上 下
56 / 132
夜想曲

─8─凍てつく皇都

しおりを挟む
 失った物の大きさは、失ってから初めてわかる。
 木枯らしが吹き周囲を取り巻く風景が白黒に変わる頃、ユノー・ロンダートはその思いを強くしていた。
 皇都を包む冬の冷え切った空気が、彼に冷静な判断力を取り戻させていたのである。

 『無紋の勇者』と讃えられ、絶対の信頼を集めていたあの人が姿を消してから約半月。
 事実を突然目前に突き付けられ、言われるがままに常勝軍団『蒼の隊』を引き継いだ彼だったが、日が経つにつれて自らの行為を後悔していた。
 どう考えてみても、自分にはあの人のような実力も実績も人望も無い。
 それを一番理解していたのは、他ならないユノー自身なのだから。

──オレ達は捨てられたんだ。なあ、坊ちゃん、そう思わないか?──

 直後に蒼の隊の副将に任ぜられたロー・シグマは、真実を知らされると酒で満たされた杯を勢い良く煽るなりそう言い捨てた。
 そして、ユノーもそれに返す言葉を持たなかった。
 家柄は、掃いて捨てるほどある下級騎士。
 軍歴はと言えば、初陣を生き残っただけのひよっ子以下。
 そんな自分に、歴戦の猛者達が命を委ねるはずがない。
 不敗の勇者という最大の砦を失った今、ルウツ皇国の実情を知る者達は何事も起こらぬよう祈りつつ、凍てついた冬そのままに息を潜めていた。
 そんな中ユノーは、安息日を除いてほぼ毎日、様々な思惑の坩堝るつぼである皇宮に足を運んでいた。
 皇帝近侍の『朱の隊』が使う、皇宮内の練兵場に。

「遅いぞ! 一体どこで油を売っていたんだ?」

 鋭い女性の声が、ユノーの耳朶じだを打った。
 これもいつものことである。
 殿下の剣のお相手を勤めるのは名誉あることだが、決して楽なことではない。
 そう思いながら、彼は目の前に立つ美しい女性に深々と頭を垂れた。

「申し訳ありません。門兵と衛兵に何度も止められてしまって……」

「毎日通い始めて、どれだけ経つ? そんなはずがあるか! ……いっそのこと、近衛の官舎に住むか?」

 言いながら皇帝の妹姫ミレダ・ルウツは、緩やかに波打った長い赤茶色の髪をかき上げた。
 他ならない、ユノーにすべての厄介事を押し付けた張本人が、この人である。
 宝石のように光る青緑色の瞳を向けられて、一瞬彼は身を固くした。
 けれど、やんごとない身分のミレダに向かい、包み隠さず本心を言う訳にもいかない。

「いいえ、とんでもありません。ただでさえもったいないくらい目をかけて頂いているのに、これ以上恐れ多いことは……」

 必死に言葉を選びながら、ユノーはやんわりと『ありがたい申し出』を断る。
 果たしてその内心を知ってか知らずか、妹姫はそうか、とうなずくとおもむろに切り出した。

「奴が見込んだだけのことはあって、本当にお前は飲み込みが早い。あながち初陣を生きて帰ったのも、運だけではないだろうな。師匠様も驚いておられたぞ」

 そう。
 つい先日、あの人とミレダの剣術の師である神官騎士団長アンリ・ジョセがふらりと姿を見せた折り、短時間ではあるが手ずからユノーに稽古をつけてくれたのである。

 成人し、初陣を飾ってから、ユノーの人生は大きく狂った。
 それが好転なのか暗転なのかは定かではない。
 が、これだけは確かである。
 すべての出来事には、皮肉なことにあの人が絡んでいた。
 幸か不幸か、はたまたあの人の影響なのか、多少の事では驚かなくはなってきたものの、ユノーはまだ完全に物事に順応しきれていないことを自覚していた。
 けれど、これ以上殿下に不快な思いをさせる訳にはいかない。
 ため息をつきながらも顔を上げると、目の前に立つミレダはすでに自らの剣を構えていた。
 我に返ったユノーはあわただしく剣を抜き、未だどこかおぼつかない所作でそれを構えた。
 底冷えする練兵場で、やんごとなき人と剣を合わせることしばし。
 金属のぶつかる音が響くたび、火花が散る。
 上気した顔には、いつしかじんわりと汗が浮かぶ。
 いつものように一方的に打ち込まれ、防戦一方になるユノー。
 ついにはその剣は手を離れ、彼方へと飛ばされた。

「申し訳ありません! すぐに……」

 ミレダの雷が落ちる前にユノーは一礼すると、練兵場の外れまで飛ばされた剣を拾いに走った。
 ようやく剣のところまでたどり着きいたユノーの目の前で、突如現れた人物がおもむろにそれを拾い上げた。

「ありがとうございます……」

 差し出された剣を受け取ろうとして、ユノーは言葉を失った。
 にっこりと笑いながら剣を差し出すその青年の顔を見たからだ。
 肩に届く赤茶色の巻き毛に、青緑色の瞳。
 その容姿は今まで手合わせをしていたミレダに酷似していた。
 思わず固まるユノーに、その人は穏やかな口調で語りかける。

「ずいぶんご熱心ですね」

 その言葉に我に返ったユノーは、改めて謝意を伝えて剣を受け取った。
 刹那、背後からミレダの不機嫌そうな声が聞こえてくる。

「従兄殿? 何でこんなところに? 邪魔をしないでくれないか?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

転生墓守は伝説騎士団の後継者

深田くれと
ファンタジー
 歴代最高の墓守のロアが圧倒的な力で無双する物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

結婚してるのに、屋敷を出たら幸せでした。

恋愛系
恋愛
屋敷が大っ嫌いだったミア。 そして、屋敷から出ると決め 計画を実行したら 皮肉にも失敗しそうになっていた。 そんな時彼に出会い。 王国の陛下を捨てて、村で元気に暮らす! と、そんな時に聖騎士が来た

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...