母さんも待ってます。だから……」
その時、テッドは言葉を失った。
豆粒ほどの大きさになったシエルの右手が、わずかに上がったような気がしたからだ。
豆粒から胡麻粒へ。そして完全にその姿が森の中へ溶けてしまうまで、テッドはその場に立ち尽くしていた。
何事かとテッドは固い表情を浮かべ扉を押し開く。
が、すぐにそれは安堵の笑みに変わった。
「母さん! 起きて大丈夫なの? もう少し寝てたほうが……」
「お客様を放り出してそうもいかないでしょう?」
そう言う女性は顔色も良く、もうすっかり回復しているように見える。
喜びを隠そうともせずに、テッドはかたわらに立つシエルに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! なんてお礼をしたらいいか……」
「俺は何もしちゃいない。お母上の治ろうとする意志の力さ」
素っ気なく言ってから、シエルはテッドの母に向き直る。
「無断で押しかけた上、食事に宿まで提供していただき感謝します。この上は……」
「人は一人では生きていけないものですよ。たとえどんなに知恵を身に付けたとしても。この子も今回の件で、良くわかったと思いますよ」
微笑む女性に、テッドはばつが悪そうに頭をかく。
あの時あの森でシエルに出会わなければ、毒草を母に飲ませていたかもしれなかったのだから。
一方のシエルも、どこか照れくさそうに視線を泳がせた。
そんな二人の様子を前に女性はさらに笑うと、朝食の準備はできていますよ、と言いながら机に皿を並べ始める。
テッドは弾かれるようにそれを手伝い始め、残されたシエルは所在無げに戸口に立ち尽くしていたが、足元に異変を感じ視線を落とした。
すると、いつの間にか毛糸玉が転がっている。
「お前は本当に現金だな。食い終わったらすぐそっぽを向くくせに」
その言葉の意味を理解しているかのように、毛糸玉は一声にゃあと鳴いた。
憮然として毛糸玉を見下ろすシエル。そうこうするうちに、朝餉の支度はすっかり整っていた。
どうぞこちらへと言うテッドに、シエルは小皿を一枚持ってきてくれるよう所望した。
差し出された皿にシエルは自らのスープを注ぎ分け、パンをちぎってそこに浸し、珍しく行儀良く座っている毛糸玉の前に置いた。
別に用意するのに、と言うテッドに彼は少し厳しい表情を浮かべる。
「俺は押しかけ者だ。得体のしれない招かれざる客の、しかも野良に近い飼い猫に、貴重な食料を分けるなんて奴がどこにいる?」
確かに正論だった。
しゅんとしてうなだれるテッドをよそに、毛糸玉は黙々と食べ始める。
気まずい雰囲気を押し流したのは、穏やかな女性の一言だった。
「お気遣いありがとうございます。でも、息子はそれだけあなたを信頼しているということですよ。お気に障りましたら申し訳ありません」
向けられた暖かい笑顔。
それを受け止めかねて、表情を隠すようにシエルはうつむいた。
そのまま席につき、低い声で祈りの言葉をつぶやいてからパンを取り静かに口へ運び始める。
そんな神官の様子に母子は顔を見合わせると、彼に習うように手を合わせ祈りを唱えると、各々食事を取り始めた。
すべての皿が空になった時、改めてシエルは宿と食事に対する謝意を母子に述べる。
しかし二人は逆に深々と頭を垂れた。
「お礼を申し上げなければならないのは、こちらの方です。お陰様ですっかり……。旅の安全を、心からお祈り申し上げます」
「良ければ途中まで案内させてください。村から街道までは少し離れてますし、それに……」
言いかけてテッドは口をつぐむ。
いぶかしげにシエルは首を傾げたが、ややあってから荷物を取って来ると言って家を出て行った。
あわててテッドはそのあとを追う。
納屋の前で転がる毛糸玉をなでながら待つことしばし。
扉が開き、現れたシエルの姿にテッドは言葉を失った。
やや毛羽立ったフード付きマントを頭からすっぽりと被り、その間から鋭い藍色の瞳が隙なくこちらをうかがっている。
経典の写しが入っているという大きな鞄も手伝って、その出で立ちは見るからに怪しい。
が、それを一番理解しているのはどうやら当の本人のようだった。
「……だから言っただろ? 暗いあの時に出て行く、と」
無理矢理引き止めてしまったことを、テッドは正直後悔した。
が、今更それを言ってみても仕方がない。
せめて無事に聖地に着いてもらわなければ。
テッドは立ち上がると、先に立って歩き始めた。
村人達はすでに収穫をあきらめてしまったのだろうか、畑に出ている人の姿はまったく見られない。
寒風が吹きすさぶ中、二人と一匹は言葉無く歩き続ける。
昨日彼らが出会った村外れの森にさしかかったところで、おもむろにシエルの方が口を開いた。
「ここまででいい。……旧街道に出るには、この森を突っ切ればいいんだろ?」
「旧街道ですか? でも、最近は通る人もほとんどなくて、宿も店も無いですよ」
何よりも遠回りになる、そう言うテッドに、シエルはわずかに笑う。
「物見遊山で行く旅じゃなくて、巡礼だ。そう簡単に着く道を選んだら、何より修行にも償いにもならないような気がして……」
だから、旧街道で行くくらいが丁度いい。
静かに告げるシエルを前にして、テッドはふと朝の一件を思い出した。
一体この人は、何を背負っているのだろうか。
計りかねてテッドはまじまじとシエルを見つめる。
謎の神官は、その視線の先で微笑を浮かべている。
いたたまれなくなって、テッドは思わず口を開いた。
「それも罰なんですか? どうしてそんな……」
「終わってしまったことを蒸し返しても仕方がない。今俺にできるのは、すべてを背負って受け入れることだけだ」
本当に世話になった。
そう付け加えると、シエルは森に向かい歩み出す。
次第に小さくなっていくその後ろ姿に、テッドは精一杯叫んだ。
「必ず……必ず無事聖地に着いてください! 帰りにまた寄ってください! 僕も母さんも待ってます。だから……」
その時、テッドは言葉を失った。
豆粒ほどの大きさになったシエルの右手が、わずかに上がったような気がしたからだ。
豆粒から胡麻粒へ。そして完全にその姿が森の中へ溶けてしまうまで、テッドはその場に立ち尽くしていた。
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