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夜想曲
─16─手配書
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焼きしめたパンと干し肉を両手に抱え家路を急ぐテッドの表情は、家が近づくにつれ次第に暗くなっていた。
原因は他でもない、恩人の神官だった。
先ほど店先で、常ならば無愛想な店主が品物を物色する彼に珍しく手招きしてきたのである。
何事かと首をかしげるテッドに、店主は声をひそめて話し出した。
「昨日、領主様のお使いがこんなものを置いていったんだ」
言いながら店主は、卓の上に一枚の紙を置く。
覗き込んだテッドは、思わず息を飲み込んだ。
それは紛れもなく、皇帝直々の指名手配書だったからである。
「何でも皇都から逃げ出した罪人らしい。見覚えはないかい?」
そこに描かれていたのは、若い男だった。
真正面を鋭く睨み付けるその顔は、テッドの恩人であるあの人に良く似ていた。
そんなはずがない。
頭の中で否定するテッドに、店主は更に続ける。
「しかしまあ、何だな。皇帝陛下に逆らうなんざ、若いとは言えとんでもねえ奴だ。見つけて通報すれば、大層なご褒美をくれるらしい。お前も机にかじりついてばかりいないで、探してみたらどうだい?」
その後も延々と店主は何やらしゃべっていたが、どういう会話をしたのか覚えていない。
家に戻る道すがら、テッドは必死に自分へ言い聞かせていた。
世の中は、広い。
同じような背格好の人など、たくさんいる。
現にあの人は、『無紋の勇者』と呼ばれる人と同じ目の色、髪の色をしているが、まったく違う名前を名乗ったじゃないか。
だが、人相描きの男が脳裏にこびり付いて離れない。
もやもやした思いにとらわれながら帰り着いたテッドは、静かに扉を開いた。
暖炉の炎は既に消え、室内はうすら寒くなっていた。
母は久しぶりに安らかな寝息をたてて眠っている。
おそらくあの薬草が効いているのだろう。
起こさないよう細心の注意を払って火をおこし、具が少ない塩辛いスープを温め、パンを切り肉を挟む。
温まったスープを三枚の皿に注ぎ分けると、テッドはランプを掲げ、はやる気持ちを抑え納屋へと向かった。
母屋よりも更に薄暗いそこに、客人はいた。
藁の寝台に、まるで主のように転がっている毛糸玉を気にするでもなく、大量の紙の束を見つめている。
が、テッドの気配に気付いたのか、シエルはすぐに顔を上げた。
「何を見ているんですか? 」
好奇心に抗うことができず、テッドは恐る恐る近付くと、遠慮がちに尋ねる。
額にかかる長いセピア色の前髪をうるさげにかきあげながら、シエルはそれを広げて見せる。
と、そこにはテッドが見たことの無いような文字が、ミミズのようにはいずっていた。
「古代語で書かれた経典の写しだ」
これを聖地に納めるため巡礼に出た。
そう言うシエルと写しを、テッドは代わる代わる見つめた。
「お一人で全部写したんですか? 」
テッドの問いに、シエルは苦笑を浮かべながらうなずく。
「片手間でやってたから、一冊写すのに三年近くもかかった。まあ、こんなことをやってみても、俺に神官の適性が無いのは変わりないけれど」
「そんなこと……。でもこれは、一体何が書いてあるんですか?」
ランプの明かりの下で、テッドは几帳面な筆致で書かれた文字を目で追う。
「……『死者に捧げる祈りの書』だ。まあ、気休めか、自己満足と言われればそれまでだけど」
それよりも何か用か、と聞かれて、テッドはあわてて顔を上げ、食事の用意が整ったと告げた。
ありがとうと答えて、シエルは紙の束を鞄の中へとしまう。
転がる毛糸玉を抱き上げると、無駄の無い所作で立ち上がった。
その様子は神官でなくて、まるで……。
再び湧き上がってきた不安を、テッドは振り落とす。
そして母屋へ一人と一匹を案内した。
結局テッドは、暗い疑問を口に出すことができなかった。
※
嵐のような一日の翌朝、テッドは目が覚めるなり母の様子をうかがうと、未だ穏やかな寝息を立てていた。
机の上には、薬草を煎じた薬で満たされた椀がのっている。
昨日のことは夢ではなかった。
と、テッドはあることを思い出した。
他でもない、あの人相描きである。
はたしてあの人が村人の目についたら、大変なことになるだろう。
テッドはおぼつかない足取りで客人がいるはずの納屋へと急いだ。
息を整えてから閉ざされた扉を叩き、返事を待つのももどかしく力任せに押し開いた。
「シエルさ……ま? 」
薄暗い室内に、シエルの姿はない。
昨日テッドが作った藁の寝台の上には、真っ黒な猫が転がっている。
膨れた鞄は置きっぱなしになっているので、出発してしまったわけではなさそうだ。
安堵の息をついてから、テッドは考えをめぐらす。
「まさか……」
思わず声を上げるテッド。
それに答えるかのように、毛糸玉の耳がぴくりと動いた。
黒い毛糸玉は背を丸め大きく伸びてからあくびをし、金色に光る瞳でちらとテッドを見てから、何事もなかったかのように毛繕いを始めた。
「お前、そんなことしてる場合じゃないだろ? ご主人がいなくなったんだぞ」
やれやれとため息をついてから、テッドはくるりと回れ右をして納屋を走り出た。
原因は他でもない、恩人の神官だった。
先ほど店先で、常ならば無愛想な店主が品物を物色する彼に珍しく手招きしてきたのである。
何事かと首をかしげるテッドに、店主は声をひそめて話し出した。
「昨日、領主様のお使いがこんなものを置いていったんだ」
言いながら店主は、卓の上に一枚の紙を置く。
覗き込んだテッドは、思わず息を飲み込んだ。
それは紛れもなく、皇帝直々の指名手配書だったからである。
「何でも皇都から逃げ出した罪人らしい。見覚えはないかい?」
そこに描かれていたのは、若い男だった。
真正面を鋭く睨み付けるその顔は、テッドの恩人であるあの人に良く似ていた。
そんなはずがない。
頭の中で否定するテッドに、店主は更に続ける。
「しかしまあ、何だな。皇帝陛下に逆らうなんざ、若いとは言えとんでもねえ奴だ。見つけて通報すれば、大層なご褒美をくれるらしい。お前も机にかじりついてばかりいないで、探してみたらどうだい?」
その後も延々と店主は何やらしゃべっていたが、どういう会話をしたのか覚えていない。
家に戻る道すがら、テッドは必死に自分へ言い聞かせていた。
世の中は、広い。
同じような背格好の人など、たくさんいる。
現にあの人は、『無紋の勇者』と呼ばれる人と同じ目の色、髪の色をしているが、まったく違う名前を名乗ったじゃないか。
だが、人相描きの男が脳裏にこびり付いて離れない。
もやもやした思いにとらわれながら帰り着いたテッドは、静かに扉を開いた。
暖炉の炎は既に消え、室内はうすら寒くなっていた。
母は久しぶりに安らかな寝息をたてて眠っている。
おそらくあの薬草が効いているのだろう。
起こさないよう細心の注意を払って火をおこし、具が少ない塩辛いスープを温め、パンを切り肉を挟む。
温まったスープを三枚の皿に注ぎ分けると、テッドはランプを掲げ、はやる気持ちを抑え納屋へと向かった。
母屋よりも更に薄暗いそこに、客人はいた。
藁の寝台に、まるで主のように転がっている毛糸玉を気にするでもなく、大量の紙の束を見つめている。
が、テッドの気配に気付いたのか、シエルはすぐに顔を上げた。
「何を見ているんですか? 」
好奇心に抗うことができず、テッドは恐る恐る近付くと、遠慮がちに尋ねる。
額にかかる長いセピア色の前髪をうるさげにかきあげながら、シエルはそれを広げて見せる。
と、そこにはテッドが見たことの無いような文字が、ミミズのようにはいずっていた。
「古代語で書かれた経典の写しだ」
これを聖地に納めるため巡礼に出た。
そう言うシエルと写しを、テッドは代わる代わる見つめた。
「お一人で全部写したんですか? 」
テッドの問いに、シエルは苦笑を浮かべながらうなずく。
「片手間でやってたから、一冊写すのに三年近くもかかった。まあ、こんなことをやってみても、俺に神官の適性が無いのは変わりないけれど」
「そんなこと……。でもこれは、一体何が書いてあるんですか?」
ランプの明かりの下で、テッドは几帳面な筆致で書かれた文字を目で追う。
「……『死者に捧げる祈りの書』だ。まあ、気休めか、自己満足と言われればそれまでだけど」
それよりも何か用か、と聞かれて、テッドはあわてて顔を上げ、食事の用意が整ったと告げた。
ありがとうと答えて、シエルは紙の束を鞄の中へとしまう。
転がる毛糸玉を抱き上げると、無駄の無い所作で立ち上がった。
その様子は神官でなくて、まるで……。
再び湧き上がってきた不安を、テッドは振り落とす。
そして母屋へ一人と一匹を案内した。
結局テッドは、暗い疑問を口に出すことができなかった。
※
嵐のような一日の翌朝、テッドは目が覚めるなり母の様子をうかがうと、未だ穏やかな寝息を立てていた。
机の上には、薬草を煎じた薬で満たされた椀がのっている。
昨日のことは夢ではなかった。
と、テッドはあることを思い出した。
他でもない、あの人相描きである。
はたしてあの人が村人の目についたら、大変なことになるだろう。
テッドはおぼつかない足取りで客人がいるはずの納屋へと急いだ。
息を整えてから閉ざされた扉を叩き、返事を待つのももどかしく力任せに押し開いた。
「シエルさ……ま? 」
薄暗い室内に、シエルの姿はない。
昨日テッドが作った藁の寝台の上には、真っ黒な猫が転がっている。
膨れた鞄は置きっぱなしになっているので、出発してしまったわけではなさそうだ。
安堵の息をついてから、テッドは考えをめぐらす。
「まさか……」
思わず声を上げるテッド。
それに答えるかのように、毛糸玉の耳がぴくりと動いた。
黒い毛糸玉は背を丸め大きく伸びてからあくびをし、金色に光る瞳でちらとテッドを見てから、何事もなかったかのように毛繕いを始めた。
「お前、そんなことしてる場合じゃないだろ? ご主人がいなくなったんだぞ」
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