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夜想曲
─8─凍てつく皇都
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失った物の大きさは、失ってから初めてわかる。
木枯らしが吹き周囲を取り巻く風景が白黒に変わる頃、ユノー・ロンダートはその思いを強くしていた。
皇都を包む冬の冷え切った空気が、彼に冷静な判断力を取り戻させていたのである。
『無紋の勇者』と讃えられ、絶対の信頼を集めていたあの人が姿を消してから約半月。
事実を突然目前に突き付けられ、言われるがままに常勝軍団『蒼の隊』を引き継いだ彼だったが、日が経つにつれて自らの行為を後悔していた。
どう考えてみても、自分にはあの人のような実力も実績も人望も無い。
それを一番理解していたのは、他ならないユノー自身なのだから。
──オレ達は捨てられたんだ。なあ、坊ちゃん、そう思わないか?──
直後に蒼の隊の副将に任ぜられたロー・シグマは、真実を知らされると酒で満たされた杯を勢い良く煽るなりそう言い捨てた。
そして、ユノーもそれに返す言葉を持たなかった。
家柄は、掃いて捨てるほどある下級騎士。
軍歴はと言えば、初陣を生き残っただけのひよっ子以下。
そんな自分に、歴戦の猛者達が命を委ねるはずがない。
不敗の勇者という最大の砦を失った今、ルウツ皇国の実情を知る者達は何事も起こらぬよう祈りつつ、凍てついた冬そのままに息を潜めていた。
そんな中ユノーは、安息日を除いてほぼ毎日、様々な思惑の坩堝である皇宮に足を運んでいた。
皇帝近侍の『朱の隊』が使う、皇宮内の練兵場に。
「遅いぞ! 一体どこで油を売っていたんだ?」
鋭い女性の声が、ユノーの耳朶を打った。
これもいつものことである。
殿下の剣のお相手を勤めるのは名誉あることだが、決して楽なことではない。
そう思いながら、彼は目の前に立つ美しい女性に深々と頭を垂れた。
「申し訳ありません。門兵と衛兵に何度も止められてしまって……」
「毎日通い始めて、どれだけ経つ? そんなはずがあるか! ……いっそのこと、近衛の官舎に住むか?」
言いながら皇帝の妹姫ミレダ・ルウツは、緩やかに波打った長い赤茶色の髪をかき上げた。
他ならない、ユノーにすべての厄介事を押し付けた張本人が、この人である。
宝石のように光る青緑色の瞳を向けられて、一瞬彼は身を固くした。
けれど、やんごとない身分のミレダに向かい、包み隠さず本心を言う訳にもいかない。
「いいえ、とんでもありません。ただでさえもったいないくらい目をかけて頂いているのに、これ以上恐れ多いことは……」
必死に言葉を選びながら、ユノーはやんわりと『ありがたい申し出』を断る。
果たしてその内心を知ってか知らずか、妹姫はそうか、とうなずくとおもむろに切り出した。
「奴が見込んだだけのことはあって、本当にお前は飲み込みが早い。あながち初陣を生きて帰ったのも、運だけではないだろうな。師匠様も驚いておられたぞ」
そう。
つい先日、あの人とミレダの剣術の師である神官騎士団長アンリ・ジョセがふらりと姿を見せた折り、短時間ではあるが手ずからユノーに稽古をつけてくれたのである。
成人し、初陣を飾ってから、ユノーの人生は大きく狂った。
それが好転なのか暗転なのかは定かではない。
が、これだけは確かである。
すべての出来事には、皮肉なことにあの人が絡んでいた。
幸か不幸か、はたまたあの人の影響なのか、多少の事では驚かなくはなってきたものの、ユノーはまだ完全に物事に順応しきれていないことを自覚していた。
けれど、これ以上殿下に不快な思いをさせる訳にはいかない。
ため息をつきながらも顔を上げると、目の前に立つミレダはすでに自らの剣を構えていた。
我に返ったユノーはあわただしく剣を抜き、未だどこかおぼつかない所作でそれを構えた。
底冷えする練兵場で、やんごとなき人と剣を合わせることしばし。
金属のぶつかる音が響くたび、火花が散る。
上気した顔には、いつしかじんわりと汗が浮かぶ。
いつものように一方的に打ち込まれ、防戦一方になるユノー。
ついにはその剣は手を離れ、彼方へと飛ばされた。
「申し訳ありません! すぐに……」
ミレダの雷が落ちる前にユノーは一礼すると、練兵場の外れまで飛ばされた剣を拾いに走った。
ようやく剣のところまでたどり着きいたユノーの目の前で、突如現れた人物がおもむろにそれを拾い上げた。
「ありがとうございます……」
差し出された剣を受け取ろうとして、ユノーは言葉を失った。
にっこりと笑いながら剣を差し出すその青年の顔を見たからだ。
肩に届く赤茶色の巻き毛に、青緑色の瞳。
その容姿は今まで手合わせをしていたミレダに酷似していた。
思わず固まるユノーに、その人は穏やかな口調で語りかける。
「ずいぶんご熱心ですね」
その言葉に我に返ったユノーは、改めて謝意を伝えて剣を受け取った。
刹那、背後からミレダの不機嫌そうな声が聞こえてくる。
「従兄殿? 何でこんなところに? 邪魔をしないでくれないか?」
木枯らしが吹き周囲を取り巻く風景が白黒に変わる頃、ユノー・ロンダートはその思いを強くしていた。
皇都を包む冬の冷え切った空気が、彼に冷静な判断力を取り戻させていたのである。
『無紋の勇者』と讃えられ、絶対の信頼を集めていたあの人が姿を消してから約半月。
事実を突然目前に突き付けられ、言われるがままに常勝軍団『蒼の隊』を引き継いだ彼だったが、日が経つにつれて自らの行為を後悔していた。
どう考えてみても、自分にはあの人のような実力も実績も人望も無い。
それを一番理解していたのは、他ならないユノー自身なのだから。
──オレ達は捨てられたんだ。なあ、坊ちゃん、そう思わないか?──
直後に蒼の隊の副将に任ぜられたロー・シグマは、真実を知らされると酒で満たされた杯を勢い良く煽るなりそう言い捨てた。
そして、ユノーもそれに返す言葉を持たなかった。
家柄は、掃いて捨てるほどある下級騎士。
軍歴はと言えば、初陣を生き残っただけのひよっ子以下。
そんな自分に、歴戦の猛者達が命を委ねるはずがない。
不敗の勇者という最大の砦を失った今、ルウツ皇国の実情を知る者達は何事も起こらぬよう祈りつつ、凍てついた冬そのままに息を潜めていた。
そんな中ユノーは、安息日を除いてほぼ毎日、様々な思惑の坩堝である皇宮に足を運んでいた。
皇帝近侍の『朱の隊』が使う、皇宮内の練兵場に。
「遅いぞ! 一体どこで油を売っていたんだ?」
鋭い女性の声が、ユノーの耳朶を打った。
これもいつものことである。
殿下の剣のお相手を勤めるのは名誉あることだが、決して楽なことではない。
そう思いながら、彼は目の前に立つ美しい女性に深々と頭を垂れた。
「申し訳ありません。門兵と衛兵に何度も止められてしまって……」
「毎日通い始めて、どれだけ経つ? そんなはずがあるか! ……いっそのこと、近衛の官舎に住むか?」
言いながら皇帝の妹姫ミレダ・ルウツは、緩やかに波打った長い赤茶色の髪をかき上げた。
他ならない、ユノーにすべての厄介事を押し付けた張本人が、この人である。
宝石のように光る青緑色の瞳を向けられて、一瞬彼は身を固くした。
けれど、やんごとない身分のミレダに向かい、包み隠さず本心を言う訳にもいかない。
「いいえ、とんでもありません。ただでさえもったいないくらい目をかけて頂いているのに、これ以上恐れ多いことは……」
必死に言葉を選びながら、ユノーはやんわりと『ありがたい申し出』を断る。
果たしてその内心を知ってか知らずか、妹姫はそうか、とうなずくとおもむろに切り出した。
「奴が見込んだだけのことはあって、本当にお前は飲み込みが早い。あながち初陣を生きて帰ったのも、運だけではないだろうな。師匠様も驚いておられたぞ」
そう。
つい先日、あの人とミレダの剣術の師である神官騎士団長アンリ・ジョセがふらりと姿を見せた折り、短時間ではあるが手ずからユノーに稽古をつけてくれたのである。
成人し、初陣を飾ってから、ユノーの人生は大きく狂った。
それが好転なのか暗転なのかは定かではない。
が、これだけは確かである。
すべての出来事には、皮肉なことにあの人が絡んでいた。
幸か不幸か、はたまたあの人の影響なのか、多少の事では驚かなくはなってきたものの、ユノーはまだ完全に物事に順応しきれていないことを自覚していた。
けれど、これ以上殿下に不快な思いをさせる訳にはいかない。
ため息をつきながらも顔を上げると、目の前に立つミレダはすでに自らの剣を構えていた。
我に返ったユノーはあわただしく剣を抜き、未だどこかおぼつかない所作でそれを構えた。
底冷えする練兵場で、やんごとなき人と剣を合わせることしばし。
金属のぶつかる音が響くたび、火花が散る。
上気した顔には、いつしかじんわりと汗が浮かぶ。
いつものように一方的に打ち込まれ、防戦一方になるユノー。
ついにはその剣は手を離れ、彼方へと飛ばされた。
「申し訳ありません! すぐに……」
ミレダの雷が落ちる前にユノーは一礼すると、練兵場の外れまで飛ばされた剣を拾いに走った。
ようやく剣のところまでたどり着きいたユノーの目の前で、突如現れた人物がおもむろにそれを拾い上げた。
「ありがとうございます……」
差し出された剣を受け取ろうとして、ユノーは言葉を失った。
にっこりと笑いながら剣を差し出すその青年の顔を見たからだ。
肩に届く赤茶色の巻き毛に、青緑色の瞳。
その容姿は今まで手合わせをしていたミレダに酷似していた。
思わず固まるユノーに、その人は穏やかな口調で語りかける。
「ずいぶんご熱心ですね」
その言葉に我に返ったユノーは、改めて謝意を伝えて剣を受け取った。
刹那、背後からミレダの不機嫌そうな声が聞こえてくる。
「従兄殿? 何でこんなところに? 邪魔をしないでくれないか?」
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